第12話 暗黒騎士考

 ノーテルヒルキ王国・ジケイラの町。その隅にニイハー孤児院がある。二十二名の孤児を抱えるここは、ニイハー夫妻によって経営されている。


 この孤児院では、基本的に十二歳まで衣食住の面倒を見つつ、簡易的な仕事を任せるなどしながら、引き取り手や仕事の斡旋を行っている。


 そして、このニイハー孤児院の宿舎においての『部屋』とは十歳までは共同で、十一歳から二人部屋を与えられる。十二歳になれば、基本的に仕事先をあてがわれ、卒業することになる。


「つまり、ここを卒業するまで、ここの子供たちは個室を与えられることがありません。それなのに、ゼラ様は今、この部屋を何と言いましたか」


 ゼラ・サラン・マッカードの執事、コクヨウ・カンパスは、声を落として訊ねた。


「お手洗いでも、もっと清潔ですわ。なんて汚らしい部屋ですの」


 板張りの床、簡素なモルタルの壁。むき出しのランタンを吊り下げて明かりを取る。ベッドは内に藁を入れたもの。勉強用の机と椅子が一つずつ。


 ゼラは一瞬、この部屋のやっぱりガラスのない窓から外を見た。真っ暗である。


「ゼラ様がこの部屋に不満を持つことは理解しますが、それでもこの孤児院ではスイートルームの待遇です。そのことをお忘れなきよう」


 執事は立ったままで、椅子に悠然と腰掛けるゼラへ応ず。しいてこの場で彼女の気品を窺わすものといえば、執事が持ち込んだ紅茶であった。


「ふん。もういいですわ」


 このニイハー孤児院の『スイートルーム』こそが、彼女の執事コクヨウ・カンパスの用意した隠れ家である。どうしても必要になる拠点として、彼はここを選んだわけである。


「それで、もう落ち着いたでしょう。だから、教えてください。あの暗黒騎士について、思うところがあるんでしょう」


 漸く彼女の気が落ち着いたと見えて、執事は改めて暗黒騎士の話題を切り出した。ゼラはそこで、紅茶を一口。そして、口を開く。


「まず、これを」


 ゼラは魔法を編んでハンカチを作り、一振り。すると、部屋を燐光が満たした。一見すると少し部屋が明るくなっただけなのだが、ゼラの置いたティーカップから登る湯気が揺らがない。開けっ放しの窓から風が吹いているはずなのだが、それが一切絶たれている。


「この部屋を密室にしました。これでわたくし達の会話が漏れることはありません」


「ほう。腐っても大商会の主ですね」


「今まで散々わたくしのことを馬鹿にして、まだ飽きないのですね。では、なぜわたくしが今、ここまでのことをしたのかはもうお分かりでして?」


「さあ? どうしてでしょう」


「それは、わたくしこそが、あの暗黒騎士の元ネタになったノート、すなわち、『黒歴史ノート』の作者だからと、貴方に告白するからですわ」


「……よくも、まあ……」


 執事はやや驚いた表情を見せた。今まで、小馬鹿にしたように笑んだり、暗黒騎士と切り結び歯を食いしばることこそあれ、こうして目を見開き、動揺すら見えるのは初めて見た――そもそも付き合いは長くないはずだが、あの冷血漢が虚を突かれているのは心地よくゼラは思った。


「あら、予想外でして?」


「違います。わかってはいましたが、自白までされるとは思っていなかっただけです」


「これ以上嘘をつき続けるのは得策ではありませんもの」


 ゼラは肩をすくめた。


「わたしが言いふらすことは考えないのですね」


「これ以上誰かに白状をするつもりはありません。ただ、貴方は巻き込んだほうがいいと判断しました」


「ほう」執事は小さく唸った。


「二心なくわたくしに仕える、その言葉を信じます。父の使いとは言え、貴方はわたくしの意図をよく汲んで動きました。この家も、気に食わないことは多いですが、ここならゼラ商会やマッカード家とのつながりを見出すことは難しいでしょう」


 ゼラは皹だらけの壁を指でなぞり、指先に着いた粉を吹いて飛ばした。


「それに、貴方が本物のスパイで、わたくしの旅のことを父へすべて話していれば、そもそもあの『宮殿』から出ることはできなかったでしょう。貴方はわたくしの敵ではない。給料五パーセントアップですわ」


 ゼラは実家の『宮殿』を出るとき、子飼いの騎士や執事、メイドではなく父ブライドン・サライ・マッカードが必死で走っていたことを思い出していた。直前まで、ゼラが早々に飛び出すことは想定外だったに違いない。


「これまた大胆な給料アップですね。買われたものです」


「今日、外に出てわたくしには知らないことが多すぎると理解しました」


 ゼラはティーカップの中に視線を落としながら言う。


「貴方のことはさらに格別信用します。本日アップした十五パーセントのお給金分は働いてくださいましね」


 ただし、貴方とは年契約を結んでいるためあと九か月は待ちなさい、とゼラは付け足したので、コクヨウの顔が曇った。


「契約変更や、せめてボーナスが増えたりしませんか」


「今期のゼラ商会の業績は芳しくありませんの。でも、貴方はゼラ商会ではなくわたくしと直接契約していますものね。ボーナスは考査しますわ。商会に戻ったら契約書の確認ですわ」


「……わかりました。期待しています」執事は胸を張るでもなく答えた。


「それで、自白いただいた上でお聞きしますが、ノートの所在に心当たりはないのですか?」


 コクヨウは落ち着きを払って訊ねた。すると、ゼラは一切顔色を変えずに、次のように答えた。


「まったく、ですわ」


「そうですよね。つまり、ゼラ様が作者だとわかっても、事態は好転しないと」


 コクヨウは深くため息をついた。ところが、ゼラに落胆の色がないと見えて、コクヨウは眉を顰めた。対して、ふん、とゼラは自慢げに鼻を鳴らした。


「では、そんな貴方に最新情報をお伝えしますわ。あの暗黒騎士は、わたくしの黒歴史ノートを読んで、その内容を真似たやばいタイプのコスプレイヤーかと思いましたが、それは違うと思いますの。あれは、きっと、暗黒騎士そのものですわ!」


 ゼラはこの部屋唯一の明かりで吊り下げられたランタン、ではなく、開け放たれた窓の外の暗黒を、愛おしそうに見つめた。


「さすがにそんなわけねえだろ」


 コクヨウの突っ込みすら闇に溶けて霧散する。ゼラはその様子を気にも留めず、その根拠を答え始めた。

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