第2話 歌声なき街、そして仲間たち
リーナの案内で、ハルは崩れかけた「織りの街」のさらに奥へと足を踏み入れた。朽ちた建物の隙間からは、埃っぽい風が吹き抜け、遠くで奇妙な獣の鳴き声が響く。漂う微かな土の匂いと、どこか生臭いような異物の匂いが混じり合い、ハルの胃の奥がむず痒くなる。五感を通じて感じ取る全てが、久留米の日常とはかけ離れたものだった。
「この先は、特にゼルガの眷属が頻繁に出没するエリアよ。気を引き締めて」
リーナが静かに忠告した。彼女の背中の羽が、周囲の空気の変化を敏感に察知するように、微かに震えている。ハルはゴクリと唾を飲み込んだ。本で読んだ冒険譚の登場人物になった気分だが、これが現実だと思うと、足元が震えそうになる。
その時、けたたましい叫び声が聞こえた。
「うおおおおお! てめぇら、いい加減にしやがれ!」
荒々しい声と、何かが砕けるような鈍い音が響く。ハルとリーナは顔を見合わせ、声のする方へ駆け出した。視界が開けた場所に出ると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
瓦礫と化した広場で、二人の少年少女が、醜悪な魔物に取り囲まれていた。魔物は、黒い瘴気をまとった狼のような姿をしており、その眼は血のように赤く光っている。三体いるうちの一体が、今にも少年へ飛びかかろうとしていた。
少年は、大地の民特有の屈強な体つきをしており、その腕には、まるで岩を砕くかのような筋骨隆々とした筋肉が盛り上がっている。彼は、壊れた建物の柱らしきものを手に、魔物と格闘していた。一撃を繰り出すたびに「ドゴォン!」と鈍い音が響き、地面が震える。だが、彼はすでに息が上がっているようで、その顔には疲労が色濃く浮かんでいた。
その隣では、もう一人の少女が、分厚い魔導書を抱えながら、懸命に詠唱を続けている。彼女は星の民らしく、落ち着いた雰囲気をまとっていたが、額には脂汗がにじみ、顔は青ざめていた。魔物の一体が彼女に狙いを定め、唸り声を上げて飛びかかる。
「ティナ! 危ねぇ!」少年が叫んだ。
間一髪、リーナが素早く弓を引き絞り、風のような速さで矢を放った。矢は正確に魔物の急所を射抜き、「グギャアア!」という耳障りな断末魔と共に、魔物は黒い煙となって消滅した。
「助太刀、感謝する! 風の民か!」少年が大きく息を吐きながら言った。
残りの魔物が、今度はハルとリーナに狙いを定める。ハルの心臓がバクバクと鳴り響く。彼は本を読み知識はあるものの、実際に戦うのは初めてだ。どうすればいい!?
その時、ティナと呼ばれた少女が叫んだ。
「グラン! その魔物には光の魔術が有効よ! けど、私一人では詠唱が間に合わない…!」
「光だと!? クソッ、俺は力が取り柄で魔法は苦手なんだ!」少年――グランは悔しそうに歯噛みした。
ハルは、ティナの言葉と、グランの状況を瞬時に理解した。光の魔術…そういえば、本の中にそんな記述があった気がする。現代の物理学で言えば、光は波であり粒子でもある。それを魔法で再現するなら…。
「リーナ! グランとティナを少しだけ援護して! 僕に時間を稼いでくれれば…!」
ハルは咄嗟に叫んだ。リーナは一瞬、戸惑ったような顔を見せたが、ハルの真剣な眼差しに頷き、素早く弓を構え直した。彼女の矢が立て続けに放たれ、魔物の動きを牽制する。その間に、ハルはティナが持っている分厚い魔導書を覗き込んだ。そこには、複雑な魔法陣と、いくつもの呪文が記されている。詠唱文は長いが、光の魔術に関する部分がそこかしこに点在しているのが分かった。
「ティナ! この『輝く星の導きよ、闇を打ち払え』って部分を強くイメージして! 僕は、その魔力に僕の『光』を重ねる!」
ハルはティナの言葉を遮るように叫んだ。現代日本の知識から「光」というキーワードを引っ張り出し、それをエテルナの「魔術」に繋げようとする。ティナは、ハルの突飛な言葉に一瞬戸惑ったが、彼の目から感じられる並々ならぬ気迫に、指示に従うことにした。
ティナが震える声で詠唱を始める。「輝く星の導きよ、闇を打ち払え…」彼女の周囲に、淡い光の粒が集まり始める。ハルは、その光の粒に、自分の中にある「光」のイメージを重ねるように集中した。久留米の、夜の商店街を照らすネオンの光。夜空に輝く星々の光。それら全てを思い浮かべる。
すると、ティナの詠唱に合わせて、集まる光の粒が急激に輝きを増し始めた。最初は豆粒ほどの光だったものが、みるみるうちに大きくなり、やがて強烈な光の塊となって魔物へ向かって放たれた。
「グギャアアアアア!」
魔物は耐えきれないとばかりに絶叫し、全身から煙を上げながら跡形もなく消滅した。
残りの一体が怯んだ隙を突き、グランが渾身の一撃を叩き込んだ。
「これで終わりだ、化け物め!」
その一撃で魔物は完全に消え去り、広場には静寂が戻った。グランは額の汗を拭い、ティナはへたり込むようにその場に座り込んだ。
「はぁ…はぁ…助かったぜ。まさか、風の民だけじゃなく、こんな人間までいるとはな」グランがハルを訝しげに見る。
「ありがとう、あなたは…一体?」ティナもハルに視線を向けた。
リーナが説明した。「彼は、星野ハル。異世界から来た人間よ。彼の奇妙な『知識』が、今の一撃に繋がった」
「異世界…?」グランとティナは驚きに目を見開いた。
「それより、あなたたちはなぜこんな場所に? この魔物たちは、何をしようとしていたの?」リーナが問うた。
ティナは震える声で答えた。
「この魔物たちは、『歌声の残滓』を消滅させようとしていたわ…。私たちが、歌声が奪われた後も僅かに残る、魂の残響を頼りに、古代の記録を解読しようとしていたのを察知したのよ」
「歌声の残滓…?」ハルは聞き返した。
グランが地面に転がっていた、魔物の一部らしきものを蹴飛ばしながら忌々しそうに言った。
「やつらは、この街の生き残りを狩るだけじゃねえ。残された建物の壁や、人々の心に残るわずかな歌声の痕跡まで、徹底的に消し去ろうとしているんだ。完全に歌声を抹消して、この世界から希望を奪おうって魂胆だろうよ」
ティナは頷いた。「ええ。そして、私が読んでいたこの古文書には、ゼルガが次に狙う場所が示唆されているわ…。『嘆きの森』。そこに眠る、この世界で最も古い『源の歌声』を完全に封じようとしているのよ」
「源の歌声だと!?」リーナの顔色が変わった。「まさか、そんな大それたことを…」
ハルは理解した。「ゼルガは、エテルナの歌声を全て消し去り、この世界を完全に支配しようとしているんだ。そのために、一番根源的な歌声を狙っている…」
グランは立ち上がり、壊れた柱を再び手に取った。
「クソッ、嘆きの森は、俺たちの故郷に一番近い場所だ。これ以上、ゼルガの好きにはさせねえ!」
ティナは魔導書をしっかりと抱え直した。「嘆きの森へ向かうには、危険な道程になるわ。でも、私たちは行かなければならない。この世界の未来のために…」
ハルは、自分が巻き込まれた状況の重大さを改めて痛感した。ゼルガの目的は、単に人々を苦しめるだけではない。この世界の根源そのものを破壊しようとしているのだ。そして、次の襲撃場所まで明確に示唆されている。ハルは、グランとティナの強い決意の籠もった目を見た。自分にも、何かできることがあるはずだ。
広場での戦闘の後、ハルはグランとティナと共に、リーナが用意してくれた瓦礫に囲まれた小さな隠れ家へと身を寄せていた。周囲には、魔物の襲撃で壊された家々がそのまま放置され、時折、風に乗って漂う微かな土の匂いと、焼け焦げた木材の匂いが、この世界の厳しい現実を突きつけてくる。ハルは、久留米の図書館で読んでいた、安全な物語の世界とは全く違う場所にいることを改めて実感した。
グランは、自身の怪力で岩を動かし、入り口を塞いでいた。その背中は分厚く、信頼できそうに見える。ティナは、魔導書を開き、何やら難しい文字を指でなぞっている。そしてリーナは、警戒を怠らず、外の様子に耳を澄ませていた。
ハルは、自分が何の役にも立たないのではないかという、強い無力感に苛まれていた。あの時、魔物を撃退できたのは、たまたまティナの魔法と自分の「知識」が重なったからだ。でも、自分にはこの世界の「魂の歌」がない。魔法も使えない。ただの小学5年生が、魔王ゼルガなんていう恐ろしい存在に、どう立ち向かえばいいのだろう。
(僕に、何ができるんだ…?)
手のひらをじっと見つめる。久留米にいた頃は、当たり前のように使っていたゲーム機やスマートフォンを操作するこの手で、エテルナの未来を救うことなどできるのだろうか。この世界の人々は、歌声と機械の力で生活していた。それはまるで、久留米の人々が電気とインターネットで生活しているのと同じだ。その根源が奪われた今、彼らがどれだけ苦しんでいるか、ハルには痛いほど理解できた。人々が普段使っていた機械が止まり、生活に大きな影響を与えている様子を目の当たりにした時、ハルは久留米での当たり前の生活がいかに恵まれていたかを痛感した。
「おい、人間。ぼさっと突っ立ってねえで、何か手伝えることはねえのか?」
グランがぶっきらぼうに言った。ハルはハッとして顔を上げた。
「ごめん…僕、歌声もないし、魔法も使えないから…」
「だからなんだってんだ?」グランは眉をひそめた。「さっきの光、あれがお前の力だろうが。わけは分からねえが、あれがなかったら、俺とティナは今頃魔物の飯だったぜ」
ティナが魔導書から顔を上げた。
「ええ。あなたの『光』は、私の魔力と共鳴したわ。あれは、ただの偶然ではなかったはず。あなたには、私たちにはない、別の『理』の力があるのかもしれない」
リーナも頷いた。「あなたの話す『インターネット』や『科学』というものが、もし本当に存在するのなら、それは私たちの知らない『歌声』の形なのかもしれない。まだ理解はできないけれど…」
仲間たちの言葉が、ハルの心にじんわりと温かい光を灯した。そうだ、久留米での生活で培った「知識」は、決して無意味ではない。少なくとも、彼らが持たない新しい視点、新しい発想をもたらすことができるかもしれない。
ハルは、もう一度自分の内面と向き合った。不安は消えない。だが、目の前には、自分を助けてくれた仲間たちがいる。彼らは、希望を失わずに戦っている。そして何より、元の世界に戻る手がかりを得るには、この世界の謎を解き明かすしかないのだ。
(僕は、この世界に導かれたんだ。きっと、何か意味があるはずだ。そうだ、僕の『知識』が、この世界の歌声になるなら…!)
ハルは、仲間たちの現状を変えたいという強い思い、そして元の世界に戻るための唯一の道として、歌声を取り戻す冒険に参加する決意を固めた。顔を上げると、ハルの目には、先ほどまでの迷いではなく、新たな光が宿っていた。
「僕、やります。僕にできることが何かあるなら、何でも協力する!」
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新しいスキルの試行錯誤
ハルの決意に、リーナは静かに微笑み、グランはニッと口角を上げた。ティナは再び魔導書に目を落としながらも、その横顔にはかすかな安堵の色が浮かんでいた。
「よし! なら早速、お前の言う『知識』とやらを見せてみろ。この瓦礫の中から、使えそうなものを見つけてくるぜ」グランはそう言って、再び瓦礫の山へと向かっていった。その行動は非常にリズミカルで、迷いがなかった。
ハルは、自分が久留米で学んだ知識をこの異世界でどう活かせるか、思考を巡らせた。エテルナの人々は歌声で機械を動かしていた。ならば、歌声がなくても動かせる「機械」を、現代の知識で再現できないだろうか?例えば、遠くの音を聞き取る「簡易な通信機」や、闇夜を照らす「探索道具」があれば、冒険の助けになるはずだ。
「ティナ、この辺りに、金属の破片とか、細い蔦みたいな植物、それから…電気を通すような鉱物はないかな?」ハルはティナに尋ねた。
ティナは魔導書を閉じ、少し考え込む。
「金属の破片なら、壊れた機械の残骸から見つけられるかもしれないわ。細い蔦なら、この森の奥に『鳴き蔦』という、微かな音に反応して震えるものがあるけれど…電気?それは、私たちの歌声の魔力に近い概念かしら?」
「ええと…そうだね、歌声の魔力とは違うけど、物質の中に流れる見えない力、みたいなものかな」ハルは分かりやすく説明しようと努めた。「それを集めて、光に変えたり、音に変えたりするんだ」
グランが両腕いっぱいに瓦礫の破片を抱えて戻ってきた。「おい、こんなもんでいいのか? 壊れた歯車みてぇなのと、変な色の石だ」
ハルはグランが持ってきたものを受け取った。壊れた歯車、奇妙な色の石、そしてティナが見つけてきた「鳴き蔦」。どれも、久留米で見慣れた素材とは全く違う。
「うん、ありがとう! これならいけるかもしれない!」
ハルは目を輝かせた。まずは、探索道具からだ。彼は、壊れた機械の金属片を平らな石の上に乗せ、別の石で叩き始めた。金槌なんて便利なものはない。ひたすら地道な作業だ。
「何してるんだ?」グランが首を傾げた。
「これは、光を集めるための反射板を作ってるんだ。それから、この石は…ティナ、この石、ちょっと削ってみてくれないかな?細かい作業が必要なんだ」
ティナは興味深そうにハルの手元を覗き込み、自身の魔力で石を精密に加工していく。彼女の指先から淡い光が放たれ、石は滑らかに、そして正確に削られていった。
「そして、この鳴き蔦を細く裂いて、ここに巻き付けて…」
ハルは、現代日本の知識で得た「回路」の概念を、エテルナの素材で再現しようと試みた。ティナが微細な加工を施した石と金属片を組み合わせ、鳴き蔦で繋ぐ。
「おい、これじゃあ、ただのガラクタじゃねえか?」グランが呆れたように言った。彼の顔には「そんなもので本当に役に立つのか?」という疑念が浮かんでいる。
「まだだよ。ここからが重要なんだ…」ハルは額に汗を浮かべながら集中した。そして、最後の仕上げとして、ティナが魔力を込めた小さな水晶を組み込んだ。
「これだ! ティナ、もう少しだけ、この水晶に魔力を流し続けてみてくれないか?」
ティナは言われた通り、水晶に魔力を流し始めた。すると、水晶が淡く輝き出し、そこから伸びる鳴き蔦の先に付けられた金属片が、微かな光を放ち始めたのだ。
「おお! 光ったぞ!」グランが驚きの声を上げた。
それは、久留米の懐中電灯のような明るさには遠く及ばない。しかし、確実に暗闇を照らすほどの光だった。ハルは安堵と興奮で息を吐いた。
「成功だ…! これで、暗い場所でも先が見えるようになる!」
「すごいわ…! 歌声なしで、こんな光を生み出すなんて…」ティナは感嘆の声を漏らした。彼女はハルの知識に、新たな可能性を見出しているようだった。
「これで終わりじゃない。これを使って、次は通信機を作るんだ! もっと遠くの音を聞き取れるように…」
ハルは目を輝かせた。新しいスキルを得るための試行錯誤は、まさにここからが本番だ。仲間たちの具体的なサポートを受けながら、ハルはエテルナの世界で、自身の「知識」という名の新たな歌声を見つけ出そうとしていた。
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