【幕間 四節.沢渡ケン】

 沢渡ケンは東京の八王子出身の二十歳の青年である。

 髪は金髪、語尾は『っス』。所謂チャラ男である。


 だが、それは京都にある名門近衛大学に通うようになってからのお話である。

 八王子にいた頃は、地味でいじめられてばかりの、冴えない少年だった。



 近衛大学のことを知ったのは、小学生のころ。

 京都のおばあちゃんの家に帰省して、テレビでCMを見て知った。それは、たまたまお茶の間でドラマを流していた時に放送したものを目にしたに過ぎなかったのだが、少年の目にはとても印象深く映った。


「おれ、大きくなったらここに入る!」


 そう宣言して、家族全員から爆笑を買ったのだが、本人の中では大きな覚悟だった。


 そんな約束も、中学生に上がる頃には忘れていたのだが、高校二年生の時、おばあちゃんのお葬式で京都に家族で駆けつけた時にもう一度、そのコマーシャルを目にした。

 確かに、レベルは遥かに高いが、この頃はガリ勉くんだった。あと少し頑張れば射程圏内に入るかもしれない。

 自由と先進性を重んじる明るい校風。

 憧れていたし、暗い自分を変えたかった。

 何より。

 そこに入れば、自分も青春を謳歌できる……そんな予感がした。


 だから頑張った。頑張って頑張って、頑張り抜いた。


 そして見事。超エリート大学・京都近衛大学に入学することが出来たのだった。



 家が運送会社を経営していた関係で大学に入ってすぐに大型免許を取らされてしまったが──それが学費との交換条件だった──、遅咲きの大学デビューを果たしたく、長かった髪をばっさり切り、染めた。ピアスを開けた。ファッションセンスを、雑誌にSNSから磨いた。

 カノジョも何人か作ったが、どの子もいまいちパッとしない。自分には合ってないような気がして、長続きしなかった。


 そうして一年が過ぎた頃。彼は自身にとって最良の天使を見つけた。


「はーい、そこの可愛いオネーサン! どうっスか、オカルトサークルに入って、新体験、してみないっスか?」


 その子はきょとんと目を見開いた。リスっぽいなあ、確か第一印象はそう思ったと思う。


 ベリーショートの髪と、地雷系ファッションが良く似合う。

 東海林モエという名の女の子だった。



 モエは、変わった女の子だった。

 ぶりっ子キャラであざとさ全開に見えるが、ふとした瞬間に寂しそうに見える。聞くと、お母さんを小さな頃に亡くしているという。ある時、告白を受け入れてくれた理由を聞いてみた。理由は単純。


 昔持っていたくまのぬいぐるみと同じ匂いがするから、だという。


 さすがにズッコケたが、そんな彼女が愛しくて愛しくてたまらなかった。

 大学に入ってすぐに買ったマイカーのスズキの丸目のSUVで、あっちこっちに連れて行ってあげた。

 名古屋に行って特大エビフライを食べた。

 岡山に行って牧場でソフトクリームを食べた。

 滋賀県にあるご実家に遊びに行った事もあった。が、頑固なお父さんは彼を見て一喝。


「娘はやらん!」


 そんなことも、たくさんの幸せな思い出の、ひとつなのだ。



 ドライブデートの後は、モエのお家でお泊まりだ。もちろん朝までひたすら愛し合う。

 ケンは朝が弱かったが、意外にも家庭的なモエが、いつも先に起きて朝ごはんを作ってくれる。


「ケンちゃん、朝ごはんだよぉ」


 そう言って、スクランブルエッグの匂いと一緒に、起こしてくれる。

 ケンは、そんな彼女が作るスクランブルエッグと、柔らかな笑顔が大好きなのだ。



 モエと過ごす夜もまた、好きだ。

 バイトを掛け持ちしている──一人暮らしとマイカー維持のため──ケンと違って、モエはお父さんからの仕送りがあるからいつも先に家に帰って待っている。だから。


「おかえり、ケンちゃん。晩ごはんできてるよぉ」


 モエは意外にも和食を作らせるとものすごく美味しい。肉じゃが……も勿論のこと美味しいが、肉豆腐が最高に美味しい。初めて食べた時、感動して三回お代わりをした。なんでも、京都市内のお豆腐屋さんを巡って、お父さんのお豆腐屋さんに近い味の豆腐をさがしているんだとか。


 いつも、いつも。

 朝も、晩も。

 モエはいつも先回りしてケンを待っていてくれているのだ。


 いつも。



 令和七年八月十二日。島根県西部、真理弥村。


「あらケンちゃんー、どうしてそんな怖い顔してるのぉ?」


 恐怖の惨劇から生還すると、そこ──旅館・まりやには、もう居ないはずの愛しいモエが居た。


「モエ……モエ……生きてた……生きててくれてよかったよぉ」


 ぼろぼろと涙をこぼして、本当に心の底から喜ぶ彼氏の姿を見て、モエは気恥ずかしそうにはにかんだ。


「ケンちゃん、どうしちゃったのよぉ。モエはいつだって元気いっぱいだよぉ?」


 もう喪ってしまったかと思った。

 だから、もう手放さない。そう決めた。


 手を握った。

 あれ。


 モエの手はいつも温かい。

 なのに、まるで陶器のように冷たい。


 でも、いい。

 それでもいい。


 きっと、このまま幸せは続くだろう。

 ずっと恋しいひとと、一緒に居られるだろう。


 彼は、考えない事にした。

 途端に全てが、楽になった。

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