【八節.凍りついた雨】

「なんだ? いったい何が」


 マコトは教会の埃まみれのガラス窓に張り付く。

 そして、雪の結晶が無数に張り付いたそこから外の様子を眺める。


 空は──なぜだかは分からないが、暗い。

 けれど、真っ暗なのでは無い。大気が乱反射しているのか、赤黒いのだ。その赤褐色の空じゅうから、鳥の鳴き声が響く。カラスのような、ニワトリのような、金属音にも似た耳障りな叫び声が鼓膜を不快に逆撫でる。

 そこを、嵐が吹きすさんでいる。降っているのが雨なのか雪なのか、もうオカルトサークルの一行にはわからない。


 鐘は、十二回鳴って止まった。けれど、静寂の代わりに訪れたのはまるで地獄から吹き出して来たかのような冷たい嵐の音。それも、窓から見る限り嵐の中心は、どうやらこの教会のようなのだ。

 ──何か、良くない事が起ころうとしている。とても良くないことが。

 それは否応無しに分かる。でもそこにいた全員とも、どうしたらいいのかわからない。


「何よこれ? なんなの、なんなのよぉ!」


 モエはパニック寸前だ。さすがのタクミも冷静さを失いかけてる。


「まて、まて! 女将はなんて言っていた? おい、沢渡、なんて言っていた!」

「え……えと、確か、鐘がなったら外に出るな……って」

「ここに来るまで人の住んでる民家はあったか? ない、なかったよなっ。てことは……」


 タクミの言葉が終わる、まさにその直前。

 その音は、静かに、聞こえてきた。



 かた、かたかたかた。



 みなが辺りを見渡す。音のありかを探しているのだ。そしてその時。


 磁器人形のうちの一体が『動き始めた』。


「え……?」


 いちばん近くに居て、いちばん最初に異変に気付いたのはアイだった。球体関節で出来た『それ』は、下手くそな誰かが糸で動かしているようなぎこち無い動きで不気味に痙攣する。ぎぎぎ、と、首の関節を回すと、じろりとアイと目が合った。


「……?」


 次の瞬間、十五センチはありそうな鋭い爪をアイの右腿目掛けて振り下ろした。


「ぃやっ!」


 アイの悲鳴と危機に、マコトが気がついた。


『ヒナ、みんなといろっ!』

『うんっ』


 マコトは、急いでヒナを安全そうな他のメンバーの居る所に向かわせると、アイを襲った人形に猛突進を繰り出した。ぶつかった人形はガシャンと音を立てると、関節から外れてバラバラになった。

 負傷して蹲るアイに駆け寄る。


「あいたた……」

「見せてみろ」


 右脚太ももから二十センチほど斬られ、血を流している。太ももの傷は浅くはなさそうだが、幸いにもそこまで大きく出血はしていない。マコトは肩を貸して立ち上がらせる。


「立てるか?」

「ええ、なんとか」

「アイ様っ」

「大丈夫ですかっ」


 アカネとカナエも異変に駆けつけて心配をするが、マコトから見ても、今はそれどころではない。気がつくとあちこちからカタカタと人形たちの動き始める音がしている。それに、さっきから耳障りな、とても嫌な音も聞こえ始めている。ぎぃ、ぎぃ、と金属製の何かを引き摺るような音が。


「みんな、逃げよう! ここは危ない!」


 マコトが叫んだ。

 その言葉をきっかけに、メンバーたちは懐中電灯を持ったマサルを先頭に、全力で教会の扉まで走った。そしてその重い扉を開いたその時。


「あ」


 びくんっと、マサルが硬直して動かなくなった。


「おいっ。マサル、どうした? ……おいっ」


 タクミが彼の肩を掴む。と、動かなかったマサルがふわりと『浮いた』。そのお腹を、何か大きな鉄の棒で貫かれて。

 手にしていた懐中電灯が落ちる。そして、その光が映し出したモノは。



 山羊なのか牛なのか。

 邪教のソレのような、生々しい骨を頭から被って、カラスの様に黒いローブを着た「ヒト」が立っていた。

 右手には、信じられないくらい大きな──二メートルはありそうな──諸刃の斧をマサルに突き刺して、これもまた信じられないことにそれを『片手で』九十キロあるマサルごと持ち上げている。

 若干華奢なこと以外、男か女か、若いのか年を取っているのか、それすら分からない抑揚のない声で、こう告げた。


「──ままガ 呼ンデイル ヨ」


「てめえっ」


 殴りかかろうと、マコトが飛び出そうとする。


「だめよっ! マコト、だめっ」


 そんな冷静さを失った元許婚のことを、アイが悲鳴のような声で叫んで、腕を必死に引っぱった。

 だが、後ろからは動き始めた人形たちが四つ足で走り始めている。

 前には謎の怪人、後ろには殺人人形。


「……にげろ! にげろ──っ!」


 タクミがそう叫んだ。けれども、逃げるにも前も後ろも塞がれて退路がない。だから、みな怪人の脇を『すり抜けるようにして』逃げるしかなかった。

 だから。


「きゃあっ」


 山羊の骨を被った怪人は、空いていた左手で、モエの額をすれ違いざまに掴んで、そのまま持ち上げた。


「ぎゃああっ!」

「こいつっ、モエを離せよっ」


 ケンが必死に愛する恋人を、その腕から解放しようと怪人の左腕に掴みかかる。けれども華奢に見えるその腕からは想像もつかないほどに、その腕は頑強だった。


「あああッ、痛い痛い痛いいたいいたいいた──」


 ばぎっ。


 モエは、恋人の目の前で、血と脳漿と両の目玉を飛び散らせて、絶命した。



「モエ、モエーっ!」


 オカルトサークル一行は、赤黒い空の下、旅館──があるであろう方向──を目指して、走った。

 そこら中から、人形たちが目覚め始める。そして動き出した人形から、一斉に襲いかかってきた。カナエと、タクミが途中で肩と腕を、それぞれ負傷した。旅館までの二キロの道のりが、果てしなく長く感じた。


「ちくしょう、ちくしょうっ、モエっ」


 非力で無力なオカルトサークルのニンゲンたちは、逃げることしか出来なかった。涙を滝のように流しながら泣き喚くケンを、必死に引き止めながら。


 サークルメンバーふたりの、かけがえのない大切な命は。

 凍りついた雨が残らず吹き消した。

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