花天月地【第11話 牙を剥く】
七海ポルカ
第1話
女は綺麗な笑みで笑った。
控え目で生真面目そうだが、微笑むと雰囲気が明るくなる。
性格の良さが滲み出るような、そんな笑みだ。
(……でもこの、沈鬱な胸の気持ちは)
もう三週間経つというのに、ずっとこの胸に棲み続けている。
もう少しすれば、蓮の花が咲き始める。
――まだ、時期が早かったですね。
女が、建業の蓮が見事だと父が言っていたのでぜひ庭を見たいと言ったため、案内してやったのだが、予想通り蓮はまだ咲いていない。
「でも、睡蓮は咲いていますわ。美しゅうございます」
目当ての花は見れなかったが、白い睡蓮の花を見て女は嬉しそうだった。
偽りではないと思われるその笑みを見返しながら、
正直、今の彼は花を愛でるという気分にないのだが、昔から世話になっている武官の娘である彼女が、建業を訪ねて来たので挨拶がてらしばし相手をしてやってくれないかなどと言われて、義理で断れなかったのだ。
最近こうしてそれとなく娘を紹介して来られることが多かったので、淩統は相手の意図などすぐに読んだが、どうにも部屋で世間話などする気になれず、こうして外に出て来た。
女は花の美しさに気が逸れたらしく、適当な相槌を許されるようになった淩統は安堵したのである。
彼は軍務における次世代の中核になりつつあり、父親は
それは、いつかは嫁を貰って淩家もどうにかしてやらなければとは思っていたが、今はそれどころではないのである。
重鎮である
同年代であり、軍の中核という点では自分と同じはずなのに、こんな煩わしい人付き合いをせず、いつもそこらの樹の上や屋根の上や見事な日陰で悠然と寝こけている
淩統はこんなことなら俺も多少悪ぶって遊んでおくんだったなどと、静かに考え込む時間も与えられない最近にがっかりしている。
甘寧は戦功という点では輝かしく立派な男だなどと言われても、水賊出身であることが見事に分かるその粗暴な言動から、さすがに「私の娘をどうか」などと言うには勇気がいる相手らしい。
まぁ本人もそんな話を持ち込まれたとしても「面倒臭え」の一言で断るんだろうが。
人間多少不真面目な方が、いざという時に追い込まれなくて済むのかもしれない。
(――不真面目か)
鎮魂の火を前に、瞬きもせずそれを見つめていた横顔を思い出す。
ずくりと胸が痛んだ。
そう。
これがこの約一月、胸に棲み続けているものの正体なのだ。
例えば、花が、
そんなに見る者の心を癒すものなら、戦場の兵の心こそ癒してほしいと思う。
(ここになんて咲かないでいいから、全部)
……あの人の部屋の前にでも、五月蝿いくらい咲いてくれればいいのに。
別に戦場に出る者だけが偉いなどと言う気は無い。
戦場に見送った家族や、愛する者を故郷で待つ者だって、きっと辛い。
共にそれも、戦うということだと思う。
それでも、
(あの人はまだ二十歳になったばかりで、
陸家という大きな物を背負って、
それでも戦場に自ら出て来てる。
策を練るだけではなく戦場で剣を持って戦う軍師だから、
文官でもあり、武官でもある。
双方の色んな所で必要とされて)
――最初は、
次に、
周瑜は彼にとって師にも等しい人で、
孫策は、彼の手によって養い親の
恨みよりも更に大きな恩義があり、敬愛することの出来た大切な人だったという。
(ああ、そうだ……。
不思議なほどに最初から打ち解けて心惹かれた相手だったが、
同盟が決裂し、彼は周瑜に命じられて自らの手で、
結局討ち取ることは出来なかったにせよ、あれほど慕った人間に剣を向けることは、酷く辛かっただろうと思う。
諸葛亮に斬りかかったことで、彼らの離別は決定的なものになった。
そして、最後に龐統をもう一度失った。
(あの人は龐統が
ようやく心を委ねる場所を見つけられたのだからと、そう言っていた。
普通なら裏切られたことに対する罵詈雑言を浴びせてもいいのに、彼はそうしなかった。
彼は龐統が、これから本当に蜀で力を尽くして仕えて生きてくれるなら、それでいいと思っていたのだろう。
(でもそれも叶わなくなってしまった)
花などで、幾度もえぐり取られたその傷が癒えるというのなら。
「本当に建業の庭は美しゅうございますね……。
娘が嬉しそうな笑顔で尋ねて来る。
好きですよ、詳しくはないですが。
淩統は微笑んだ。
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