第23話 法と銀行ととんかつ

かつ丼歴百十年。


長かった。

ここまで来るのに、実に骨が折れた。


いや、骨そのものは何度も折れたし砕けた。

けれど不死身なので、勝手に治る。

問題は心の疲労のほうだ。


「……何してるんだろうね、ほんと」


焚き火のそばに座って空を見上げる。


紙作りは思った以上に難産だった。

木の繊維を砕いて煮て、何度も失敗を重ねた。

でも、運よく人間が先に発見していた石鹸が役に立った。

繊維を脱色して漂白するのに、あれが使えるとは思わなかった。


「……人類、たまにすごいな」


繊維を水に溶かし、薄く広げて簀の子で掬い、何度もゆすって余分な水を切った。

板に張り付け、陽の下に並べて天日干しする。

風に飛ばされないよう重石を置き、何日もかけて乾かす。

朝晩の気温に気をつけながら、焦らず待つと完成した。


紙ができたら、次は法律の御触れを出した。


窃盗や暴力の厳罰化。

贋金の取り締まり。

通貨の鋳造管理。

貨幣の交換の規定。

他にも、今まで口頭でやっていた規律をまとめて記した。


けれど――


「……識字率が低い」


言葉は教えた。

だが文字を読むのは別だ。


これまでは口伝や身振りで何とかなっていた。

木版や石板もあったが、手間もかかるからと軽視してきた結果だ。


一枚の紙を前に首を傾げる人々を見て、とわ子はため息をついた。


「……まあ、紙ができたんだから文字もこれから全体に教えればいいか……」


いっそ学校も必要だろうか。

教育の体系があれば、もっと安定して知識が残る。


「……めんどくさいな……」


でも、やるしかない。


最初のうちは、法律は口頭で教え、棒で叩いて体に理解させていく。

それが一番確実だ。というかそれしか方法がなかった。


同時に、銀行も立ち上げた。

地中に石と焼成レンガで堅牢な倉庫を作り、賢くて信用できる家系に運営を任せた。

これも、最初は半信半疑だったが――


「……あいつら、すんなり理解したどころか……」


なんと融資の概念まで編み出した。

集まった貨幣を石倉の中で腐らせずに、足りない人へ貸し出し運用する。

取引の活性化、事業への資金供給、利息。

一通り説明を受けて、とわ子は心底感心した。


「……もしかして、私より頭いいんじゃないか……?」


それから家ごとに見分けの印を作らせた。

葉や鳥、川を模した小さな木札を家紋として配り、帳簿に刻ませた。

識字のできない者でも、それだけはすぐ覚えた。


そうして文明の基盤を整え、社会を安定させるのに、また何十年も費やした。


その間にも、とわ子は「揚げ物」という調理方法を教えた。

熱した油にパン粉と卵をまとわせた肉を沈める調理法。


卵は、いつの間にか養豚の要領で村人が養鶏を始めていた。

とわ子が指示しなくとも応用を利かせてくれるのは助かった。


肉に衣をつけ、油で揚げる。

黄金色に膨らんだ豚肉。


――とんかつ。

それは、また人々を驚かせた。


「……もう、ゴール直前だな……!」


熱々のとんかつを割ると、香ばしい香りが立った。

米も、肉も、出汁も、揃った。

あとは……もう少し整えるだけだ。


とわ子は目を細めて、小さく息を吐いた。


本当に、ここまで長かった。

でも、間違いなく、かつ丼はすぐそこにある。

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