第14話 戒律と神話

焚き火の揺らめきが、夜の広場に影を作る。

その光の中で、とわ子は掌をひらひら動かしながら考えた。


「……もう最初にいた人間は誰も残ってないんだよな……」


最初に石の斧を一緒に削った老人も、稲作を覚えた青年も、猪豚の世話をした子どもも。

みんな、もう骨になって土の下に眠っている。


いま生きているのは、その子や孫ばかりだ。


なら――

神話を作るのも悪くない。


とわ子は腰を上げ、集落の中央に立った。

焚き火に集まる人々の視線が、一斉にこちらを向く。

いまやこの村は、鉄器と農地を持ち、数百人が暮らす大きな共同体になっていた。


「……聞きなさい」


声は、夜の空気に溶けて遠くまで届いた。


「私の名は、八尾乃とわ子。ずっと昔からここにいる。お前たちの祖先より、もっともっと前から」


誰も言葉を挟まない。

焚き火がぱちりと弾ける音だけが響く。


「私は何度もお前たちを守った。獣から、飢えから、争いから。だから、お前たちは生きている」


子どもが小さく頷いた。


「だが、争いは繰り返す。奪い、殺し、壊す。私が眠る間にもそれをする」


低い声で言うと、人々は不安げに視線を交わした。


「だから、ここに決める。戒律を作る」


焚き火の光が、とわ子の表情を赤く照らした。


「一つ。人を殺すな。争いを起こすな。

 一つ。皆で助け合い、飢える者を作るな。

 一つ。奪うならば、その分を返せ。

 一つ。この戒律を破った者には、罰がある」


ざわめきが走った。


「この掟は、私が眠っていても変わらない。破る者は、私が目を覚ましたとき、必ず罰する」


一歩、火のそばへ進む。

赤い光が、とわ子の瞳に映った。


「この地に生きる限り、お前たちは私を見て生きる。私は神だ。だが神も、全てを与えるわけではない。

戒律を守り、仲間と共に在れ。そうすれば、お前たちは強くなる」


子どもも老人も、目を伏せて頷いた。


とわ子は静かに息を吐いた。

胸の奥に奇妙な疲れが滲む。


「……さて。神話も作るか……」


焚き火の炎を見つめながら、頭の中に話の骨組みを思い浮かべた。


――昔、この地に空から降りた不死の女神がいた。

――女神は炎を操り、獣を退け、人に稲と鉄を授けた。

――女神はすべてを見ている。争う者には罰を、支え合う者には恵みを与える。

――女神が望むのはただ一つ、忘れ去られた食の儀礼。


「都合よく作っとこ……」


自分が言葉にするだけで、それは神話になる。

最初の世代を知る者は、もうどこにもいないのだから。


「……かつ丼の神として、かつ丼を作る儀式でも教えとこうかな」


火が低く唸るように揺れた。

とわ子は口元を少しだけ緩めた。


都合がいいのは知っている。

でも、それでいい。

結局、全てはただ一つの目的のためなのだから。


――かつ丼をもう一度食べるために。

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