4月6日11時 ブラウジング38
NDC17の次に向かったのは、38の棚だ。すなわち、「風俗習慣.民俗学.民族学」のエリアである。
棚の前に立ってすぐに、本と本に挟まれた「383 衣食住の習俗」の見出しを見つけた。
まずはキーワードのうちの1つである「女房装束」の調査から始めよう。「女房」が「宮中の女官」だったのは平安ごろのことだっただろうか。「図解巫女」(※10-1)のイラストが400年近くある平安のどの時点を指していたかはわからないが、民俗学エリアなら宮中の衣類の変遷を追った書籍なんていくらでもあるだろう。神道エリアとは比較にならない程充実した棚を地道に検めていく。ほどなくして棚をなぞる指が「イラストでみる平安ファッションの世界 皇族・貴族から武士・庶民まで」(※11-1)という題名に行き当たった。
開いてみると色とりどりの平安人のイラストが目に飛び込んでくる。平安時代を網羅しているようで、目的の女房装束もしっかり記載されている。しばし通読し、「女官朝服」「公家女房・物の具装束」「唐衣裳(舞姫の物の具装束)」の各イラストにある「
ちなみに、「図解巫女」のイラストの肩の布パーツはどうやら「唐衣」の衿の一部分で、全く違うものだった。偶然だが正解らしきところに近づいたので、まあ良しとしよう。本文に目を通すと「領布は奈良時代に伝わった唐風流行であり、薄物で作られ、肩からかけて装うもので、平安初期には正装の必需品で、中期以降も物の具装束には必須の服飾品であった」とのこと。逆に言えば、国風文化の台頭によって消えゆくパーツだったということだ。では、この女は奈良~平安の者なのだろうか。
イラストを見返すと、確かに薄布だけあって柔らかく波打ち、そして透け感のある風合いとなっている。私の頭上に浮遊して「イラストでみる平安ファッションの世界 皇族・貴族から武士・庶民まで」を眺める女の肩から垂れた「領巾」に視線を投げる。形状こそ一致するものの、決して薄くはない。むしろかなりしっかりした生地だ。イラストとは違っておしゃれなボーダー模様もあるし、色もビビットな赤で染められている。やはり「領巾」ではないかもしれない。
「その肩の布は何ですか」
文献調査を諦め、周囲に誰もいないのを確認して女に尋ねる。女は私の隣の席まで降りてきて、「唐衣裳(舞姫の物の具装束)」のイラストの「領巾」を指さした。「領巾」だったらしい。……本当かなぁ。
女の言葉が本当かを調べるべく、再び本棚と向かい合う。いくつか追加で「領巾」の記述に行き当たるも、先程の記載と重複したところが多い。追加で得られた情報だと、波を起こしたり鎮めたり、蛇を追い払ったりする呪術アイテムだったというのが目立ったところだろうか。どうやら古事記にもそう書いてあるらしい。
今のところ呪術アイテム情報は求めていないので本を戻して別の背表紙へ目を滑らせる。いつの間にか「383 衣食住の習俗」は終わってしまっていた。NDC38の最初から見ていくのは時間がかかるかとしばし逡巡していると、少し遡ったところに「明治ものの流行事典 絵で見る歴史シリーズ」(※11-2)という題名が見えた。「領巾」については行き詰ってしまったので、明治時代について調べるか。
目次を見ると「ファッション」の項目がある。目次に従いページを手繰るとレトロな扉絵があった。「図解巫女」の「行燈袴」のイラストと同じように、袴姿の女性がその袴の横をつまんで広げている。絵の中に「本見袴 生学女」とあるが、「本見袴」がこの袴の名前だろうか。……いや、明治時代なら横書きでも右から読むから、これは「女学生 袴見本」だ。読み進めると「海老茶式部」の項に同じ絵が乗っていた。これは新聞に掲載された風刺画らしい。本文を読んでみよう。
「明治三十二(一八九九)年二月、女子の進学者数の増加にともなって高等女学校令が公布されました」(中略)「これによって、各地に高等女学校が設立されると、女学生の数は急増します。ちょうどそのころ、華族女学校は制服として、いくつかの見本の中から海老茶のはかまを注文しました。これをきっかけに、海老茶色のはかまが女学生の間で爆発的に流行します。女学生=海老茶はかまというイメージが定着しました。これに、高等教育を受けている才女という意味が加わり、平安時代の才女として名高い紫式部や、和泉式部などの「式部」がプラスされて、「海老茶式部」という言葉が生まれました」
なるほど。「図解巫女」の記述と合わせて考えると、この「海老茶のはかま」は明治時代に下田歌子が女学生のために発案した「行灯袴」と同じものを指していると思ってよさそうだ。
女学生服として爆発的に流行した「行灯袴」は、その勢いのままあらゆる女性用の袴に浸透した。それは巫女装束も例外でなく、その普及は明治32年、西暦1899年以降だ。しかもその流行は「明治ものの流行事典 絵で見る歴史シリーズ」の「ファッション」の扉絵に選出されるほどのものだった。
しかし、女の袴は「行燈袴」ではなく、そもそも
一応確認しておくか。紙面を指さし、またも頭上から本を覗き込んでいた女に聞いてみる。
「明治後半あたりから女性用の袴にはみんな襠がないんですって。心当たりありますか」
女は心底意外そうに目を瞬かせた後、首を横に振った。
これまでの女の反応を是とするならば彼女は明治32年以降の袴事情を知らない。これは、もしかすると大正人ですらなかったかもしれない。
何か他に手がかりがないかとページをめくっていくと「ショール(肩かけ)」の項に行き当たった。
明治初期からマフラーやショールは輸入されていたらしく、防寒具、ひいてはおしゃれ用品として流行していたらしい。マフラーよりもショールの方が少しだけ流入が遅く、「ショールが流行したのは、十年代に入ってから」とのことだった。このあたりの防寒具の普及はもっと遅いかと思っていたが、文明開化は私のイメージよりずっと急速だったようだ。
「その布、『ショール』や『マフラー』ではなく『領巾』なんですよね」
本を閉じて女に問いかける。
女はそれに答えず、「領巾」を肩から降ろして見せ付けてきた。自室で観察したときは見えなかった箇所に、
というか本物の「領巾」を見たことがないから見せつけられても判断に困る。女の顔を見上げるが、特段表情を浮かべていなかった。その視線に気づいた女に、にこりと微笑まれる。私はこの行動の意図を汲むことができなかった。私は人間関係を放棄した無職なので、テキスト外のことを慮ることができないのだ。
ふと時計を見ると、既に短針は11時を大きく回っていた。こんなことに2時間以上費やしたのか。無常なる時の流れの速さに慄く。
何かないかと再び本棚へ視線を預けると、「黒髪と美女の日本史」(※11-3)と題された本が目に入った。
「図解巫女」にも登場した「長い黒髪」についての記載を期待して、本を手に取る。
すると、「第10章 削ぐことの自由」に、大正の新しい女「モダンガール」が現れ、男社会からの反発に遭っていたとの記載があった。
この記述から、それまでショートカットの女性は庶民の文化の中に現れなかったことがわかる。思えば、かの「枕草子」にも出てくる「尼そぎ」だって肩までは髪を伸ばしていた。私は現代人なのでそこまで強く共感できないが、昔の日本人女性は髪を切ることにかなりの抵抗があったのだろう。その忌避感は「モダンガール」の時代でも続いていたようだ。
「モダンガール」という懐かしい響きから、学生時代の日本史の記憶が思い起こされる。大正デモクラシー、米騒動、女性解放運動……何もかもみな懐かしいが、ノスタルジーに浸っている暇はない。
幽霊の髪型は現代で言う「ウルフカット」にあたるのだが、それは大正以前には文化的にありえないものだった。これでは時代性に矛盾が発生してしまう。
……そういえば、「ウルフカット」はいつから発生したものなのだろう。
民俗学の詰まった棚を睥睨する。ここでは「ウルフカット」の歴史は追えなさそうだ。ここはインターネットに頼らせてもらおう。私はスマートフォンを取り出し、「NDL Ngram」と検索した。
目的地は「NDL Ngram Viewer」(※11-4)。昨日見かけた国立国会図書館の「次世代型実験システム」のひとつだ。
サイトの説明書きによると、「国立国会図書館が提供するデジタル化資料のOCRテキスト化事業の成果物である全文テキストを活用した実験サービスです。OCRによって作成されたテキストデータから、出版年代ごとの出現頻度を可視化することができます」とのこと。
要するにこのサイトでは、任意の単語が使われた回数/年を折れ線グラフで示してくれるらしい。他にもいろいろあるようだが、今は置いておこう。
私はテキストフォームに「ウルフカット」と打ち込んだ。直ちに出現頻度がグラフで表示される。
「NDL Ngram Viewer」によると、NDLデジタルコレクション内での「ウルフカット」という単語の初出は1971年だった。最近過ぎる。通りで「風俗習慣.民俗学.民族学」の棚では見つけられないわけだ。この辺の本は大体が歴史発見系なので、現代のことはあまり書かれない。
というか、なんで「ウルフカット」について調べているんだ。「大正より前では文化的に女性の断髪はあり得なかった」だけでいいだろう。「ウルフカット」自体はもう大した問題ではない。
気が散ってきている。久々の頭脳労働に集中力が追い付いていない。
……よし、飯にしよう。いよいよ行き詰った私は、戦略的撤退を選択した。腹が減っては戦はできない。
お昼時には少し早いが問題ない。これだけ頭を使ったのだから、さぞカロリーも消費されたことだろう。私は本の森を抜けだして食事処を探した。
アトリウムに出てすぐ右に「食事堂『図書苑』」の文字が見える。地下1階にある食堂らしい。
腹の虫と共に階段を下りていくと、地下には似つかわしくない明るさの空間が広がっていた。庭園に面した全面ガラスが目に眩しい。もともと坂だったところをうまいこと埋め立てて図書館を立て、地下でも採光できるようにしたのだろうか。自然光が食堂内部を照らしている。
注文したのは「カツカレー サラダ・スープ付き」560円(税込)だ。物価高騰の波が押し寄せる令和において、カツカレーにミニサラダ、スープもついていてこの価格はあまりにも安い。どんな企業努力があるのだろうか。いや、公共施設の場合「企業」努力とは呼ばないのだろうか、などと意味のないことを考えながら完成を待つ。そう時間もかからず職員から呼ばれ、カウンターでカレーを受け取った。
席に戻って改めて品を見下ろす。カレーがでかい。私の顔より一回り、いや二回りあろう大きさだ。大皿がトレーからはみ出ている。早速一匙と皿へ手をかけるも、その動きは謎の浮遊物の手によって制止された。待てをくらった犬のような瞳で女を見上げると、彼女は制止の手を胸の前で合わせ、「いただきます」の構えをとった。
まさか昨日の
カツカレーとプライドを天秤にかけた結果、結局私はカツカレーを選んだ。「ちびカレー」税込250円を追加注文し、幽霊側に寄せて置く。前例から考えるに、結局これも私が食べることになるのだ。このサイズが限界である。幽霊はこれで良しとしてくれたらしく、ちびカレーに顔を向けてようやく表情を緩めた。
「いただきます」
と、小さな声で呟く。それを耳にした幽霊が、ちらりとこちらに視線を向けてきた。お前に合わせて挨拶しているんだ。なにか文句があるのか。私はあまりの空腹に気が立っていた。スパイスの香りによって増幅された空腹は、もはや天を衝く勢いだ。
思えば、昨日の食事でも女はこのような様子を見せていた。食事の挨拶など「いただきます」以外あるか。キリスト式にGraceでもして見せれば満足か。巫女装束の女をにらみつけていると、その視線に気づいた彼女は「よろしい」とばかりに手のひらでカツカレーを示した。腹立たしいことこの上ない。
まあいい、目障りな浮遊物のことは一旦忘れよう。今の私にはカツカレーをおいしくいただく義務がある。
一匙掬ってみると、給食を思い出す野菜の溶け具合だ。肉にしても人参や玉ねぎにしても、そもそもが小さく薄く切られている。じゃがいもはもはや見当たらない。きっとこのとろみの中に溶け込んでいることだろう。食感はザクザクのカツと福神漬けが手分けして担っている。駄菓子のようにジャンキーなカツの衣が歯に心地いい。無我夢中で匙を進める。
最初こそその大きさに圧倒されていたが、終わってみればたったの20分で完食してしまった。まるで小学生だ。かつて私の中に存在していたわんぱくなエネルギーが、再び体に満ちているのを感じる。これを活かさぬ手はない。午後もこの女の正体を探るべく頑張ろう。私は決意を新たに合掌した。
「ごちそうさまでした」
言い終えた私に対し、女の白い手のひらが差し出される。……そうだ、ちびカレーもあったんだった。お椀に盛られた小盛のカレーを前に、延長戦のゴングを聞いた気がした。
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