ブルーピーシーズ

03 寄り添う者達

　ヘリの中には僕らの荷物があった。無事回収されていたらしい。そのヘリの中で、僕は謝られてしまった。

「すまなかった」

　それは男の声だった。

　一度頭を下げ、再び上げた彼は、しゅっとした誠実そうな顔をしていた。彼はその目で僕を見てまた言った。

「本当に申し訳ない、こんな風に出し抜かれるとは――」

「いいんですよ、助けてくれた……。もう十分です」

　僕はそう返事をしてから聞いてみた。

「それに、悪いのはあいつらです。でも、『出し抜かれた』って、何があったんです？」

　これに対して、同じ男性が。「……身内の人間がこんなことを計画してると察してはいたんだが……、ある日、何台かのトラックで惑わされて……本命は一台だけだったんだが、それを見失った。失態だよ」

　ふう、と嘆（たん）息した彼が、また。「政略結婚のしわ寄せだったんだ。うちの身内の、ある女がとある社長と結婚したがってた。相手はガードの固くて女は痺れを切らして……。君は運悪く狙われた。その社長に君は似てたんだよ」

　え、話が違う。

　何を言い出して――と言いそうになった時、扇子を操った女性が僕を睨（にら）んだ。

　なんだ？　ツッコミを入れるなってこと？

　まさか恩田（おんだ）さんに隠すつもりで？

　恩田さんはあの話を知らないのか？

「そ、そうですか……」恩田さんは納得顔だった。本当につじつまが合うと思ってるらしい。つまり、恩田さんは知らない、恩田さんに教えるな、そういうことだろう。

　そう思わせてくれた男性がまた言う。

「ＤＮＡ鑑定を迫られたら改竄（ざん）する気だったんだ、盗み聞いたよ。誰かに頼んで、分け前でも出すかどうかして……最悪口封じを……。や、耳障りな話をして済まん。いくら説明が必要だとはいえ、こんなの長々と聞きたくないよな」

「いえ。……納得できて、ありがたいです」僕はそう言ってうなずいた。

　彼の言葉で信憑性は増した。まあ嘘だけど。でもそれでいい。恩田さんをこの力のことに巻き込みたくない、だからこれでいいんだ。

　恩田さんにマギウトやサクラのことを明かさないまま、僕らは警視庁のヘリポートに降りた。

　ちなみに僕も恩田（おんだ）さんも、元々持っていた物を、今はもう肩に掛けたり持ったりしている状態。忘れ物はない。

　もう夜中だった。今何時なんだろう。

　僕が聞くと、僕らと別のヘリに乗って来た眼鏡の男性が言った。「誘拐当日から日も変わってて深夜二時だよ」

　そんな夜中だったのか。でも、そんなに経ってない。

　嘘の説明をしていたあの男性が、僕らに、

「さあ家族が待ってる」

　と促した。

　階下に降り、とある一室に入ると、そこで――家族と会った。

「心配したぞ」

　と声を掛けられる。僕はお父さんから言われた。その隣にはお母さんが。

　お姉ちゃんとお兄ちゃんはいなかった。多分、「寝てていい、父さん達だけで行ってくる」みたいなやり取りでもあったんだろう。

　恩田さんの前にはお父さん、お母さん、弟と思しき人達。

「ああ実千夏（みちか）、よかった！」

　言葉とともに彼女を抱き締めたのは、多分、彼女の母親。

「どうもありがとうございます、皆さん」

　お父さんが言った。

　それを切っ掛けに、雪崩（なだれ）のように、みんなが感謝を述べる。

「いえいえ」

　などと返事をしたのは救ってくれた人らほぼ全員ではあるけど、時間を教えてくれた眼鏡の男性だけは「ああお帰りになる前に少し」と別の話を切り出した。

「今回のことは、内容が内容ですので、裁判をやるとしても被害者のことも含めて全てが公開されない形になります、というかそういう形に『します』、皆さんの個人情報を守る意味でもありますが、実は特別な捜査がありまして。しかも皆さんの時間を割くことは今後一切ありません、全てこちらでできますので、ほかに皆さんがやることはもうありません。という訳で、安心してお帰りください。もう遅いですので、お気を付けて……。ただ、その……この対処と我々の捜査のため、誰にも今回のことに関しては話さないように、くれぐれもご注意ください、取り返しのつかないことになり兼ねませんので」

　それに対し、恩田さんのお父さんが、

「え、ええ、分かりました」

　と。

　少しビクビクしていた。当然か。誰にも言えないことが裏にある――そう思うと怖いからな。まあ僕はある程度知っているけど。

　眼鏡の男性がドアを開け、どうぞと促した。そして、「見付かってよかった」「本当にありがとうございました」「ありがとうございました、失礼します」などと、僕ら一家や恩田さん一家は、お礼を言ったり言葉を掛け合ったりして帰っていった。

「ああ、大樹（だいき）くん」

　割とすぐ――廊下を歩いていく時に――呼び止められた。

　通路で振り返る。

　数メートルしか離れていない僕に対し、恩田（おんだ）さんに事実を隠したがった男性が、手招きしていた。

　近付く僕にお父さんとお母さんもついて来たけど、彼はどうやら――。

「あ、すみません、彼だけに少し話がありまして」

　何だろう、と少し不思議に思った。

　でも、僕だけで近付いてみる。

　お父さんとお母さんが少しだけ廊下の遠くにいる状況で、男性は、少し小さな声で「これ」と、僕に何かを手渡した。僕の物じゃない何か――名刺とメモだった。

　名刺にはメイクアップアーティスト檀野成洋（だんのなりひろ）とある、楷書体で。

　メイクアップ……？　なんでだ？　別人の名刺？

　それを僕に渡した男性の顔を、見上げてみた。

　檀野さんは人差し指を立てて口に一瞬当てた。直後、何も語らず背を向け、僕らとは反対方向に歩き出した。

　この名刺やメモを誰にも見せてはいけない、喋（しゃべ）っても駄目、多分そうなんだろう。僕は思いながらズボンのポケットに――お父さん達から見えない角度で――それらを忍ばせた。

　振り返り、廊下を進む。

　お父さん達に追い付くと「何だったんだ？」って聞かれた。

　でも、

「ああ、落とし物を拾ってくれてたみたいで。それを渡されただけだよ」

　とだけ。渡された物があったからそういう発想になった。うまい言い方ができたんじゃないかな。

　車で帰る時、運転しながら、お父さんがこう言った。

「まさかこんなことになってるなんてな、最初は思わなかったぞ、不良に絡まれたのかと思った、それでも心配ではあったけどな」

「そうよ、心配したわ、ホントに」

　これはお母さんの言葉。

　二人の心配してくれる声を聞いて、一体どうしてこんなことが、とは思ったけど、それは『あいつら』に問いたいことだな、と心の奥に仕舞った。

　この場では何を言えばいいのか。少し困った。

「無事でよかったよ、最悪、どうだ、死んでたかもしれない。……ホント、映画か何かみたいだな」

　お父さんは、気分を紛らわせたくてそう言ったのかもしれない。

　心配してるって言葉ばかりを発すると、どうしてか切なくなって気分が暗くなってしまう気がした。おかしな話だと表現することで、気落ちし難（にく）くなる？　僕もそう考えて同じことをするかもしれない……。

　それに対し、真正面から向き合うべきだと思った。

「うん、帰ってこれてよかった」

　素直な気持ちだ。

　しばらく運転してから、またお父さんが。「ああ、そうそう、誰にも話すなよ、今回のこと。あの人も言ってたよな、非公式に裁判やらも全て進めるし、俺達への配慮もあるって」

「分かってるよ」

「誰かに広めることも駄目。……とんでもないことが関わってるんだろうな、何か大きな……。警察にとっても大きな？　いやぁ怖い怖い」

「だね……」

　裏に何かあるかと言えば――それは確かにある。まあ言えないけどね。

　帰ってからお兄ちゃんとお姉ちゃんにも同じ話をした。ふたりはまだ起きてた。心配で寝られなかったのなら、なんだか嬉しいけど、兄弟愛を意識すると妙に素直になれないというか、気恥ずかしいな。

　話を聞くと、お姉ちゃんは、「誰にも話さないようにっていうのが少し不気味で怖いね」って。

「まあいいよ、無事でよかった」

　そう言ったのはお兄ちゃん。

　それで今回の全てが終わった気がした。

　部屋へ行って、ポケットに入れていた名刺とメモを取り出した。

　……いや、終わったんじゃないよな。これって、何かが――。

　急に体が冷えた気がして身震いした。

　どこに仕舞っておこうか。

　とりあえず、机の最上段の引き出しを開けた。

　引き出しの奥にある小さな箱を取り出して、それに名刺とメモを入れた。

　これでよし、と。

　箱を元の位置に戻して、それから、そっと、引き出しを閉じた。