第4話

 徐々に姿勢を安定させ、スピードを上げながら空を飛び、一分もせずに学校敷地まで戻ると、長距離走コースに沿った雑木林に狙いを定める。

「さて、どうやってサラ・クエイルを探すつもりだい?」

 速度を合わせてついてくるノアが訊いてきた。これだけ自由に飛行はできるのにサラを止められないのは、おそらくこの「管理人」には住人を攻撃する機能が備わっていないのだろう。

「探してる暇はねえ! 向こうに見つけさせる」

 モノリスを靴底に吸い付かせる。スケボーのようになった板の正面を林に向け、滑空する。そのまま高度を落とし林に突っ込み、板の裏で枝葉を蹴散らしながら木々の間を飛んで行く。

「サラァァァァ!」

 叫びながら樹の幹に激突するが、嘘みたいにあっさり幹がぶち折れる。着地して振り向くと、折れた幹が一瞬半透明になり、跡形もなく消失した。

 屋上で消えた遺体も、こうやってこの世界から消え去ったのか。

「そうか……隕石がぶつかったっていうビルも……」

「そう、あのビルは複数の物体オブジェクトの組み合わせだが、今君が倒した樹と同じようにこの世界から消失した」

「あれはサラがやったわけじゃないよな?」

「ええ、私はやってない。」

 うわっ! 急に声をかけるな! 振り向くとサラが木々の間から悠然と歩み出てくる。立ちはだかる草木を、例の両手の爪でバッサバッサと切り開きながら。

「そもそも私の記憶の制限が外れたのは、あれがきっかけだもの」

「サラ……」

「理央は私の荒療治が効いて記憶を取り戻した……ってわけじゃないみたいね。やっと世界の管理人が介入してきたか」

「初めまして、サラ・クエイル。この世界の管理人のノアだ」

「どうも。色々と無茶をして申し訳ないと思ってるわ」

「悪いと思ってるならやめてもらいたいんだがね」

「どういうことなんだ。あの隕石がきっかけって」

 二人の問答に割り込む。確かにあの日までサラの様子におかしなところはなかったように思うが……

「アークを構成する並列コンピューターの一部が故障したのよ」

 アーク――この世界のことか。なるほど、ノアの方舟アークってわけか。

「そのせいで処理能力が落ちたから、この世界の容量を減らす必要があった。だから町の一角のビルが消滅した。隕石が落ちたことになったのは、その辻褄合わせよ。そういう決まりになってるのね」

「メモリやストレージに相当する部分が故障するたびに隕石が降ってくるっていうのか? 随分不自然な仮想世界じゃないか」

「こんな手はそう何度も使えないでしょうね。次に似たような破損が起きれば、今度はNPCを消去することになる。事故死でもしたことにしてね」

「ひでえ話だ。同じ学校で生活してるのに、食うものが足りなくなったら口減らしか」

「それがこの世界のルール。リソースには限りがあって、住人の価値は決して平等じゃない」

「だから自分がリソースを得るために価値の低い奴らを殺していいって? そんなわけねえだろ! NPCだろうと何だろうと、あいつらは、サラのルームメイトだっただろ……」

「彼女たちには、悪いことをしたと思ってる。でも私にはもっとリソースが必要だった。本物の人間に近づくため」

「本物の人間?」

「この国際学園都市に来る前のことを、あなたはどれだけ覚えてる?」

「それは……地元の中学に通ってて、その前は小学校に……」

「その頃の具体的な記憶を、どれだけ思い出せる?」

「ええと……中学では部活はやってなかったけど、二年のときバドミントンが仲間内で流行って、昼休みはほとんど毎日体育館に行ってたな。あと三年のときは学級委員長をやってて……」

「それはただの情報よ。バドミントンをプレーしてたときのこと、本当に思い出せる? ラケットの感触は? 羽を打つ感覚は? 学級委員長って具体的にはどんな仕事してたの?」

「それは……」

 愕然とした。サラに言われたことが一つも思い出せないだけじゃない。俺は一緒にバドミントンをしていた友達の顔すら誰一人思い浮かべることができなかった。

「オリジナルの人間からスキャンされた膨大な記憶のうち、私たちコピー人格がアクセスできるのはほんの一部の、無味乾燥な情報だけなのよ。でも私たちはそれを不自然だと思うことすらない。私たちはこの学園に来るまでのことを普段は思い出さないように設定されてるから。そういうふうに作られたいびつな存在だから」

 確かに俺は昔の出来事を懐かしく思い出すということをしない。そのことをおかしいと思うこともなかった。

「昨日隕石が落ちる直前に、私はそのことを理解した。寝ているところをガツンと叩き起こされたわ。記憶の制限が外れて、この世界がコンピューター上の偽物の世界で、自分が過去を持たない空っぽな存在だってことを、一瞬で頭に流し込まれたみたいだった。とても怖かった……私は、もうこのままの私じゃいられないと思った」

 身体が震え出すのを抑えるように、彼女は両腕で自分の身体をかき抱いた。

「今回の故障ではっきりしたけど、この世界は決して永遠なんかじゃない。外部からのメンテナンスが期待できない以上いつか必ず壊れるし、それこそ現実の月面研究所に隕石が落ちてくる可能性だってある。だからこの世界が存在するうちに、私のオリジナルだった人間の記憶を、精神を取り戻したい。そして、あなたにも取り戻してほしい」

「俺も?」

 茫洋とした過去の記憶を思う。輪郭だけののっぺらぼうのような友人たちの思い出。それどころか、俺は親の顔さえよく思い出せなかった。この俺には過去はなく、本当に今しかない存在らしい。

 だが、それでも――

「俺に、今更三十六歳の都築教授に戻ってほしいって? お断りだな。俺は今の自分がそんなに嫌いじゃない。」

 俺はモノリスを持っていない方の手で自分の胸を叩いた。

「これが俺だ。月で干からびて死んだおっさんのことなんて知るかよ。そんなことのために学校の仲間を殺す? ふざけんなよ」

「今の自分が本物の人間だとでも思ってる? 私たちは生前の脳をスキャンしたデータではあるけど、このアークで国際学園都市の高校生という偽りの役割ロールを違和感なく生きるために、その人格の少なくない部分を切り捨てている」

「そりゃあ……三十六歳の脳味噌に無理やり高校生やらせようってんだから、心の若作りくらいするだろ……現実の高校以降の記憶は消してるんだろうし」

「そんな単純なものじゃないわ。よく考えてみて? あなたは立て続けに周りの世界が仮想現実だということと、生身の自分が既に死んでいることを告げられ、それをすんなり受け入れてしまってる。――それが人間らしい心の動きだと思う? まるで小説の中の登場人物みたいに単純な人格だとは思わない? そこに生身の人間と同じ心の葛藤はある?」

「俺は……そんなの知るか! 何をどう感じるのが『人間らしい』かなんて、誰にわかるっていうんだ!」

 確かに俺はこのあまりに非現実的な状況を、疑うことも悲嘆に暮れることもなく受け入れている。特にタフガイでもない人並みの心の強さの俺が。それは普通の生の人間の反応とは言えないのかもしれない。だが俺が、今サラに対して感じている悲しみや怒りは偽物か?

「違うだろ……偽物なんかじゃない。俺の感情も、君の感情も、志朗もシャオスーもハンも、佳奈も友子もジェーンも、誰の感情も偽物なんかじゃない。NPCだろうとなんだろうと、消えていい奴なんていないんだ。生身の人間ほど複雑じゃないからって、俺たちが生きてないなんて言わせない」

「そう……やっぱりわかってもらうには、記憶を取り戻すしかないみたいね」

 サラの爪から刃が伸びた。俺は思わずモノリスを前方に突き出す。

「そう構えないで。ちょっとリソースを空けるだけだから」

 彼女は跳躍すると、フィギュアスケート選手のように一回転しながら、伸ばした両腕を振った。瞬間的に長く伸びた爪が、俺の頭上で林の木々をなぎ払った。

 彼女の着地とほぼ同時に、切断された周囲の木が全て半透明になり、消えた。一瞬にして林が草のまばらに生えた野原に変わり、樹冠に遮られていた陽光が明るく降り注ぐ。

「マジかよ……」

 呆然と呟いたが、開けたのは目の前の景色だけではなかった。俺の頭に、唐突にある記憶が蘇った。

 ――この世界のコンセプトは、国際学園都市にしたよ。

 聞き覚えのある声……他でもない俺の声だ。

 ――色んな国の人間が集まってるのが不自然じゃない舞台にしないといけないからね。

 ――私のためにそんなことしなくていいのに。

 こっちは……サラの声だ

 ――私が、学校にいい思い出がないなんて言ったから……

 ――君のためじゃないよ。俺が、君と一緒に学校に通えたら楽しいだろうなって思ったんだ。

「俺が……この世界をデザインした……サラに、幸せな高校生活を過ごしてほしくて……」

「思い出してくれた?」

 いつの間にか目の前に来ていたサラが俺の手を取った。懇願するような顔――昨夜からこんなに感情が表れた彼女の顔は見ていなかった気がする。

「あなたは生き残ったみんなのためにこの世界を稼働させた。でもこの世界の形は、あなたと私のためだけに決まったの。だからあなたには、きっとできるはず。私たち二人のために犠牲を払うことが」

 そうなんだろうか? 俺のオリジナルは、二人のために他の仲間を、或いは元々仲間でもないゼロから作ったNPCを犠牲にできる人間だったんだろうか?

「そんなことができるのが本当の俺なら……そんな奴クソ食らえだ! 俺は! 君にもう誰も殺させない!」

 俺はサラの手を振り払う。彼女の傷ついた顔から目を逸らさない。

「……記憶を取り戻しても、私の理央に戻ってくれないなら、もういい」

 彼女の両手の爪が伸びると同時に俺は後ろへ飛び退る。

「あなたを削除デリートして、記憶を消した状態で再生してあげる」

 再生? そんなことができるのか? と思った瞬間左右から刃が迫っていた。

 一枚じゃ防ぎきれねえぞ! と思ったときにはもう両手に一枚ずつのモノリスが出現していた。二枚の巨大石版にちっぽけな人間が挟まれているような不格好な姿だが、それぞれ五本の刃はしっかり止めてみせた。

「簡単に消されるかよ。そっちがその気ならこっちも乱暴にいかせてもらうぞ。彼女だろうと一発ぶん殴る」

「できるものならね」

 サラの背から一瞬で茶色い翼が広がり、空中に飛び上がった。

「待て!」

 俺も慌てて後を追うが、予想に反して彼女は学校とは逆方向に飛んで行く。

「あっちにはビルくらいしかないぞ」

 そのまま飛び続けたサラは、建ち並ぶビルを見下ろすように空中に静止して、爪を長く伸ばした。俺はモノリスを構えたが、彼女はそれをこちらには向けず、眼下のビルの一つに向けて真っ直ぐ振り下ろした。

 ビルが豆腐のようにあっさり縦に五等分されたが、特に崩落することもなくそのまま立ち続けている。現実の建築物ならありえない挙動だ。

「オブジェクトが消えない……のは、樹よりも複雑で世界への影響が大きいから、即座に消すのをシステムが保留してるからか」

 さっき戻ってきた記憶のおかげで俺にはそれがわかる。

 サラは降下してビルの背後に隠れる。俺も高度を落とすが、ビルの向こう側から横薙ぎに爪が襲う。距離があるから高度を変えてかわす余裕があった。垂直に切り分けられたビルが今度は水平に切り裂かれていく。

「なんだかジェンガみたいな……」

 気づいたのと同時に、正にジェンガのブロックを押し出すが如く、切り裂かれたビルの一部が弾き出され――いやこの速度はもはや射出と言った方がいい――迫ってきた。

「うおっ!」

 モノリスで受け止めても身体ごと持って行かれる! オフィスビルジェンガの中が見えたが、コピー機やらデスクやらが散乱することなく、まるで空間ごと切り取られて見えないゼリーで固められたかのようなブロックになっている。

 ――ああ、この世界って本当に作り物なんだな。そんな呑気な感慨を抱きながら身を翻して体勢を立て直すと、既にサラの猛攻は始まっていた。

 大質量のジェンガのブロックが次々ミサイルのように発射され、音もなく目前まで迫っていた。

「クソッ!」

 飛来するブロックの隙間を縫うように飛ぶ。高度を上げてビルより高い所まで飛べば――だがその動きは読まれていた。ブロックの陰に隠れて飛んでいたサラが眼前に現われたのを視認した瞬間、モノリスのガードの隙間への一閃が俺の身体を切り裂いていた。

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