第二話「?時?分 冥行列車 冥土浜駅、発」

 気がつけば、川を渡り、石造りの昇降ゲートを抜けていた。くぐったはずのアーチは、もう背後には見えない。ただ、足元にだけ――ひんやりとした石の感触が、確かに残っていた。


 その先に広がっていたのは、鉄と霧に包まれた無人のプラットホームだった。線路は、左右どこまでも伸びているようでいて、すぐに霧へと溶けていく。天井も、風もなく、空気は凍りついたように静まり返っていた。


 “冥土浜駅めいどはまえき”。


 ホームの端に設けられた駅名プレートに、その文字が刻まれていた。淡い照明に照らされ、霧に包まれながらも――そこだけは、まるで「読ませるため」に浮かび上がっているようだった。


 聞いたことのない駅名だった。けれど、どこかこの世界の“入口”……あるいは“通過点”のような響きを持っていた。


 そのときだった。


 遠くから、かすかに金属が擦れるような音が聞こえてきた。音は徐々に明瞭になり――やがて、霧を割って列車がホームへと滑り込んでくる。


 ガタン、と最後尾が止まり、扉がゆっくりと開いた。


 中には誰もいなかった。乗客の気配も、車掌の声も、何ひとつない。ただ、機械だけが、淡々と“仕事”をこなすように、そこにあった。


 不思議と怖くはなかった。むしろ、どこか――“最初から決まっていた流れ”のようにも感じられた。


 セイラが一度振り返り、にこりと微笑んだ。

「この辺、空気ちょっと重たいからね。乗っちゃえば、少しマシになると思うよ」


 不気味な静けさの中、ふたりで列車へと乗り込んだ。並んで座り、しばらくのあいだ、言葉は交わさなかった。


 座席には誰もおらず、つり革だけが静かに揺れていた。車内は妙にきれいで、不気味なほど整っている。


 窓の外では白い霧が流れ、景色はまったく見えなかった。


 「初めての人はだいたい、不安になるよ。てか、不安にならない人のほうがレアかも」


 セイラはそう言って、窓の外に目を向けた。その瞳は、どこか遠く――この世界の向こう側を見ているようだった。


 「でも……大丈夫。少なくとも“今”は、あなたはちゃんと、ここにいるから」


 車内に響いていたのは、走行音だけだった。だからこそ、その言葉が妙に鮮明に残った。


 どれだけ時間が経ったのかは、分からない。時計もスマホも、ポケットには何もなかった。


 やがて、列車が緩やかに減速を始める。セイラがふっと立ち上がり、その気配につられるように身を起こす。


 窓の外に変化が訪れた。霧の奥に、コンクリートの壁――線路はそのまま、ゆっくりと地下へと潜っていった。


 列車は都市の底を這うように走り、やがて静かに停車する。アナウンスもないままドアが開き、ぼんやりと照らされたプラットホームが目に入った。


 その光はどこか白々しく、壁や床は無機質な静けさを湛えている。音も声もないのに、“何か”が見ているような気配があった。


 壁際に掲げられた看板が、照明に照らされて静かに浮かび上がる。

 「栞町駅しおりまちえき」。


 その名に聞き覚えはなかった。けれど、なぜだか――懐かしさのようなものが、胸をかすめた。


 地上へとつながる階段を上った。コンクリートの壁が続く無言の通路は、出口の光だけを頼りにした“一本の道”だった。


 その先に広がっていたのは、霧の中では想像もつかなかった――整いすぎた街の風景だった。


 空は晴れていた。けれど、不思議なほど均一な青で、雲ひとつなかった。降り注ぐ陽光は強く、まるで時間が止まったかのように、街のすべてを照らし出している。


 商店の軒先、街路樹の葉、ビルのガラス――すべてが整然と輝き、埃ひとつ見当たらない。まるで、“理想の街並み”を模して作られた、巨大なセットのようだった。


 空気は重たく、生ぬるい。新鮮なはずの風なのに、胸の奥がひっかかる。足を踏み出すたびに、ほんの少し抵抗がかかるような感触がある。


 人もいた。学生服の若者、子どもの手を引く母親、スーツ姿のサラリーマン……。


 けれど――誰も笑っていなかった。誰も声を発していなかった。


 歩く速さも、視線の先も、どこか“空っぽ”だった。まるで、生活を“演じている”だけの人々のように。


 (……これ、本当に人か……?)

 胸の奥に、ひやりとしたものが広がる。


 高層ビルと雑居ビル、住宅街、商店街。現実の都市によく似た風景――けれど、そこには“生”がなかった。


 ここは、死んだ者たちの“もう一つの今日”だった。


 「案内庁あんないちょう、あそこ。あなたの“スタート地点”ってとこかな」


 セイラが指差した先には、白い石とガラスで形作られた三階建ての建物があった。淡く金を差した白と銀の制服を着た職員たちが、建物の前を行き来しているのが見える。


 役所のような、ショッピングセンターのような――だけど、どこか現実離れした“清潔感”と、“管理された静けさ”が漂っていた。


 建物の周囲には、観葉植物のような緑が等間隔で配置されていて、無機質なはずの空間が、なぜか“落ち着くように設計された”印象を与えていた。


 「中で説明するね。ちゃんと、案内するから」


 そう言って、セイラは軽やかに扉を開けた。

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