ポイント貯めなきゃ帰れません⁉︎〜帰還戦記〜
相馬 灯里(そうま あかり)
♢プロローグ 「あなたの命、ポイント切れデス。」
昼下がり。どこか懐かしさのある商店街に、アーケードの隙間から陽が差し込み、地面にやわらかな光を落としている。
八百屋の店先には、橙色のミカンが山のように積まれている。光を浴びて、ひとつひとつが小さな灯りのように、ほのかに息づいている。
通りすがりの親子が足を止め、子どもが手を伸ばしかけると、店主はにこやかに笑い、首を振る。
「それは見本だよ。こっちから選んでね」
穏やかな声が、通りにやさしく溶けていく。
窓際の席では、老紳士が新聞を広げ、湯気の立つコーヒーに口をつけている。
通りでは、制服姿の学生や買い物袋を提げた主婦、営業帰りのサラリーマンが、それぞれの暮らしを胸に、静かに行き交っている。
そんな日常の中、商店街の一角にあるベンチに、二人の男が腰をかけていた。
一人はコンビニ袋を足元に置き、もう一人は缶コーヒーのプルタブを鳴らす。
「悪いけど、明日のシフト、代わってくれない?」
青い制服の襟元を緩めた中年の男が、曇りがちな笑みを浮かべながら言う。警備員らしいその姿には、長い勤務を終えた後のような、かすかな疲れがにじんでいる。
もう一人、同じ制服の胸元に小さな徽章をつけた若い男が、缶を傾けながら、背もたれに身を預ける。
「いいっすよ。ヒマですし、やることもないっすからねぇ」
笑いながら缶を口に運ぼうとし――ぴたりと止まった。
カチャン。
缶が手から滑り落ち、アスファルトの上を転がった。その音が、午後の静けさに溶けていく。
そして――男の姿は、淡く、霞んでいった。輪郭が揺らぎ、色が薄れ、透明になって――まるで最初から、そこに“いなかった”かのように、空気へと溶けていった。
残されたのは、濡れた缶コーヒーの染みと、ひとつの缶だけ。
相棒の男は、しばらくその場を見つめる。やがて、静かに目を伏せ、小さく溜息をついた。
「……またか」
その光景を、周囲の人間も確かに目にしていた。けれど、誰も騒がない。「消えたぞ!」と叫ぶ者も、「助けてやれ」と駆け寄る者も、いなかった。
喫茶店の老紳士はページをめくり、八百屋はミカンの山を丁寧に整える。主婦は歩みを止めず、学生は静かに通り過ぎていく。
誰も、何も、動かない。それが、この街の日常だった。
静かに、“魂が消える”ことは――もはや、珍しくもない。
そして、それを少し離れた路地裏から見つめる一人の女がいた。
ピンクベージュの髪をふわりと巻き、腰まで垂らした若い女性。制服はゆるく着崩し、ヒールの音をカツンと響かせながら、ゆっくり歩いていく。
その表情は平静を装いながらも、かすかに唇が震えていた。ほんのわずかに宿る寂しげなまなざしが、胸の奥の痛みを、隠しきれずに滲ませていた。
「……今日も、誰かが“いなくなる”」
ヒールの音だけが、しばらく商店街に響いていた。
“終わり”を告げるように。冷たく、静かに。
“ポイント切れ”――それは、静かに消えるだけの、もう一つの死。
そしてまた、一つの魂が、この世界に送り込まれる。
まだ何も知らない魂が、いま送り込まれようとしていた。
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