第29話 残滓の巣
崩れた怪獣の肉体は、すでに瘴気を失い、ただの液状有機物へと変わっていた。
あれほどの質量を誇った《胎殻体_No.02》の本体も、核を失えば残るのは沈黙のみだった。
黒月は《破殻》を背へと収め、静かに周囲を見渡す。
烈士も無言でそれに倣う。拳を下ろしながら、なお気配を張ったままだ。
「……動きは、完全に消えたか?」
「いや、まだ油断するな。ここは“巣”だ。……本体を中心とした生命連鎖の中枢だった」
黒月の声はいつになく低く、抑制された緊張をはらんでいた。
「分裂体や卵、感応式の自己防衛機構……残ってる可能性がある。しかも、敵の方は“侵入”を想定して造られている」
「つまり、退路側に罠があるってことか……」
「罠じゃない。“生存本能”だ」
黒月はそう言い、崩れた床の隙間へと視線を落とす。
――そこには、さらに下へと続く、縦に伸びた細い裂け目。
《胎殻体》がかつて移動していた痕跡。粘液の跡がそこへ続いていた。
「……行くのか?」
烈士の問いに、黒月は頷いた。
「全滅確認は任務項目に入ってる。加えて、こいつの“根”が残ってるなら、別の場所でまた増殖する。今潰さなきゃ、無意味だ」
烈士は顔をしかめつつも、歩みを進める。
「……分かった。まだ戦える。体も動く」
「無理はするな。お前の出力、完全にオーバーしてた」
「知ってる。けど――今は行ける。それで充分だ」
短い会話の中に、互いの信頼がすでに染みついていた。
言葉の数が減っていくのは、理解の速度が高まっている証だった。
黒月が先に縦穴を滑り降りる。
烈士がすぐ後に続く。
――その先。
地下深く、管理No.F-07の旧研究施設最深部には、再び異臭が漂い始めていた。
瘴気ではない。もっと腐敗に近い、粘土質の臭い。
「……見つけた」
照明を当てた先には、膨らんだ半透明の繭が並んでいた。
ひとつ、ふたつ、十を超えて――
天井から、壁から、床の裂け目から。
規則性のない配置で無数の卵が張り付いていた。
烈士が言葉を飲む。
「これ……“本体”が死んでも、生き残るつもりだった……?」
「いや、違う。これ、“孵化前提”じゃない」
黒月が、目を細める。
「これは、“観察用”だ。誰かがこれを“記録していた”」
その言葉に、烈士が警戒を強めた。
「……さっきの観測ユニット、やっぱり」
「動いてはいなかった。けど……“何かを残していた”」
黒月は《破殻》を静かに構え直す。
「破壊する。ひとつ残らず。ここは“使われた場所”だ。もう誰にも、使わせない」
烈士が隣に並ぶ。
「行こう。……俺たちが終わらせる」
かすかに光る繭の群れを前に、ふたりの影が並んだ。
烈士の拳が繭を砕き、黒月の刃が次々と斬り裂いていく。
その中身は、まだ動き出してすらいない怪物の“タネ”だった。
粘液と柔らかい殻に包まれた未成熟の肉体は、まるで内臓のように脈打っていた。
目も口もなく、ただ、命になる前の“素材”としてそこにあった。
「……こいつら、まだ動けない。けど、もし放っておいたら、また同じ怪物が育ってたかもしれない」
黒月が言う。
烈士は無言のまま、拳を振るい続けた。
感情はある。怒りも、嫌悪も。けれど今は、とにかく“全部壊す”ことが先だった。
すると、その時。
「……黒月、動いた!」
烈士の声に、黒月が振り返る。
一つの繭の中から、黒い細い触手のようなものが伸びてきていた。
中から這い出してきたのは――先ほど戦った怪物に似た、小さな“分身”のような存在だった。
「……これは未熟な分裂体か。まだ完成してないのに、生き残ってた」
烈士がすぐに踏み込んで拳を叩き込む。
未熟な分裂体は抵抗もできず、その場で潰れた。
「まだ、いるぞ」
黒月が反応し、奥の壁に貼りついていた繭を斬る。
中からもう一体、歪んだ形の怪物が顔を出そうとした瞬間、鋭く変形した刃が突き刺さった。
ぐしゃ、と音を立てて崩れる。
「……ようやく全部か?」
烈士が肩で息をしながら問う。
「いや……全部じゃない」
黒月の目が、奥の壁の一点を見つめていた。
そこだけ、妙に崩れていない。
黒月が近づいて金属の破片を払いのけると、その奥から、壊れかけた“観測用の端末”が出てきた。
「これは……記録機か?」
黒月が電源を確かめると、画面は映らなかったが、メモリの中に古いログの一部が残っていた。
「……送信履歴がある。転送先は……“管理No.C-02”」
「C-02……って、たしか庁の中央観測部……」
「そう。つまり――ここで何が起きてたか、“上”には届いてた」
黒月が淡々と言う。
「じゃあ……あいつら、最初から全部“知ってた”ってことか?」
烈士の拳が震えた。
「俺たちが送り込まれることも。怪物がまだ生きてることも。全部、黙ってたってことかよ……!」
「そうだ。ここがどうなろうと、“結果”だけ見たかったんだろう」
黒月は、ログ端末の残骸を外し、上着の中にしまった。
「証拠として持ち帰る。これがあれば、口だけじゃない」
烈士は繭を見つめたまま、小さく息を吐く。
「終わった、か……」
「まだだ。ここは“巣”だった。
そして、“巣を作らせた”のは、他でもない俺たちの上だ」
黒月は再び《破殻》を背に収め、暗い空間を見渡した。
「ここを終わらせる。その証明に、これを持って帰る」
烈士が並び立つ。
「行こう。二人でな」
地下の空間にはもう、怪物の気配はなかった。
ただ静かに、壊された命と、制度の嘘が、そこに沈んでいた。
破壊された繭の奥、崩れた壁の隙間に――それはあった。
小さな光。
赤でも青でもなく、澄んだ銀灰色に近い淡い輝き。
それは、どこにも属さず、何にも染まらない――それでいて、なぜか“懐かしい”と感じる光だった。
黒月は無言でしゃがみこみ、そっと手を伸ばす。
床に転がるその物体は、拳ほどの大きさの結晶核。
まるで、心臓のような、あるいは記憶の結晶のような、歪な形をしていた。
「……これが、本体の核か」
だが、その手が触れた瞬間。
静寂が、変わった。
──音が、消える。
──世界が、揺らぐ。
まぶたの裏に、誰かの“記憶”が流れ込んできた。
名前も、性別も、声もわからない。
ただ、やわらかな光の中で、誰かが笑っていた。
温かな手。伸ばされた指。
呼びかけに応えるように、揺れる影。
「……生きて……」
その言葉だけが、深く胸に届いた。
言葉ではなく、願いだった。
まだ形になる前の“命”が、確かに何かを求めていた。
だが、その願いは、誰にも届かず、閉じられた。
外殻に包まれ、反応としての命へと変えられていった。
「……たすけて」
そんな声が、微かに、確かにあった。
黒月は、目を開けた。
核は、掌の中で淡く揺れていた。
どこかで見たことがある色。
けれど、それは誰のものでもない色だった。
――と、懐の奥。
《核》の気配が、ふと共鳴した。
アイの核。
黒月の中にある、あの静かな輝きが、それに“応えた”。
「……呼んでる」
黒月はそう呟いた。
そのとき、核がわずかに脈動し、黒月の指先から零れ落ちそうになる。
反射的に、彼はそれを手で覆った。
だが次の瞬間、まるで導かれるように、核が指先から滑り、唇へと触れた。
冷たく、柔らかい感触。
黒月は、それを――抵抗なく、そっと口に含んだ。
甘くも苦くもない、無味の結晶が、喉を通っていく。
呼吸が止まり、心臓の鼓動が一瞬だけ沈む。
(……この命を、受け継ぐ)
理由などなかった。
ただ、核が求めていた。
想いが、残されていた。
黒月は目を閉じ、深く、静かにそれを飲み込んだ。
周囲は、静まり返っていた。
烈士もその光景を、言葉なく見つめていた。
そこにあったのは、怪物の残骸ではない。
誰かの願い。誰かの過去。
消されてしまった想いが、かすかにまだ“ここにあった”という証明。
そしてそれは今、確かに黒月の中へと――受け継がれていった。
静かだった。
さっきまで怪物の咆哮が響いていた空間に、今は何の音もない。
瘴気もほとんど消え、空気は少しずつ澄んできていた。
黒月と烈士は、最後の確認を終え、地上への帰り道を探していた。
「……もう、何も残ってないみたいだな」
烈士が言った。少し息が荒いままだ。
「見つけたものは、全部壊した。
だけど、本当に残したかった“記録”や“真実”は、最初からどこにもなかったんだろう」
黒月は周囲を見渡しながら答える。
二人は、崩れた通路の上にある割れ目から、外へと続く光を見つけた。
「……あれが、地上か?」
「そうだ。陽が出てる。もう朝だな」
黒月がぼそりと言う。
裂けた壁の向こうから、涼しい風が吹き込んできた。
烈士はその場に腰を下ろし、壁にもたれるように座った。
「なんか……生きてる実感がわかねぇよ。
マジで、どっかで死んだと思ってた」
黒月もその隣に静かに腰を下ろした。
「俺たちがこの任務に選ばれた理由、考えたことあるか?」
「ある。……都合のいい“捨て駒”だったって、今ははっきりわかる」
烈士はそう言って、苦笑のような息を吐いた。
「それでも、生き残った。……それは、無駄じゃないって思いたい」
黒月は黙ってうなずいた。
「戻るぞ。……何も知らなかったふりはできない。
見たことは、もう消せない。なら、選ぶしかない。これから、どう動くかを」
「そっか。……やっぱ、あんたはそう言うよな」
烈士は空を見上げた。空と呼ぶには遠い、崩れた壁の隙間の光だったけど、それでも少し明るく感じた。
「俺は……まだ迷ってる。正義も、正しさも、正直よくわかんねぇ。
でも、今ここにいるのは、あんたと生きて帰った俺だ。……それは、もう嘘じゃない」
黒月は横目で烈士を見て、小さく息を吐いた。
「……なら、頼む。これからも、一緒に来い」
「言われなくても、ついていくさ」
ふたりは並んでしばらく黙っていた。
静かな空気。差し込む光。
どこかに行く準備は、もうできていた。
地上への帰り道は長いかもしれない。
それでも、この瞬間だけは確かだった。
――終わりじゃない。
ここからが、始まりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます