第19話 旧観測地域F
夜明け前の空は、深い藍に染まっていた。
庁の施設外れにある格納庫。人の気配はなく、かすかに風が鉄骨を軋ませている。
その中で、存日 黒月は一人、無言で装備を確認していた。
新たに調整された防具。芹沢 結衣が作った変形式の棒──二本一組で、状況に応じて刀にも短剣にも、あるいはハンマーや長剣のような質量兵装にも変化する特殊武器だ。
(名代の言葉……そして、あの命令書)
記憶の中で、彼女の声が反響する。
“遺されたものの真実を、誰かが見なきゃいけない”
その言葉の意味を、黒月はまだすべて理解しているわけではなかった。
だが──それでも、彼の中には奇妙な確信があった。
(行く意味がある。……たとえ、それが罠だとしても)
黒月は背負っていた鞄を背中に収め、庁の通用ゲートをくぐる。
周囲に誰の見送りもなかった。名代も姿を見せていない。
それでも彼は迷わず、一歩を踏み出した。
──二日前。
市街地の外れにある工房では、まだ夜の冷気が残る早朝、黒月と芹沢 結衣が向かい合っていた。
「出来てるか」
「二本だ。見た目はただの棒。だが、中には仕込みを詰め込んでる」
結衣は机の上に静かに二本の金属棒を置いた。
表面は滑らかで継ぎ目がほとんど見えない。
「単独では短剣、棍、杭。二本を合体させれば質量武器──ハンマーや長剣、斧系もいける。戦闘中に素早く切り替えられるよう、重心と可変軸の調整は済ませた」
「試せる場所はあるか」
「裏手にダミー置いてある。ぶっ壊していいよ」
黒月は無言で棒を一本手に取り、外へ向かう。
そして、廃材で組まれたターゲットに向けて試し斬りを開始した。
──瞬時に形を変える刃。
──重心を移動させながら回転を与え、叩き込む一撃。
数分後、ターゲットは粉砕され、黒月の肩が微かに上下する。
「悪くない」
「言葉数が少ないのは褒め言葉ってことにしとく」
彼は結衣に短く頷き、二本の棒を背に装着した。
「礼は、戻ってきてからだ」
そう言って背を向ける男に、結衣は声をかけた。
「壊すなよ。あれ、あんた以外に扱えないよう調整してあるから」
「壊れるような粗悪品じゃねぇだろ」
その返しに、結衣は微かに口角を上げた。
「ま、壊したら代金倍な」
「……じゃあ、絶対壊せねぇな」
軽口を交わすその短い時間の中に、どこか奇妙な信頼が生まれていた。
黒月は工房の扉を押し開け、再び歩き出す。
今度こそ──旧観察区域Fへ。
旧観察区域Fに足を踏み入れた瞬間、黒月の呼吸がわずかに変わった。
街の輪郭は残っていても、その魂はとうに焼き尽くされている。
倒壊した高層ビルの鉄骨が空へ向かって伸び、歩道は苔に侵食されていた。
静寂──その異様な静けさが、かえって過去の惨状を物語っていた。
(……ここが、アイがいた場所か)
地面に散らばる瓦礫や焦げ跡。
焼け落ちた道路標識には、かすかに「観察区F」の名残が読み取れた。
黒月は歩を進めながら、腰に携えた武器に手をかける。
片方を抜き、警戒態勢を保ったまま廃ビルの影へと身を潜めた。
観察機を空中に放ち、庁支給の端末に読み取りデータを映す。
「反応なし……か」
いや、違う。
“なにもいない”のではない。
“いるはずのもの”が、いない。
それがこの区域の異常の本質だった。
瓦礫の隙間を抜け、黒月は旧庁舎跡へと歩を進める。
そこはかつて、実験や検証の中心であり、また多くの犠牲を出した“過去”の象徴でもあった。
建物の内部は崩落しており、使える階段はほとんどない。
それでも、黒月は慎重に進み続けた。
ふと、足元に散らばる資料の断片が目に留まる。
焼け焦げたファイルの一部。
『第七次再生個体実験──調整失敗』という文字列が、かろうじて読み取れた。
(実験記録……?)
さらに奥へ進むと、拘束具が壁に打ちつけられた小部屋が現れた。
天井からは吊るされた金属のフレーム。
床には擦れた血痕、そして踏みつけられた玩具のようなもの──それは、かつて誰かが「人間だった」と思わせる、わずかな痕跡。
「……これは……」
黒月は、わずかに目を伏せる。
「こんな場所で、あいつは……」
──そこで、空気が変わった。
直感が告げる。
(来る──)
背後から風が走り、黒月はとっさに体を回転させた。
一本の棒が刃へと変わり、迫る影に叩きつけられる。
金属音が弾け、空中で爆風が生じた。
粉塵が舞い、瓦礫が崩れる音が響く。
「……模倣体、か」
霧の中、崩れかけた柱の影から這い出してきたのは、
かつて人だったものの形を模した、“擬態種”だった。
その輪郭はぼやけ、正体の特定が困難だ。
だが、それは確かに“生きている”。
黒月は再び棒を合体させ、質量のある斧へと変形させた。
「──なら、壊すだけだ」
瓦礫の中、戦闘が始まった。
粉塵が晴れ、瓦礫の隙間に倒れた“擬態種”の肉塊が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
呼吸を整えながら、黒月は立ち尽くしていた。
擬態種──この廃墟で未だ活動を続けている個体がいたこと。
そして、それがアイの過去と何かを共有していたかもしれないという予感。
(これは“記録”されていない何かだ)
端末には反応がなかった。つまり、公式のデータベースには“存在しない個体”だったということ。
黒月は周囲を改めて見回し、ひときわ目を引く鉄扉の前に立った。
手動式の回転ハンドル。既に電力は失われている。
軋む音と共に扉を開けると、そこには冷たく沈黙した部屋があった。
円形に並ぶベッド。
中央には円柱状の装置。
そして壁面に並ぶのは、未接続の管と、廃棄された記録媒体。
部屋の空気は違った。
ここには、“何かがあった”。
床に落ちたひとつの識別タグに、黒月は手を伸ばした。
文字は摩耗して読めないが、裏面にはかすれたマジックの記述が残っていた。
──《アイ》──
(……やっぱり)
黒月の指先がわずかに震えた。
ただの偶然ではない。ここは、彼女が“作られた場所”だ。
言葉ではなく、風景が語っていた。
「……ごめんな」
小さく呟き、黒月はタグをジャケットの内ポケットにしまった。
この地で何があったのか。
なぜ、“擬態種”が今も残っていたのか。
そして、彼女がなぜ記憶を持っていなかったのか。
答えはまだない。
だが──
(俺は、ちゃんと見る)
この足で歩き、この目で確かめ、この手で記録する。
それが、彼女が残したものを“意味にする”ということだと思った。
背後で崩れる音がして、黒月は振り返った。
──新たな影が動いていた。
「まだ、いるのか……?」
再び武器を構える黒月の顔に、迷いはなかった。
瓦礫の奥から姿を現したのは、一体ではなかった。
三体、いや──四体。朽ちた人間の形を模しながら、それぞれ異なる“欠損”を持つ異形の擬態種たち。
黒月は目を細め、深く息を吸った。
「まるで、実験の残骸が歩いてるようだな……」
一本の棒を抜き、素早く剣へと変形させた。もう一本は、槍のように鋭く伸ばす。
「どのみち、進むためには片付けるしかない」
擬態種の一体が咆哮を上げた瞬間、黒月は駆けた。
足元の瓦礫を蹴り上げ、剣で牽制しながら槍を突き出す。一体目の擬態種が避けきれず肩口を裂かれ、叫び声とともに仰け反る。
すかさず斜め後方からもう一体が飛びかかってきた。
「甘い」
剣を背中に回しながら、体を軸にして回転。追撃を振り払いつつ、二体の間合いから脱出する。
──敵の動きは、人型の動きを模している。だが、意識の連携はない。ただ、獲物を仕留めるための本能だけが動いている。
三体目が壁を蹴って空中から落下してくる。
黒月は一瞬の判断で棒を合体。瞬時に斧へと変形させ、真上からの一撃を真っ向から受け止めた。
「重いな……だが!」
斧の形状から槌型へ変化し、勢いをつけて打ち返す。その衝撃に擬態種が吹き飛び、背後のコンクリに激突した。
「一体ずつ、確実に──」
黒月は剣を手に、足を滑らせながら一体目に接近。腹部を貫き、押し込むように突き上げる。
叫びを上げながら崩れ落ちる影。その隙を狙い、二体目が横から掴みかかってきた。
(反射速度が速い……!)
喉元に牙を剥かれたその瞬間、黒月は肘を使って顔面を殴りつけ、強引に距離を取る。反撃の隙を突き、槍で脚部を貫通させた。
──叫び。うめき。肉の軋む音。
数分間の激戦の末、黒月は荒い呼吸のまま最後の一体の首を切断していた。
瓦礫の隙間に崩れ落ちた肉塊たち。
「……やれやれ、こいつらも随分としぶといな」
剣を地面に突き立てて体を支える。
音のない静寂がようやく戻る。
重い息を吐きながら、黒月はゆっくりと立ち上がった。
(倒した……だが、これで終わりとは思えない)
辺りを警戒しつつ、足元の血痕を避けて奥へ進む。
すると、瓦礫の奥に、半ば埋もれた鉄の扉があった。
「……地下か」
取っ手に手をかけ、ゆっくりと開ける。
冷たい風が吹き上がり、闇の中へと続く階段が姿を現した。
黒月は片手に武器を携えたまま、ゆっくりと一段目に足を下ろした。
──この先に、“真実”がある。
そう確信する理由はなかった。
けれど、彼の心には、なにかを感じ取る確かな直感があった。
「……行くぞ、アイ」
誰も聞いていない言葉を胸の奥で呟き、黒月は暗闇へと進んでいった。
階段を降りるたび、空気が変わっていくのがわかった。
──空気の質。温度。匂い。どれも“生きた空間”ではない。
黒月は足元に注意を払いながら、徐々に狭くなる通路を下り続けた。古い照明の残骸が壁面に取り付けられているが、どれも機能していない。唯一の光源は、携帯式ライトだけだ。
(地下施設か……記録にはなかった)
やがて通路の先が開け、異様な広間が現れる。
壁一面に並ぶ隔壁ガラス──その内部には、液体の枯れた培養槽が並んでいた。幾つかのガラスは割れており、内部の配線がむき出しになっている。
「……こんなもん、庁の記録にはなかったな」
天井から垂れ下がったコードの先に、未使用の監視装置。破損した制御端末。
そして、床に転がる──数体分の、幼児ほどの大きさの人工骨格。
黒月は無言のまま歩を進めた。
この空間の存在は、明らかに“封印”されていたものだ。
それを証明するように、壁の一部に埋め込まれていた識別プレートが一枚、地面に剥がれ落ちていた。
《試験区画F-α》
(ここか……本当に、ここが“始まり”なのか)
黒月は、アイの姿を思い出していた。
無垢な表情。戦いの中で見せた葛藤と痛み。そして、最後に見せたあの決断。
「……何を、されてきたんだ。お前は」
ただの戦闘兵器ではない。
ただの模倣体でもない。
ここで生まれ、ここで“壊された”少女の過去が、この無人の空間の中に満ちていた。
壁の片隅、埃をかぶったままの操作端末に目を留める。
一応、起動を試みたが──反応はない。
だが、その隣にある端末ラックの中に、旧型の記録媒体が数枚、慎重に並べられていた。
「データ……残ってるかもしれないな」
黒月は小型の保存ケースにそれらを納め、上着の中にしまい込んだ。
(名代に渡すか……あるいは、マリアに)
彼女たちの信頼は、すでに揺るぎない。
だからこそ、これ以上、信じていた誰かを“失いたくない”と願った。
「……ここには、二度と誰も来ない方がいい」
立ち上がり、もう一度部屋を見渡す。
一つの真実を見つけても、それは始まりに過ぎない。
黒月は最後に小さく息を吐き、静かにその空間を後にした。
階段を上がる彼の背中には、確かな“重み”が刻まれていた。
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