境界を喰らう

ポンコツ無神経

第1話 死体の値段

鉄骨の折れた廃ビル、その屋上で、怪獣の死体がじわじわと冷えていく。


焼け焦げた皮膚は岩のように硬く、腹を貫いた斬撃痕からはまだ煙が上がっていた。

血の代わりに、青黒い液体が床を染めている。雨が降っているのに、臭いは消えない。


その死体の上に、ひとりの男が腰を下ろしていた。


コートの裾が汚れるのも気にせず、彼はただ、くわえ煙草を口に咥えて空を見ていた。


火は点いていない。吸う気もない。

ただの癖だ。けれどそれは、彼にとっての“儀式”だった。


「……鬼級、再生持ち。素材ランク……たぶんB寄り。まあまあだな」


男は言う。

この世界で“ゾンビ”と呼ばれている男、存日 黒月(ゾンビ・コズキ)。


名前が名前なら、顔つきも死人じみていた。

切れ長の目は虚ろで、喋り方はやけに軽い。けれど、目の奥だけは鋭い獣のようだった。


倒した怪獣の胸部装甲をナイフで裂く。

筋繊維を断ち切り、内部に潜む球体──再生核を引きずり出す。

それを取り出す手つきは、まるで料理人か医者のように滑らかだった。


「心臓未損傷。神経束は溶けてるが、核は……お、発光してる。ラッキー」


再生核──高級素材。

生命力の源であり、薬や兵装、義肢の反応装置にも使われる貴重品。

中でも“鬼級害獣”の核は、ひとつでスラム家族十人を一年食わせる値がつく。


黒月はそれを、さも当然のように小型の冷却ケースに収めた。


「……にしても、速すぎたな。三分で終わったか」


誰に話すでもなく呟く。


この怪獣は、街の防衛ラインを抜け、スラムに迷い込んだ“咎害獣の劣化個体”だった。

正規のハンターが対応する前に、黒月が“個人的に”仕留めた。


当然、報奨金など出るわけがない。

彼は非正規、つまり“無資格”。

ハンター試験すら受けていない、ただのスラム出身の独立ブローカーに過ぎない。


それでも彼は、今日も命を賭けて狩る。


理由は単純。


「喰って、生きる。……そんだけだ」


斃した怪獣の装甲片をナイフで剥ぎ取り、素材袋に詰めていく。

雨が強くなってきた。

それでも黒月は、まったく気にするそぶりを見せない。


血と硝煙の混ざった空気が、やけに心地よく感じる。


やがて、素材の積み込みが終わると、黒月は腰を上げた。


バギーに乗り、崩れたビルを背に走り出す。

目指すは、“死体が値段で測られる場所”──灰市はいし


灰市──スラム街の“心臓”であり、“臓腑”でもある場所。


腐敗したネオン、焼けた布、廃鉄と血と汗と、無数の死体の“名残”。

ここでは毎日、怪獣の素材・死体・義肢・薬品・銃器が、金と物々交換で飛び交う。


黒月のバギーがその中央通りに入ると、道行く者たちが一瞬だけ目を向け、すぐに逸らした。


「……あいつ、またかよ」「今度はどの級だ?」

「“ゾンビ”の仕業だ。首切り屋より早えって噂だぞ」

「正規じゃねぇってのに、毎度死体の質が違いすぎんだよ……」


そんな声が、酸性雨で剥がれた鉄骨の間に反響する。

黒月は気にせず、奥の屋台までバギーを滑らせた。


店主は相変わらず、血まみれの前掛けをしていた。

片目を失ったその顔は笑っていたが、どこか緊張のようなものもあった。


「おぉ、ゾンビじゃねぇか。今日も素材持ってきたのか。どんな奴を切った?」


「鬼級。再生持ち。……核あり」


「マジかよ。そりゃまた……上客だ」


黒月は冷却ケースを投げるように差し出す。

店主は手袋もせずにそれを受け取ると、目を細めた。


「おお……生きてやがる。未発動状態でこの脈動……こりゃあ、A級素材の片鱗だぞ。

てめぇ、どうやって倒した。……いや、聞くのやめとくわ。いつもみてぇに“忘れてくれ”だな?」


「助かる」


「言っとくがな、コズキ……そのうち、**“正規”が噛みついてくるぞ。こんな素材、表のハンターが欲しがるに決まってる」


「来るなら来りゃいい。俺は売るだけだ。**喰ったら出す。それだけの話だろ」


「……ま、お前ならそう言うと思った」


店主は笑いながらも、ケースを奥へ運ぶ手が少しだけ重かった。

彼の背中には、薄く震えるような嫌な空気が張りついていた。


黒月はバギーにもたれながら、くわえ煙草を回す。

その視線の先で、市場の空気が微かに変わったのを感じた。


白。

この街にあまりに似合わない、真っ白なコートが視界に入った。


「おい、ゾンビ。声かけられてるぞ」


そう、誰かが言った。

けれど黒月は、そちらをすぐには見なかった。


昼の匂いがする。消毒済みの、よく磨かれた鉄の匂い。

それだけで“正規”の者が近づいたと、皮膚で理解できる。


「……また、面倒が来たか」


ゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは若い男だった。

白い長コート。整った顔立ち。ハンター用の多関節スーツに包まれた体。

背負っているのは、試験を通過した者だけが許される制式武装。


──正規ハンター。C級以上。

街の人間からすれば“英雄”、スラムの人間からすれば“選ばれた上等種”。


「君が、“ゾンビ”か。……存日黒月。非正規素材回収屋」


「見ての通りだが? あんた、何の用だ」


「素材の件だ。“再生核”。……あれは、正規記録されている害獣には属さない特性だった。

非登録個体、つまり……“識別不能種”。君が仕留めたそれは、本来“討伐対象外”だ」


「へぇ……で、金は出るのか?」


「出ない。だが、代わりに……君に招集命令が出ている。上層からだ。

“能力、資質、実績すべてにおいて規格外。危険性を含めて観察対象”としてな」


灰市が静まり返る。


誰もが、ゾンビがどう反応するかを見守っていた。


黒月は、くわえた煙草を指でクルリと回すと、静かに言った。


「……飯と寝床は出るか?」


「出る。だが、自由はない」


「……じゃあ、行く。食いもんは正義だ」


その言葉に、正規ハンターは一瞬だけ言葉を失った。

だが、すぐに静かにうなずいた。


「ようこそ、“表側”へ──存日黒月」


 黒月が連行されたのは、灰市からほど遠くない位置にある封鎖区画だった。


崩壊都市の“地図に載らない場所”。

古い地下鉄の出入り口を転用した、ハンター機関の地方観察施設。


外から見ればただの廃墟だが、鉄の扉を越えた先にあるのは、灰市とは別の世界だった。


照明は白く、無臭。

消毒液と冷却装置の音だけが空間に満ちている。

通路の壁は清掃が行き届き、ガードスーツを着た職員たちが端末を片手に動き回る。


「……やけに清潔だな。床に血がねぇってのは、逆に落ち着かねえ」


黒月は誰に言うでもなくつぶやく。

周囲の職員は彼を見て、わずかに眉をひそめた。

目に見えない距離感。

“正規ではないもの”に向ける視線。


彼がただ歩いているだけで、警戒アラートが静かに作動していた。


「通路を通過するだけで脈拍測られるの、なんかムカつくな……」


小型端末を構えた女職員が、モニターを見ながらつぶやいた。


「ゾンビ・コズキ。超人種、身体能力特化系。適応ランク:未登録。

過去に正規試験歴なし。年齢詐称疑惑。保護者不明。記録上、出生地すら存在しない。

……なのに、B級咎害獣の討伐歴が“個人”で5体。どうなってんのコイツ」


「黙れ、聞こえるぞ」


黒月がぼそりと返すと、女職員はビクッと肩をすくめた。

その反応を見て、黒月は微かに笑った。


「見た目で油断してると、死ぬぞ。あんたらの上司より手数多いから」


その瞬間、後方の警備員数名が即座に警戒態勢に入った。

黒月は気にも留めず、足を止めない。


「で、俺はどこに連れてかれるんだ。飯の匂いがしないのが気に食わねぇんだけど」


その声に答えるように、通路の奥から一人の男が現れた。


白髪交じりの短髪、黒い戦闘用コートを羽織った男。

姿勢は崩れていないが、目の下にはくっきりと疲労の影。

腰に帯びた刃は、実戦で使われている形跡を隠しもしない。


「存日黒月──俺が君の“仮担当”だ。名前は折神(おりがみ)」


「“仮”ってのは、すぐ死ぬかもしれないって意味か?」


「すぐ“使えない”かもしれないって意味だ。

だが、上は君に興味を持ってる。特に“戦闘能力”と、“境界値の逸脱”にな」


「……“境界”ってのは、俺が喰ってきたもんの中にでもあるのか?」


「その答えを知るために、ここに来た。違うか?」


言葉の応酬の中で、空気の“層”が変わる。


折神は、黒月の目をまっすぐに見た。

ただの職員やハンター見習いとは違う、“現場を知っている者”の目だった。


「まずは簡単な検査を受けてもらう。身体能力、反応速度、適応記憶……

君の“規格外”が本物なら、見せてもらおう。

最初の相手は、模擬戦用の“D級個体”だ。殺しても構わん」


黒月はフッと笑った。


「言われなくても殺るよ。だって──」


「俺が殺さなきゃ、誰かが喰われるだろ」


その一言に、折神の眉がわずかに動いた。


模擬戦フロアは、廃ビルを改造した巨大なコンクリート空間だった。


天井から吊られたライトが殺風景な床を照らし、空調の風が妙に乾いている。

壁際には複数の監視端末が並び、背広の監察官や白衣の解析班が、淡々とモニターを操作していた。


黒月は、ぼろいバトルスーツに着替えさせられていた。

規格外の存在には、**正式な戦闘服は“まだ支給されない”**という理屈らしい。


「……パチモンみたいなスーツ着せられて、なんの冗談だよこれ」


「本物は正規登録者専用だ。まだ“君の枠”はどこにもない」


傍らに立つ折神がそう言った。

黒月は小さく鼻を鳴らし、場の中央へと歩み出る。


前方のゲートがゆっくりと開いた。

現れたのは、金属の拘束具を施された模擬用D級害獣。


二足歩行型。小型。

だが牙と鉤爪は十分すぎるほど鋭く、咆哮一つで警備員が一歩下がる。


「反応速度、パワー、再生能力を測るだけ。殺さなくてもいい」


「……“殺してもいい”って言ったのは、あんたじゃなかったか?」


黒月はそう言うと、ナイフを抜いた。


形は普通。工場で量産された量販品。

だが、彼の手に渡った瞬間、その刃が“生き物のように”動き始めた。


端末越しに見ていた一人の観察員が声を漏らす。


「……武器適応、反応値異常。記録数値オーバーフロー……これ、データ壊れてませんか?」


「いや、これは……あいつが武器の癖に合わせて動いてるんだ。逆だ」


折神はモニターを見ずに言った。

目はただ、コズキの姿だけを追っている。


模擬害獣が唸り、拘束が外された瞬間──


視界から、黒月が消えた。


観察官たちがモニターのノイズに慌てる。


「高速域に入った!? 機体追跡不能──!」


次の瞬間、模擬害獣が甲高く悲鳴を上げて跳ね上がった。

その足に深い斬撃。肩口にナイフが突き刺さり、関節を破壊。


黒月はすでにその背後へと回り込んでいた。

足音も、殺気も、何もなく。


「左脚が先に動く。重心は外側。嗅覚が甘い。武器への反応は鈍い。

そんで、何より──お前、“痛み”を知らねぇな」


淡々と、言葉と一緒に刃が走る。


一呼吸。

害獣の首が、床に転がった。


血は出なかった。制御された模擬体ゆえに。

だが、その死には、確かな“本物”の恐怖があった。


コズキはナイフをくるりと回し、無言で床に突き立てた。


「──終了」


誰よりも先に、それを宣言したのは彼自身だった。


観察ルームの片隅。

白衣の一人が震えた声で言った。


「……これ、C級じゃない……Bでもない……

この人間、いや、“何”ですか……?」


折神は黙っていた。


ただ、胸の内に浮かんだ言葉はひとつ。


──境界を、喰っている。


この男は、“正規”か“異常”かでは測れない。


彼は、この世界の“境界”そのものを、喰らっている。


 

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