2:『L』

「――うわあっ!」


 あまりの異常事態に思考停止していた脳がようやく動き出し、大声で叫ぶ。


(何、何なのこれ。よく分からないけど絶対やばい!)


 ノアは内心喚きながら逃げようとした。

 だが、叫んだ拍子にへたり込んでしまい、足に力が入らない。いくら頭が働いていても恐怖を感じた心を制することはできなかったようだ。


「…………」


 へたり込むノアを横目に、がいこつ模型は自らの寝床を出ようとしていた。骨だけの体とは思えないスムーズな足捌きで木箱を乗り越え、ノアの前に立つ。


「な、に……」

「…………」


 ただ怯えることしかできないノアを見下ろすがいこつは、まるで何か考え事をしているような様子でノアを見つめ――ノアの前で両膝を付いた。

 そしてそのまま、何をするでもなくノアを見つめている。

 それでもノアが黙っていると、がいこつは再び首を傾げた。


 このがいこつに自我があるかどうかなど分からない。ただ、現時点でノアを襲う意思はなさそうだ。


「…………」


 押し黙るノアに何か思うところがあったのだろうか。純白のがいこつは踵の上に骨盤を乗せるような体勢で腰を下ろした。

 体勢と共に目線の高さも変わり、へたり込んでいるノアと近い位置になる。


(……敵意はないってこと?)


 人間が目線の高さを相手に合わせる理由はいくつかあるが、そのうちの一つは「相手に威圧感を与えないため」だ。

 もしこのがいこつに自我があって「自分が威圧感を与えてしまっているから目の前の人間は動きもしないのだ」と認識しているのであれば、辻褄が合う。


 固まっていたノアは、ようやく自由に動くようになった左手を持ち上げるとがいこつに向かって伸ばした。

 もしがいこつに攻撃の意思があるなら、ノアが触れるより早く捻じ伏せようとするだろう。

 恐る恐る伸ばした左手をがいこつの眼前で軽く振ってみる。――がいこつは存在しない目で左手の動きを追ったが、それだけだ。


「……うわあ」


 手を近付けた弾みで顔付近に触れてしまい、思わず声を上げる。人工物だろう骨は想像以上に硬い感触で、僅かに冷たい空気を纏っていた。

 このがいこつに敵意がないだろうことは分かった。だが、ただの模型が人間のように動く理由が分からない。


「……ん?」


 突如現れた規格外の存在をどう扱うべきか考えを巡らせていたノアは、緩衝材の上に白い紙が落ちていることに気付いた。先程までがいこつが踏んでいたのか、四つ折りにされたそれは微かに曲がっている。

 ノアは、がいこつの様子を窺いながら、紙に手を伸ばした。

 がいこつは行動を起こす素振りも見せず、目の動きだけでノアを追っている。


 四つ折りの紙は、罫線幅が狭い便箋だった。便箋一面に細かく書き記された文字には見覚えがある。――父親であるフェンネルの字だ。


《この紙を見つけたということは、模造骸骨レプリカ・スケレトスが目覚めたということだろうか。もしそうであれば喜ばしいし、模造骸骨レプリカ・スケレトスを目覚めさせたのが我が息子であれば一層喜ばしいのだが》


「……模造骸骨レプリカ・スケレトス?」


 手紙に書かれていた単語に思わず眉を顰める。


 模造骸骨レプリカ・スケレトスのことはノアも知っている。人間から迫害され森に追いやられた魔人まびとが創り出した「ヒトと同程度の知能を持つ人工物」だ。

 しかし、模造骸骨レプリカ・スケレトスは件の戦争で魔人まびと共々滅んだと聞いている。


 ノアが抱いた疑問の答えは手紙の中に記されていた。

 フェンネルが残した長い手紙の内容を要約すると、こうだ。


 事故の四か月前、フェンネルは馴染みの骨董屋でがいこつの模型を見つけた。

 買い手がつかず処分も検討しているというその模型は、遥か昔に失われたはずの模造骸骨レプリカ・スケレトスなのだという。何らかの理由で模造骸骨レプリカ・スケレトスを後世に残したいと考えた魔人まびとが人目に触れないよう眠りにつかせたうちの一体なのだと。

 そうして眠りについた模造骸骨レプリカ・スケレトスは「自らを本当に必要としているヒト」と出会ったとき初めて目を覚まし、その人物を新たな所有者として認めるのだという。しかも、その上で所有者に応じた特性を一つ習得するのである――。


 この模型に付属された言い伝えじみた情報は、人間にとって随分と都合のいい話だった。

 もちろん、フェンネルだってこの話を信じたわけではない。精密な模型が失われることを純粋に惜しんだだけ。定価で購入することによって長年世話になっている骨董屋にちょっとした恩返しをしたかっただけである。


《この木箱は購入にあたって新調した物だが、元々の木箱には『Lエル』とだけ書かれた紙が同梱されていた。『L』が何を意味しているのか定かではないものの、私は彼を『エル』と呼ぶことにした(模造骸骨レプリカ・スケレトスに性別があるかどうか分からないが、骨格からみて男性体であろう)。本名は目覚めた彼に直接訊いてほしい》


「……――エル、ね」


 「エル」という仮名が付けられた模造骸骨レプリカ・スケレトスに視線を戻し、ノアは呟く。

 もしもこの模型が言い伝え通りの模造骸骨レプリカ・スケレトスだとしたら――模造骸骨レプリカ・スケレトスでなければかえって恐ろしいが――ノア・アングレカを新たな所有者として認め、新たな特性を備えていることになる。


「……ボクの名前はノア。キミの名前は『エル』でいいの?」


 父親の意思に沿って名前を問うが、仮名・エルは首を傾げるだけだった。

 模造骸骨レプリカ・スケレトスはヒトと同程度の知能を持っているはずなのに、現段階でスムーズな意思疎通は望めないらしい。


(……とりあえず、上に戻ろう)


 エルのことはハヅキに相談するとして、まずは移動しよう。

 そう考えたノアは右腕をさすった。驚いて嫌な汗を掻いたせいか、少し寒くなってきたのだ。


「……移動するけど、キミも来る?」


 一応声をかけたものの、エルはノアを見つめるだけで返事をしない。

 やはり、言葉が分からないのだろうか。

 エルが入っていた箱に蓋をして立ち上がると、エルも立ち上がった。理解の有無はともかく、ノアに追従する意思はあるらしい。


 階段を上がり、コレクションルームへと移動するエルの足取りは随分しっかりとしていた。木箱から出たときといい、日常動作は問題なくこなせるようだ。


(動力源はやっぱり魔力なのかな)


 魔力で創られた存在なのだから、動力源も恐らく魔力なのだろう。ただ、彼が視力や聴力を有している仕組みについては見当もつかない。

 いくら優秀な頭脳を持っていても、ノアは「魔法使い」ではないのだ。魔力というエネルギーを操ることはおろか視認することもできない以上、理解には専門家の力を借りなければならないだろう。


 ――こつ、こつ。

 エルが歩く度に、剥き出しの骨が木製の床を蹴る音が響く。

 アングレカ家は、この辺りではめずらしい土足厳禁の家である。そのおかげでエルの足が汚れることはないが、骨を痛めないようスリッパを用意した方がいいかもしれない。


(――そういえば、服って要るのかな)


 姿見の前を通ったノアは、鏡に映るエルを見てふと疑問を抱いた。

 一般的な模型ならともかく、エルは模造骸骨レプリカ・スケレトスと思しきがいこつだ。一応自我もあるようだし、裸体のままというのは非人道的な扱いに該当する可能性がある。


「……エル、服着る?」


 足を止めたノアは後ろを歩いていたエルに尋ねた。服という単語だけでは分からないかもしれないと、自らの服をつまみながら。

 ノアの手の動きをじっと見つめたエルだったが、エルは反応を示さなかった。服は必要ないのか、それとも意味が理解できていないのかは分からない。


 やはり、エルとコミュニケーションを取るのは難しいのだろうか。


 ノアが諦めかけたそのとき、見つめるだけだったエルが右腕を動かした。彼はノアの服を指差し、それから自分の体を指差す。


「……そう、そうだよ」


 首を傾げたエルに、ノアは「合ってる」と答える。


「そっか……ボクの言葉が分かるんだ、エルは」


 たったそれだけのことがやけに嬉しくて、自分でも気付かないうちに口元を緩めたノアは改めて尋ねた。


「服、着たい?」


 問いかけられたエルは少し時間を置いて、はっきりと頷く。


「じゃあ、ちょっと待ってて。兄さんの服が残ってるから!」


 言葉を理解したエルにそう言い残し、ノアは二階にある兄の部屋へ向かう。

 「待ってて」という言葉も理解できるのだろうかと思いながら移動したが、エルがついてくる気配はなかった。


(――やっぱり分かるんだ、ボクの言葉)


 理由も分からないまま心を弾ませ、階段を駆け上がる。

 イオの部屋の前に到着したノアは、少しだけ開けていた扉をゆっくりと開いた。


(……兄さんの匂い)


 微かに残った兄の匂いを感じ取りながら、きちんと整理された室内に足を踏み入れる。

 イオが残した遺品を片付けるために入室したきりだから、この部屋に入るのは二か月ぶりだろうか。勉強机とベッド、そして小さなキャビネットと本棚があるだけの部屋にはイオの匂いが微かに残っている。


 本当は、積もりゆく埃の掃除をしたいとずっと思っていた。けれど、できなかった。この部屋に入ってしまったら、イオとの思い出が悲しみと共に溢れ出てしまいそうだったのだ。


(……エルには感謝しないとね)


 もしもエルが目覚めていなければ、この部屋に足を踏み入れるのはもっと遅くなっていただろう。

 人生何が起こるか分からないものだと、月並みな感想を抱きながら服を適当に見繕う。エルとイオの身長や骨格は似ているから、フェンネルの服より快適に着られるだろう。


「お待たせ」


 ちゃんと元の場所で待っていたエルに声をかけ、持ってきた服を廊下に広げる。

 エルのために用意したのは、薄手の長袖Tシャツと長袖シャツ、そしてウエスト部分がゴムになっている細身のズボンだ。

 上衣を二つ用意したのは、エルがどんな服を着たいか分からなかったから。自我がある以上、服の好みだってあるだろうと、そう思ったのだ。


「ズボンから穿く? ズボンは楽に穿けるだろうし」


 黒いズボンを指差しながら引き上げる動作をすると、エルが頷いた。どうやら先程よりも理解のスピードが上がっているようで、ノアに促される前にズボンを手に取っている。

 しかし。

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