第6章 パパと祥子の熱海旅行

第1話 そうだ、熱海行こう。

 人身事故と言えば中央線である。


 人間の亡くなり方としてトップクラスに悲惨な死因である人身事故は、地縛霊を生み出しやすい。中央線の線路沿いには悪霊がうようよいる。したがって対魔協の関係者は中央線での通勤を避けたがるらしい。


 本日土曜日、晃と祥子はJR四ツ谷駅のホームにいた。祥子に霊力のコントロールの仕方を教えるため、晃があえて悪いものが集まりやすいところを選んだのだ。


 四ツ谷駅の周りには、ビジネス街と学生街の二つの顔がある。今日は土曜日なのでスーツ姿の人は少ないが、大学生くらいと思われる若い女性は多かった。私服の祥子は溶け込んでいるつもりだ。隣に立つ晃が若い女性の目を引くのが難点だが、それはどこに行っても一緒である。


 線路上を黒い人型の影が行ったり来たりしている。この駅で亡くなった人の霊魂だろう。しかしただ線路上を往復しているだけの霊がただちに生きている人間に害をなすわけではないので、今日は無視していいらしい。


「この世に残ってるすべての亡霊が悪霊だったら、日本は今頃たたりで滅んでるだろ。どこもかしこも危なくて墓どころか病院も作れないだろ」


 晃のそんな感じの説明に、祥子はなるほどとすぐ納得した。


 問題は亡霊ではない。


 その亡霊を狙っているのか、明らかに一般人の目には見えていない魔物が亡霊の後をつけている。大きさは猫くらいで、四つ足で歩いているが、頭部には目玉が五つあって皮膚の見た目が甲殻類に似ている。祥子は子供の頃上野の科学博物館に連れていってもらった時に見たカンブリア紀の生物を思い出した。


「あれあれ。あれはよくない」


 通りすがりの第三者に気づかれないよう身を寄せながら、晃がその魔物を指さす。


「無害な幽霊を食おうとしてる。あれに食われたらあの幽霊は成仏できない」

「たいへん。かわいそう」

「というわけで、今日は祥子があの妖魔を退治します」


 祥子は唾を飲みながら頷いた。


「ゆっくり鼻で呼吸をして、肺をいっぱいにして」


 指示どおり、深呼吸をする。


「眉間のあたりに意識を集中して」


 何かが眉間のあたりに集まっていくのを想像する。額がじんわり熱くなる。


「集まったものを、ぶつける」


 そこで祥子は首を傾げた。


「どうやって?」


 晃が眉根を寄せる。


「それは能力者によって十人十色なので、自分でなんとなくコツをつかんで霊気を具現化してください」


 それが晃の日本刀であり龍平のワルサーなのか。厨二病の男子たちのかっこよさにしびれる。刀を擬人化したゲームの影響を受けている祥子は自分も日本刀を出したいと思ったが、手を握ったり開いたりしても刃物が出現する気配を感じない。


 晃はしばらくそれを見守っていたが、そのうち焦れたらしく、祥子の二の腕をつかんで「まあまあ、深く考えず」とささやいた。


「シンプルに、指をさして、お前は消えろ、って念じてみて」


 他人に見られたら変な奴確定だが、冷静に考えたら刀を握って線路上におりていくほうがいろんな意味で危ない。


 祥子は人差し指を立てた。その指先に先ほど眉間に集めたエネルギーを移動させようとした。


 猫型古生物が、祥子と晃に気づいた。五つの目が一瞬こちらを向いた。すぐに明後日のほうを向き、跳躍しようとしているのかわずかに身を伏せた。


「ああー、祥子、祥子、早くしないと逃げちゃう」

「待って、今一生懸命やってるところ」


 なんとなく人差し指に何かが溜まったのを見計らって、「えい」と掛け声を出しながら、猫型古生物を指した。


「消えろ!」


 その途端だった。


 祥子の指先から、青白い光を放つ小さな刃物が飛び出した。忍者が使う苦無くないに似ていた。


 それは放物線の弧を描いて線路を乗り越え、猫型古生物に突き刺さった。


 猫型古生物の体が前後に裂けた。どす黒い体液が噴き出す。しかしその体液も死骸もすぐに蒸発したかのように消えていった。


 ホームにアナウンスが流れた。そろそろ次の電車が来るようだ。間に合った。といってもあんなに小さくて弱い妖魔の一体や二体轢いても電車の運行に影響を及ぼすわけではないのだが、祥子の心には電車が来る前に妖魔をやっつけることができたという達成感が満ちあふれた。


「できた」


 そう呟いた祥子を、晃が横から抱き締めた。


「やったな! 祥子、才能がある。やっぱりお父さんの子だ」


 そう言う晃は中学生の時にすでに知能が高い妖魔をばんばん斬り倒していたようだが、それでも嬉しいものは嬉しい。祥子は目を細めた。


「ねえ、今の、何級ぐらい?」

「んー……まあ、D級かな」


 祥子はがっかりした。


「でも今年の四月の新入職員より一歩前に進んだぞ。祥子のほうが上です」

「谷くんは? 谷くんよりできる?」

「さすがに三年目の谷くんはB級を倒せます。たぶん」


 周りの人の視線を気にして、体を離す。土曜の午前中の四ツ谷駅はそんなに人が多いわけではないが、通り過ぎる人はちらほらいるので、見られている感じはある。


「これくらいできれば学校に出るたいていの妖魔は倒せるでしょう。この前宮前さんについていたものはあれよりほんのちょっとレベルが高かったけど、これくらいできれば、あとは覚悟の問題だから」

「そっかあ」

「じゃ、もう一回くらい練習しておくか。念じて即さっきのことができるようになれば――というところまでは求めなくてもいいかなあ……。一般人が護身術程度に身につける妖魔の祓い方、ってどれくらいできればいいんだろうな」


 一般人はそもそも妖魔を視認することができないはずだが、そういう常識の枠から外れたところで生きる晃には説明しづらい。


「わたしも新入職員くらいはできるようになったのか」


 祥子はしみじみと呟きながら自分の手の平を見た。


「将来は対魔協で働けるかな?」


 瀕死の晃の蒼白い顔を見て、少しでも晃の役に立てたら、と思ったのを思い出した。


 けれど、晃は頷かなかった。悲しそうな目をして、少し遠くを見た。


「……崎島さきしま麻綾まあや寛子ひろこさん、小沼こぬまさん」


 祥子はきょとんとして、呪文のように人名を挙げる晃の横顔を見た。


瓜田うりた主任、晴彦はるひこ橋本はしもとさん、友里香ゆりか――」


 祥子の息が、止まりかける。


「みんな死んだ」


 晃の目が、暗い。


「俺と糸織さんの結婚を応援してくれた人たちは、ほとんど死んだ。当時の状況を知っている人間で現場仕事ができる退魔師はもう、龍平と俺しかいない」

「え……」

「反対した人たちも次々と死んでいった。前の対魔協の代表も死んだ」


 晃が口元をゆがめるようにして笑う。


「退魔師なんて、やるもんじゃない」


 そこまで言うと、晃は歩き出した。祥子は慌ててその後を追い掛けた。


「改札を出て、ちょっとコーヒーでも飲んでから続きをしよう。ずっとここにいると怪しまれるし、祥子も休憩したいよな」

「あ、うん……」


 空気が重くなってしまった。屋根の向こうに見える梅雨空も、今は一応雨が上がっているが、また降り出しそうな雲模様である。


「祥子」


 前を歩く晃が、祥子の顔を見ずに問い掛けてくる。


「明日の小宮山蓮のサッカーの試合、どうする?」


 祥子は溜息をついた。蓮が初めてスタメンで出る試合だ。彼は祥子のためにシュートを決めてくれると言っていた。しかしそれをきっかけに、水嶋や恵茉のようにおかしくなる人間が出た。恵茉など強い妖魔を呼び寄せて取りつかれてしまった。


 山岸の、祥子の顔はひとを狂わせる顔、という言葉を思い出す。


 恵茉の将来は、どうなってしまうのだろう。


 祥子は祥子でいる限り、妖魔につけ入られる人間を増やしてしまう。


「行かない……」


 自分が普通の女の子だったら、何も考えずに行こうと思えただろう。しかし、祥子は怖かった。晃にとって土地勘のないところで妖魔に襲われたら、と考えてしまうのだ。千代田線沿線、常磐線沿線ならすぐに合流できるが、蓮が教えてくれたスタジアムは、祥子も晃も初めて聞く場所だった。サッカー選手の高校生たち、その関係者たちや家族や友人、もしかしたら何も知らないかもしれない観客――大勢の人に悪いことが降りかかるのは、嫌だった。


「もっと練習したら、行こうと思えるかな」


 晃はしばらく黙っていた。


 黙々と歩き続けて、改札口にたどりついた。晃に続いて、スマホのタッチで改札を出る。


「よし、決めたぞ」


 突然晃がそう言って立ち止まった。


「来週の週末、二人で熱海行こう」


 祥子はきょとんとした。


「熱海? 伊豆の?」

「そう」

「なんで急に」

「熱海に住んでる古い知り合いに会いに行く。そいつが祥子の異能についてプラスになるようなことをしてくれると信じて、そいつを訪問する」


 晃の言葉に、祥子は感動した。


「お父さんも覚悟を決めたぞ。あんまり会いたくない奴だったけど、祥子のためにがんばる」


 そう言って振り向いた晃の瞳が、力強く光っていた。


「で、まあ、それだけじゃ味気ないから、親子水入らずで温泉旅館にでも泊まっておいしいものを食べよう」


 眼鏡っ子の祥子は大浴場が少し怖かったが、温泉は浸かりたい。それに伊豆ならおいしい海鮮料理が食べられるのではないか。


「行く!」

「よし、宿を探すぞ!」




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