調伏魔導士の憂鬱
沙倉由衣
第1話 夏休みの波乱
『縁は異なもの味なもの』
大昔の誰かがそんなことを言ったらしいけれど、実際人の縁ってやつは、どこでどう転ぶか分からないもので。
ひょんなところで繋がったり。
思いもかけない形で途切れたり。
切れたかと思いきや、ずるずると続いていく腐れ縁なんてものも――。
「タクヤー!」
明るい声に僕は振り返る。廊下の先でひとりの少女が、ぶんぶんと大きく手を振っていた。後ろには馴染みの顔が三つ。うちひとりは胸元に造花を飾っている。
「なんだ、勢揃いで」
「なんだじゃないでしょー? 今日はセンパイの卒業式なんだよっ。みんなで一緒にお見送りするって約束したじゃん!」
「あーそれは……」
覚えてるけど、それは式典が終わった後の話だよね?
思いながら僕は彼女を見返す。きらきらした彼女の眼差しにぶつかる。ずいぶん明るい表情をするようになったな、と少し感慨にふけったりする。その微妙な隙間に、つっけんどんな少年の声が割り込む。
「ほら、早く行かないと席なくなっちゃいますよ。先輩」
「なるほど。キミは私の晴れ舞台をサボろうとしていたんだな、つれない奴め」
「えータクヤひどーい。ろくでなしー!」
「諦めなよ、タクヤ」
笑い声。じゃれあうような会話。やれやれと僕はため息をつく。多分にめんどくさいけれど、どうやら式典をサボるわけにはいかなさそうだ。
仕方なく僕は歩きだす。行く先で四人が待っている。窓からの早春の日差しが、明るく彼らを照らしていた。通い慣れた教室がふと視界の隅に入り、僕は目を細める。
こんな縁が繋がるなんて。
こんな時間を過ごすことになるなんて、かつての僕は想像もしていなかった。なるべく誰とも関わらないように、教室の片隅で息を潜めていた僕は。
全ての始まりは、あの夏の日。
いつもの教室からだった――。
* *
キーンコーンカーンコーン。
味気ないチャイムの音が響く教室で、僕は意味もなくシャーペンをカチカチ鳴らしていた。机にノートはあるけれど、勉強する気はひとつも起きない。
夏休みのとある一日。
この日は決められた一斉登校の日で、僕のクラスはいちおう全員学校にいるはずだけれど、教室に人影はまばらだった。無理もない。生徒達を監督するはずの先生が、軒並み学園を離れているのだから。
登校日というのは、本当は少し違う。今日は強化実習の日――学園のほぼ全ての先生と、実力を認められたSクラスAクラスの生徒達は、北の森までドラゴン退治の実習に出ているのだ。今年は帝国軍との合同で、ひときわ大規模な掃討作戦が行われるという。
だから今学校にいるのは、実習に参加できる実力が無いと判定された落ちこぼれ組――BクラスとCクラスの生徒達。
僕は最下層の、Cクラスだ。
「はあぁ……」
自然と、やる気の無いため息がこぼれる。チャイムは鳴ったが授業はないので、待ちに待った休み時間という気分でもない。真っ白なノートを眺めながら、ぼんやりと欠伸を噛み殺す。真夏の光に、ノートの影が濃い。
空調魔法がかかっているからここは暑くないけれど、きっと外は灼熱だろう。教室にいないクラスメイトの何人かは、こんな時でも外で遊んでいたりするのだろうか。そんなことを思いながら、僕が何気なく窓に目をやった時だった。
――――……ヴヴゥウィイイィィィーン……
何とも奇妙で耳慣れないサイレンの音が、馬鹿でかい音量で響きわたった。教室にいたみんながびくっとして耳を塞ぐ。僕ももちろんそうしたけれど、意味が無いくらいの大音量で、録音魔法のアナウンスが鳴り響く。
――襲撃。襲撃。全校生徒は直ちに教室へ避難して下さい。繰り返します。襲撃。襲撃――
「……っはあ? 何これ」
「今日ってなんか、避難訓練とかの日だっけ?」
「抜き打ちかもよ」
教室がざわめきだす。不可解な表情の生徒が何人か、廊下からバラバラと駆け込んでくる。いちおう、アナウンスに従ったらしい。僕はなんとなく教室の後ろを見やる。彼女はまだ戻っていないようだ――
「諸君!!」
鋭い声が響いた。
教室の前扉から、ひとりの女性が飛び込んできた。
そういえばエミ先生が今年の居残り当番だって、夏休み前に言っていた気がする。個別指導してやろうかと笑われて、丁重にお断りしたんだっけ。
「落ち着いて聞いてくれ。ドラゴンの大群がこちらへ向かっている」
ろくな前置きもなく、全然落ち着いてられないことを先生は言った。
教室はしんと静まりかえった。それは緊張や恐怖と言うより、は? なんのこと?といったような、間の抜けた沈黙に近かった。僕も全くピンときていない。だって――ドラゴンが群れで行動するところは、ここ百年は観測されていないはずだ。
あまりにも唐突で、非現実的で。
しかもこんな――先生たちが軒並み学園を離れている日に?
「我々は砦の役目を果たす必要がある。――立候補はあるか」
鋭い瞳を僕らに向け、最低限の言葉で先生は問いかけた。教室がさっきよりも張りつめた沈黙に包まれる。みんな先生から目を逸らし、目立たないように身を縮めている。授業で難題を当てられそうになった時みたいだけど、事態はそれよりも深刻だ。
ここで少し説明が必要だろうか。
僕らのいるこの学校は、正式名称を皇立調伏師養成学園という。つまり、帝国が直々に設立した、調伏師を養成するための機関ということだ。
調伏師とはドラゴンと戦う専門職のひとつで、魔力を込めた楽器や歌の音色によってドラゴンを酔わせ、洗脳し、服従させる仕事だ。対ドラゴン戦の花形、竜騎士たちが存在できるのも調伏師のおかげ……なんだけれど、当然のように魔力も音楽の技量も高いものが求められる。
そのため学園には、優れた現役の調伏師が先生として多数在籍している。だからこそ、この場所にはもうひとつの役割があるのだ。
それが帝都の防衛。
ドラゴンの一大生息地である北の森から、帝都を守る位置にこの学園は存在する。いざ侵攻が起きた時、調伏師の集う砦とするために。だけどそれは、ドラゴンの侵攻が多発していた数百年前のルールでもある。今は完全に形骸化しているはずだ。
そう、先生たちが揃って学園を空けられるくらい――。
「先生」
たまらず僕は片手を上げる。おや、とからかうような先生の瞳がこちらを見た。
「立候補するか、タクヤ」
「ちがうちがうちがう。幾つか聞きたいんだけど」
いつもの個別指導のノリで、ついタメ口を利いてしまった。今も普段も先生は気にしない。ただ話を促すように、無言で眉を上げてみせた。
「この学園は結界あるよね? まだちゃんと動く?」
「間違いなく作動はする。ただ大群の攻撃に耐えられるかどうかは、未知数だ」
ざわ、と教室がざわめいた。え、どういうこと? おれらどうなんの? 一気に不安を帯びたささやきが、あちこちで漏れ聞こえる。
「調伏の塔の機能は? 五十年以上は使われてないんでしょ」
「そちらは問題ない。一種の学園の象徴だからな、整備は行き届いている」
「……もし、ドラゴンがこの学園を素通りしたら?」
「わかりきったことだな。帝国壊滅の危機だ」
はっきりと先生は断言した。そう。砦であるこの学園が役割を果たせなければ、ドラゴンの大群はまっすぐに帝都を襲う。
その被害が甚大なら、国内はもちろん周辺国も大混乱に陥るだろう。帝国がその威厳と地位を保つこと自体難しくなるかもしれない。行き着く先は世界的な混乱――最悪の場合、ドラゴンに支配された悪夢の時代が復活する可能性さえある。
「――もちろん、既に帝国軍も対応を開始している。だが我々も手をこまねいていられないのは、タクヤの指摘通りだ。さすがは竜騎士カズヤの息子だな」
笑みを含んだ先生の言葉に決して悪意はないけれど、僕はずきりと胸の奥が痛むのを感じる。竜騎士カズヤの息子。それは僕を表現する最も代表的な言葉であり、僕を否定する最も端的な言葉でもある。
竜騎士カズヤの息子のくせに、落ちこぼれのCクラス。
勇猛な父の名前以外に、何も持たない役立たず。
「……あの……」
思わずうつむいて僕は呟く。クラスメイトたちの視線が突き刺さる。羞恥とよく分からない焦りに頬が熱くなって、何も言わずに消えてしまいたくなる。だけど。
(帝国壊滅の危機――)
それを回避する鍵が、調伏の塔だ。学園中央にある特殊な装置で、対ドラゴンの強力な武器でありながら、調伏師が五人いれば作動する。
でも今、学内にプロの調伏師はエミ先生一人で。ならば残りは生徒から、と先生は言っているのだ。だけど立候補なんて出るはずもない。いまこの学校にいること自体が役に立たない落ちこぼれの証。調伏の塔を動かすなんて、無理に決まってる。
だからといってのうのうとしていられるほど、今の状況は穏やかでない。誰かがやらなきゃならない。だけど誰も手を上げるはずなんてない。それなら。だから……。
だったら。
「僕にその四人、選ばせてもらえませんか」
思い切って僕は顔を上げた。驚いたような先生の瞳とぶつかった。その口元がニヤリと笑うのを、僕は見た。
こうして――。
このときの僕の思いつきの、ちっぽけな勇気と決断が、ぼくらの人生におけるターニングポイントになることを、当時の僕は想像もしていなかった。
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