リリィと星くずの涙

縁田 華

ささやかな好奇心

 わたしが最近引っ越してきたその町には、小さな天文台があった。一階は図書館になっていて、さまざまななおとぎ話や絵本、図鑑が見られるのだという。二階の天文台は光り輝いていて、まるで雲ひとつない星空が降りてくるかのように美しい。だが、

「あそこの天文台には頑固ジジイがいるってウワサだよ?」

「ちょっと、行ったことないのにそんなこと言うなよ。それよりお菓子でも買いに行こうよ」

楽しそうな男の子二人の声がわたしの前を過ぎていった。






 今日の授業が終わった帰り、夕方になるかならないかの時間。いつもなら、この時間は友達と遊んだり、そうでない時は家でおやつを食べている。だが、今日は違った。聞こえてきたウワサは、引っ越して間もないわたしの耳にも入り、いつの間にか足が、家とは反対の方向に向かっていたのだ。天文台は大通りからほど近いところにある。森の向こう、小さな丘の上にある変わった形の建物だ。






 レンガ造りの小さな花壇には、パンジーやチューリップ、ヒヤシンスといった可愛らしい花が植わり、そよ風にゆれている。まるでわたしを歓迎しているようだ。円い筒のような白い塔がいくつも連なっている建物が目の前にある。小さな石段を上り、小窓が付いた木の扉を開けると、そこには別世界が広がっていた。





 ホールの天井には、透明な宝石を散りばめたシャンデリアが吊るされ、床には上等なじゅうたんが敷かれている。歩く度に足音が吸い込まれていくようだった。十字に敷かれたじゅうたんの真ん中には、二階へ続く白い階段があり、左右の突き当たりにはそれぞれ別の扉がある。両方とも金色の円いドアノブが取り付けられた白い扉だ。私は少しの間考えた後、右の扉へ突き進んでいった。せめて看板の一つくらいはあってもいいのに、と思いながら。





 右の扉を開けると、そこにはさまざまな大きさの本棚が、迷路のように連なっていた。壁際には大きめの、それこそ天井まで届きそうな本棚が、通路には小さめの本棚や横に広い本棚がある。どの本棚にも、童話や絵本、図鑑などがぎっしりと詰まっている。わたしは一通り本棚の小道を見て回ると、あることに気づいた。本棚の中にある絵本は、背表紙だけを見ても知らないものばかりで、童話はよく知るあの物語から、全く知らない物語まで幅広い。棚の上にはぬいぐるみやブリキの汽車、小さな木の人形やゼンマイ仕掛けの車のおもちゃがある。いつもは小さな子も来るのだろうか。今、ここにいるのはわたし一人しかいない。





 波打ったような、変わった形の本棚の中から一冊の本を取り出した。表紙には絵の具でやわらかい絵が描かれているが、どことなく胸がしめつけられるような気もする。小さな手のひらの中に星が浮かんでいて、その周りは夜空のように暗い。明るく輝く黄色い星はまぶしく見える。






 パラパラとページをめくってみると、その絵本の中身が少しずつ見えてくる。願い星を求める一人の女の子が、魔女と友達になる。だが、それでも女の子の願いは叶わない。もう手の届かないところにあると分かっていたからだ。魔女はそれを見るなり、一度だけ手のひらに願い星を浮かべてくれた。たった一つだけ、小さな奇跡を起こせる願い星を。






 もし、一つだけ願いが叶うのだとしても、わたしは二の足を踏むあまり、先延ばしにしてしまうだろう。絵本の中の女の子はすぐに願いを叶えている。その決断の速さは、少し羨ましくも思う。他の本を読もうと思い、わたしは絵本を本棚に戻すと、少し遠くの本棚へ向かった。






 その次の本棚は、カラフルなパーツをいくつも組み合わせて作ったようなものだった。また違う絵本を手に取り、ソファーに座って読んでいると、

「気に入ったかい?」

「は、はい!ここの絵本、楽しいです!」

「そうかい、それは良かった。ここにはまだまだ沢山あるからね。気が済むまで読んでいくといいよ」

話しかけてきたおじいさんは、にこにことわたしにそう言ってくれ、こう続けた。

「そうだ、お嬢ちゃん。ここにはもっと面白いものがあるよ」

「面白いものってなあに?」

「着いてらっしゃい」

おじいさんはわたしを手招きし、図書館の奥にある一枚の扉へ案内した。






 おじいさんはカギを開け、ドアノブを回した。扉の向こうからは涼しい風が吹いてきて、昼下がりの日差しと同じくらいまぶしい光が目に入ってきた。ここは庭園だろうか。じゅうたんではなく、芝生を踏みしめているような音がする。陽の光に照らされたたんぽぽの花は踊るようにゆれ、細い木が葉を落としながら風に身を任せていた。





 わたしはきょろきょろと辺りを見回す。もう、あのおじいさんはいないが、代わりに何かがポケットの中に入っていた。爪でふれると、コツンという音がして、硬いのが分かる。取り出してみると、それは可愛らしいコンパクトだった。空色のフタを開けると、中には三つの宝石が並び、フタにはピカピカの鏡が付いている。ふいに、頭の中で声が聞こえてきた。

「困った時には、そのコンパクトを使いなさい。宝石のうち一つを押すんだ。少しだけ君の助けになるだろうからね」






 わたしは、原っぱの向こうにある大きな木を目指して走った。何があるのだろうと、わくわくしながら。二つの大木の間を通り抜けると、いつの間にか芝生は、明るいレンガの道に変わっていた。辿ってみると、奥まで続いているようだ。わたしの足は今、小さな森の中にある。






 小鳥のさえずりが聞こえ、道中にあるきのこはわたしの心を楽しませてくれる。茶色や白ばかりではなく、紫やピンク、黄色や緑といった色のものがあるからだ。背が高い木の上にはリスがいて、小さなうさぎが大きな草の葉の中に隠れていた。小さな花の近くでは、ちょうちょがひらひらと舞っている。そんな光景を横目に、わたしは早歩きをしていた。





 涼しい風はいっそう強くなり、陽が傾いてきた。レンガの道は大きな門に続いていて、遠くに町が見える。わたしは、そこに向かって走り出した。

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