オットのようすもおかしい

志乃亜サク

第1話 ブルース

ここはとあるウィメンズクリニック・・・不妊治療を専門とする産婦人科の待合室。


診療科目の性質上、大半は女性だがそれに混じってちらほらと男性の姿も見える。

その中のひとりがオットだった。


「やっぱり家で落ち着いてやったほうが良いんじゃない?」


そう隣で囁くのは彼のヨメだ。


オットの手にはフィルムケースのような半透明・筒状のプラスチック容器が握られている。


「いや、とりあえず見るだけ見てみるよ。提出するなら早い方がいいでしょ?」


「そう・・・ありがとう」


彼らはいま、クリニック内に備えられた「採精室」というあまり聞きなれない部屋への案内を待っていた。


そこは名前の通り、男性の精液を採取するための部屋だ。



彼らのこれまでの数ヶ月にわたる不妊治療の経過は、決して芳しいものではなかった。


そこで治療は次の段階・・・体外あるいは顕微受精へと進むことになったのだが、それにあたっては当然ながら夫の精液が必要となる。


そのために渡されたのがオットの握るプラスチックケースとなるわけだが、その方法は単純で、マスタベーションによって採取する。

そしてそれを行う場所が、先述の採精室なのだ。


医師の説明によれば自宅で採取して持参しても結果には影響しないとのことだったが、それだと提出が後日になるため、オットとしてはできるだけ早く提出したいと考えていた。


不妊治療は二人三脚。

そうはいっても、どうしたって妻側の負担が重くなる。

夫側にできることは限られており、少しでも妻の負担を軽減できるなら、やれることは全部やろうとオットは考えていたのである。



やがて看護師からオットだけが呼ばれ、採精室へと案内された。


「それじゃ、行ってくるよ」


「うん、がんばってね」


そう言ってヨメはオットの背中を見送った。



ところが、オットはすぐ帰ってきた。


「早っ!」


ヨメはちょっと面食らった。

オットが呼ばれて数分しか経っていないのに戻ってきたからだ。


「もう採れたん?」


「いや、違うねん」


「なんや、どういうことや」




数分前、オットはたしかに採精室へと案内された。


そして彼はひとりで入室して入口の鍵をかけ、改めてその部屋を見た。


一畳ほどの広さの細長い部屋の奥には机と椅子が設置されており、机の上にはテレビとヘッドフォンとDVDのデッキが置かれていた。

ネットカフェの個室を想像してもらえばいいだろう。


そこで彼が気付いたのは、デッキの横に5枚ほどのセクシーDVDが置かれていることだった。


———なるほど。


オットは妙に納得した。


ここはいわばアウェイ。

そんな状況下、イマジネーションだけでミッションを完遂できる猛者ばかりではないのだ。


映像の助力があるのは、彼としても正直助かるところだ。



ところが。


並べられたDVDケースの背表紙を見た瞬間、彼の表情が曇った。


それは一見、幅広い嗜好を網羅するようなラインナップにもみえた。


しかし———無難。


あまりに無難。


官僚的チョイスというか、エッジが少しも効いていないのだ。


こんな小さな翼では、俺は飛べない———。


オットは悲しい気持ちでため息をついた。


ところが。


そのとき、諦めかけた彼の目に、ひときわ異彩を放つタイトルが飛び込んできたのである。




【 アルマゲドン 】




そんなばかな。


♪ドワナクローマラーイ

 アドワナファーラスィー

 カズ ミスユベイ アナ

 ドンワナ ミスラシー


オットの脳内にエアロスミスが鳴り響いた。

彼は英語が出来ないので、歌詞はだいぶ怪しいけれども。


そんなことはどうでもいい。


なぜ、5本しかない中の貴重な1枠をアルマゲドンに使った?


誰か説明してくれ。


ブルース・ウィリスで俺はどうしたらいいんだ。


これはあれか?


隕石フェチ用なのか?



それでも彼は気を取り直し、アルマゲドンとは別のセクシーDVDを1枚、適当にチョイスしてデッキに差し込んだ。


そう。彼は元来、責任感の強い男なのだ。


しかし、DVDが始まっても脳内エアロスミスが消えてくれない。


♪ドワナクローマラーイ


うるせえ。


石油掘りが地球を救おうとしてる時に俺は、俺は———。



結局、彼は打ちひしがれて待合室へと戻っていった。


カッコつけて出て行った手前、備え付けのセクシーが自分の求めるセクシーではなかったとは言えないため、ヨメには適当に誤魔化した。



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