第5話 ドキドキしてきた? 

「おにーさん、やっと戻ってきたぁ~」(嬉しさと遅さへの苛立ちが入り交じる)


「もう四回の裏だよ。点は取られてないけど、この回も簡単にツーアウトを献上しちゃってさ。二塁までランナーを進められているのに、ホームベースが遠いよ~。早く氷川投手を勝ち投手にしてあげたいんだけどなぁ~」


「お手洗いに行った後、コンコースを一周しちゃったの? だっさ~。また迷子になってウケる」


「へ? デザートを探してくれてたの? うちが甘いもの食べたいって言ったから?」(嬉しさが込み上げてくる)


「何が好きか分かんなくて、たくさん買ってきてくれたんだ」(表情が明るくなる)


「ミニチュリトスに、ゴマ団子に、チーズタルトもある!」(好きなものばかりでテンションが上がる)


「選手が考えたプロデュースメニューって、けっこーいい値段しなかったっけ? ビール三杯分は軽くいったんじゃないの?」(我に返って確認する)


「う、うちの喜ぶ顔が見たいとか、おにーさんのくせに、なまいき~」


(鈍い打球の音がする)


「きたっ! 今の当たりはいいんじゃない? 一二塁間を抜けそう……! うわぁ~っ! セカンドが上手く取っちゃった~。これは間に合わ……ヘッドスライディング! ワンチャンいけるんじゃ……」


「はあぁ~~アウト、かぁ~~」(悔しがる)


「でも。ヘッドスライディング、ナイス! どこにチャンスが転がってるか、分かんないもんね!」


「どうせアウトになるんなら、走っただけ損じゃんって思った? 甘いよ、おにーさん」


「急ぐランナーの姿に焦って、一塁に投げたボールがすっぽ抜けることがあるんだから」


「もし一塁に投げようとしたボールが客席に入ったら、エンタイトルツーベースで二塁に行けるし。ツーアウトでも、何が起こるか分からないのが野球の怖さだからね」


「なかなか点が取れない試合はね。相手チームにもらったチャンスを活かせるかどうかが鍵になるんだ。逆に言えば、次の回でエラーとかフォアボールを与えちゃうと怖い。ゲームの均衡を破られるかもね」


「ふふっ。ドキドキしてきた? おにーさん」


「とりかえしのつかない失敗って聞いて、こーふんしてるの?」


「およ? おにーさんのズボンに、こんなシミあったっけ?」


「もしかしてぇ~。牛カルビ串、一人だけ食べてたのかな~? うちのデザートを買う前に」(羨ましそうに見つめる)


「ざぁ~こ、ざぁ~こ。大人なのに、こぼしちゃったの~? いくら肉汁がじゅわぁ~と溢れても、ズボンにはつかないよ。だっさぁ~。自分だけ買うから罰が当たったんじゃない?」


「シミ抜きしたつもりだろうけど、全然取れてないね」


「じっとしてて。うちの方が綺麗にできるはず」


「ほら。上手じゃない?」


「汗もすごいから、ついでに拭いてあげる。うちが使ったタオルで申し訳ないけど、我慢して」


「うちのために歩き回ってくれて、ありがと」(小声で言う)


(何か言ったのかと尋ねる主人公)


「ううん。何も言ってないし」


「さっ。食べよ、食べよ」


「あれ? おにーさんは食べないの? 早く食べないと、うちが食べきっちゃうよ?」


「あーんしてもらわないと、食べないつもり?」


「うーわっ。ちょーし乗りすぎ。引くわぁ~」


「なんてね? 甘えたがりなおにーさんを放置するのはかわいそーだから、サービスしたげる」


「美味しい? そりゃあ、直生様があーんしてあげたから、とーぜんでしょ。残りは自分で取って食べてね」


「味方の援護を待ち続ける氷川投手が、五回表のマウンドに立ったね」


「この回を投げきって、裏で味方が点を取ってくれたら、氷川投手に勝ち投手の権利が転がってくるんだけど」


「相手チームのピッチャーは、まだ今シーズンの勝ち星がついていないんだよね。何が何でも勝たせてあげたいのは、相手チームも同じ気持ち」


「耐えきってよぉ~。ひかわ~~!」


「頑張れ、頑張れ。ひっかっわ~~! 頑張れ、頑張れ。ひっかっわ~~~!」


(心配する主人公に笑いかける)


「これくらいの声量で、酸欠にならないよ」


「自然と応援に力が入っちゃうんだよねぇ~。今日のターニングポイントがあるとしたらこの回。力んで投げた一球が、フェンスを越えてホームラン。そのままの点差でゲームセットになりかねないもん」


「たった一球のミスが、投げたピッチャーにとってもチームにとっても痛い結果を招く。そういう試合はたくさん見てきたから、勝てそうなスタジアムの空気は肌で分かるんだ」


「でもね。いくら勝敗がはっきりしてても、ツーアウトランナーなしから負けを覆せる可能性はある」


「その可能性を少しでも大きくするためにも、ファンは絶対負けるって思い込んじゃいけないの」


「選手は誰一人あきらめていないから。ファンのよわよわメンタルごときが、選手の顔をくもらせちゃだめでしょ」


「今のボールは決め球だったんだろうなぁ。ワンボールツーストライクから、バッターがカウントを整えてくる。ピッチャー、腕を振って……投げたっ! 空振りさんしーーーん! 」(よしと小さく言う)


「昨日の試合で大活躍だったバッターを、二打席目も沈黙させる好投っぷり! さすがは次期エースの風格だぁっ!」


「おわー! 三遊間を抜ける強烈なヒットになるーー! ランナーは? 一塁止まり!」


「次のバッターは前の打席でも打っていた人かぁー。今日一番のピンチ来ちゃった?」


「初球は低めから来た! 初球見逃し、ストライクっ!」


「内に入ってくるボールは振らず、これでワンボールワンストライク。誘いには乗ってくれないか……」


「三球目は打ち上げた! 砂かぶり席に入ってファウルーー!」


「次のボールも粘り強くファウルにするぅ~」


「次のバッターがピッチャーだから、長打狙いなんだろうなぁ~。甘く入っちゃだめだからね」


「快音響く! 外野を抜けるかと思えたボールが、セカンドのこうじのグラブに入っていたっ! すばやくショートへ投げる! ファーストは、どうか……?」


「四六三のダブルプレー! この回も三塁を踏ませなかったーー!」


「あんな力投見せつけられちゃったら、すぐに援護点取ってあげなきゃでしょーー!」(興奮が冷めないまま、まくしたてる)


「おにーさん、早く食べきって! またカンフーバット貸すからさ。うちと一緒に叩こ!」


「タイムリーを願うファンの思い。今日初めて流れるチャンステーマのリズムに合わせて、選手達に届けようよっ!」

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