体育倉庫でいちばん陽がえ○ち!

 空気が、湿っていた。

 春の雨が降ったあとの午後。中庭の桜はまだ咲き残っていて、グラウンドのすみには水たまりがいくつかできていた。


 「……だから言ったのに」

 私は隣を歩く風の髪先を、タオルでごしごしと拭く。


 「へへ、ごめんね〜。でも急に雨降るなんて思わなかったし~」


 「傘、持ってきなよ」

 「だって、ひなちゃんが持ってくるって思ってたから……」


 「……甘えすぎ」

 「えへへ、ひなちゃんの傘、やっぱりいちばん落ち着く〜」


 自分の肩をびしょびしょにしながら、風の頭を守って歩いた帰り道。

 そのせいで私の髪の方が濡れてるっていうのに、風は気にしてない様子で、にこにこしてる。


 私が怒っても、本気で怒れないのはいつもこっちだ。



---


 翌日。


 「ひなちゃん、今日は体育だねっ」


 「……体育、嫌い」

 「えー? なんで? ひなちゃん体力あるのに」


 「体力はあるけど、好きじゃない」

 「ひなちゃんが走ってるの、好きなんだけどなぁ……」


 「……風の発言は、ちょっとアウトなときがある」


 「えっ、なにが?」

 「……なんでもない」


 気づいてない風の言葉が、時々、まっすぐ心に刺さる。

 無意識って、一番、反則だ。



---


 午後、体育の時間。


 「じゃ、次の道具は誰が取りに行くー?」


 先生の声に、生徒たちがざわざわとする中。


 「ひなちゃんと、風でお願いー」


 「えっ」


 「うんっ」


 この差よ。

 私が一瞬固まってるのに、風は満面の笑顔で頷いてる。



---


 体育倉庫。

 薄暗くて、外よりも少しだけ肌寒い。


 「バスケボールと、コーンと、ビブス……あっちかな?」


 「……こっち」


 私は棚の奥へ歩き、道具を探す。

 風は私の後ろをてくてくついてきていた。


 そして――


 「きゃっ」


 「え――」


 後ろから何かがぶつかってきて、私はバランスを崩し――


 「い、痛……」

 「大丈夫……?」


 気づけば、私は風の上に倒れこんでいた。


 目の前に、至近距離の瞳。

 風の頬が、桜色に染まっている。


 「ひな、ちゃん……?」


 「……ごめん」

 「う、ううん。ひなちゃんが上でよかったかも……♡」


 「なに言ってんの」

 「だって、ひなちゃんに押し倒されるなんて……」

 「……そういう言い方やめて」


 そっと体を起こしながらも、私は顔が熱くなっているのを感じていた。



---


 そのまま、体育倉庫の外に出ようとしたとき。


 「ひなちゃん」


 風が、袖をつかんだ。


 「さっき、心臓すごくどきどきしてたの。……ひなちゃんも?」


 私は一瞬だけ、目を合わせた。


 「……してないって言ったら、嘘になる」


 「わ、ほんとに?」


 「……でも、たぶんそれは、事故だったから」


 「ううん、違うよ」


 風が、まっすぐに言う。


 「風はね、ひなちゃんが近くにいると、いつもどきどきするよ?」


 「……」


 ずるい。

 無自覚で言ってるのか、わかってて言ってるのか。

 でもどっちにしても、そんな言葉、何回も聞かされたら――


 「……風」

 私は、視線をそらさずに言った。

 「そういうの、簡単に言っちゃだめだよ」


 「……だめ?」


 「……ドキドキしてるの、こっちもだから」

 「えっ」


 「……もう、言わせないで」


 私がそう呟いたとき、風はきょとんとして――

 やがて、ふわっと、うれしそうに笑った。


 「……ひなちゃん、かわいすぎるよ」



---


 放課後。


 並んで歩く帰り道。

 風は、なんでもないように私の手をつないでくる。


 「今日は、あったかいね」

 「……そっちの意味?」

 「両方♡」


 この子は、たぶん――

 私の中の「いちばん」を、全部かっさらっていく。

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