第4章 私は、斎藤瑞稀です ②美しさは幸福の装置-2
4.2.2 社会が与えてくれる“私”
「この外見があれば、誰に会っても大丈夫」
そう思えたのは、鏡の前で五回目の身だしなみチェックを終えたときだった。
スーツは、ORCAが提案してくれたもの。
無駄に派手すぎず、でも確実に目を引くような、艶のあるベージュのセットアップ。
襟元には繊細なレースのブラウスを重ねて、わずかに開いた胸元に自然と視線が誘導される。
そこには、確かに「私が選んだこの身体」があった。
「印象最適化、完了です」
「前傾角2.1度、視線レベル一致」
「口角角度維持:+12.3%、第一印象幸福スコア予測:84.6」
鏡の中の私は、まるでどこかの雑誌の表紙を飾るモデルのようだった。
自惚れだと笑う気にはならない。
これが私の努力の成果であり、社会が“最適”と評価するかたちなのだから。
ヘアセットは、自然なウェーブを生かしたロングスタイル。
左右どちらにも流せるように分け目が曖昧にされていて、空港やホテルといった“厳しすぎない接客現場”に最適な印象を与える。
アイメイクは少しだけ華やかに。
まつ毛の束感とアイラインの角度はORCAが前日に教えてくれた動画の通り。
ベースメイクは前回の施術のおかげでほとんど必要なく、むしろ何も塗らない方が“透け感”が出るとアドバイスされた。
「準備、完了です。行きましょう、瑞稀さん」
私はそっと頷く。
ヒールのあるパンプスの底から、静かに振動が伝わる。
緊張というよりは、遠足の朝のような気分だった。
この姿なら、ちゃんと見てもらえる。
ちゃんと、評価してもらえる。
***
初めて訪れる面接会場は、都心にある外資系の高級ホテルだった。
受付に名を告げた瞬間、相手の女性がふっと微笑み、
「担当者がすぐに参りますね、少々お待ちください」
と柔らかな口調で案内してくれた。
その声を聞きながら、自分も同じように笑えていることに気づく。
肩の力も入っていない。
視線も定まっている。
応接室に通されたときには、既に私の所作は“最適化”されていた。
背筋を伸ばして座る角度。
質問に答えるときの語尾の柔らかさ。
うなずくタイミングや、わずかな瞬きのリズムすら、
まるで身体の奥に組み込まれた“パターン”のように自然に出てくる。
ORCAが前夜に用意してくれた「応答テンプレート」は、もう暗記していた。
それだけじゃない。
今この瞬間に、リアルタイムで提示されているアドバイスまでが、私の耳元をくすぐる。
「質問:志望動機」
「推奨構文:第一文に結論→第二文でエピソード→第三文に再結論」
「声量:+6%、語尾:下げ調で安定感を演出」
私は、自然に言葉を継いでいた。
まるで台本を読んでいるのではなく、自分の想いを、自分の声で伝えているかのように。
面接官が時折うなずく。
メモを取る手が止まらない。
「接遇経験はありませんが、この雰囲気ならすぐに現場で活躍できそうですね」
と言われた瞬間、胸の奥で小さな音が跳ねた。
私は、微笑んだ。
それは、演技ではなく、“選ばれた”という実感だった。
***
帰りの電車の中、窓に映る自分の顔を見ていた。
すっかり日が落ちて、車内はぼんやりとした明るさだったけど、それでも自分の輪郭がはっきりとわかる。
ああ、私はもう――
社会に出ても、ちゃんと通用するんだ。
“私”という存在は、もう不完全な仮の姿じゃない。
この外見、この所作、この声、この視線。
それらすべてが、“社会に認められる私”として整っている。
そのことが、何よりも私を安心させてくれた。
ORCAの声が、やさしく重なる。
「幸福スコア、+1.4」
「社会適応度:98.2%、自己肯定感:上昇中」
私は目を閉じて、小さく頷いた。
幸福って、誰かにもらうものじゃない。
けれど、誰かに見つけてもらうことで、ようやく“かたち”になることもある。
今の私は、そのかたちを――
ようやく手に入れようとしている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます