8-5 魂の記憶

「さて、これはどういう状況だ?」

「テオ……助けて。一人じゃ耐えきれない」


「確かに空気が重いな。まるで水の中にいるようだ」

「そうなの!わかるでしょ!?」

「…………あぁ、まぁ、」



 アステルとアイリスの話が大体終わった頃か、と二人の昼食を持ってきたテオーリアは片眉を跳ね上げ、室内の様子を観察している。

 足元にしがみついたゾーイは泣きそうな顔をしていた。


 アイリスとアステルは同じ長椅子に座っていたが、そっぽを向いている。

アイリスは頬が膨れ、アステルは不機嫌そうに眉を顰めて。

珍しい様相に驚きつつも、顔色を変えず食事を二人の目前に置いた。




「昼食を持ってきたが、話は終わったか?」

「終わっていませんわ!」

「…………」


「何をそんなに拗ねてるんだ?隊長まで機嫌が悪いとは珍しい」


「アイリスが悪い」

「アステル様がわかってくださらないのです!」

「…………」


「「ふんっ!」」

「処置なし。とりあえず食事を摂ってくれないか?食堂の人員が洗い物をするのだから、あまり遅くなるのは良くない」


「「…………」」

「はぁ、わかった。まずは双方の言い分を聞こう」




 向かい側の椅子に腰掛け、テオーリアは赤い瞳を二人に向ける。背中合わせになりながらも離れないのは何故なのだろう?と彼は首を傾げた。

 この二人が喧嘩をしたのも初めて見たが、アステルの拗ねたような顔は誰もみたことはないだろう。こんなふうになるのだな、と不思議な心地がした。




「アイリスは、俺とパナシアに国外へ出て行けと言うんだ」

「そうじゃありません!」

 

「同じことだろ?出奔して逃げろって言ったんだから」


「パナシア様が聖女の任を解かれるのならば、それが一番でしょう?これから戦争が起こるのですよ」

「俺はアギアの隊長だ。パナシアが聖女ではなくなったとして、その責務を手放すつもりはない」


「なっ、どうしてですか!?聖女の代理が後を務めるだけです。あなたが一番危ういのですよ?共に立ち向かうなど危険すぎます」

「嫌だね、オレはアイリスのそばから離れない」

 

「あ、あなたは何のためにここにいらしたのですか!?パナシア様と共に自由を掴むためではないのですか!?」


「そうだとして、今逃げたらアイリスが危険になるだろ。オレたちは仮にでも婚約を交わしている。婚姻届はもう提出したからな」

「なっ!?結婚したをするだけだとおっしゃってましたよね!?」


「君をここに残したら、皇帝が手を出すだろう。オレとの婚姻を解くのは不利益だ」

「……ぬぬぬ……」

「アイツに弄ばれる危険があるだろう?」


「私だって戦えますし、テオたちがきっと協力してくださいます」

「相手は国のトップだぞ?テオたちが本来他国の世継ぎだとして、権力を国内では振るえない。それはアイリスも同じで、勝手に結婚される可能性もある。そうなったら……」


「アステル様の命に代わる出来事などございませんわ。あなたが生き延びるには、」

「アイリスが傷つくなら、死んだ方がマシだ」



 顔を真っ赤にしたアイリスはアステルに向き直り、膝の上で握り拳を作る。震える両手は哀れなほど力を込められていた。




「あなたはどうして0か100しかないのですか!?パナシア様に対してもそう!

 これもダメ、あれもダメと散々ダメ出ししかしないんですから!」

「仕方ないだろ、決まりを作らなければ隙ができる。隙がなければ完璧に守れる」


「だからと言ってあなたの他に関わる人を、極限まで制限なさるのはいかがなものでしょうか!人々と触れ合うことも聖女様のお役目であり、やりがいであるのですよ」

「もともとのパナシアなら、そうだったろうな」


「…………えっ?」

「どう言う意味だ?隊長殿」




 ここぞとばかりに話題を逸らそうとしたテオーリアの言葉を受け、アステルは肘掛けに頬杖をつく。


「オレが妹に対して感じている違和感がここ最近では顕著だ。これもアイリスに話そうと思っていたんだけど」

「あ、そういえばそんなことを仰っていたような」

 

「忘れてただろ」

 

「……別に忘れていたわけではありません。あなたが私の提案を、にべもなくお断りになられたからです」

「だから、それは、」


「隊長、そこは掘り下げずに。違和感というのは?それによっては私がどちらに加勢するかが変わる」

「ふむ、丁度いい。第三者の目線はゾーイだけではなくテオにも頼むか」

 

「聞かせてもらおう……アイリス、その膨らせた頬をなんとかしてくれ。可愛くて仕方ないだろう」

「な……何言ってるんですかテオ!?」


「頬を膨らませたリスのようだ。形式上の夫を目の前に、口説いてしまいそうなほどに君は愛らしい」

 

「はぁ……??」


 呆然としてしまったアイリス、さらに眉間の皺を深くしたアステル、得意げなテオーリア。

ゾーイだけが無表情のまま椅子に座り、さっさと始めてくれと呟いた。



 ━━━━━━


「まずは現状から話さなければならないな。アイリスは最近パナシアと接触してないだろ?」

「ええ、代理を始めてからお会いしておりませんわ。何かありましたか?そういえば、薬草園はなぜあんな風に荒れてしまったのですか?」


「パナシアが全てを放棄しているからだ。ゾーイの訓練を断り、不摂生な生活をしている。夜に起き、そして昼に寝て……」

「お体の具合が悪いからでは?」


「そうではない。おそらくあれは」

「仮病だよ、アイリス」




 ゾーイが厳しい顔でつぶやく。仮病という言葉を口の中で反芻し、アイリスは眉を下げた。

 

「そんな……パナシア様が、仮病だなんて」

「ごめんねアイリス……もう間違いないよ。彼女は職務を放棄して怠慢な生活をしている。もともと祈りを捧げる風習がなかったのもあるけど……パナシアの神聖力はほとんど失われてるんだ」

 

「え?失われて……ど、どういう事ですの!?」

「まず、聖女としての能力は『癒しの力』だ。これは、本来聖女にしか顕れない」



「……はい」

「でも、結局のところアイリスも同じ力を持っている」

「それは、その。人魚の歌の効能である可能性があります。それに、癒すと言うよりは自然治癒力をあげているのですわ。治すのではなく、底上げと言いますか……」


「同じだよ、アイリス。治癒は怪我が治るスピードを上げているのが原理だ。そして、アイリスの歌もそう。

 ワシは本来の聖女たる所以はそこではないと思っている」




 ゾーイが取り出したのは小さな本。それは表紙の皮が擦り切れて本の角が丸くなり、持ち主が何度も読み直したことがわかる。

 その本には『聖女の習慣』と書かれていた。


「ねぇ、アイリス。前世を覚えてるのはどのくらい?」

「ほぼ全てですわ」


「どんな生活をしていたの?何時に起きて、何をしていた?」

「え、えぇと……小さな頃からお手伝いはしておりましたから、日の登る前に起きて社……神様のお住まいを掃除して、お食事を供えて」

「そして祈りを捧げていた」


「そうですわ。神社から離れるときは陽に向かって祈ります。全ての神様を総括されていらっしゃるのは太陽神でした」


「うん、そしてそれは1日を通して行われるんだよね?」

「そうですわね、家業をしていなかった時は朝だけですが。20代の後半から毎日朝、昼、晩と御勤めをしておりました」

「それで、前世は何歳まで生きたの?」



 アイリスは目を泳がせて、俯いた。3人の目線は彼女に注がれたまま、返答を待っている。

 ここで年齢を口にするのは、抵抗がある。それは今までの『アイリス・セレスティアル』として生きてきた振る舞いが、あまりにも年相応ではないと自覚があるからだ。

 社会系経験もほとんどなく、友人もいなかった彼女には無理もないことではあるが、あまりにも〝子供っぽい〟と自分でも思うことはあった。





「乙女に年を聞くのはルール違反だと思うけど、大切なことなんだよぉ〜。教えて、アイリス」

「そ、そうですわね。ゾーイがおっしゃるのですから、必要なのでしょう。………………80歳です」


 沈黙が降りたあと、ゾーイがいち早く頷く。口元に笑みを浮かべながら。




「アイリスは魂の記憶だと、100歳ってことかぁ」

「……お恥ずかしい話ですわ。今までの幼い振る舞いが思い出されて、穴があったら入りたいです」


「ふ、そう言った言葉も長い時の末に持ち得たのだろうな。以前言っていた『ことわざ』と言うものではないか?

 赤の国でもそんな言い回しは聞いたことがない」

「そうだな、黒の国でもだ。生まれてから20年で得られる落ち着きではなかった。物を知りすぎているのもそれが理由か」

 

「アイリスは社会から分断されてきたから中身は少女のままなんだよぉ〜。でも、だからこそ聖女としての格が違う、穢されていないんだ」

「私は、その……」



 ゾーイは本の絵付きページを開き、トントンと指先で叩いた。そこには『聖女の神聖力がなぜ他と違うのか』が書かれている。

 

「聖女の力の根源は、祈りだ。これは祈りを捧げる本人よって意味合いが変わる。懺悔、願い、呪い、様々な意味を内包しているけれど、祈り自体が『大いなる物』に繋がる儀式そのものなんだよ」


「それは……そうね、教義としてそう教わりました」

「前世でってことでしょ?」

「ええ」




 アイリスが収めた教義では、祈りは神へとつながる物だった。それは他の宗教でも同じことで、具体的にいえば『宇宙』と繋がることでもある。

 地球という小さな星から大きな意志に繋がる糸が、祈りである。その全ての流れに触れることで『願いを叶えようとするための運命』に流れを変えるのだと。


 ただ純粋に祈るだけでも、その真髄を得ていなくとも人は、自分の心の行き先を決めるだけで願いを掴むチャンスが巡るよう、動いていける。目標を設定しなければ夢を叶えられないのと、それは同じことだ。

 願いを口にした時点で、すでにそこに向かう道が始まっているのだから。




 

「ねぇ、アイリス。100年もの間祈りを捧げた聖女はいないよ。この世界での寿命は100年が最長だ。

 アイリスは前世から祈っていた、その魂がたとえ記憶を残していなくても祈りで得た神聖力は魂に蓄積される」

「私の祈りは、ただの……恨み言でした。そんな美しい物ではありませんわ」


「祈りの内容の問題じゃないよ。それに、アイリスの性格でただの恨み言だったとは思えない。

 たとえば、さっき言っていた『兄姉の犠牲』『相続の犠牲』についての懺悔だったんじゃないの?」

「…………」


「自分を罰してくれと願いそうな勢いだったな」

「……っ」


 アステルの言葉に目を見開き、それを見た彼は破顔する。そして、彼女にだけ聞こえるように言った。

「オレたちは、やっぱりよく似てるんだ」と。





「ま、アイリスについての自己認識云々が間違ってても証明はされてる。人魚の歌自体に治癒力はない。汚い思いしかない祈りならそもそも『神聖力』は宿らないから。原初の龍ビギニングスと接触なんかもっと無理だよ?」

「しかし、過去の聖女様は……」


 

原初の龍ビギニングスに触れたのは始まりの聖女だけだよ。それ以降はふんわり意志的な接触があっても、あんなふうに姿を現した事は一度も歴史に存在してない。

ワシも伊達に100年生きて学んできた訳じゃないから、信じてほしいなぁ」

 

「え?……えっ!?100年!?」

 

「なるほど、この世界で長寿を更新しているのはゾーイだったか」

「オレは知ってたぞ。だからゾーイには頭が上がらない。こんな長い間生きて、研究し続けた人はいないんだから」

「確かに、隊長の言うとおりだな」


「ふっふーん。ね、アイリス。ワシらは同い年だよ?って言うんじゃなくてって言ってくれる?ワシも傷つくからぁ」

「はっ……、は、はい。すみません」




 ゾーイは彼女の隣に座ったアステルを押し除け、真ん中に挟まって満足げにしている。アステルもアイリスも、その様子を見つめて微笑んだ。



「さて、本題だよぉ。パナシア嬢は市街にいた頃、聖堂で祈りを捧げていた時期があったはず。それによって生まれた神聖力は年月の積み重ねがないから弱かったけど、確かに人を癒してたんだよねぇ?」

「あぁ、街では週に一度聖堂で食料が配られる。その時ついでに祈っていた」


「まぁそんなもんだったろうねぇ。でも、何がしかの理由があって聖女の力が芽生えた。ちなみに、前世の記憶があったりする?」

「聞いたことはないな。しかし、オレが違和感を感じ始めたのは……パナシアが聖女と認められてからだ」


「やっと最初の話題に戻ったな」

 

「テオ……すみません。私のせいですわ」

「いいさ、アイリスの昔話が聞けたのはいい収穫だ。さて、もう寄り道は面倒だしパナシア様の話に移ろう」



 

「……テオへのツッコミは後にしてやる。パナシアは聖女だと認定される前、大怪我をした。それこそ死んでしまうような怪我で、オレも一時は死んだと思ったよ。

 だが、ある日突然その怪我が治って元気になった」

「それが聖女としての目覚めだったのかなぁ?自己治癒したって事でしょ?」


「いや、その前から治癒力はあった。小さな怪我を治す程度だが、人を癒していたから。

 しかし、怪我の後から近所の子供たちを嫌厭し出し、配給にいくのを嫌がり始めてたな。現状と同じように、今まで苦もなくやってきた事をしたがらなくなったんだ」


「頭でも打った?」

 

「確かに打ったがそう言う感じではない。なんと言うか……中身が変わってしまったかのように感じた。

 慈しんでいた物を疎み、やってきた善行から遠ざかって。城に行くのをあんなに嫌がっていたにも関わらず……最終的には本人が『行きたい』と言い出した」


「でもそれは、街の方を人質に取られたからでは?」

「あぁ、それはもちろん理由の一つだが。ただ、街の人を嫌厭していたのは事実だし、本人が望んでいたのは『食うに困らない生活』だ。

 今では人質云々の話が『城に居座るための言い訳』になってしまった」


「…………」


 アイリスはアステルの話を聞き、そわそわし出した。ゾーイが不思議そうに彼女を見つめても、反応がない。



 

「そ、そ、それは、うーん。あの……ちなみにですが、城に来てからはどのような生活を?」


「今よりはマシだったが、街の暮らしで得た知識がすっぽりと抜けているように感じた。仕草は変わらない……というよりも酷似した振る舞いをしているように感じた。

 上目遣いを元々多用してくるクセがあったが、その使い道があまりよくなくなったな」

「必要以上にご飯のおかわりを欲しがったりとか、勉強をサボりたい時、布団から出たくない時に使ってるよね」

 

「あぁ、今はそれが主だ。昔は誰よりも早く起きて街の人と触れ合い、薬草を育てて怪我人に届けていたのに」

「まるで人が変わっちゃったみたいだよね、ほら……なんて言ったっけ?アイリスがよく言ってるような不可思議な言葉を話してたことがあったじゃない?」



 あぁ、と苦笑いになったアステルを見つめ、なぜか青ざめたアイリスは慌てて先を促す。

 

「な、なんと?なんと仰っていたのですか!?」

「どうしたんだアイリス……そんなに青ざめて」


「それはどうでも良いことですから!早く!パナシア様はなんと仰ったのですか!?」




 アステルはため息を落とし、口を開く。アイリスはある一つの考えが思い浮かんでいて、それを否定してほしいと願いながら彼の言葉を待った。


「部屋に篭っていては体に良くない、と言ったら『元々ヒッキーだから問題ない』と言っていた。それから、夜更かしばかりして油物を食べるからその……体重が増えてな」

「そうだねぇ、もはや見る影もないねぇ」


「否定はできないな、不健康極まりない状態だ。夜食をやめさせたら『深夜のポテチこそ至高なのに』やら、『ギルティの味が恋しい』やら」

 

「それを、パナシア様がおっしゃったのですか!?」

「あぁ、そうだが」

 

「なにそれ?ポテチってなに?ギルティ??」

「ポテチとは、芋を薄く揚げた物だ。芋を極限まで薄くスライスすることにこだわっていたが……なかなかうまい。ギルティ、は背徳という意味らしい」



「ッスーーーーーーーーーーーーー」

 

「あぁ、そういう反応も最近はよくするぞ?アイリスの間抜けな声によく似た叫びが出るんだ。

 最近で一番訳のわからない単語は『ふぉぬかぽぅ!』とやらだった」




 アイリスは両手で顔を隠し、ガックリと項垂れた。聞き慣れすぎた単語、この世界にない食物の訴求……これはもう、間違い無いだろう。


 受け止められない事実を聞き、なぜか落ち込むアイリスを見て、テオーリアもアステルも慌て始めた。しかし、落ち着いたままのゾーイは、アイリスにささやいた。


 『まるで、アイリスと同じ前世を経験してきたみたいだねぇ?』と。


 

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