6-5 秘密の花園
「ここで最後だ。星空が綺麗だな」
「………………スミマセン」
「俺たちは別に構わんが、隊長が抜けた分少し大人しくしてくれ。何かあっても困るんだぜ?」
「ハイ」
アギアの一行はもうすぐ聖堂巡りの二日目をほとんど終えようとしている。早朝から始まり、最後の場所にようやく辿り着いた。隊長であるアステルは、今日の午前中で引き上げている。本物の聖女パナシアが呼んでいる……とのことで護衛から外れたのだ。
「しかし、公務から呼び戻すと言うのはいかがかと。いくら聖女様と言えど、公私混同されていませんか?」
「確かに、代役をしているアイリスの護衛を減らすと言うのは私も疑問だ」
「リュイ、テオ、いけませんわ。何か大切なお話があったのかもしれませんし」
「公務をここ一週間何もこなしてない聖女の『大切な話』ってなんだ?」
「もう、アリまでそんな事を言わないでくださいまし」
聖女役の手を引くアリも、裾を持つテオも、黙りこくった全員がしかめ面になっていた。
アイリスは胸のうちにモヤモヤした気持ちを抱えながら、彼らを窘めた。確かにこのところパナシアの様子は少しおかしい。
ゾーイの授業を枕元で行うと言っても聞かず、医師の処方にも従わない。侍女曰く『薬が苦い』と言って避けていると報告があった。それに、アステルを頻繁に自室へ呼び出している。
アイリスはそこまで考えて、かぶりを振る。パナシアは間違ったことなどしない。アステルの愛する聖女が道に悖る事などするはずもない。
体調が悪く、不安になっているだけかもしれない。聖女代理の自分に付き添って、長く寄り添っていた兄アステルを傍から離してしまったのだから。
「ともかく、私たちのお仕事をしましょう。最後の聖堂ですから気を引き締めて……まぁ!蝋燭を並べてくださったのね、とっても綺麗ですわ!」
大きな鉄の門が開かれ、恭しく頭を下げた聖職者が一行を場内へと引き入れる。陽が落ち、暗闇が支配する中庭は道に沿って蝋燭が置かれていた。優しい光に導かれて歩を進め、しかめ面をしていた面々も顔が綻ぶ。
黒の国の代表的な五聖堂、最後の巡礼は緑の国の聖堂だ。昨日も夜遅くまで時間をかけて回り、今日も同じような時間になってしまった。
それは、アイリスが各所で聖堂の抱える問題に手を差し伸べたから。
聖堂に隣接した街の問題をさまざま助言して回ったが故の1日がかりだ。唯一、白の国の聖堂がないからそこは巡らずに済んでいる。
聖堂への道を辿りながらアイリスは思考の海に足を浸した。
(五芒星を象るように配置された各国の聖堂、その巡礼順は逆五芒星を描いた。逆五芒星は、西洋では悪魔の印・日本でも呪詛の象徴とされ、決して吉兆ではかった。
各国の色彩は陰陽五行を意識しているのは間違いないかもしれない。ゲーム運営会社のある国では、常識的な知識だったはず)
彼女の頭の中に今まで不安に思っていたことが、さまざま浮き上がっては沈んでいく。この世界を作り出した乙女ゲーム会社は、陰陽道の起源国にある。
全く関係ないとは言えないが、関係があるとしたら。
逆五芒星は本国でも、西洋でもそれは同じで、悪魔の印とも言われている。
(でも、これに関してメインストーリーでは何の解説もされていない。そして、アステル様の死後にも何も語られていないわ。聖堂の巡礼は、そもそもそこまで細かく描かれていなかった)
「聖女様、足元にお気をつけて下さい。階段があります」
「ありがとうございます」
聖職者の柔和な笑みを受け取り、聖堂の門が開かれる。アイリスの胸のうちに広がった不安は一度、蓋を閉められた。
━━━━━━
(――なにも、起こらない……)
アイリスが偶像から手を離し、ホッとため息を落とす。偽物とは言え、神聖力を与える目的で聖堂を巡ってきてしまった。なにが起きるか分からなかったが、アイリスの力を吸収した聖女像は白い光を帯び、それを緩やかに吸収し終えた。
「美しい光ですね。今までの聖女様とはどことなく違うような……」
「そ、そ、そうでしょうか?」
「えぇ、より清廉で美しく、力強い。本来のお力を取り戻されているようです。安心しました」
「は、あ、そ、そうですわね!」
焦る聖女役に首を傾げ、聖職者はチラリと緑の国の王子であるアリストを見上げた。
彼は視線を受け取らず、ふっとシニカルな笑みを浮かべた。
「聖女様に問題はないな。……ところで、『花畑』はここにもあるんだろ?」
「は、はい」
「聖女様にそれを見せないのか?」
「……それ、は……」
眉根を寄せた聖職者は視線を泳がせて、額に汗を滲ませる。彼の髪はアリストと同じく緑色。国の出自は明らかだ。どの国でもそれぞれの担当国出身者が聖堂の責任者をしているらしい。
「しかし、今はあの花が咲いています」
「だからだ。……リュイ、そいつを捕縛してくれ」
「わかりました」
「えっ!?」
アイリスが驚きの声を上げると同時に聖職者を羽交締めにしたリュイ。悲鳴を上げられ、他の聖職者が走ってやってくる。
「な、な、何をしてるんですの!?」
「カイ、テオ、あとは頼むぜ」
「……ちゃんと後で説明してよね」
「アリこそ、アイリスを頼むぞ」
「あぁ」
「……え?――きゃあっ!」
カイ、テオーリアがわらわらと集まる聖職者たちを抑え、アリストはアイリスを抱え上げた。
「アリ!あなた、一体なにを!?」
「静かに。月の夜に咲く花は、音に敏感だ」
「……それは、どう言う……」
首を傾げる彼女に歪んだ笑みを浮かべ、彼は聖堂の脇から奥に進む。翡翠の瞳には炎のように燃え盛る怒りが浮かんでいる。
大股で歩き、やがて辿り着いた先にはガラスで覆われた温室がある。月の明かりに怪しく照らされたそこは、ほのかに金色の光を湛えていた。
「アイリスはもしかしたら知ってるかもしれんな。
「なっ!?」
「やはり知っていたか。かなり貴重な薬草で、月の晩にしか花開かない。
そして、たっぷり二週間月光を浴びた花は枯れて、タネをつける」
「で、ですがその薬草はどの国でも発見困難なはずですわ。青の国でも多額の対価を支払わないと手に入りません」
「あぁ、そうだ。だが……その産出国が緑の国だと言ったら?」
「―――!!」
驚愕のあまり固まってしまったアイリスをよそに、アリストは畑の真ん前にあぐらをかいて座り込み、じっと
この花は、万能薬だ。テオが見つけたテティスの薬草も効能が強いが、毒成分が多い。だが、これは違う。
副作用がほとんどなく、葉も茎も根も、花も薬効があり加工せず食せる。
戦争の時に使われる高級な回復薬は、これがなければ作れない。その確かな効能ゆえに、庶民が一生働いても手に入らない植物のはずだった。
それが、今目の前の畑一面に花を咲かせている。
アイリスは月下に花開く繊細な白い花を見つめ、そっと手を伸ばした。
爪先が花弁に触れると、柔らかな光が雫となって指先に宿る。花の美しさに微笑んだアイリスもまた、白い髪に月光をはらんでいた。
「美しいですね……」
「そうだな」
「薄い花びらに月の光が宿って、神々しいですわ」
「あぁ」
微笑みを浮かべたまま無邪気に振り向いた彼女は、まさしく神々しい。アリストはその姿に息を呑み、心臓の早鐘を聞いた。
「さて、では私にこれを見せたわけを教えてください。この花がこうして栽培できる、というのは国家機密とも言えますから」
「あぁ、貴重な月下美人の種の出どころ、生育方法が広まれば幻の薬草とは言えなくなる。
緑の国の財政を支えてるのは、これだ」
「そうでしたの……」
「アイリス、緑の国は
どんなに苦しもうとこれだけが治せる病だった場合、打つ手もなく死ぬ奴がほとんどだよな」
「はい」
「……とある闇組織がこれを知り、流通を増やしてはいる。だが、相変わらず希少だ。金がある奴が薬草を蓄え、少しずつしか放出しないからってのが理由だ」
「はい」
「以前より高値に設定して、闇組織から買った薬草を転売をする奴も現れた。そのせいで市場価格は上がり、供給がより一層絞られた。戦の時は、相当の値段で売れる」
「そうでしょうね。私も目にしたのは初めてですわ。戦争だけではなく、万病に効くなら聖女様は必要なくなります」
――アイリスは、知っている。その薬草を流そうとした闇組織は目の前にいる彼が作ったものだと。アリストは万病に効く薬草を国が独占していると知り、激昂した。
民草を心から思い、大切にしていたからこその怒りだった。
それを明かしてくれるつもりはないらしく、こうして情報だけを与えた理由はわからなかったが……緑の国の王子は今も『人のため』に戦っているのだと知れた。
貴賤の価値に囚われず『誰かの苦しみを癒やしたい』と言う意思だけで動くアリスト。逞しい腕は緊張して筋肉が硬くなっていたが、抱かれた彼女は温もりを感じている。
厳しい顔も、どこか優しい雰囲気なのは彼の心根が現れているからだ。
「アリは闇組織のボスをご存知ですの?」
「……」
「でなければ内情は知る由もありませんわ。ならば、ボスにこうお伝えください」
ゴクリ、と生唾を飲んで彼はアイリスを見つめる。この答えいかんでは、彼女を殺す必要が出てくる。幻の薬草の実態を知ってしまった以上は、そうするしかない。
「――私も組織に入れてください、と」
「………………」
呆然と口を開いたアリストを眺め、アイリスは笑んだ。月下美人の甘い香りが涼やかに漂い、二人を包み込む。
花弁の先端が尖り、葉には棘がある薬草は手を伸ばしにくい見た目だが、その身には誰も彼もを癒す優しさを持っている。
まるで、アリストのようだとアイリスは思う。
一国の王子に生まれながら、他国へ出向した聖職者までもが彼の顔を知っている。城の中に篭らず城下に出て……闇組織まで作って人のために働いていた。
物心ついた時からアリストは『人のために』と動いていたのだ。
「結果を焦ってはいけません。このように貴重な薬草を表立って広めてごらんなさい、戦争が起こります。時間をかけて流通させるしかありませんわ」
「だが、市場は、」
「一部の富豪がさらに富を得るのは一時的なものですわ。需要と供給のバランスが崩れれば腐った富も崩れます」
「じゃあ……どうやって流布すればいいんだ。良かれと思って流したはずが市場を荒らし、価格が上がって手に入れられない人が増えてしまった。
闇組織がやったことは無駄だったんだ」
苦々しげに言葉を吐くアリストは、うまくいかない流通にほとほと困り果てていたのだろう。
緑の国は遺跡が多く、残された物から得た貴重な技術を持つと言う。月下美人だけではなく他のオーパーツがあるのかも知れない。
それを独占し、他に出さず金儲けをしていた歴代。だが、次世代の王はきっと民のためにそれを広めるだろう。
前例のない貴重なものは、突然放出してしまえば様々なものが崩壊する。
秘密裏に流布を進め、いつのまにか定着させてしまう他ないのだ。緑の国は、その間の時間で他の財源を見つければいい。そもそも一つの財源に依存するのは大変危険なことだろう。
「そうねぇ、輸送中に、どこかに種が落ちてしまうかもしれませんわねぇ」
「……は?」
「そして、それが花咲かせて身を結べば新たな株が育ちます」
「月下美人は、育て方にクセがある」
「この様子ですと、水捌けの良い土が必要ですわね。葉に水分が多いから強い日差しは避けるべきですし、花弁の様子ですと寒さには弱いのではなくて?」
「あぁ、土が乾き切ってからたっぷりの水をやればいいが、やりすぎると腐るぜ。日差しは好きだが、強すぎては焼ける。室外の越冬は無理だ」
「それがねぇ、アリスト。
「……まぁ、そうかもしれん。見つけたのは遺跡の森の中だ。霜が降りなければ生き延びるかもしれない」
「霜が降りても森の中なら
「ふむ……だが、森に生やすなら管理をするのが辛くなる。野獣が活発化する、夜にしか収穫できないからな」
「ふふ、月の光を吸収するのは別として、昼に咲くこともあるのよ」
「!?」
アイリスは花を突きながら、大切に大切に育てられた温室育ちの
(私、知ってるの。あなたが頑丈なサボテン科だって事を。
私が良く行っていた定食屋さんの軒先で、一年中外に出されててもピンピンしてた。ランチを食べに行った時、太陽の下で元気にお花を咲かせていたわ)
生まれ変わったばかりの頃、戸惑っていた自分もいつしか人魚の生活に慣れた。海から上がって二本足で生きることも……経験があるとは言え、あっという間に違和感がなくなった。カイもそうだ。
命と言うものは、環境に左右される。箱庭で育てばそこから出られないと思われがちだが、案外溢れたタネから芽を出した植物は強かに生きるものだ。
人も、植物も生きることには貪欲だから。
「はっ!お前、まさかそれを夢で見たのか?現実じゃないんだろ?」
「………そ、そうね。その子は太陽の中、一年中外に出されてても花を咲かせていたわ」
「流石に嘘だろ?」
「人が予想もつかないことって、世の中にたくさんありますわ。植物は話せないから、色んな秘密を持っていると思います。それに、私が嘘をついたことがありましたか?」
「いや、しかし……そんな話は聞いたことがない」
「そこいらに種を放って、試した人がいるのですか?」
「…………いない」
「そうよね、とっても貴重なんですもの。でも、やってみなければわからないわ。私はこの目で陽に向かうその姿を見たのよ」
「…………」
沈黙したアリストはやがて何度か頷いた。頭の回転が速く、物事を判断する上で既知を優先させない彼はとても柔軟だ。黒の国にいる期間は城でも育ててみれば、間近で研究ができる。
これがうまくいけば、アリストの国にも聖女は必要ないだろう。緑の国が抱えた危機は、経済崩壊だ。
「まずは商業ルートの拠点に植えてみて……そのまま根付くようなら、」
「ええ、そうね。苦労して流通させるまでもない。ある日突然、知識のある旅商人が『こんなところに
「…………は、は……」
額を大きな手で抑え、アリストは裏組織の商業ルートを思い浮かべた。
森など腐るほど五公国にあるし、自国でもまだ未踏の遺跡は多い。国外では少量ずつ試し、国内では大量に種をばら撒いて森中に生やして仕舞えばいい。
「私、月下美人のお花畑って素敵だと思うわ。香りも好きだし、月下に輝く白いお花で埋め尽くされた森はさぞ美しいことでしょう」
「そうだな」
「見てみたいわねぇ」
「…………あぁ」
アリストは瞼を閉じて、その様子を思い浮かべる。
――物心ついた時から頭を悩ませていた、幻の薬草。効能がわかっていながら手を差し伸べられなかった人たちの顔が浮かぶ。
助けられる手立てを持っていながら、無尽蔵に施せないやるせなさは……なによりも堪え難かった。
月下美人を直で売るなどできるはずもなく、仕方なく薬剤として精製した。その回復薬を安値で売れば偽物を扱う悪徳商人だと疑われ、吊し上げられるのはもう飽きた。
勝手に釣り上がった相場のせいで、裏組織の金は余るほどある。このままでは組織も国もそれに依存して、正しい商売ができなくなり、腐ってしまうだろう。
根幹から解決するには月下美人を手放さなければならなかった。だが、その解決策は見つからなかった。
それが、こんな簡単に。アイリスのたった一言で糸口が見つかるとは。
彼の20年以上を覆した聖女役の彼女は、茫然とする彼を見て真剣な眼差しに戻った。
「アリ、安心するのは早いですわ。まだ解決はしていません。散々研究しなければならないのですから、気を抜かずに裏商売をなさってくださいまし。お金がなければ花咲か爺さんにはなれません」
「……あぁ」
「それで、私にもお手伝いさせてくださいますか?ボス」
アリストは瞼を開き、腕の中の人魚を見つめた。聞いたことのない不思議な言葉を吐いたその人は、真剣なままだ。
月下美人のように清らかな白に包まれた、深い青の瞳。
そこに、口端をあげて少年のように瞳を輝かせたアリストが居た。
「よろしく頼む。……俺がボスだって言った記憶はないがな」
「まぁ!まだ誤魔化すのですか?白状しているようなものでしょう、今のお話で勘付かないなら飛んだボンクラ……おほん。おっちょこちょいですわ」
二人は小さく笑い、アリストが彼女の頬を撫でる。ひどく温かく、柔らかいそこにはエクボが浮かぶ。
――いつか、助けられなかった同じ笑顔の印を持った少女の姿が重なる。
縁もゆかりもない人間の死を目の当たりにし、心がいつまでもそこに囚われていたが……ようやく解き放たれた気がした。
「働くのなら、給料が必要だな。何が欲しい?」
「お金じゃないものを下さいな」
「さっき言った、花畑でいいか?」
「とっても素敵な提案ですわね!それから……緑の国の遺跡を見てまわりたいです。私考古学に興味がございますの」
「じゃあ、国一番のガイドをつけてやろう」
「国一番!……どなたですか?考古学専門のお友達でもいらっしゃるの?」
「いや、生まれ育ってから遺跡ばっかり巡ってた奴がいるんだ。生まれに反発して、何もかもを恨んでいた奴がな」
首を傾げたアイリスに目を細め、アリストは夜であることに感謝した。自分の頬は、未だかつてないほどに緩んで熱を放っていたから。
笑みを噛み締め、唇を開く。彼は今、桃色吐息の意味を初めて知った。
「ツアーガイドは、俺だ」
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