5-7 夜を越えて
「入るぞ」
村長宅のドアを開け、二人の黒づくめの男が会議の場につく。
村人達は背丈も大きく筋骨隆々とした二人に怯え、小さく悲鳴をあげた。
それもそのはず、彼らはあからさまな怒りを目に宿し、鋭い目つきでこの場にいる人々を威嚇していたからだ。
(最初からこうしておけば良かったのかもしれないな)
アステルはチラリとその場に集まった村人を一瞥し、上座に腰を下ろした。
「さて、話は進んだか?村の改善策をまとめた書類は?」
「こ、こちらに……先ほど話し合ったばかりなのでメモ書きですが」
「構わん。見せてくれ」
村長の横に居た女性が書類を渡し、アステルとテオーリアはざっと目を通して大仰にため息をついた。
ピリリと広がる緊張感は、アステルの狙い通りだったが、為された会議は無駄としか思えなかった。
「まず数字の話からだ。鉱石産出量が今までと比べて大して減っていない。……改善する気はないのか?」
「お、お言葉ですが、村内の水道整備を行った際に借金をしております……今後働き手がアイリス様のように倒れるかもしれませんから、今のうちに量を増やすべきではとの意見もあります」
「源泉を口にしなければああはならん。我々人間は人魚とは違うらしいからな。
彼女の水に対する影響力は、人間の千倍だと言っていた」
「…………は、はぁ」
アステルは眉間を揉み、言葉の意味がそのまま通じないと感じた。『人間が何十年もかけて背負う苦痛』を、今彼女が感じているのだと暗に言ったつもりだったが、無駄だったようだ。
テオーリアに目線を向け、次の話題にうつるよう促した。
彼は頷き、毒を排出する役割を持つ薬草をテーブルの上に並べて行く。
「これは、体内の毒を排出する薬草だ。アイリスの症状は村民が老齢になり、体が弱った時に出るものと同じ。
薬草を煎じて常用すれば、今よりも確実に寿命は伸びるだろう」
「そ、その草が山の病の発症を遅らせるのですか!?」
「あぁ、今症状が出始めている者にも効果がある」
村人たちは薬草に群がり、それがこの一帯を埋め尽くすほどに生えた草だとわかったようだ。
彼らの知識は正確ではなく、腹を下す草としか認識していなかったから、見逃していたのだろう。
そして、これが全てを打破する金の草と知った彼らは、テオーリアを見上げて歪な笑みを浮かべた。
「で、ではこれを飲めば産出量を減らさずに済むのではありませんか!?
石から出る呪いの光も、蓄積する毒もこれでどうにか……」
「それは、無理だ」
ピシャリと言い切ったテオーリアは椅子から立ち上がり、腕を組む。浮き足だった村民たちは眉を顰めて様子を窺っていた。
「薬には副作用が伴う。過剰な摂取は身を滅ぼすぞ」
「副作用、ですか?」
「この薬草は毒を浄化するが、その代償に体内の水分を大量に奪う。意味はわかるな」
「毒を排泄するという事ですよね?これは腹を下す草ですし」
「そうだ。摂取後に起こる症状は下痢や嘔吐。体内の水分を多量に排出すれば、人が死に至るのは知っているだろう。
あまり知られていない薬草だから獣が主に食すが、何百キロのクマでも摂取量は厳守している」
テオーリアの説明を聞いて項垂れた村人は、頭を抱えた。
薬というものは得てしてそういうものだ。人間の都合がいいように物事は進まない。それが自然の摂理であり、理なのだ。
「神々が与えたもうた
誰かを苦しめ、犠牲にして大勢を幸せにするように世の中はできていない」
「我々は誰かを苦しめてなど、」
「……アナスタシアの事は?彼女のためを思ってこの数字にしたのか。
ここにいる大人たちは目先の利益だけを求め、彼女を犠牲にし続けるつもりだろう」
「テオーリアの言う通りだ。アナスタシアの神聖力は小さな体に秘められている。力は大人になれば大きくなると言うものではなく、使うのが上手くなるだけでその反動は変わらない」
「聖女様とて神聖力をお使いになる際、辛い反動がある。ましてやアナスタシアのように小さなままで、成長期に満足な栄養が与えられなかった体では……薬草の乱用は命を縮めるばかりだ」
テオーリアとアステルの話に返す言葉もなく、村人たちはただ項垂れた。鉱石産出の計算をしなおせば、村が今まで通り細々と暮らせる。それだけでなく、子供達を山の精霊へ捧げる必要もなくなるはずだ。
村の修繕は、すでに大方終えている。借金があると言うならばそれを粛々と返していくだけで良いはずが、一体何を欲しがってアナスタシアを犠牲にしようとするのだろうか。
「…………みんな、大金持ちになれると言っていたのに」
ぽつり、と呟きを漏らしたのはメモを渡した気弱そうな女性だった。彼女は質素な服を着ているが、不釣り合いな金の輪を嵌めていた。
「旅団の人たちは、ここが首都になるのではないかと言っていたんです。
石畳を敷き、煉瓦造りの頑丈な家に住み、暖かな暖炉に薪を惜しみなくくべて……朝、昼、夜と肉を食べられるって」
「貧しい暮らしに疲れました。パン一つ買う金もなく、夜が明けるのが怖かった。1日が終われば次の日をどうするか、考えなければならないのです」
「アナスタシアを苦しめても、今が良ければ……いえ、今のことしか考えられなかった。貧乏だったから」
少しずつ語り出した村人の言葉は懺悔のようで、恨み言のようで。どこか、人任せだ。
貧困に喘いでいる民衆はこの村だけではなく黒の国全体に存在する。そして、待ち望まれた聖女の『力が弱い』と聞いて失望した事も、大きな要因だろう。
貧しさに疲れた人々は、誰かに依存しなければ立てなかった。この村の人々はアナスタシアを犠牲にすれば楽が出来ると覚えてしまったから、自ら立ち上がる力を手放したのだ。
「聖女様は、市井で育たれて王城に召された。だが、そこでも確固たる教育を受けずにいたのだ。しかし……今は違う」
両手を握りしめたテオーリアは、胸の内に広がる暖かな気持ちを解き放つ。それは、月の光る夜にアイリスがくれたものだ。
「アイリスは、星隔帯研究員を連れてきた。城の中で抑えつけられていた聖女様を解き放った。そして、この村でもお前たちのために噴水の水を飲んだ」
「…………」
「彼女は隊長が仰った通り、人魚だ。青の国からやってきて、黒の国のために働いている。
今日一晩、彼女は解毒のために眠れない。薬草の過剰摂取をしなければならないから、薬湯を飲んでは吐いての繰り返しだ」
「そんな……夜中眠れないのですか?」
「あぁ、眠って仕舞えば彼女は助からない。一晩で済めば良いが、もしかしたら二日、三日とかかる可能性もある。
腹を下したことがあるなら、わかるだろう?その辛さが。彼女は赤の他人のために、自ら苦しむことを選んだ」
「アイリス様が、私たちのために?」
「そうだ。お前たちのために、アナスタシアのためにそう決めた」
呆然としたままの村人たちは瞬き、やがて自分達で書いたメモを読み返し始めた。
テオーリアは微笑みを浮かべ、椅子に腰掛ける。
「私自身、自然のもたらす厄災についての知識は豊富だ。定期的に薬湯を作るから、その間手が空く。……今夜一晩、話し合ってみないか。この村の未来について」
━━━━━━
「けほっ……申し訳ございません、お気持ちだけいただきますわ」
「そんな……」
「私たちではお役に立てませんか?」
「ううん、お申し出はとても嬉しいの。でも、私は私の力でこの夜を越えたいのです。水を飲んだのは私自身なのですから」
「あの、アイリス様が私たちの目を覚ますためにそうして下さったのはわかっています」
「私たちがお世話にしたら、眠れますよ。少しでもお休みになられませんか?」
「この村に来たばかりのあなたに苦しい思いをさせて、申し訳ないのです」
アギアが宿舎としている場所に、複数人の村人がいる。
会議の後、アイリスの世話をしたいと申し出る者がいた。
アギアの中に女性は彼女一人だけ。排泄と嘔吐を繰り返すのならば『女手が必要だろう』と言ってくれたのだ。
何度目かの薬湯を届けにきたテオーリアはドアの傍に立ち、様子を見ることにした。
カイに支えられたまま、血色のないアイリスは優しい微笑みを浮かべる。わずかな明かりも彼女の集中力の妨げになるからと室内は暗く、月明かりだけが彼女の姿を浮かび上がらせていた。
白銀に輝く髪は彼女が傾ぐたびに抜けて、落ちて行く。
それなのに、美しいままのアイリスは月光を纏って女神のようだった。
「私が決めたことです、私が責任を取るのが当たり前ですわ。
あなたたちには村のことを、自分の事を考えて欲しい」
「……アイリス様……」
「私が投げた石は、心に波を立たせたでしょう?そうなったのは、優しい心があるからです。暖かな心を持つあなたたちは、きっとこの村を平和に保てるわ。
今までだってずっとそうしてきたんですもの」
「は、はい……」
「きっと分かってくださると思っていたから、水を飲みました。……村の女性達は、あの子を可愛がってくれているでしょう?
アナスタシアの笑顔は、皆さんの優しさによって生まれた物なのよ」
「…………っ、」
「たくさんの可哀想な子達を犠牲にした過去があるならば……今を生きるアナスタシアを大切にして欲しかった。優しいみんなが胸に抱えた『重たいもの』を、あの子がきっと綺麗にしてくれるから」
女たちの啜り泣く声と共に、アイリスが嘔吐を繰り返す音が聞こえる。気丈にふるまった彼女は今、満身創痍のはずだ。
部屋から出てきた複数人は、涙を拭きながら胸を張って瞳を輝かせていた。
「私たちが男どもの目を覚ますのよ!」「アイリス様の期待に応えるの!」と口々につぶやいて。……この分なら、解決策はきっと朝までに捻り出せるだろう。
テオーリアはドアをノックし、薬湯を抱えて部屋に入った。
「アイリス、次の薬湯だ。…………カイ、私が代わろう」
「チッ、テオは察しが良すぎるよ。一瞬だけ頼むね」
「あぁ」
カイはテオーリアと入れかわり、駆け出して行く。目を丸くしたアイリスはがっしりとした手に支えられて、さらに目を大きく開けた。
「カイは……もしや、おトイレを我慢してましたか?」
「そのようだな」
「言ってくださればよかったのに……あ、お手伝いを断ってしまったからかしら」
「それも、そうだな。もう一つ……何に驚いた?」
「…………」
背中を支え、薬湯をスプーンで掬って差し出すと、アイリスが口をつける。それを繰り返して行くうちに彼女は頬を赤く染めた。
「テオは、結構筋肉質ですわね」
「鍛えているからな」
「私だって鍛えているのに……ちっとも腕が太くならないの。どうやったらそんな風になるか、教えてください。ムキムキマッチョになりたいんです」
「ムキ……また不思議な言葉を言うのだな。でも、ダメだ。まずは体調が戻ってからだろう」
「…………はい」
アイリスが素直に薬湯を飲み進めることに、テオは不思議な心持ちになる。
これを飲めば解毒はできるが、その後の症状で苦しむと分かっているはずだ。
無理矢理にでも飲ませなければと思っていたが、消耗していても彼女は決して拒否しない。
(……先ほど言っていた言葉が全てなのだろう。彼女は人を助けるために自分を犠牲にしても、誰かのせいにはしない。
アイリスの姿を見て、村人たちは心を打たれた。きっと、変わってくれる。)
「……あなたが犠牲になることは、あまり好ましくない。騎士になると誓ったのに、私は守れなかった」
「まだ、正式な騎士ではありませんからね」
「そうだったな。だが、城に戻ればあなたの騎士として配属してくださるそうだ。カイだけでは心許ないと隊長が仰った」
「まぁ……私がとんだお転婆娘のような扱いですわ」
「間違い無いと思うが」
「むむ……否定はできませんわね。お腹を壊すのが、ここまで辛いとは思わなかったの。ちょっと、へこたれそうよ」
「そうか……」
力無く微笑む彼女の頬を撫でて、テオーリアは目頭が熱くなる。
この人は、女神なんかじゃ無い。一人の少女なのだ。
それでも精一杯背伸びして、誰かを助けようとしている。
赤の国にいた頃『重圧』だっただけの尊い意志が、目の前に形作られている。
そして、それを目の当たりにした自分が『アイリスのようにありたい』と素直に思えた事が彼にとって嬉しい事だった。
「テオ、城に帰ったらあなたの国の災害記録をきちんと見直しましょう。お仕事の後ならお話しできるし、対策を沢山立てましょうね」
「是非にと頼みたいが、これも全快してからにしてくれ。それに、まだこの村の問題も解決したわけでは無い」
「そうね……でも、女性達は味方について下さったわ。こわ〜いお顔でアステル様とテオが会議に行ったと聞いて、どうしようかと思っていたのに」
「……男達を黙らせるには仕方ない事だ」
「そうね、時にはそうすることも必要でしょう。でも、もうこれ以上は手出しをしなくていいのよ」
飲み終わった薬湯の腕をサイドテーブルに置き、テオーリアはアイリスの手をさする。度重なる排出は体の温度を下げて、すっかり冷たくなっていた。
「心配なのもあるが、私の国でもきっと同じような会議が開かれる。
国財を投資してまで、事前に災害対策を行おうとするなら、今回の件は参考になるだろう」
「それなら静観して欲しいわ。これは、村の人々が立ち上がるための戦いなのですから」
自分の吐き出した言葉にうん、と頷いたアイリスは瞳を閉じる。わずかに震えたまつ毛は、彼女の限界を示している。
だが、再びその瞼は開かれた。
「弓は、矢を『放つ』と言うでしょう?」
「あぁ、打つのではなく……」
テオはそこで、アイリスの言いたい事を理解した。彼女はあらゆる武器を使いこなす人だと思っていたが、弓引きに関しても極致に達しているようだ。
「そうよ、テオ。時が満ち、場が整った時に矢は放たれる。
弓を使う人は、全てを揃えたら自分を信じて力を解き放つの」
「そうだな。我々が用意できるものは、全て整ったと言うことか」
「えぇ。だから、喧嘩になりそうなら止めて差し上げるくらいにしてね。
あなたの、その声が神聖力の新しい使い道ですから」
「私の声が……?」
静かに頷いたアイリスはこほん、と一息ついて……歌い出した。
高く、低く、押し寄せる波のように揺れる旋律は、星々のきらめきを音に変えたかのようだ。その歌は耳で聞くものではなく、胸の奥で脈を打たせ、冷え切った身体を静かに温めていく。
自己治癒力の発動を初めて目の当たりにしたテオーリアは、自分の胸までが高まるのを感じていた。
「こんなふうにして、あなたが心を込めて言葉を紡げば人の心を揺らせるわ。会議でもきっと、たくさん喋ったのでしょう?」
「確かにそうだが」
「女性達は決心すれば動くのは早いけれど、そこに至るまでには時間が足らなすぎるの。でも、あなたが人の心を動かしたのよ」
「弁舌の巧さではなく?」
「テオはおしゃべりが上手ではないと思います。言葉が足りないもの」
アイリスの指摘に苦い思いをしつつ、テオはその手応えを感じていた。胸の中から溢れるものをそのまま言葉にした時、確かに異様なほど食い付かれてはいたのだ。主に、女性にだったが。
ふと、アイリスを眺めて不埒な考えが浮かびそうになり、テオーリアは場を濁す事にした。
「さっきの歌は、私の声と同じものか?」
「いいえ、少し違うわ。……あと一回歌えばなんとかなりそう」
「それは良い事だ。アイリスの歌は、とても美しかった」
「ふふっ、そうでしょう?人魚に伝わる秘密の歌よ。そばにいるあなたにもきっと、届くと思うの」
「あぁ、胸の中に染み入るようだった。もう一度聞きたい」
「いいけれど、内緒ね。これはあまり人に聞かせてはいけないの」
「わかった」
不思議な旋律に呼応して、ほのかに部屋の中に灯りが灯る。ほの白い光の中で寄り添っている二人は幸せそうに微笑んでいた。
ドアの向こうでは、カイがしかめ面をしている。その脇で彼を掴んで離すまいとしているアステルは、さらに険しい表情だ。
(この光は、パナシアの神聖力と同じでは無いのか。
この世で唯一無二の筈の光がここにある。――まさか、アイリスは……)
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