5-4 精霊嫁
「太陽からエネルギーを得て、動力源にする……か。なるほど、それを作るために森林伐採を行なったのか」
「はい。数年前に訪れた旅人一座が『広い土地を余らせておくのはもったいない』と言いまして」
「なるほど、国に許可を得ず開拓を行なったのだな」
「あ……も、申し訳ありません。村は何か罪に問われるのでしょうか?」
「調査次第だ。私はその権限はない」
「……は、はい」
村の広場に程近い聖堂は、壁には窓がない。天井に一つ天窓があり、そこからの光以外に照明はなく薄暗い室内だ。
一面に敷かれた柔らかな絨毯の上に一堂が集い、聖女の銅像の前に座っていた。
立ち上がって手を前に組み、一人の老爺が冷や汗をかきながら説明を終えたところだ。水源地としての指定がある以上、本来は国の管理下に置かれる。税金の優遇をうける代わりに監視員を置き、国の指示で勝手に環境を変えることはできない筈だが、そもそも監視員が置かれてはいなかった。
曰く、〝太陽の光〟を取り込み〝エネルギー〟に変換する装置を持ち込んだ旅団が現れ、土地を拓けば金になると説いたらしい。
だが、その装置を設置するには広大な土地を切り拓かねばならない。山の斜面に設置するため木を切ったが……
「森の木々は土砂災害を防ぎ、水と空気の浄化を行うものです。無くしてはならないものですわ」
「は、その通りです……。浅慮なことをしました。エネルギー変換の装置は劣化が早く、雨風の中一年も保たず故障しまして」
「なるほど。これは太陽光パネルですわね」
「え?ぱね……なんでしょう?」
「いえ、こちらの話ですわ。それで、解決はどのようになさいましたの?私どもが見る限りでは、切り拓かれた土地は見えませんでしたが」
老爺はアイリスの問いにようやく笑顔を浮かべた。アナスタシアは元々木々と語らえる子で、木の苗に触れれば瞬く間に育つという説明をしている。
「アナスタシアが持っているのは、成長促進の神聖力だな」
「はい、失われた森林を復活させて元に戻したと言うことですわね。確かに水源も元に戻るかもしれませんが……」
「あぁ、すぐに元に戻るわけがない。現地を調べる必要がありそうだ」
アステルとアイリスの会話を、怪訝な表情で聞いていた老爺はついに首を傾げた。
「あの子の神聖力は聖女様と同じようなものでしょう?木々を復活させて、水を清めたのは確かです」
「アナスタシアを聖女だと言いだしたのは誰だ?」
「旅団から派遣された人です。その方は最近になって来なくなりましたが、アナスタシアのような『聖女』は黒の国に
話を聞いたアステルはやや険しい表情を浮かべたが、笑顔のままのアイリスが彼の肩をそっと抑えた。
そう、まだ真相がはっきりするまでは村の人間を敵にするべきではない。水源地に案内できるのは、土地の人間だけだ。
「アナスタシアのご両親はどちらに?どのような幼少期を過ごされたのか、お聞きできますか?」
「あぁ、両親は少し前に山の病気で亡くなりまして、今は村の娘となっています。あの子は小さな頃から森に生き、獣たちと育ちましてな」
「獣と共に育った、とは?」
「村はこのように自然の深い場所にありますから、裕福な暮らしはできません。物を運ぶにも金がかかります」
「そうですわね、ここまで何かを運ぶのには苦労がいるでしょう」
「はい、ですから多すぎる生まれは山の精霊様に嫁として捧げるのです。『
老爺が放った屈託ない笑顔の一言に、アギアの面々は凍りつく。
交通の便が悪いならば、物資の運搬には多大な費用がかかる。テティスは自然に依存する産業が多く、天候に経済が大きく左右される。
村の子供は、黒の国の中心地からやってきた者から見たらかなり少数だ。老人は多いが、若者が少ない。
働き手が欲しいから子を増やす。だが天災があれば幼子は淘汰される――つまり殺されるのだ。
あまりに悲惨な事実をカップの水と共に飲み干したアイリスは、震えを隠すように背筋を伸ばした。
「
「いえ、最近鉱物の発見がありましてな。太陽を売るには失敗しましたが、土地を拓いたら出たのです」
「……そう、その鉱物産出が経済を回したのですね。そして村は豊かになった」
「えぇ、えぇ。山を開いて鉱物をとってもアナスタシアが元に戻してくれますから。尽きぬ富が湧くようなものです」
気分を良くした老爺は自慢話を始めた。アナスタシアは精霊嫁を経たからこそ得た聖女だ、と。
黙り込んだアギアの顔色は一切見えていないようで、それは夕暮れまで続き……やがて外からの知らせで一行は夕食に呼ばれ、ようやく解放された。
「精霊嫁のおかげではなく、アナスタシアの神聖力によってこの村は発展したようですわね」
「あぁ、ここまで深い因習があるとは思っていなかったな。明日の朝水源を確認しなければ安心はできないが……実に衝撃的文化だ」
「文化、と一言で片付けるのは気が滅入りますわね……」
アステルとアイリスの言葉にテオーリアが立ち上がる。こめかみには血管がうき、青筋を立てた彼は怒りに震えていた。
「この村の大人たちは子供を捨てておいて利用価値があると知り、搾取している。旅団の怪しい話に乗ったのもおかしいが、命を左右しておいてそれを誇らしげに語るとは!」
「テオ……」
「アイリスはあの少女の愛らしさを知って、なぜ冷静でいられる?あの体の小ささは、年齢相応ではない。
あの子はもう十歳だと言っていた。それが、あんなにも小さく言葉も幼女のままだった」
「そうね。教育も受けず、ご飯もまともに食べられたとは言えないから、体も育たなかったのでしょう。
三、四歳程度にしか見えなかったわ」
「ならば、正式に罰するべきではないのか?これは犯罪ではないのか!」
興奮するテオを抑えたカイはゆるゆると首を振り、彼を座らせる。
重厚な絨毯が体を沈ませ、その重みが心まで沈めるようだった。
「犯罪にはならないよ、テオ。この土地にはこの土地の流儀がある」
「子供を殺すのが流儀か」
「うん、そうだ。でなければ村が滅びてしまう」
「子供の命を犠牲にしてまでやらねばならないのか?そもそも子供を産まなければこんな悲劇は起こらなかったのではないか」
「……テオは、恵まれてる。生きるか死ぬかの選択肢が当たり前じゃないところに生まれたんだ。
生きていくために『この村はこの村のやり方』をしているだけだよ」
「それが正しいと!?」
「テオ、誰かを犠牲に得られる幸せなんて正しいわけがありませんわ。でも……」
アイリスは銀のカップを持ち上げ、中に入った水の揺らぎを眺める。
彼女は前世で戦争を経験している。長く生きて世の理を知っていたし、アステルとパナシアもまた、城に上がる前から貧しさの現実を知っていた。
人がいれば物資は減るが、いなければ増えないものだ。
貧困に喘ぐ者たちは皆、その仕組みに悩まされながら予期せぬ生死を繰り返さなければならない。明日を生きるのにも苦労していた過去は三人にとってもよく知ったものだった。
「戦禍の中でも同じですわね、人の命のやり取りをします」
「それは、この村とは違うのではないか」
「同じことなのよ、テオ。これは生きるための戦であり、その責任を負うのは本来国であるべきだけれど……その能力が黒の国にはございません」
「…………」
「この村を罰しても、子供たちの行き場はないのではなくて?都市の擁護院はすでに溢れていたのを道中で見て参りました」
沈黙のまま頷いたテオは、テティスまでの旅中、目にした子供たちを思い出していた。
親を失い、誰の庇護もなく痩せ細った子らの瞳には光がなかった。アギアのパンを分けても数が多すぎて、到底足りるはずもない。
「情勢が好転したのなら、その成長を見守るのが最善です。そして、私たちが本来すべきことは?国民半分の命を握った水源の安全確保ではありませんか」
「それは、そうだが……しかし、」
「広い視野を持たねばならない、とあなたは教わったはず。
目の前にいる子に手を差し伸べても、後ろに並ぶたくさんの子たちは救えないのです」
「…………」
拳を握り締めたテオーリアは、荒い息を吐きながら部屋を飛び出した。後を追おうとしたアステルを引きとどめ、アイリスは一人で彼の後を追った。
━━━━━━
――火山噴火は灰をもたらし、赤い大地を腐らせる。天の恵みを受け取るならば、災厄もまた受け取らねばならない。
たとえその命が尽きようとも。
たとえ、愛する人を失おうとも。
灰はなんの対価も無しに恵を受け取る人間への呪いであり、罰である。
『何があってもあなただけは白のままでいなさい。黒に染まることもなく、潔白のままで。
自分自身を厳しく律し、悪事に手を染めてはなりません。黒に混じり灰になることも許されません。
白であることこそが、あなたである証なのよ……テオーリア』
川のせせらぎを聴きながら、テオーリアは母の言葉を思い出した。父も母も、物心ついた時には一切の甘えを許さない人だった。
清廉で、潔白であれ。傑物であれ。それがお前の存在理由で、王位継承者たる証だ。
そう、言われて育てられてきた。
だが、彼は貧困を知らない。
「私は箱入り息子だったようだ。隊長も、聖女様も、カイも……まさか、アイリスまで貧困苦を知っているとは思わなかった」
水辺の草木を揺らす風に虫が鳴き、月光は葉の雫を輝かせている。美しい景色の中に人々の陰惨な過去があったとは到底思えないほど、テティスは美しい。
この地は、人が住むにはあまりにも森が深すぎる。だが、テティスがなければ国の半分の人間を殺すことになってしまう。
国の理を理解しながらも、アナスタシアの過酷な夜を思えばテオーリアは憤らずにいられなかった。
それを教えた老爺――村長は彼女の苦労を想うことはないだろう。運良く生き残っただけの、少女の孤独など知ることはない。
それが、苦しかったのだ。
重くなった心のうちを吐き出すように息を漏らすと、草を踏む音がする。
神聖力を使って目を凝らすと、闇の中静かに佇む女性の姿があった。
彼女は普段纏めていた髪を解き放ち、月光に白を輝かせている。
「――テオ、お隣は空いておりますか?」
「アイリス……」
「未婚の男女には近すぎる距離かもしれませんが、私たちは同期ですもの。いいわよね?」
「ふ……あぁ、構わない」
苦笑いになったテオーリアの隣に座り、アイリスは言葉を探している。
憤った同期をわざわざ追いかけて、傷つけないように迷うなんて。
姫君は根っからのお人好しのようだ、と……彼はただ静かに彼女の言葉を待つことにした。
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