第26話 目覚めの刻、誓いの神楽

 深い、深い闇の中を、式守伊織の意識は漂っていた。

 肉体という枷を失い、魂だけが、どこまでも沈んでいく。このまま、思考も、記憶も、全てが溶けて無に還るのか。そう諦めかけた、その時。

 遠くから、声が聞こえた。


『プロデューサーさん!』

『伊織、しっかりしろ!』

『伊織お兄ちゃん♪』

『伊織さん……!』

『……プロデューサー』


 五つの、温かい光。それが、闇に沈む彼の魂を繋ぎ止める、唯一の錨だった。伊織は、その光に導かれるように、ゆっくりと、意識を浮上させていった。


「――ん……」


 重い瞼を、こじ開ける。

 最初に目に飛び込んできたのは、涙で潤んだ、大きな琥珀色の瞳だった。

「……天宮、さん?」

 掠れた声で、伊織が呟く。

「プロデューサーさん!」

 ひかりが、子供のように泣きじゃくりながら、彼の胸に飛び込んできた。

「よかった……! 本当によかった……!」

 その声を聞きつけ、凛、蓮、しずく、こだまが、次々と医務室になだれ込んでくる。五人の少女たちが、彼のベッドを取り囲み、安堵と喜びに満ちた、それぞれの言葉をかけていた。


 伊織が目覚めてから、数日が過ぎた。

 魂の燃え滓は、まだ燻っている。だが、彼は、大きな代償と引き換えに、新たな「感覚」を得ていた。

 禁術『神欺』によって、兄・暁人の魂と深く感応したことで、彼の思考の「癖」や、彼が操る禍々しい霊力の「質」のようなものを、肌で感じ取れるようになっていたのだ。それは、次なる戦いにおける、最大の武器になるかもしれない。


 体力が回復するまでの間、伊織は、モニター越しにメンバーたちの自主練習の様子を見守っていた。

 そして、驚愕した。

 彼女たちの動きは、もはや伊織の指示を必要としていなかった。凛が、的確な判断で即座にフォーメーションの変更を指示し、蓮とこだまがそれに瞬時に呼応する。しずくは、全体の動きを予測して、先回りするように防御と支援を行い、そして、ひかりの歌声が、絶対的な太陽として、そのすべてを力強く束ねていた。

 伊織がいなくても、彼女たちは、完璧な神楽を舞っていたのだ。


「どうだ、お前が育てたチームは」

 いつの間にか隣に立っていた響が、どこか誇らしげに言った。

「大したもんだろ?」

「……ええ。本当に」

 伊織は、素直に頷いた。胸に込み上げてくるのは、安堵と、少しの寂しさと、そして、それを遥かに上回る、仲間への誇らしい気持ちだった。

 もう、僕が一方的に導くチームではない。共に戦い、背中を預け合える、本当のパートナーなのだ、と。


 完全に回復した伊織は、神楽隊の全員を、ミーティングルームに集めた。

 彼は、まず、五人の前に立ち、深く、深く、頭を下げた。

「……俺の無茶な作戦のせいで、皆に、大変な心配をかけた。本当に、すまなかった」

 顔を上げた伊織の瞳には、一切の迷いはなかった。彼は、次なる戦いのための、あまりにも危険な作戦を、静かに語り始めた。


「次に兄さんが狙うのは、神楽隊じゃない。この、僕自身だ。おそらく、僕の魂に直接干渉し、内側から破壊しようとしてくるだろう。……その一瞬を、利用する」


 伊織が提案したのは、『神欺』を応用し、彼自身が「最強のおとり」となる作戦だった。

 伊織が、偽りの思考、偽りの弱点を『神欺』によって作り出し、敵の神将の全注意を、自分自身の精神世界へと引きつける。

 その無防備になった隙を、メンバーたちが、伊織の指示なしで、自分たちの判断だけで、一斉に叩く。

 それは、伊織の斎主としての能力、メンバーたちの自立した戦闘能力、そして、互いの魂を預け合えるほどの、絶対的な信頼がなければ、決して成り立たない、究極の連携戦術だった。


「君たちを信じる」

 伊織は、まっすぐに五人を見つめた。

「だから、俺の魂を、君たちに預ける」


 その言葉に、五人は、力強く頷いた。

 その瞳には、覚悟と、そして、プロデューサーへの揺るぎない信頼が宿っていた。


 常闇の神殿。

 式守暁人の前に、一つの影が、静かに跪いていた。

 それは、これまでのどの神将とも違う、実体があるのかどうかさえ分からない、陽炎のような、不気味な存在。


「……鏡(きょう)の影郎(かげろう)よ」

 暁人は、その影に、冷たく命じる。

「お前の出番だ。あの忌々しい弟の魂の内に忍び込み、その精神を、記憶を、存在そのものを、喰らい尽くしてこい」


『御意に』


 影郎と呼ばれた神将が、ゆらりと揺らめき、闇の中へと溶けて消える。

 次なる戦いの舞台は、戦場ではない。

 式守伊織の、心の中。

 最も陰湿で、最も危険な、魂を巡る神楽が、今、静かに始まろうとしていた。

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