第20話 悪夢のあとさき
事件の翌日、神楽坂邸は、まるで嵐が過ぎ去った後のように、静まり返っていた。
世間は、昨夜の「神楽隊ライブ襲撃事件」の話題で持ちきりだった。配信は途中で強制的に遮断されたが、リアルタイムで起こった惨劇は、瞬く間に日本中に拡散された。
ネット上には、憶測やデマも飛び交ったが、それ以上に多かったのは、彼女たちの安否を気遣い、無事を祈る声だった。「#頑張れ神楽隊」「#神楽隊は負けない」といったハッシュタグがトレンドを埋め尽くし、無数の信仰子が、傷ついた少女たちのもとへと集まり始めていた。
それは、彼女たちの戦いが、もはやただのエンターテイメントではないという事実が、世間に認知され始めた瞬間でもあった。
コントロールルームでは、月読奏が厳しい表情で政府関係者との電話会談を行っていた。
「ええ、神将の出現パターンが変化したと見て間違いないでしょう。……はい、物理的な破壊だけでなく、精神汚染を伴う、極めて悪質なタイプ。ですが、わたくしどもは決して屈ししまへん。彼女たちは、この国の最後の砦なのですから」
しかし、その最後の砦である少女たちの心は、深く、静かに傷ついていた。
肉体的な傷は、しずくの治癒能力でほとんど回復していた。だが、夢喰の操が植え付けた悪夢の棘は、そう簡単には抜けなかった。
道場で、凛は一人、木刀を振るっていた。だが、その剣先は迷い、かつての鋭さはない。ふとした瞬間に、足元が底なし沼に変わる、あの忌まわしい幻影が脳裏をよぎるのだ。
蓮は、自室の電気を煌々とつけ、音楽を最大音量で流していた。静寂と暗闇が、あの炎の檻を思い出させて、彼女を苛む。
しずくは、ヘッドフォンで穏やかなヒーリングミュージックを聴いていたが、ふとした物音にビクッと肩を震わせた。仲間を癒せないという、あの不協和音の幻聴が、まだ耳の奥で鳴り響いている。
こだまは、誰かのそばを片時も離れようとしなかった。一人になるのが怖かった。あの、無数の影の手の感触が、まだ肌に残っているようだった。
そして、ひかりは、自室のベッドの上で、膝を抱えていた。
自分の復活ライブが、皆を危険に晒してしまった。あの時、自分がもっと強ければ……。太陽であるはずの彼女の顔から、笑顔は消えていた。
伊織は、そんな彼女たちの様子を見て、自分の無力さを痛感していた。
戦術や知識では、心の傷は癒せない。どうすればいい。プロデューサーとして、自分に何ができる?
彼が一人、廊下で思い悩んでいると、後ろから響に声をかけられた。
「……俺は、どうすればいいんでしょうか」
弱音を吐露する伊織に、響は「正解なんてねえよ」と、いつものようにぶっきらぼうに答えた。
「でもな、一つだけ言えることがある。お前が、あいつらの傍にいてやることだ。プロデューサー様みてえに上から見下ろすんじゃねえ。同じ目線で、一緒に悩んで、一緒に怖がってやれ。……それが、今のお前にできる、唯一の仕事だ」
その言葉に、伊織は覚悟を決めた。
彼は、一番責任を感じているであろう、ひかりの部屋のドアを、そっとノックした。
無理に元気づける言葉は、選ばなかった。ただ、彼女の隣に静かに座ると、ぽつりと、自分の心の内を話し始めた。
「……僕も、怖かった。操が現れた時、頭が真っ白になって、何もできなくなるんじゃないかって。でも、インカムの向こうから、君たちの声が聞こえたから……。だから、最後まで諦めずにいられたんだ。僕の方こそ、君たちに救われた」
彼の、初めて聞く弱音。素直な告白。
ひかりは、驚いて伊織の顔を見た。そして、強張っていた心が、少しだけ、温かく解けていくのを感じた。
その夜、ひかりはリビングに、メンバー全員を集めた。
「みんな、昨日は、すっごく怖かったよね」
ひかりの言葉に、全員がこくりと頷く。
「……私も、怖かった。また、みんなを失うんじゃないかって、本当に怖かった。でもね……」
彼女は、一人一人の顔を見つめる。
「一人じゃなかったから、乗り越えられたんだと思う」
その言葉をきっかけに、少女たちは、堰を切ったように、自分が見た悪夢と、今も胸に突き刺さっている恐怖を、初めて互いに打ち明け始めた。
凛が沼の記憶を語り、蓮が炎の檻を語り、しずくが不協和音を、こだまが孤独の影を、涙ながらに告白した。
互いの弱さを知り、痛みを受け止め、共有する。それは、傷を舐め合う行為ではなかった。バラバラになった心の欠片を、もう一度、みんなで拾い集め、繋ぎ合わせる、神聖な儀式だった。
彼女たちの絆は、悪夢の夜を経て、さらに深く、本物の輝きを放ち始めていた。
「次の敵は、もっと狡猾かもしれない」
涙を拭った凛が、力強い瞳で、宣言した。
「でも、今の私たちなら、きっと、もう負けない」
その言葉に、全員が強く頷く。
傍らで、伊織は、そんな彼女たちの姿を、ただ静かに、そして誇らしげに見守っていた。
悪夢の夜は、明けた。
神話を紡ぐ少女たちの、本当の意味での第二章が、今、始まろうとしていた。
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