第4話 斎主(プロデューサー)の契約
「――お断りします」
静謐な空気を、伊織の硬い声が切り裂いた。それは、自分でも驚くほど、はっきりとした拒絶の言葉だった。
「僕には、関係のないことです。一族の宿命だとか、そういうものからは、もうとっくに逃げた。二度と関わるつもりはありません」
ぎり、と隣で響の拳が握られる音がした。
「てめぇ……この状況が分かってて言ってんのか?」
「響」
響の怒気を、奏の静かな一言が制する。彼女は表情ひとつ変えず、なおも穏やかな笑みを浮かべていた。
「分かりました。無理強いはしまへん。では、これをご覧になってから、もう一度お返事を聞かせてもらえますやろか」
奏はすっと立ち上がると、伊織を別の部屋へと誘った。
そこは、先ほどの和室とは打って変わって、薄暗いドーム状の空間だった。壁一面が巨大なスクリーンとなっており、無数の小さなウィンドウに、屋敷の様々な場所が映し出されている。さながら、神の視点を持つ監視室だ。
「ここは、わたくしたちの心臓部。彼女たちの『日常』と『戦い』のすべてが、ここに集まりますの」
奏がしなやかな指でスクリーンに触れると、いくつかのウィンドウが拡大された。
レッスン室では、汗だくの少女二人がダンスのステップを確認していた。一人は天宮ひかり。もう一人は、赤茶色のショートヘアが快活な印象を与える、不知火蓮(しらぬいれん)だ。
「もーいっかい! 今のターン、蓮の方がキレあったし!」
「へへん、当然だろ? ひかりもまだまだだな!」
二人はライバルとして競い合いながらも、その表情は心底楽しそうだった。
画面が切り替わり、陽光の差し込む談話室が映る。
アッシュグリーンの髪をおっとりと揺らしながら、豊満なスタイルの少女――碧(みどり)しずくが、皆のためにお茶を淹れていた。
「みなさん、もうすぐ準備ができますわよ……って、あややっ!」
ドジを踏んだのか、しずくがティーカップのトレーをひっくり返しそうになる。それを見て、アッシュブロンドのツインテールを揺らす小柄な少女――小兎川(ことかわ)こだまが、くすくすと小悪魔のように笑った。
「しずく先輩、またやってる~。こだまが手伝ってあげますから、ポイントくださいね♪」
「も、申し訳ありません……!」
そして、静まり返った道場では、剣崎凛が一人、黙々と木刀を振っていた。そのストイックな横顔には、先ほどの戦闘で負った傷の痛みを堪える色が、微かに滲んでいる。
伊織が黙ってその光景を見つめていると、談話室のモニターから、少女たちの会話が聞こえてきた。
「それにしても、さっきの人、すごかったなぁ……」
ひかりが、うっとりとした表情で呟く。
「名前、なんて言うんだろ。また会いたいなっ!」
その言葉に、道場で木刀を振っていた凛の手が、ぴたりと止まった。
「……素人が。たまたま古文書の記述を知っていただけだ。あんな男、足手まといになるだけだ」
凛の冷たい声に、おっとりとしたしずくの声が重なる。
「けれど、あの方のおかげで凛ちゃんが助かったのも事実ですわ。でも……一般の方を、わたくしたちの世界に巻き込むのは、あまりに危険ですますのよ」
彼女たちの言葉の一つ一つが、伊織の胸に突き刺さる。
自分は、部外者だ。彼女たちの覚悟も、痛みも、何も知らない。
その時、奏がメインスクリーンに、先ほどの路地裏での戦闘記録を再生させた。
凛が負傷し、血を流す瞬間。
ひかりが消耗し、その歌声が悲鳴に変わっていく様。
自分の知識がなければ、二人はどうなっていたか。いや、自分の知識があったからこそ、二人は助かったのではないか?
「彼女たちは、毎回こうして命を懸けています。わたくしたちも、万全ではおへん。古文書にもない禍津神が、これからどれだけ現れるか……」
奏は、静かに伊織の横顔を見つめる。
「あなたの知識があれば、救える命があるやもしれしまへん。……過去から逃げる、あなたのその選択は、今この瞬間も戦っている彼女たちを、見捨てることにはなりまへんか?」
見捨てる――。
その言葉が、伊織の心の最も柔らかな部分を抉った。
そうだ。自分がどんなに過去を疎んでも、血を呪っても、現実に「穢れ」は広がり、人々が危険に晒され、そしてこの少女たちが傷ついている。
自分の空っぽな日常を守るために、彼女たちにすべてを背負わせるのか?
「……日本を守りたいんです」
モニターの中で、ひかりが真っ直ぐな瞳で語っていた。それは、以前の配信で語られた、彼女たちの決意表明だった。
「大げさだって笑われるかもしれないけど……。私たちが大好きな、この国の景色や、みんなの笑顔を、絶対に失くしたくない。だから、私たちは戦うんです!」
純粋で、あまりにも真っ直ぐな想い。
それに比べて、自分は何と矮小で、自己中心的なのか。
伊織は、長く、長く俯いていた。肩が小刻みに震えている。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。その隈の浮かぶ瞳には、諦めと、そして腹を括った者だけが持つ、微かな決意の色が宿っていた。
「……分かりました」
絞り出すような声だった。
「ただし、仮契約、ということにしてください。僕に本当にその資格があるのか……僕自身が、それを見極める時間が欲しい」
「結構ですとも」
奏の唇に、初めて心からの満足げな微笑が浮かんだ。
「ようこそ、天照プロダクションへ。式守伊織プロデューサー」
隣で、九重響がニヤリと口の端を吊り上げる。
「せいぜい期待に応えてもらうぜ、新人」
逃げ続けた過去との対峙。
式守伊織の、斎主(プロデューサー)としての戦いが、今、静かに幕を開けた。
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