宝石少女と不死の先生
朝と花束
第一章 出会い
01
六月某日。
梅雨入りの日。
父の葬儀が終わり、火葬場の予約時間まではまだ少し時間がある。
遠くから立ちのぼる線香の香り、梅雨の瞼が重くなる空気、親族連中の喪服に染みついたクリーニングのにおい、古い木造建築特有の黴臭いにおい。
記憶を辿れば、幼いころに参列した父方の親戚の葬儀の日も同じ香りの気配がした。ということはつまり、これが死のにおいなのではないだろうか。
晶はそんな取るに足らないことを考えて、この退屈な時間をやり過ごそうとしていた。
父の訃報は突然のことだった。
その日は、朝食当番の晶がつくった朝ごはんを一緒に食べ、テレビの星座占いに一喜一憂して、晶のほうがすこし早めに家を出た。
玄関まで見送りに来た父は、梅雨入り直前にやる気を出した太陽をうらめしげに見上げていた。
「いやー、今日は暑そうだ」
たしか、そんなありふれたことを口にしていたような気がする。
「そうだね」
晶はそう答えたはずだ。
父の目線を追って空に目をやり、この暑さなら半袖のワイシャツにお世話になる日が近いかもしれない、週末はクリーニング屋に行こう、などと考えていたと思う。
その会話が最後だった。
持病でも事故でも事件でもなく、突然の心臓発作。父は遠のく意識のなか、自分で救急車を呼んだらしい。
登校してすぐに、父が運ばれた市民病院から学校に連絡があり、晶は制服のまま病院に向かった。
家族は自分だけだと名乗ったときの医者の強ばった顔を晶は生涯忘れない。家族を失い、天涯孤独が決まった晶の身にこれから起こるであろう不幸を一瞬で想像して、その一瞬だけ同情を寄せたのだろう。しかしすぐに医者の顔に戻すと、高校生の晶にもわかるように、父の死因とこれからすべきことを説明した。
医者曰く、父は薄暗い廊下で倒れていたという。
数日前まで日常にあった父の声が、もうひどく遠くに感じる。記憶の箱をひっくり返しても、はっきりと思い出せるのは、よく日に焼けた父の腕と、父に笑顔を向けられるたびに自分の胸に湧いたあのあたたかな感情のみ。
それにしても、梅雨入りにふさわしいじめじめとした湿気が、よけいに晶の心を重苦しくさせていた。首筋にくっついてわずらわしい髪を結ぼうと長い髪に手を通すも、髪ゴムを持ってきていなかったことを思い出し、手を離す。
――制服は目立つからやだな。
晶は小さくため息をついた。
葬式会場の寺で、制服を着ているのは晶と友人の
隣の千春に気づかれないようにそっと目を向ける。いつもきれいな宝石がのっている爪には、今日はなにも施されていなかった。メイクだって薄い。だが、可憐な顔を引き立たせる上向きのまつ毛や桜色の紅はいつもどおりで、先月アーモンド色に染めたばかりの髪は、この重苦しい集団のなかではひときわ目立つ。
暗くじめついた場に似合わない輝きを放つ千春は、しかしいまにも掴みかかろうとせんばかりに、近くに座る親戚を睨んでいた。
先ほどから絶えず聞こえてくる晶への「噂話」が気に入らないのだろう。別に千春には関係ないのだが、見かけによらず喧嘩っ早い友人を刺激するには十分な内容のようだった。
ふと、近くに座っていた親戚の一人と目が合う。しかし、見てはならないものを見てしまったと言わんばかりに顔をしかめて、すぐに視線を逸らされる。
「それにしてもあの子どもは不気味よ」
「あの子、呪われているって噂じゃないの。ほら、毒を持っているとか……」
「やだ、なにそれ怖い」
どれも聞きなれた噂だった。かれらのおしゃべりは、晶や千春の制服を視界の端に捉えながらも止まらない。
「そうそう、それそれ。母親も生まれてすぐに亡くなったんだろう。病死だと言っていたが、葬儀もしていないらしい。本当に病気だったのか?」
「結局あの子だけ生き残ったのか。まるで呪いそのもののようだ」
「いまだって涙の一つも流さないのね。普通、親が亡くなったらもっと悲しむものでしょう。本当に気味が悪いわ」
大人たちの好奇の声。こういうとき、父ならどうしていただろうか。
そっと伏し目で周りの気配をうかがうと、目を逸らした大人たちがちらりちらりと視線を寄越しているのを感じる。
『大丈夫だよ』
父はことあるごとにそう言っていたけれど、本当なのだろうか。父のことは好きだったが、自分を肯定する言葉だけは簡単には受け取ることができなかった。親戚らの容赦のない視線にさらされるとやはり自分は呪われていると思えてならない。
ふたたび目を閉じようとしたとき、右隣から、ざり、と畳と座布団が擦れる音が聞こえた。
そっと目を向けると、千春が腰を浮かしていた。いよいよ親戚らに直接文句でも言おうとしているのかもしれない。いつもなら皺ひとつないプリーツスカートは、長い間握りしめていたからかよれている。
『変なことを言わないでください。晶ちゃんは普通の高校生です』
友人思いの千春は、きっとこう言うに違いない。
でも、噂は嘘じゃない――
「普通」の高校生だったらどれだけよかったか。
千春は茶色がかった瞳を細め、形のよい眉間に皺を寄せて、鋭い気配を放っていたが、晶の視線に気づくと一瞬怯んだように瞳を揺らした。
「千春、座って」
晶はゆっくりとまばたきをして首を振り、なにもするなと視線で伝える。
「でも……」
千春の苛立ちと困惑をふくんだ声は、親戚らのかしましいおしゃべりにかき消される。
「わたしは大丈夫だよ。ありがとう」
千春はしぶしぶといった感じで、ふたたび座布団に腰を下ろした。普段の可憐さを取り戻したのか、座るときにプリーツスカートのひだのしわをしっかりと直した。
晶はふたたび目を閉じた。依然、親戚らが晶にまつわる噂のことを口々に話していたが、父が亡くなったいま、晶の耳を塞いでくれる人はもういない。
――お父さんじゃなくて、わたしが死ねばよかったのに……
そんなことを考えていたとき。
「黒田晶さん」
とつぜん、よく通る低い声が晶を呼んだ。聞き覚えはないが、耳にすっと届く声。
晶はぱっと顔を上げた。
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