5. 波乱の幕開け

「ねえ、ライト。入学式に遅れてまでどこ行ってたの?」


 式が終わり、指定の階段教室に移動した新入生たち。

 その中でもかなり目立つ存在であるリディレアに話しかけてくる人間の数は少なくないが、リディレアはそんな社交辞令を適当にあしらって、ライトに執拗に話しかける。


 しかしライトは相変わらずの無表情でリディレアの質問には答えない。

 最初は心配に満ちていたリディレアの表情もどんどんと曇っていき、しまいには苛立ちが爆発しそうになる。


「ねえ!」


 遂にリディレアが弾けたその時、そこまで広くない教室にアヴェレイデが入ってきたことで、一気に教室内の喧騒は静まり返った。

 リディレアも英雄が教室に入ってきたことで怒りが驚きに変化し、口を噤む。

 そんな若さの充満した教室の空気に、気分を良くして颯爽と教壇に立ったアヴェレイデは、軽快に口を開く。


「よろしく新入生たち。これから学校の施設や制度について説明していこうと思うが──」


 ここでアヴェレイデの声が途絶え、直後には異質な金属音が響く。


 ──教室に突風が吹いた。


 ざわざわと教室が騒めく中、ライトはその光景をただ真顔で見つめる。

 突風の正体は、最前列に座っていた男子生徒が起こした縮地による、攻撃だった。


 男子生徒の剣はアヴェレイデの喉元に突き出されている。

 その剣に、アヴェレイデもいつ抜いたか分からない剣で対応して一言、


「何のつもりだ?」


 威圧感は無い。ただ心底からの疑問を男子生徒にぶつけた声音だ。アヴェレイデはまるで男子生徒を敵だと思っていない。

 男子生徒は剣を交わしたことでアヴェレイデと己の実力差を悟ったのか、剣を納めて答える。


「この学校では殺しが許されてるんだよなぁ? だったら英雄とやらを殺っても良いのかと思ったんだがぁ……今の俺には無理だな」


 周囲は絶句。

 冷や汗を浮かべている生徒もちらほら。

 ライトにとってはそんなことよりも、男子生徒の口から出た『殺しが許されている』という言葉の方が重要である。


「そのルールについてはこれから話す。大人しく席につけ」


 剣を向けてきたことに怒る素振りも見せず、男子生徒が席についたのを確認してアヴェレイデは剣をしまう。

 異常。先ほどの光景にそんな感想を抱いた誰もが、英雄の言葉に耳を傾ける。


「入学式の時にも言ったが、お前たちは選ばれし者たちだ。戦闘センスも知略も、同年代ではトップクラスにいると考えていいだろう。しかしまだまだ未熟だ。私の足元にも及ばない。新大陸リレストに上陸したとて、ほんの五分も持たずに異形の肥やしとなるだろう」


 言い放ったところでアヴェレイデはクククと笑う。

 守護者が倒され上陸ができるようになったというのに新大陸リレストの探索が一向に進まない理由。それは、原生異形があまりに強すぎるから。


 英雄たちが出向いて一掃すれば良いのでは? それができたら苦労はしない。

 いかんせん、数が多すぎる。そして守護者ほどでは無いにしろ、英雄ですら死の危険を感じる強者が跋扈している。


 更には異形を研究している人間がいる以上、無闇矢鱈に殺し回ることはできないという制約もある。

 生態系を破壊して貴重な異形の素材が二度と採れなくなる……なんてことになったらそれこそ人類にとって損害だ。

 異形は基本的に、死ねば体が残らない。

 しかし、ある特定の身体の部位を残すものがいる。

 そのどれもが錬金術と言えるほどの破格の性能を持っており、宝だ。


「まずは授業について話そうと思ったが、そこのお前、名前は?」


 アヴェレイデは先程剣を向けた男子生徒に名前を尋ねた。


「ガザン=バレインシュトだ」


 ガザンと名乗った男子生徒は、組んだ両足を机の上に置くという横暴な態度と、まるで英雄を尊敬していない口調を崩さない。

 なんでこんなヤツが同級生にいるんだと、殆どの生徒が同じ感想を抱いている。


 しかしながら一部の生徒はガザンに感心していた。なるほどそうすれば英雄に目をつけて貰えるのかという、裏をかくような思考によって。


「ガザン。君がどこで話を聞いたかは知らないが、この学校で殺しが許可されていると言ったな? その答えはイエスだ。同級生を殺すことも、もちろん教師を殺すことだって認められている。しかしそれは定められた条件下のみだ。例えば寝込みを襲うとか、背後からいきなり剣を突き刺すなんてことは『探究者』らしくない。そうだろ?」


 まるでさっきの不意打ちもそうであったと言っているように、アヴェレイデは冷たい視線をガザンに突き刺した。そんな視線に怯えることもなく、


「だったらその条件ってのはなんだよ」


 ガザンは睨み返す。その態度の所以は蛮勇か、それとも無知ゆえの傲慢なのかはわからない。


「殺人が許可されるのは決闘、または模擬戦のみに限られる」


 決闘、模擬戦。その言葉に周囲の生徒たちは顔を見合わせる。

 その二つの制度を知っている生徒は多い。しかし、対戦相手を殺しても良いというルールを知っている生徒は殆どいない。何故なら、そのルールが追加されたのはつい最近のことだから。


「決闘と模擬戦ってのは別なのか?」


 似て非なるその言葉の意味を、ガザンは確認する。


「ああ。模擬戦と決闘は別物だ。模擬戦は心象アルカナ術の授業でしか行われないが、決闘は申し込まれた生徒、もしくは教師が了承すればいかなる時にでも行う事ができる。その両方で、対戦相手を殺しても構わないとしている」


 同級生同士、または学年を隔てて、更には英雄含む教師とすらも決闘できるとアヴェレイデは言っている。そんな信じ難い制度を告げられた新入生たちは、困惑を隠さない。

 しかしガザンだけはニヤリと口角を吊り上げた。


「へぇ。じゃあ決闘を拒否するヤツも、模擬戦とやらなら片っ端から殺し回っても良いってことだな?」


 最前列に座っているガザンは振り向き、背後にいる生徒たち全員を威圧した。

 そんなガザンの殺気に当てられても動じない生徒が多いが、怯える生徒もいる。

 ライトは、それはもはや模擬戦と呼ばないのでは? とすっかり落ち着いた思考で考えていた。


「ああそうだ。しかし最初の一ヶ月は決闘や模擬戦といえど殺人は禁止する。そう、一ヶ月後にある旧大陸アトラシア遠征が終わるまではな」


 アヴェレイデは旧大陸アトラシアという単語を強調した。


 この世界には三つの大陸がある。

 |中央大陸《エンゲア》、旧大陸アトラシア、そして新大陸リレスト


 かつて、この世界に大陸は中央大陸エンゲアしか無かった。

 六年前に現れたのが新大陸リレストであり、五百年前に現れたのが旧大陸アトラシアである。俗に、中央大陸以外の二つの大陸を『別大陸』と呼ぶことが多い。


『探究者』という職業は旧大陸の出現が起源であるが、旧大陸の探索はほぼ終わっている。

 探索が終わったと言っても、旧大陸に人の居住地は無い。それどころか、未だ探究者しか足を踏み入れることができない。


 その所以は、旧大陸という土地に人が居住することができない要素が散りばめられていることにある。

 頻繁に変わる天候、少し歩けば激変する景色、現存する魔生物の獰猛さ。


 しかしながらその事実は、もう既に危険地帯の把握と開拓が終わっているという事実も相まって、新入生にとっては遠征の価値ある良い教材でしかないということ。


「一ヶ月か。長ぇな」


 なんていう言葉を最後にして、ガザンは静かになる。

 その後アヴェレイデは寮や食堂なんかの説明をして、この場は解散となった。

 今日は教材を受け取った後、特に予定は無い。新入生は皆、寮の場所を確認してそれぞれ散っていく。


 五年にも渡る波乱の学校生活の、幕開けである。

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