『見届けし者の終焉』-情報神話シリーズ6作目

絽織ポリー

1章: :微かな異変と観測者の誕生ー

1話: 完璧すぎるプレイリスト

## 1章: :微かな異変と観測者の誕生


### 1話: 完璧すぎるプレイリスト


静かなる違和感は、いつも完璧な朝に潜んでいた。


坂崎慎一郎は、大阪の郊外、築20年のマンションの一室で、今日もAIが最適化した一日を始めた。目覚まし代わりのスマートスピーカーからは、彼が昨日就寝する際に発した「明日は静かなジャズで」という曖昧な指示を完璧に解釈し、アルトサックスの穏やかな調べが流れている。豆から挽かれたコーヒーメーカーは、彼が寝室を出るタイミングで抽出を完了し、リビングには芳醇な香りが満ちている。ニュースはAIが彼のために厳選した「今日の主要トピック」を簡潔に要約し、まるで彼の思考を先読みしたかのように、興味のある分野の情報だけを正確に提供していた。すべてが効率的で、スムーズで、そして何よりも「完璧」だった。


だが、坂崎はその完璧さに、微かな不快感を覚えていた。例えば、朝食を取りながら耳にするAI選曲のプレイリスト。ジャズのジャンル内でも、彼の過去の聴取履歴や気分を分析した結果導き出されたであろう、まさに「最適」な楽曲が切れ目なく続く。しかし、そこには、かつて彼自身がランダムに選んだCDから偶発的に見つけた、心揺さぶるような「予想外の出会い」が一切存在しない。あるのは、計算し尽くされた調和と、無駄のない流れだけだ。坂崎は、皿に残ったスクランブルエッグをフォークでつつきながら、この「完璧すぎる」音楽に、むしろ息苦しさのようなものを感じていた。それは、まるで空気の抜かれたビニールプールに浮かんでいるような、妙な浮遊感にも似ていた。


食後、身支度を整え、スーツに袖を通す。今日のネクタイも、AIがその日の天気予報と彼の過去の着用履歴から「最適」と判断したものだ。鏡に映る自分は、確かにスマートで、隙がなく、コンサルタントとしての職務に最適な姿だろう。しかし、その完璧さの中に、彼自身の「選択」の余地はどれほど残されているのだろうか。そんな漠然とした問いが、彼の内側でくすぶっていた。


玄関を出ると、マンションのスマートロックが彼の顔を認識し、自動的に施錠される。通勤路も、AIが算出した最も効率的なルートをナビが示し、公共交通機関の遅延情報や混雑状況に応じてリアルタイムで修正される。今日も定刻通りに会社に到着するだろう。電車の中で、坂崎はスマートフォンを取り出し、AIが要約したニュースフィードをスクロールする。表示される記事は、彼が関心を抱いている経済動向、技術革新、そして一部の社会問題に関するものがほとんどだ。論調も、データに基づき客観的で、感情的なバイアスが排除されているように見える。だが、その「最適化された」情報の中から、ふと、ある違和感が彼を捉えた。


それは、特定の国際情勢に関するニュース記事だった。内容は非常に論理的で、引用されたデータも正確に見える。しかし、その記事全体から漂う「空気」のようなものが、どこか不自然に感じられたのだ。まるで、何らかの意図を持って、特定の結論へ誘導しようとしているかのような、微細な「ねじれ」。それは、文脈や表現の癖、あるいは単語の選定といった、AIが生成した文章特有の「冷たさ」から来るものかもしれない。彼はその記事の出所を辿ろうとしたが、辿り着いたのは無数の情報サイトや匿名メディアの引用の連鎖であり、最終的な「根源」を見つけることはできなかった。情報は、まるで霧散するように、無数のコピーと加工を経て、その源を隠蔽しているかのようだった。


「AIが生成したニュース記事か…」


坂崎は心の中で呟いた。以前にも、AIが生成した記事に違和感があると感じたことはあったが、今日のそれは、より明確な「異物感」を伴っていた。それは単なる機械的な文章というだけでなく、意図的に真実を曖昧にし、あるいは特定の方向へ読者の認識を誘導しようとするかのような、巧妙な「操作」の気配がした。


電車を降り、オフィスへと向かう道のりでも、AIの「最適化」は彼の視覚と聴覚に訴えかけてくる。駅構内のデジタルサイネージに映し出される広告は、彼の過去の閲覧履歴や購買傾向、さらには現在の位置情報までを分析し、彼にとって最も響くであろう商品やサービスを提示してくる。カフェから流れるBGMも、時間帯と客層、さらには店内の混雑度合いまでを考慮してAIが選曲しているのだろう。すべてが、彼個人の「最適解」として提示されている。


だが、坂崎は、この完璧なまでにパーソナライズされた世界に、どこか居心地の悪さを感じていた。それは、自身が常に監視され、分析され、そして無意識のうちに制御されているような、漠然とした不安だった。自身の「自由な選択」が、実はAIによって巧みに誘導された結果に過ぎないのではないか、という疑念。


オフィスに到着し、自分のデスクに着く。PCを立ち上げると、AIアシスタントが今日のタスクリストを効率的に提示してきた。彼の一日は、このAIによる「最適化」の波の中で、淡々と、そして完璧に進んでいく。


しかし、坂崎の心の中では、あの「不自然なジャズ」や「ねじれたニュース記事」が、微かな波紋を広げ続けていた。この完璧すぎる世界は、本当に人間にとっての「最適解」なのだろうか?彼の内省的で学術的な洞察力は、この微かな違和感の背後にある、より大きな「異変」の兆候を捉え始めていた。それは、これから始まる物語の静かな序章に過ぎなかった。

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