14(手紙を書こう)

 森谷とスーパーでアイスを買って、家に帰ると柚姫が飛びついてきた。隣の森谷に。


「パパ〜!」

「ただいま、柚姫」

「帰ってくるなら教えてくれても良かったのになぁ」

「香流の交友関係の邪魔したくなかったんだよ」


 別れ際に牽制したことなどすっかりなかったことのように森谷はさらりと嘘をつく。

 そっか、と香流は素直に納得した。あらー単純すぎて心配になるわ。可愛いこと可愛いこと。


「森谷さん、鼻の下伸びきってるよ」

「賢吾〜!」

「重い」


 ひとしきり可愛い子ども達を抱き終えると、森谷はリビングに上がってうんうんと頷いた。


「賢吾、なんか固くなったな」

「あぁ、剣道部に入ったから」

「何でまた?お前お医者さんになるんでしょ?」

「俺も自分の身くらい守れるようになりたかったから」


 香流を守れるようにとは言わないが、せめて負荷にはならないようにしたい。

 真面目に答える賢吾に森谷はきゅんとした。やだ、うちの息子ちょっと見ない間にしっかり者に育ってる。


「賢吾は責任感の強い子だ」

「あの」

「香流も柚姫も元気そうで安心したよ」

「あのぅ」

「ゆず元気いっぱいよ!学校も楽しいのよ!」

「俺も学校楽しいよ」

「そうかそうかぁ〜!この島を選んで正解だったな」

「あのぉー!」


 流れるように膝の上に座らされた雲雀が強めの抗議を入れた。

 森谷はきょとんとしている。いやきょとんじゃないんだわ。こちとら13歳、親でも嫌なのに友達の父親代わりの膝に乗せられて平気な顔が出来るかい!


「乗せるなら娘さんをどうぞ!」

「雲雀はもう反抗期か?」

「いや、そんな悲しそうな顔される所以ゆえんないんだわ」


 雲雀は言いながら森谷の膝から下りた。いつもの席を取られてしまい、しぶしぶながらその向かいに座る。

 そして柚姫がちょこんと森谷のお膝に座った。えへへと顔を見合せて笑い合うバカ親子を見て雲雀はため息をつく。

 香流はキッチンで夕飯の用意をしている。

 森谷はちらりと香流を見やると、のほほんと眉尻を下げた。


「はぁ、視界いっぱい愛らしい。⋯あぁもう!俺もここに住みたい!」

「大人でしょ。仕事して」

「ゆずはパパと一緒がいいのよー」

「よし、みんなで東京に移住するか!」

「人混みはパス」

「自然の方がいいよ」

「友達と離れるのやだ」

「みんなが行かないなら行かないのよ」

「子ども達が冷たい⋯⋯」


 大の大人がさめざめと泣き真似を始めた。

 柚姫だけがよしよしと頭を撫でてくれる。息子達は冷たい瞳で見つめてくる。やだ心が寒い。

 香流達の保護者である森谷は、単身警察庁で働いている。

 基本的には忙しく、まとまった休みが取れることは少ない。たまに会いたい欲が爆発してこんな風に会いに来る事はあるが、村にいた時も数ヶ月に一度くらいの頻度でしか会えなかった。

 それ故、保護者がいない事には慣れている。

 むしろ毎日はちょっとうざい。雲雀と賢吾は立派な男子中学生としての道を歩み始めていた。

 

「今はここで平和平穏に過ごせるのが一番だよ」

「平和平穏に過ごしてるの?」

「⋯⋯ある程度は」


 雲雀は森谷から目を逸らした。森谷が賢吾を見ると、賢吾もさっと目を逸らす。


「⋯⋯おおっとぉ?」

「パパ!違うのよ!ちょっとお兄ちゃんが大きな鳥さんに攫われたり、地底人に連れて行かれたり、動物園の門壊したりしただけなのよ!」

「最後のは何」


 そんなこと一切聞いてないけども。


 森谷はにこーっと微笑んだ。雲雀と賢吾もつられてにこーっと微笑み返す。


「全部話さないとパパ連れてっちゃうぞ?」

「白状します」

「すみませんでした」


 テーブルに額を擦らんばかりに雲雀と賢吾が頭を下げる。

 香流はキッチンからその様子を眺めながら、


(何の遊びしてんだろう⋯⋯)


 全く見当違いなことを考えていた。




「はぁ、島の生き物達が歓迎ムードねぇ⋯⋯」


 事のあらましを聞き終えた森谷は、手巻き寿司を作りながらうーんと眉を寄せた。

 そうか、香流が移動するとそうなるのか。そこまで考えてなかったなぁと眉間に指を突き立てる。


「森の子達は香流が赤ちゃんの時から一緒だったもんねぇ」

「そうだ!俺村に帰りたいんだけど!」


 急な提案に雲雀と賢吾が海苔を喉に詰まらせた。

 死ぬ。普通に死ぬ。慌てて香流はふたりに水を渡す。


「お前、まだ諦めてなかったの!?」


 涙目で雲雀が声を張り上げた。

 村までは船移動だと言ったのに。遠足であれだけ散々バスに酔って、乗り物苦手だって理解したはずなのに。

 あまりの迫力に香流は思わずたじろぐ。


「だって、子どもだけの移動は駄目だって言うから、森谷がいたらいいのかなと思って」

「ダーメ!駄目だっての!俺はもう戻らねぇからな、あんなド田舎!」

「自然いっぱいで楽しかっただろ!」

「自然しかねぇんだわ!ネットも繋がってねぇし回線繋ぐのどんだけ大変だったと思ってんだよ!」


 電脳お化けの雲雀にとってはスマホもタブレットもパソコンもない生活なんてクソ喰らえだ。何なら死と同義だ。

 むぅぅ、と香流が唸る。どんだけ可愛くてもダメなものはダメだ。雲雀にとっても譲れないものはある。


「ばあちゃんに会いたい!」

「そのばあちゃんから手紙預かってるよ」

「えっ!?」


 全員の声が重なった。

 森谷はスーツのポケットからヒラヒラと薄緑の封筒を取り出す。


「香流、手紙書いたら?俺が渡しに行ってくるから」

「手紙⋯⋯」

「文通なんてみやびだよねぇ」


 森谷は隣の香流に封筒をはいと手渡した。

 賢吾と柚姫も香流の後ろに回り込む。雲雀だけは森谷を疑うようにじっと見ていた。


「⋯⋯何で?」

「預かったんだよ」


 森谷はしれっと雲雀の疑問に答える。

 睨むようにうかがう雲雀はもう一度水を飲み込んだ。静かな空間が訪れ、しばらくして香流がへぇーっと小さく零す。


「ばあちゃん、今年は5つも野菜育てるんだって」

「元気だねぇ」

「俺もなんか育てようかなー」

「プチトマトとかいいんじゃない?」


 雲雀も、賢吾も、柚姫も、何も言わない。

 香流は不思議そうに首を傾げた。プチトマト好きじゃなかったっけ。キュウリの方が良かったかな。


「⋯⋯ナスにする?」

「ナスは嫌なのよ」

「何でだよ。じゃあキュウリ?」

「ゴーヤがいい」


 賢吾がぽつりと呟いた。

 ゴーヤは苦いけど、ばあちゃんが料理すると不思議ととても美味しく感じた。魔法の食べ物なんだよと教えてくれたのをよく覚えている。


「いいよ。プランターとネットがいるんだっけ」

「明日みんなで行く?」

「行くのよ!」

「ホームセンターまで歩いて行けたっけなぁ〜」


 楽しそうな森谷と柚姫とは対照的に、賢吾と雲雀は神妙な面持ちで押し黙っている。

 香流ははい、と雲雀に手紙を渡した。


「まゆも読む?」

「⋯⋯読む」


 雲雀は手紙を受け取ると、文字へ視線を滑らせる。

 確かに、ばあちゃんの字だ。記憶力には自信がある。間違えるはずも無い。

 視線を受けて、森谷はパチンとウインクをした。雲雀は更に眉間に皺を寄せる。


「雲雀。眉間、痕になるぞ」

「元々こういう顔!」

「そんなスナイパーみたいな顔だっけ」


 雲雀が森谷に怒っている。

 よく分かんないけど疲れてるんだろうか。さっき膝に乗せられてたからかな。

 これ以上雲雀を怒らせるのは得策ではない。香流も賢吾も雲雀には何も言わず黙々と晩ご飯を食べ進めた。




 お風呂に入り、さっぱりした香流はリビングテーブルで柚姫に分けてもらった便箋を前に腕を組んでいた。

 手紙なんて生まれてこの方書いたことがない。便箋の中のピンクのくまがじっとこちらを見つめてくる。

 柚姫は森谷と風呂に行っている。今は雲雀と賢吾が同じようにピンクのくまを取り囲んでいる。

 香流は困り顔でふたりへ視線を向けた。


「代わりに」

「書きません」

「自分で頑張れ」

「じゃあ柳瀬に電話しようかな」

「すぐに人に頼ろうとするのはいい所だけども!」


 怒られてるのか褒められてるのかよく分からないことを言いながら、雲雀はバン!とテーブルを叩いた。

 微妙にまだ機嫌が悪いのか、雰囲気がピリピリしている。怒っている雲雀は非常に苦手だ。


「いいか、香流。お前は自由だ。ばあちゃんみたいな型通りの文章でなくてもいい。思うままに書け」

「村に帰りたいって書いてもいい?」

「ダメです」


 頑なに雲雀は首を振る。うぅー、と唸りながら香流は眉根を寄せた。


「まゆのバカ」

「バカで結構。お前、森谷さんみたいな警察官になるんだろ。村には中学も高校もないんだから、仕方ないだろ」

「なんで俺は子どもなんだ⋯⋯!」

「諦めろよ12歳」


 13歳の雲雀が余裕の表情で鼻を鳴らしてくる。

 ムカつく。でもムカついていても手紙の文章が構築される訳ではない。明日になったら森谷はまた都会に行ってしまうし、時間だけがどんどん過ぎていく。


「友達出来たよでいいんじゃない?」


 頭を抱える香流を見かねて、賢吾が助け舟を出した。

 香流は少し考えて、便箋に文字を落としていく。その文字を目で追いながら、何となく雲雀は声に出して読んだ。


「ばあちゃん、友達が出来たよ。カエルが嫌いな中川と、説教の長い柳瀬と、ひよこみたいな蓮とよく遊んでいます」

「チョイスする情報そこなの?」

「俺まだ蓮くん見たことねぇな」

「俺もない。結局どこの子だったの?」

「さぁ⋯⋯」

「毎週のように遊んでるくせに関心なさすぎねぇ?」


 雲雀が至極真っ当な突っ込みを入れた。

 

 そんな事言われても、蓮は聞いても答えないしなんならオウム返しで聞き返してくる。

 どこかから来て、どこかへ帰って、平日は柳瀬の家で黒服さんに家庭教師をしてもらっていると柳瀬が言っていた。

 面倒見の良い柳瀬は蓮のことを弟のように惜しみなく可愛がっている。もういっそ柳瀬のところに住めばいいんじゃないかなと思っているのは俺と中川だけの内緒話だ。

 でもそれはまゆも同じか。


「まゆは最近家に帰りたがりません」

「おーい、非行少年みたいに書くな」

「起きて俺か柚姫が隣にいると変な声をあげてみんなが起こされます」

「ごめんね」

「でもさすがに寝る時はサングラス外してえらい」

「褒めてくれてありがとう!」


 何言ってんのかなこの兄たち⋯⋯。


 賢吾は冷めた瞳でふたりを眺めていた。最早突っ込む気すら起きない。

 何だかんだと便箋が2枚になった。香流は3枚目に手を伸ばす。


「賢吾は剣道部に入りました。柚姫は園芸部に入りました。まゆと俺は何部でもありません」

「そういうのを帰宅部って言うんだよ」

「賢吾は石田と仲良くなりました。石田はたまに遊びに来る友達で、チビのくせに良く食べます。俺の周りはチビの方が良く食べます。きっとばあちゃんは中川と石田が好きになると思います」

「お前もまぁまぁチビだけどね」

「俺はゴリラになるから⋯⋯!」


 賢吾と雲雀は優しい笑顔を香流へ向けた。

 

 くそう、ふたりとも最近ぐんぐん伸びやがって。俺は絶対身長2メートル超えのでっかいムキムキになってやるんだからな!!


「お前の理想は高すぎんだよ」

「要するに森谷さんでしょ」

「森谷よりでっかくなるの!両肩にばあちゃんとじいちゃんを乗せて木登りしたい」

「そ、祖父母孝行⋯⋯だなぁ?」


 雲雀は何とか無理やり笑顔を作ろうとするが、無理だった。意味不明すぎる状況に賢吾の肩が震えている。

 こうして、何とかカオスな手紙は完成した。

 だが、肝心なことが書いていない。


「お前のこと書いてないじゃん」

「俺のこと?」

「香流の周りの状況は良く分かるけど、これじゃ香流が帰宅部ってことしか分かんねぇよ。ばあちゃんなら香流のこともっと知りたいんじゃないかな」


 そう言われて、香流はもう一度手紙を読んだ。

 確かに、雲雀が指摘するように自分のことを書いていない。香流はきょとんと目を見張った。書いてるつもりだったのに自分の内容は一行で終わっている。


「俺は元気です」


 また一行で終わってしまった。

 再び頭を抱える香流から便箋を寄せて、賢吾が代わりに書き始める。


「香流は村に帰りたいとたまに発作が出ます」

「発作⋯⋯」

「ばあちゃんに教えてもらった料理を家族にも友達にも惜しみなく披露しています。ばあちゃんのお陰で俺たちは生活出来ています。香流に家事を教えてくれてありがとう」


 賢吾は少し考えて、もう一文付け足した。


「香流をいい子に育ててくれてありがとう」


 その一文を読んで、香流は物凄く複雑そうな顔で賢吾を見る。賢吾は最後に自分の名前を書いて、しれっと便箋を香流へと返した。


「はい、これで完成」

「お前は俺の何なの⋯⋯?」

「弟」


 何か腑に落ちない。

 むむむと手紙を前に固まっていると、風呂上がりのほかほか柚姫が帰ってきた。


「お返事書けたのよ?」

「柚姫、ドライヤーしてないぞ」

「パパがしてー!」


 柚姫はぴょこんと跳ねながら森谷にしがみつく。

 森谷は雲雀の隣に座ると、柚姫を膝の上に座らせた。慣れた手つきでドライヤーをかけながら、難しい顔をしている香流に微笑みかける。


「どうしたの、そんな難しい顔して」

「すごく褒められて困ってるんだよ」


 少し機嫌が直ったのか、雲雀が森谷に返答した。

 

「あぁ、香流は褒められ慣れてないもんねぇ」


 ドライヤーの風がふわふわと暖かくて心地良い。

 柚姫の髪は長い。腰元まで伸びた髪が揺れるのを香流が視界の端で眺めていると、テーブルの上の便箋を柚姫がさらっていった。

 柚姫は手紙に目を通し、愛おしそうに笑みを浮かべる。


「お兄ちゃんらしくていいと思うのよ」


 お世辞にも上手だとは言えない文字達が、手紙の上でイキイキと跳ねるように綴られている。


「おばあちゃんは、お兄ちゃんが楽しいんだって分かるのが一番嬉しいのよ」


 だって、おばあちゃんはいつもそう言ってたから。


 香流と料理するのが生きがいだって。色んなことを吸収して、嬉しそうな顔するのがとても幸せなんだって。

 今だってそうなのよ。

 お友達とばかり遊んでゆずは寂しいけど、楽しそうなお兄ちゃんを見るのは嬉しいのよ。


 これは本当よ。


「ここに来て良かったね、お兄ちゃん」

「うん、ここに来て良かった」


 柚姫と賢吾がしみじみ頷いている。

 何なんだよ、もう。勝手に花柄の封筒の中に手紙を入れていく柚姫は、封をすると森谷をこてんと見上げた。


「パパ、お願いね」

「お願いされた」


 笑い合うふたりを眺めながら、香流は心の内ではやっぱり直接会いたいと言う気持ちが拭い切れずにいた。

 まぁでも今は行けないというのも理解できる。モヤモヤするけど理解できる。学校生活が大事だと言われる意味もわかる。

 別に勉強したい訳じゃないけど、友達には会いたいから。

 香流の納得していない表情をちらりと見て、雲雀はこそりと苦笑いを零した。




 次の日にプランターと土と種を買って、家の庭で野菜作りの土台作りをはじめた。

 準備しているとわらわらと犬猫や小鳥が寄ってきた。手伝うと言うので一緒に作業をこなしていくと、玄関のインターフォンが鳴った。


「見てくる」

「もー、画面確認しろっての⋯」


 言うが早いか家の塀を登って駆けていく香流に雲雀は呆れる。


「俺も行くよ」


 ひょいと塀に乗り上げて賢吾も香流について行った。運動神経の良いふたりだ。ついていけない雲雀は大人しく土作りを再開することにする。

 朝からホームセンターへ買い物に行って、ゴーヤ組とお花組にチーム分けして作業を開始した。

 柚姫はひまわりを咲かせたいらしい。可愛くていいと思う。口には出せないけど雲雀はひまわりと並んだ柚姫を想像してひとりで悶絶した。

 

 香流は塀伝いに玄関まで行くと、そこにいたふたりの姿を見つけて思わず「あっ」と声を零した。

 ひょいっと塀から飛び降りて、嬉しそうにふたりの元へ駆け寄る。


「中川と石田!」

「やっほー」

「母さん出張だから遊びに来たよー。今日は柚木くんもいたんだね」


 石田は母親が本土へ出張中、柚木達の家へ食事作りの練習をしに来ている。

 先週は雲雀と一緒にラーメンとチャーハンを作った。今日は何を作ろうかなと考えて来たけれど、玄関先で中川と合流して自分が料理をすることはすっかり頭の中から消し去った石田はニコニコ嬉しそうだ。


「一緒に来たの?」

「いや、ほんとここで会ったんだよ。中川くんひとりで来るのも珍しいよね」

「柳瀬は蓮の教育に忙しいって言い張るから」


 本当は来たかったくせに。再三のように「どんな様子だったか教えろ。写真も送れ」と言われて耳にタコが出来た。ほんとしつこかった。

 中川は純粋に香流のご飯が食べたかったのと、内密だがあの魔族の男の人の偵察も兼ねている。


 いくら魔族とは言え、柚木の懐き具合からして安心出来るひとであるのは間違いないんだろうけど。

 上司から何も聞かされていないのが少し引っかかる。報連相を疎かにするような上司ではなかったと思うんだけどなぁ。


「おはよう。中川、石田」


 香流の後から来た賢吾もすたっと地面に降り立った。おかしいな。柚木家の塀は背丈の倍はあるはずなのに、ふたりともどこも痛がる様子は見られない。

 さすが、剣道部の鬼神に見出されて扱かれているだけはある。石田は賢吾のことを同級生ながら尊敬していた。


「お父さん来てるんだって?」

「お父さんじゃない」

「俺達を拾ってくれた人で、何ヶ月かに一度様子を見に来るんだよ。今回は引越しぶりだから2ヶ月振りかな」

「今野菜植えてんだよ!お前らもする?」


 中川と石田は顔を見合せた。

 家族団欒の邪魔していいのかなと思う石田と、上がり込む気満々だった中川の意見はやや割れていた。

 このままふたりでどこか行こうかと提案しようとしていた矢先に、中川がインターフォンを押して今に至る。石田が即答出来ずにいると、とても乗り気の賢吾が押してきた。


「みんなでやったら早く終わるよね」

「森谷が本土からいっぱいお菓子買ってきてるから、終わったら一緒に食べよう!」

「やったぁ!」

「お邪魔します」


 食いしん坊ふたりは秒で堕ちた。


 こうして、仲間ふたりを得た野菜作りは滞りなく終わり、後は成長するのを待つばかりになった。


 中川は柳瀬にもらったスマホでプランターの写真を撮り、ついでに香流と石田の写真も撮り、自撮りもしてから柳瀬にメッセージを送信する。



 

 柳瀬はそのメッセージを受け取ると、はぁ、とリビングテーブルに頬杖をついた。前に座る蓮は真面目にお勉強に取り組んでいる。


「蓮。柚木が野菜育てるんだってよ」

「やさい」


 野菜とは。

 出来上がった料理しか知らない蓮が首を傾げる。黒服のひとり、赤山がさっと図鑑をテーブルに広げた。


「名前たくさん⋯⋯」

「頑張って覚えろよ」

「香流してるのどれ?」

「ゴーヤときゅうり、トマト⋯⋯」

「全部やさい?」

「そーそー。夏の野菜だよ」

「会話が出来るようになっている⋯⋯!」


 赤山が涙ぐんだ。

 柳瀬も言われて気付いた。自然と普通に話せていたからまるで違和感がなかった。蓮はじっと図鑑を眺めている。


「蓮。お前の家はどこだ?」

「大きいのがたくさんと小さいのがひとつ」


 全然分からない。

 柳瀬はんーと腕を組んで、探るように会話を続ける。


「お前をそこへ連れてきたのは誰だ?」

「志賀龍司」

「⋯⋯!」

「志賀夏椎。小さい、踏んだらつぶれる」


 蓮は図鑑を眺めながらゆっくりと話す。


「香流ありがとうたくさん。大きいのありがとうない。たのしくない」

「⋯⋯うちに来りゃいいのに」


 ここにいる時の蓮は楽しそうに見える。

 親は難ありだが、部下達は涙脆くて鬱陶しい時もあるがマトモだ。妖怪も異世界人もいるので、人外にも慣れている。

 だが、蓮は首を振った。


灯護とうご死ぬ」


 ハッキリ言われ、柳瀬は口を噤む。


「灯護死んだら香流もそらも泣く。よくない」

「お前、牽制役買ってくれてたのかよ⋯⋯」

「ここはたのしい。お勉強もたのしい。「守りたいなら半分くらいは言うこと聞いとけ」って志賀龍司言ってた」

「半分くらい、なぁ」

「灯護、志賀龍司知ってる?」


 柳瀬は少し考えた後、人差し指を立てて口元へ当てた。


「柚木には言うなよ」

「⋯⋯うん」

「志賀龍司は生粋の殺し屋だ。柚木の耳に入れていい人間じゃない。柚木には人の醜い部分は何も触れさせたくない」

「灯護の言うことは全部聞く」

「いい子だ」


 こちらに蓮を送り込んできた志賀龍司の意図は分からないが、蓮がここへ来るのを黙認しているくらいだから自陣の情報が漏れることは織り込み済みだろう。

 まぁ、まだ話が下手すぎて大した情報は得られない。逆スパイとしてはこれからの成長に期待だな。


「蓮、絵本を読め。口に出して読め。その方が言葉の習得が早そうだ」

「なるほど」

「柚木のアホかパッセルあたりに読んでやってもいい。早く言葉を覚えろ。来年度からは中学生にするからな」

「ちゅうがくせい」

「お前も俺達と同じ学校に通うんだよ。そう志賀龍司に言っておいてくれ」


 話の意味が分からない。でもとりあえず蓮は頷いておいた。

 志賀龍司も柳瀬灯護の言うことは聞いておけと言っていた。その方がお前は成長出来るよ、と。でもたまには俺も頼ってねと言われたので首を振っておいた。


「まぁ、お前が俺達に付いてくれてると分かっただけで良かったよ」

「⋯⋯⋯」

「蓮が味方で嬉しいよ。ありがとう」


 言い直すと、蓮はこくりと頷いた。

 柳瀬灯護の言うことは半分以上分からないが、ありがとうは良く知っている。香流がたくさん言うからだ。

 ありがとうはいい言葉。志賀龍司も言っていた。小さい志賀夏椎にもありがとうを言うと喜んでいた。

 絵本を読むなら志賀夏椎にも読める。読んだら喜ぶかもしれない。


 そんなことを思いながら蓮は図鑑をパラパラと捲る。




 リビングのテーブルに全員は入りきらなかったので、座卓に座りながら石田と中川はおやつを食べている。その隣に柚姫と森谷も座っていた。

 テーブルに座る賢吾と雲雀はふたりで囲碁をしている。石田は「新種のオセロ?」と言っていた。賢吾は何とも言えない笑顔で否定した。

 香流は機嫌良くお昼ご飯をこしらえている。今日のお昼ご飯は森谷が買ってきてくれたお肉があるのでステーキ丼だ。石田が引くほど喜んでいた。


「じゃあ森谷さんは東京の人なんだ」


 今からお昼ご飯なのに食いしん坊ふたりしておやつをもりもり食べているが、もう今更誰も突っ込まない。森谷も子どもがよく食べるのを見るのが好きなので、ニコニコしながら石田の言葉に頷いた。


「そうなんだよ〜。一緒に行こうって言ってんのにコイツら付いてきてくれなくてさぁ、パパ寂しい」

「人の群れは好きじゃない」

「ほどほどに田舎が住みやすいよ」

「ゆずはお兄ちゃんと賢吾と一緒にいるのよ!」

「ねぇ」


 雲雀、賢吾、柚姫の3人ににべもなく拒絶され、森谷は悲しげに目を細める。


「香流は動物がいないと嫌だって拗ねるし。俺も一緒に住みたいよぉ。仕事辞めたいよぉ」

「子ども3人養うのに仕事辞められる訳ないだろ」

「雲雀は俺に対して厳しいが過ぎる⋯⋯」

「何の仕事してるの?」

「柚木の憧れのお巡りさんだよ」


 石田の問いは、森谷の代わりに中川が答えた。

 森谷は嬉しそうににこーっと笑みを零す。


「うちの香流ちゃんはお友達にもお巡りさんになりたいって言ってんだ」

「絶対向いてないと思うけど⋯⋯」

「賢吾、それは言ってやるな。俺も警察官になるから大丈夫だよ」

「黛くんもお巡りさんに憧れてるの?」

「まさか。俺は香流の側にいたいだけだよ」


 まるで殺し文句みたいなことを言う。

 石田は頬を赤らめた。さすが授業中別室で特別授業を受けているだけはある。パソコンにつないで海外の人と話しているのを見たことがあるので、2組で雲雀はちょっとした英雄扱いだった。


「黛くん、格好いいな⋯⋯」

「室内サングラスなのに?」

「今日は直射日光が厳しいからな」

「曇りだよ」


 賢吾が怪訝な顔を向ける。雲雀はふぅとアンニュイな笑みを浮かべた。


「なぁ、ご飯出来たから運んでー」


 キッチンから香流が声をかける。柚姫と石田は「はぁーい!」と勢いよく立ち上がった。

 中川も続いて立ち上がると、くい、と森谷に手を引かれる。


「おたくの上司、昨日降りて来たんだって?」

「⋯⋯!」


 中川はすとんと座り直した。

 森谷はひそりと中川へ耳打ちする。

 

「今の間にたくさん味方を作っておくと良い。後で必ず役に立つ」

「味方⋯⋯」

「何が起きても乗り越えられるように、磐石な体制を築いておいた方がいい。俺は役に立たないからね」

「なんで?」

「大人には大人の事情があるのさ」


 森谷はぽんぽんと中川の頭を撫でると、キッチンへ向かって行った。

 中川はふむ、と睫毛を伏せる。概ね俺と柳瀬の予想通りだ。この人は紛うことなき柚木の保護者であり、柚木の味方であるのは間違いない。

 ただ、役に立たないと言うことは直接何か起きたときに柚木を守れない立場だと言うことだ。

 普通に人間として生活しているのにも何か意味があってのことなのだろうか。

 とりあえず、俺の上司と知り合いなら柳瀬も安心するかな。中川はほっと息を零した。そして、目の前に運ばれたステーキ丼に目を輝かせる。


「すごーい!!」

「柳瀬も連れてくれば良かったのに」

「柳瀬は家でカレー食べるって」

「またカレー⋯⋯」

 



「またカレーでやんすか⋯」


 げんなりとした様子でパッセルは肩を落とした。

 

「文句あんなら食うな」

「柚木さんはなんで来てくれないんですかぁ。もう愛想尽かされたんですかぁ」


 さめざめ泣きながらパッセルがテーブルにつく。

 柳瀬はむっと眉間に皺を寄せた。その隣をひとつ空けて、黒髪のボサボサ頭が座る。


「新入り、余計なことを言ってご主人様の機嫌を損ねるな」

「だってぇ、さとりさぁん。柚木さんのストックがなくなったらすぐカレーが出てくるぅ」

「黙って食え」


 柳瀬ファミリーの一員に加入したならばカレーは通過儀礼だ。緑山はカレーしか作れないし、緑山以外の誰もキッチンに入れない。

 蓮の前にももれなくカレーが置かれる。拠点にしている家では志賀龍司がいないと食事が出ないので、食事はあるだけありがたいがパッセルはどうも違うらしい。


「文句があるならお前が作れよ。お前何もしてねぇんだから」

「あっしは王子様でやんすよ!料理なんてしないでやんす!」

「今はただの役立たずの居候だろうが」

「言い方!!」


 はっと柳瀬に鼻で笑われ、パッセルはテーブルに突っ伏して泣き始めた。

 特に何の役にも立たないのに家に置いてやってるだけありがたく思いやがれ。その内心を読み取った覚は、うんうんと頷きながらカレーを口へ運ぶ。

 蓮は何も言わず、柳瀬ファミリーの会話を聴いていた。


 料理。


 香流がここへ来ればいつもしていること。香流が料理すれば魔法のように色んな食べ物が出てくる。

 別にずっとカレーでも構わないけど、今度香流に料理を教えてもらおう。そしたらみんなきっと喜ぶ。




「へぇ、柳瀬くんよその子預かってんだ」


 胃袋がゴムで出来ている石田は、ステーキ丼をおかわりした上で今はふりかけご飯をもりもり食べている。

 中川もご飯3杯目だ。ご飯をたくさん炊いておいて良かった。このふたりがくるといつもご飯が足りるか少しハラハラする。


「柳瀬くんって昨日一緒にいた子?」

「そう。俺の友達!青い髪ででっかい家に住んでるんだ」

「他にも色々いなかった?」

「雀と黒いのは柳瀬の家族だよ。小さいのは俺達が家庭教師してる子!」

「香流が家庭教師⋯?」


 くくくっと森谷は肩を震わせた。

 想像すると可愛すぎる。どんな様子なのか傍で見てみたい。


「何教えてんの?」

「言葉とか、足し算とか、⋯⋯後は!?」

「買い物の仕方、交通ルール、この前は一緒にお風呂入って洗い方教えてあげたよ」

「へぇー」

「なんで香流が感心してんの?」

「だって俺は一緒に住んでないもん」


 そこまで色んなことを教えているのは知らなかった。

 蓮は何も知らないもんな。足りないところを教えてあげられるふたりはすごいな。

 俺の友達がすごい事が嬉しい。香流はほこほこと頬を緩めた。


「香流には教えられる特技があるでしょ」

「特技?」

「ばあちゃん譲りの家事スキル」


 森谷に額をつつかれ、はっと香流は自分の両手を見た。


「俺もすごい!」

「うん、一番すごいよ」

「ゆずも賢吾もお兄ちゃんがいないと生きていけないのよ」

「情けねぇ弟妹だなぁ⋯⋯」


 切実な弟妹の視線を眺めながら雲雀は苦笑いを浮かべる。とは言えこちらも恩恵を受けている身であるので、雲雀も強くは言えなかった。

 香流はそんな家族の視線を受けて、自分の胸を固めた拳で叩く。


「任せろ。俺はお兄ちゃんだからな!」

「俺と住めば俺が全部やってあげるよ?」

「大丈夫!別に家のお仕事嫌じゃないから!」

「絶対行くって言ってくれない⋯⋯」

「森谷がこっちに来るの待ってる!」


 そんな笑顔を向けられれば、無理やり連れて行くことは出来ない。

 はぁー、とため息をついて森谷は香流を抱き上げた。


「じゃあ晩ご飯は俺が作るよ。何食べたい?」

「生姜焼き」

「クリームのパスタ!」

「煮魚」


 先に雲雀と柚姫と賢吾が答えた。

 香流は森谷を見上げて、困ったように笑みを零す。


「俺も手伝う」

「いい子なんだからもう」


 森谷は香流を抱きしめながら、ワガママ放題の兄弟達へじとりとした目を向けた。


「あんまり香流を困らせちゃダメよ」

「別に困ってないぞ」

「香流はほんとにいい子だねぇ。はぁー、本気で連れて帰りたい。俺の息子超いい子って職場のおっさん共に見せつけてやりたい」

「森谷、疲れてんの?」

「ここが天国すぎて明日帰りたくねぇぇ」


 今回だってやっとのことでもぎとった連休だ。次はいつ帰ってこられるか分からない。

 いくら隣に黛家があるといっても、まだ中学生になったばかりの子どもだ。どっか知らない世界やひとに連れて行かれた話を聞くと、香流だけでも手元に置いておきたくて仕方がない。


「せめて毎日無事を確認したいなぁ」

「俺が定期的に連絡してるでしょ」

「雲雀のは報告書って言うんだよ」

「柚木、柳瀬にもらったスマホにLINE入れてなかった?」

「どれ?」

「ええっと⋯⋯」


 中川に言われ、香流はズボンのポケットからスマホを取り出す。

 でも、全く触っていないので何をどうすればいいのかさっぱり分からない。森谷が上からひょいと顔を覗かせる。


「香流、スマホもらったの?」

「うん。友達がくれたけど使い方が分からない」

「俺の連絡先入れておくよ。寂しかったり困ったことがあったらいつでも連絡しておいで」

「すぐ来れないのに連絡する意味あんの?」

「この子、的確に心臓抉ってくる⋯⋯」


 メソメソしながらも森谷は香流のスマホに自分の連絡先を追加した。ついでに、LINEも友達追加しておく。


「香流、初期設定じゃない。プロフィールに大好きなペンギンの画像入れておいてあげるよ」

「ペンギン!」

「賢吾と柚姫もスマホ欲しい?いるなら買うけど」

「欲しい」

「欲しいのよー!」

「パパ、俺も買ってー」

「雲雀は持ってんでしょうが」


 ちっと雲雀は舌打ちした。スマホは何台あっても便利なのに。あと森谷のアカウントから警察庁へ潜り込めるかと思ったのに。

 仕方ない、別のアプローチを考えるか。ふふふと雲雀がくぐもった笑みを発するのを、賢吾は額を叩いて黙らせた。


「柚木くん、俺も友達追加してよ」

「いいよ」

「じゃあ俺も!」

「中川くん、スマホの中食べ物の写真ばっかりだね」

「なぁ森谷、どうやっていとかうにするの?」

「マジで触ってなかったのね」


 なんとかスマホの使い方を理解した香流は、せっかくなので柳瀬に向かって中川と撮った写真を送っておいた。


 そして柳瀬は即保存した。



 

 すやすやと眠る双子に挟まれながら、森谷は身動きの取れない現状に言い得ない幸福感に包まれていた。

 その様子を呆れながら賢吾と雲雀が見下ろす。蹴ってやろうかと思うくらい幸せそうな姿に腹が立つ。


「で、ほんとに手紙持ってくのかよ」

「ん?もちろんよー。だって香流が頑張って書いたんだもんねぇ」

「⋯⋯あんまり期待を持たせることすんじゃねぇよ」


 苦々しく雲雀は吐き捨てる。

 森谷はんーと喉を鳴らして、隣の穏やかな寝顔へ顔を向ける。安心しきった寝顔は子どもらしくて可愛らしい。


「期待することの何が悪いのかねぇ」

「あのなぁ」

「今の香流に必要なのはたくさんの幸せと愛情だよ。もちろん、お前達もね。子どもは愛されてナンボなんだから」


 森谷はぎゅっと両腕を抱き寄せた。

 少しずつ大人になっていく中間地点。色んなことを知って、色んなことを学んで、色んな人と関わって成長して欲しい。


「大事にして、大事にされていたらいつか苦しいことがあってもちゃんと乗り越えられるよ」

「それは楽観論すぎる」

「じゃあ俺が育てるからやっぱり連れてってもいい?」

「それはダメ」

「賢吾は俺と行きたくない?」

「俺は香流が行かないなら行かない。でもちゃんと時々帰ってきてね」

「ほんと甘えてくれねぇなぁ〜」


 まぁいいや。俺は自分たちで考えて行動する生き方を尊重したい。

 過保護になりすぎるのも良くないけど、大事にはしたいんだよなぁ。その塩梅が難しい。


「いつか香流と一緒に働けるのが楽しみだなぁ」

「その頃にはパパ離れしてるだろ」

「やめて!俺が離れないから!」

「うざがられて、虫けらを見る目で見られたりして」

「⋯⋯それも可愛いかもしれない」


 森谷の嬉しそうな反応に雲雀はドン引きした。賢吾はまぁまぁと雲雀を宥めて布団へ促す。


「あっ、待って。どっちで寝ても天国!森谷さん端に寄って!」

「動けません」


 両腕に双子を乗せている森谷は地味に身動きが取れないでいた。そして腕も抜きたくない。

 

「俺は香流の隣がいい」

「はぁ!?嫁入り前の女の子と同衾するなんて俺が虫けらになっちゃうだろ!」


 香流の隣へ向かおうとする賢吾の腕を握って、雲雀は切実な声で訴える。

 

「じゃあ柚姫の隣に行くよ⋯⋯」

「朝起きて香流がこっち向いてたらどうしたらいいんだよ!白磁はくじの輝きで目が潰れるわ!」

「もう帰りなよ⋯⋯」


 段々対応が面倒くさくなってきた。毎度毎度泊まる度に騒がれて賢吾はげんなりしている。自分の家があるんだから帰ればいいのに、雲雀は毎日のように泊まっていくので雲雀用の生活用品が揃いつつあった。

 

「嫌だ!俺だって一緒にいたい!」

「なら足元で寝たら?」

「そうする」

「それでいいんだ⋯⋯」


 そして雲雀は大人しく足元で横になった。

 部屋の電気を消して、賢吾も香流の隣で横になる。眠っている時は静かな兄がどこにも行かないように手を繋ぐと、無意識で香流も握り返してくれた。


「⋯⋯おやすみなさい」


 その所在ぬくもりを確認しながら、賢吾も目を閉じる。

 毎日のように願う。香流はいい夢が見られますように。香流は明日も楽しく過ごせますように。香流が、もうどこにも行かないように。

 ごろん、と転がった香流の額が賢吾の額にこつんと当たる。

 その温かさに泣きそうになりながら、祈るように賢吾も眠りについた。

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