第20話 お昼時の訪問
森口親子が古谷家についたのは、正午前だった。
古谷静に案内されて廊下を歩いている途中、キッチンのテーブル席で、呑気に茶をすすって寛ぐ当事者二人を見つけ、娘を抱いたまま歩いていた律が足を止めた。
「……凌の旦那が、訪ねてきているんじゃないのか?」
凌とここにいるセイは、妙に匂いが薄く、かなり近づかないと人の匂いすらしない。
鏡月が、家内にいるのは分かっていたが、もしかして一人なのかと意外な気持ちで律は声をかけたのだが、隣を歩いていた水月が、呆れたように答えた。
「それはないだろう。あんな状態の鏡月を、一人でここに来させるはずがない」
昨日聞いた鏡月の状態を思い出し、そうだと頷いた律は、昨日の電話の内容を思い出していた。
「……すまん。また休みが欲しい」
控えめに言う水月の声に重なって、凌の声が狼狽えて誰かを宥めているのが聞こえた。
予想していたからすぐに許可を出し、気になって同行を申し出たのだが、珍しく困っていたらしい水月は、半笑いで許可をくれた。
そして、一旦家に戻った時、突撃してきた凌と鏡月の様子を、話してくれたのだった。
「……縋りついてきたのが凌の旦那ならば、喧嘩が始まってうやむやにできたんだが、まさか鏡月があんなに怒ってしまうとはな……」
この辺りが、従兄弟同士の二人の、反応の違いだろうと律は思う。
水月が電報で知らせたのは、シュウレイとセイの婚姻の件だけだ。
理由を話したのは、直接会った昨日で、それを聞いた鏡月は、さらに激怒してしまったらしい。
事情を知っているはずの水月が、その婚姻に反対しなかったと知り、そのことも激しく責め立てたようだ。
そして今日、朝一で古谷家に殴り込むと、若者が目を据わらせて言い切ってしまったがために、水月は重い腰を上げたのだ。
古谷家崩壊の危機を、防ぐためではない。
だがその言い訳で、律に休み申請をしてきたのだ。
そんな危機、起こりようがないのにと呟く弟子に、水月は頷きながらも短く言った。
「逆が、心配なんだ」
納得してしまった。
それならば、やはり自分も行くのが正解だろうと、素早く身支度をして、本日朝一の列車に乗って、この地へと足を向けたのだった。
キッチンに入って耳を澄ますと、客間の静かな会話が聞こえる。
妙に静かだ。
「朝食時には、それはそれは、すさまじい怒号が響いてたんですよ、これでも」
だから本当は、朝食を終えたらすぐに、客間に向かおうと思っていたというセイは、未だにここにいる。
「オレが、止めました」
蓮がそう言い、苦笑気味に続ける。
「あちらがまだ、冷静さを失っている間は、こいつと相対させるべきじゃないと、判断したんで」
それは、エンも同意見だったようで、時々茶を入れ替えに向かう志門に、こっそりと合図をよこしていた。
朝食を終え、雑談をしつつ様子を見ていたのだが、そうこうしているうちに、今度は雅からの連絡があり、志門がその報告をした後は、こちらの問題をそっちのけで、真剣な話し合いが繰り広げられてしまい、現在に至る。
古谷家の面々に、時々様子を見に行ってもらっているのだが、接客をしている男二人から、未だに呼ばれずに待機しているのだというセイは、無感情に溜息を吐いた。
「もう、このままうやむやにしようかなと、考え始めているんですが」
「それは、駄目だ」
面倒だと思う気持ちを押し隠せずにいる若者を、向かいに座る若者が真顔で窘める。
「今うやむやにしても、また蒸し返されて面倒なことになるのが、オチだ」
「でも、もう事情を話したところで、何かが変わるわけじゃないだろ? 実際、話してもかなり荒れていたみたいだし」
うんざりするほどに待たされている二人は、立ったままの新たな客に席を勧めつつ、こちらの話が宙に浮く事態になった、雅の報告を伝えた。
「コウヒとの会談の途中、親父の警察出頭の報が届いたらしいです」
「ほう」
「元々、昨日までで、本社の方では親父の側近数名、逮捕されていたらしいんですが、社長が戻った事をいち早く知った警察が、動いたようで」
何とか間に合ったと、雅は伝えてきた。
「間に合った?」
「日本の支社を、他社の子会社にする手続きが、昨日の時点で済んでいたようです」
勿論、そのために随分と無理を通したようだが、他の国は兎も角、日本にあった支社はまだ比較的小さく、期待はされていたものの、本社や他の国の支社ほど実績がなく、カ家直属の会社という認識が薄かったため、犯罪者のあおりを免れた形となった。
「有難いことに、親父はコウヒを後継者として指名していなかったので、側近の一人がその後継者だと、警察も勘違いしてくれているようです」
この辺りは、セキレイへの忠誠心の強さが、幸いしている。
奴らは、例え拷問されても、コウヒの事はおろか、自分のことも白状しないだろうと、蓮は思っている。
忠誠心が、諫言できるほどにまで至っていなかったのは、残念だが。
「あの国は、この国のように犯罪者に人権を持たせない。きっと親父は、死刑でしょうね」
「……」
「遺体を買い取れる手続きはさせますが、もう、この国には足を踏み入れさせないよう、手をまわします」
冷静に話を収める蓮を、向かいの若者は無感情のまま見つめ続けている。
「……それで、お前はいいのか? お前の親父だろう?」
何とも言えない感情を抱いているようだが、口にするまでではないセイの代わりに、水月が静かに問うと、不敵な笑みを浮かべた蓮は頷いた。
「これで済んで、良かったと思ってほしいですね。オレはそうでもないですが、本当に親父を恨んでいる奴は、これだけで終わらせたくなかったはずですから」
その言葉で、娘の相手をしながら、茶に手を伸ばそうとしていた律が、手を止めた。
顔を上げて若者を見て、確認する。
「カ家の支社を買ったのは、
目を丸くする蓮の前で、水月も手を打って頷く。
「成程、そう来たか。あの女は、誰よりもそちらの方が、許せなかったというわけか」
「そりゃあそうでしょう。あいつからすると、諸悪の根源は、両親なんです」
その後の不幸は、付け足しなんだと、女は蓮に言っていた。
野田あかねは、看護師だ。
だが、ただの看護師ではない。
大企業の次男と婚姻関係を結び、旦那の死後はその株の全てを相続した、正真正銘の勝ち組の看護師だった。
元々医者だった頃、同じ医者だった野田氏と出会い縁を結んだのだが、子に恵まれず、どちらかというと人命を救う医療の技術を、誰かに継がせたいという思いから、夫婦は一人の男に目をつけ、養子にした。
野田氏の企業は、今も揺るぎない財力で日本を支えており、野田氏の先代が育てた側近たちが、代々の従業員を育て上げて、会社を持続させているため、本当に株を所有しているだけで、口を出す必要すらない状態だった。
今回、あかねの元にきた会社員は、ライバル社に育ちつつあるカ家の会社の、ある疑惑を持ってきた。
「野田製薬は、昔からこの国を医療で支える企業だ。薬剤も医療関係の用具も、売買からレンタルまで、幅広く流通させている」
「そのノウハウで手に入れた、うちの親父の薬の成分を調べ、普通の似た薬の成分との些細な違いに気付いたようです」
野田製薬は、正式にあかねへと調査の依頼をした。
その頃、あかねは看護師へと転身し、空いた時間で調査を続けた。
当時の事を思い出し、あかねは笑っていた。
「人間を侮り過ぎてるんだよ、あの親父は」
野田あかねは、本名を
「生まれた時恐ろしく色白で、体も弱そうだった。それが気に障った母親が、祖父にその身を託し、父親が出かけている隙に、子のいない夫妻に売り払ったそうです」
安産だった母親は、出かけている旦那が戻る前に、二人の子供を産み落としていたから、躊躇いはなかったようだ。
「それを、祖父からも聞いてはいたんですが、オレはそれどころじゃない生活をしていたもんで、知った当初は、探すこともしなかった」
つまり、蓮がカスミに見つかるまで、セキレイのもう一人の子供の存在は、知られていなかった。
だが、孫に寝首を掻かれたことで、ある可能性に思い当たったカスミは、日本国を離れた後すぐ、その存在を探した。
カスミの血筋は、殆どが双生児だったため、もう一人が生存している可能性があると、幼馴染にも示唆されたためだ。
「実際、寂れた村に一人、ひっそりと暮らす孫娘を見つけ、保護しました。そしてあろうことか、その正体を隠したまま、日本のとある領地の養女に組み込んだんです」
そして、その領地から、ある武将に嫁いだ。
「……その武将が亡くなった後、朱鷺は一度国を離れたようです。当時国中探しても、見つからなかったので」
そして、ある男と出会い、理不尽な暴行に会い、身ごもった。
望まぬ子を宿した時、朱鷺は何度もそれを流そうとしたが、子は必死にしがみつき、その生きたいという望みを汲み、情も移り始めていたのもあって、無事産み落とした。
その後ひっそりと、子を育ててその日暮らしをしていたのだが、その生活も突如終わった。
走り回るようになった男児が、忽然と姿を消してしまったのだ。
「その時は、死に物狂いで探したようですが、結局見つからず、意気消沈してしたまま、再びこの国に渡ってきたそうです」
山奥でひっそりと生き延びた朱鷺が、山を下りて医者を目指し始めたのは、日本に戦火の不安がなくなり、自分の容姿も目立たなくなったころだ。
裏稼業にも通じていた縁で戸籍を手に入れ、医師の免許も取得し、個人経営の病院に転がり込もうと考えているところに、雅が接触した。
その時に、自分の父親がまだ健在で、日本にまでその商売の手を伸ばそうとしていることを知った。
初めて顔を合わせた女を前に、あかねと名乗り始めていた女は、笑いが止まらなかった。
「そうか。矢張り、生きてたんだな。……胸糞悪い」
吐き捨てた言葉は、父親だけにではなく、今は亡き母親にも言いたい暴言だった。
自分の容姿を嫌い捨てた母親も、それに気づかなかった父親も、憎む対象となっていた。
何もかもの不幸の始まりが、あの両親から生まれたことだったのだから。
「……自分の姉なのか、妹なのかは分かりませんが、完全に血のつながった兄弟だというのは、分かります。ですから、その兄弟に、実の親を殺させるのは、後味悪いでしょう? あれで済ますことができて、幸いでした」
「……その息子は既に、実の父親を手にかけてしまっているから、猶更、だな」
「はい」
実は、雅が接触してきた時、朱鷺にはもう一人恨んでいる者がいた。
寧ろ、そいつが生きてこの地に住んでいると知ったのが、山を下りて来るきっかけだったと言ってもいい。
そいつに近づくために医者になり、評判の悪い産婦人科へと転がり込む手はずを整えていたと、後に白状した。
いずれそいつが、大本命の女との間に子を儲けたいと願い、医者を頼るだろうと踏んでのことだったのだが、雅の接触後にはその考えを捨てた。
理由は、もう生きて会えないだろうと思っていた、かつては死を願った息子と再会したからだ。
その成長と経緯を知り、朱鷺はその子の父親への復讐はやめた。
おかげで、命を狙われていたとある男はその後も健在で、今は二人の孫に囲まれ、そろそろ惚れた女の看取りの覚悟を固めている。
一方、朱鷺は名を変えて医者となり、計画通り寂れた病院に転がり込んだ後、野田氏と出会って縁を結んで、ある男と養子縁組した。
「野田氏も、諸々の事情を承知の上での縁談だったと、聞いています」
それは、野田家全体の周知だったのだろうという事は、その後の待遇でもわかる。
その上、カ家の会社の件は、未亡人であるあかねに託された。
「支社の売却の件は、渡りに船だったんです。野田製薬は、まだこの辺りに支社も工場も、作っていなかったので」
セイが無感情に説明しているのを聞きながら、蓮はその話をしてくれた看護師を思い出していた。
実は昨夜、見舞客が帰った後に、野田あかねの来訪を受けた。
野田家に養子となった男の、腹違いの妹である朱里が、その姓を借りることになった時、挨拶で野田家を訪ねたことがあるのだが、当時はまだ元気だった野田氏の接客のみで、夫人は留守で会えなかったので、事実上数百年ぶりの再会だった。
「お前、うちの息子の兄弟分を手籠めにして、連中を怒らせたんだって? いつからそんなに、節操なしになったんだ?」
言い方に語弊があるとは言えない蓮は、その怒りも甘んじて受ける羽目になった。
セイの髪色よりも、色の抜けた金髪と、赤みがかった瞳の女は、ある武将と縁を結ぶまでは、初心な娘だった。
父親を女にしたかのような容姿の、小柄な娘がよこしまな目から逃れられたのは、その色合いのせいで貧しい村でも遠巻きにされていた上、育ての親たちと死に別れた後は、異常に若作りの姿を見られるのを恐れて、村に下りなくなったせいらしい。
何が功を奏すか分からないと、当時朱鷺は笑っていたが、蓮は少しだけほっとした。
自分を襲った不幸が、もしこの兄弟の方に降り注いでいたら、男である自分よりもひどい状態になっただろうと、予想できたからだ。
幸せになった母親に子供じみた嫉妬で殺意を抱いた蓮とは違い、完全な殺意で母親を手にかけるに至っていたかもしれない。
今は、蓮本人の記憶違いが判明しているから余計に、朱鷺がいなくなった直後のあの惨事に巻き込まれたのが、自分でよかったのだと思っている。
そして今回、恐らくは完全に落ち目になる父親の姿を見て、少しは気が晴れて彼女なりの幸せの中で、生きていってほしいと願っている。
そう締めくくった蓮に頷き、そちらはもう気にする必要はなさそうだと、話を戻すことにした。
それを察したのか、セイが無感情に言った。
「シュウレイさんの子供の方の養子先は、二つほどに候補を絞っています」
シュウレイも、出産後は国を追い出すつもりらしいことが、その短い説明だけで伺えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます