第15話 修羅場到来
先に病室に向かう後姿を見ながら歩くセイは、それとなく様子を観察して、内心安堵していた。
昨日別れるときは、唐突な復活の影響か、足元をふらつかせていた。
そんな状態の若者に抱えられて、あの家を後にしてきた手前、少しだけ気になっていたのだが、今は問題なく歩いている。
本当に、この人は大丈夫のようだ。
そして、自分の気持ちの方も、だいぶ落ち着いているようだ。
先程交わした目にも、今見つめている後ろ姿にも、何の感情も浮かばない。
あの問いかけで、本当に吹っ切ることができたようだ。
我ながら単純だなと、苦笑いを押し隠しながら、病室に入った蓮の後に続いた。
小さな個室のベットに腰かけた若者が、セイを見上げて席を勧めたが、無感情に首を振った。
「話次第では、すぐに終わるだろ?」
「……伯母さんに聞いた話でも、か?」
「聞いたのならば、さらに話は早いだろう。内容次第では、私が説明するまでもないはずだ」
いつものように無感情に答えるセイに、患者の若者は少し口を閉じ、すぐに問いかけた。
「……オレの子供を、伯母さんの体内に移したという話は、本当なのか?」
「ああ。本当だ。詳しい話は、お相手に訊いてくれ。しらを切られるかもしれないけど、あんたの方が、誰との子なのか、分かっているだろ?」
「ああ。分かってる」
バッサリと言い切るセイに、蓮は頷いた。
「だから、確認してんだよ。本当に、オレの子供を、孕んでたのか?」
「……あのさ」
無感情に見下ろした若者は、静かに答えた。
「それは、本人に訊けと言ってるだろ。私に訊かれても、困る」
「だから、本人に訊いてんだろうが」
目を細めたセイに、蓮は続ける。
「昔ならば兎も角、この数年での心当たりは、一人だけだ」
「……嘘だろ」
驚きよりも、呆れの混じる呟きだった。
そんな見舞客を見上げ、患者は溜息を吐いた。
「お前が、オレを、どんな女たらしと思ってるのかは知らねえが、事実だ」
「……あの後も?」
「ああ」
「じゃあ、どうしていなくなってたんだ?」
真っすぐな問いに、蓮は詰まった。
黙る若者を見下ろしたまま、セイが無感情に続ける。
「まさか、散歩してきただけとは、言わないよな? 何時間か待ったのに」
「……」
図星なのだが、言えない言い回しで問われてしまい、蓮は咳払いした。
強引に話を戻す。
「で、本当に、オレの子を孕んだのか?」
「……」
疑いのまなざしで問いを受けたセイは、頷きで答えて言った。
「謝罪や責任云々の話は、聞かないよ。この問題はもう、あんたの問題にはならない」
「何でだよ。オレは一度も、その手の相談は受けてねえぞ」
「……は?」
厳しい指摘をしたつもりの若者は、無感情な上に冷たく響いた声に、ついたじろいだ。
「受けてない? 夕べ、したじゃないか」
「夕べじゃあ、遅いだろうがっ。きちんと、出来たと分かった時に……」
「それも、出来なかったじゃないかっ」
あまりに冷たい声音に戸惑いながら、蓮が正論を続けるが、それをセイは鋭く遮った。
その勢いに呑まれて黙る若者に、立ったままの若者が鋭く指摘する。
「私がこの事実を知ってからこっち、あんたと話す機会は、全くなかったっ」
セイが高校に通い始めてから数年、蓮とはちらりと顔を合わせる程度で、殆ど会話を交わせなかった。
唯一のチャンスが、あの年末の宴会の場だったのだ。
「私は言ったよな、この後話があるから、時間を空けてくれって。夕べの話は、その時にする予定だったんだよ」
目を見張る蓮を睨みながら、セイは問いかけの形で攻めた。
「確かに時間は作ってくれたけど、話をする暇が、あったかっ?」
なかった。
最終的に、置手紙とともに消えてしまった若者の態度で、セイは諦めた。
この人に相談するのは、無理だと。
「夕べはもう、手遅れの状態だったけど、葵さんが、相談くらいはしとけって言うからっ。あそこまで逃げ回るんだから、期待はしていなかったけどなっ」
不覚にも、昨日のあの答えにも、少しだけ傷ついてしまった。
だが同時に、吹っ切れた。
「もう、この件では、あんたに期待しない。心配は無用だよ。シュウレイさんの子供と共に、二十年は養えるくらい、予算はあるから。周囲にも協力してもらえるし。あんたの出る幕は、ない」
きっぱりと言い切るセイを見上げたまま、目を見開いたままの蓮が呆然と問いかけた。
「……おい」
「何だよ」
「何で、出来たと分かる前に、その相談をしようと思えるんだ? 時期的に、おかしいだろうが」
冷たく見下ろす目が、狼狽えた。
冷静さを失い、余計なことまで言ってしまった。
我に返った若者は、言いつくろって答えた。
「成長したあんたが、いずれ誰かと間違いを犯したときの対処を、考えていたんだよ。それだけだ」
セイは苦しすぎる言い訳をするが、蓮はその前に、思い当たっていた。
先程、伯母が言っていた言葉の端々に、違和感があったことに。
「……伯母さんは、オレの子供たち、と言っていた」
いや、これ自体には違和感はない。
伯母の子と合わせてのことと思ってもいいし、一度に二人ということも、充分にあり得るからだ。
だが。
これまでの、葵を含む周囲の態度、特にイヌ科と呼ばれる、獣の血を引く連中の微妙な態度の真意が、ようやく明確に分かった。
「……だから、あんな可笑しな理由で、学校にねじ込んだのか、あいつらは」
苦し言い訳をしたセイは、それに全く効果がなかったことに気付き、小さく舌打ちした。
今更、事実を知られたところで、結果は変わらない。
もう、蓮は今後の計画に、入っていないのだ。
高校一年の夏、その事実を知って以降、来るべき日に備えて、色々と取り決めをしていた。
その計画には元々、誰かとの婚姻は入っていなかった。
いや、授かり婚の予定はあったが、その嫁の方は架空の女性を想定し、出産後に命を落とす手はずだった。
蓮の返答次第で、育児への協力や顔合わせは考えていたが、色よい返事ではなかったから、それを考える必要はなくなっていた。
どうせ、蓮の血縁には隠し通す計画だったのだから、もし蓮本人に知られなくても、問題ないと思っていたのに。
苦い気持ちで見降ろしていると、何もかもを察した蓮の目が見返した。
相手が何かを言う前に、セイはきっぱりと言い切った。
「謝罪も、責任云々の話も、いらない」
完全な決別を告げるために、あえて短く区切りながら、続ける。
「ただし、あんたの肉親たちにも、このことは内密にしてくれ。理由は分かるよな?」
正直、子育てに関わられて、後継者問題に巻き込まれるのは、勘弁だ。
シュウレイの子を引き受ける副産物で、その問題もどうにかする動きはあるが、成功するかどうかは不明だったから、これだけは念を押す。
歯を噛みしめた蓮が、無言で頷くのを見て、セイはそのまま踵を返した。
この先、子供を養っている間は、会うことはないだろう。
吹っ切れたつもりだったのに、背を向けて廊下に出る前に、憎まれ口の捨て台詞が、頭に浮かんでしまった。
「ああ、そうだ」
振り返ったセイを、暗い目の蓮が見上げる。
止めになってしまうかもしれない。
何故かそんなことを思いながら、やんわりと頼んだ。
「世を儚んで自刃するなら、目の届かないところでやってくれ」
それこそ、周囲が分からないところでやってくれるのならば、支障はない。
「あんたの周りが気付き、私の耳にまで入ってきてしまったら、私はまた、邪魔してしまう」
今までの見守る姿勢ではなく、明確に救助に動いてしまう。
「……自分の力で、子を世に生み出すということを諦めてしまう位に、取り乱してしまうらしい」
暗い目が見開かれるのを見返しながら、セイは微笑んだ。
「人に好意を向けるって、本当に苦しいんだな。こんなこと、自覚したくなかった」
自覚と共に味わった、失恋の味だった。
言いながら、思い当たった。
「そうだ、責めるとしたら、それだな。あんたは、無知な奴に、いらない自覚をさせてしまったんだ。これさえなければ、私は子に恨まれる不安に、苛まれることもなかったはずなんだ」
少し剣を帯びた目で見た相手の目は、もう暗くはなかった。
珍しくぽかんとした顔で、目を瞬いている。
更に睨みながら、セイは言い切った。
「謝罪も何もいらないけど、それだけは、覚えておいてくれ。あんたは、好かれちゃいけない奴に、全力で好かれてしまったんだから」
きっぱりとした、決別のつもりだった。
実際、すぐに背を向けてここを去っていれば、そうなったはずだった。
だが、出来なかった。
見てしまったのだ。
セイが最後の言葉を言い切った途端、自分を見上げていた蓮の目から、涙が落ちるのを。
言い過ぎた?
真っ先に思ったのは、それだった。
こう見えて、蓮は入院患者だ。
元気に見えていたが、強がりのきらいがある若者だ、何処かしら弱っている部位が、あったのかもしれない。
自分が攻撃してしまったことが原因で、その部位に障りがでてしまったとしたら……。
慌てたセイはベットに飛びつき、ナースコールに手を伸ばしたが、それを大きな手がつかんだ。
その手の熱さに狼狽え、声を抑えて宥めるように言う。
「蓮、大丈夫だ。ここの病院は、どんな人間でも治療可能だ」
「……それはいいから、待て」
「でも、泣いてるじゃないかっ。どこか、痛いんだろっ?」
「違う、これは……」
熱もあると狼狽えているセイに、蓮は必死で息を整えて答えた。
「嬉し泣き、って奴だ」
「うれ……え? 何で? あんたって、罵倒されて喜ぶ趣味だったか?」
意味不明な返しに、小さく笑いながらも蓮は顔を伏せ、呟いた。
「……少し、待ってくれ」
言葉少なな制止に、セイは少しだけ冷静になった。
手を握られたまま、後ろの丸椅子を引き寄せ、腰を下ろす。
落ち着いてきた蓮が顔を上げ、覚悟を決めたようにセイを見つめた。
「?」
「これから、お前が分かるように噛み砕いて、オレの気持ちを伝えるから、しっかりと聞いてくれ」
「? それは、前に聞いた……」
「伝わってねえだろうが」
そうなのか?
戸惑っているセイに、蓮は大きく深呼吸をした。
これまでも、直球で告白しているつもりだったのだが、それだけでは足りない。
完全に、嚙み砕いたうえでの直球でなければ。
だが、それを告げるのには、流石に覚悟が必要だった。
相手の反応が予想できるからこその、覚悟だ。
「まず、本命の話だ」
「ああ」
「オレは、そいつと結ばれても、子は望めねえと思っていた」
そんなことを言っていたなと、セイは頷く。
あの女狐は大昔、あんな癖が出来上がる前に、子を作れなくなる事態になったらしい。
よそに迷惑をかける、欲の発散法は容認できなかったが、事情は分かっていた。
だから、伯母への懸想もあるが、矢張り大本命は、と納得したのだ。
「……その理由は、初対面から完全に男だと分かっていたし、一時期の祖父さんの戯れに付き合ったそいつが、女として子を授かるとは思ってなかったからだ」
「成程……?」
誰の話なんだろう?
セイはそこで首を傾げた。
蘇芳の話にしては、少々可笑しな言い分だ。
今では、蘇芳の性別を知っている蓮が、男という理由で諦めたと言い切っている。
不思議そうな若者に、蓮は一度深く溜息を吐いてから、静かに確認した。
「お前、自分の腹の中に子を授かれると、昔から知ってたのか?」
何で突然、こちらに話が向くのだろう?
セイは戸惑いつつも、正直に首を振った。
「知ったのは、つい最近だよ」
それはどうやら、周囲がセイを学業に向かわせる原因だったらしい、と若者は困惑気味に答えた
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