蒼い誓い、君に還る
Y.K
第1章 村に咲いた花の名は
第1話 村に咲いた花の名は(前半)
空気が澄んでいた。
村の朝はいつも静かで、どこか懐かしい匂いがする。
アオイは井戸のそばに腰を下ろして、小さな花に視線を落とした。
名も知らないその青い花は、まだ朝露を纏っていて、朝の光を跳ね返すように輝いていた。
「……きれいだな」
ぽつりと漏らした声は、誰に届くでもなく風に流れる。
手を伸ばして触れることはしなかった。触れたら、壊れてしまいそうで。
少しだけ、胸が痛くなった。
いつからだろう。
目を覚ましたときにはもう、この村にいて。
名前だけは覚えていたけれど、それ以外は何もなかった。
「アオイ」
誰かがそう呼んでくれたから、自分はそうなのだと信じている。
でも、本当にそれが自分の名前なのかも、正直よくわからない。
「……ま、いっか。今さら悩んでも仕方ないし」
軽く笑って、立ち上がる。
そうやって毎日を過ごしてきた。変わらない風景。変わらない日々。
でもその日は、少しだけ違っていた。
遠くから、見慣れない旗が揺れているのが見えた。
村の入り口。誰かが来たのだ。
しかも一人ではない。何人かの影が、ゆっくりとこちらへ向かっていた。
「旅人……? いや、あれは――」
アオイは思わず目を細める。
村人たちも気づいたらしく、ちらほらと家の中から顔を出し始めていた。
「ギルドだよ!」
子どもが叫ぶ声が響いた。
それと同時に、旗に描かれた紋章が風にあおられて翻った。
金色の星と、薄明かりの灯火。
〈暁星の灯(ぎょうせいのともしび)〉。
冒険者のギルドのひとつ。その名は、村の者たちにも知られていた。
アオイはしばらくその光景を見つめたあと、花の前にしゃがみこんで、そっと一言だけ呟いた。
「なんか……風が変わったな」
村の広場には、もう人が集まり始めていた。
普段は静かなこの場所も、今日は妙にざわついている。
アオイは、少し離れた場所からその様子を見つめていた。
中央に立つ旅装束の人物たちは、やはり噂に聞くギルド〈暁星の灯〉の面々だった。
ひときわ目を引いたのは、その中の少女だった。
金色の髪が朝日に照らされて、まるで風に舞う陽光のように揺れている。
「あれが……」
アオイの口から言葉が零れたが、その先は出てこなかった。
何かを思い出しそうで、でも思い出せなくて。
それでもなぜか、あの少女だけが強く目に焼きついて離れなかった。
「アオイ、いたのか」
声をかけてきたのは、村の鍛冶屋のアルドだった。
分厚い前掛けに煤のついた手、短く刈り上げた髪と無愛想な顔。
「お前もギルドの連中、見に来たのか?」
「うん……まあ、ちょっとだけ」
「へっ。なんでも、例のモンスターの件で来たらしいぞ」
「モンスター?」
アルドは少し声を潜めて言った。
「北の山の方で、最近変なのが出るって話があったろ? 行商人が襲われたってやつだ。ギルドに依頼が出てたんだとさ」
「それで……あの人たちが」
アオイは再び視線を向けた。
少女の隣には、大柄な戦士風の男。
その後ろに軽装の女性と、無口そうな盾持ちの男。
それぞれが違う空気を纏っていて、村の人間とはまるで別の世界にいるように感じた。
「……かっこいいな」
思わずそう漏らすと、アルドは鼻で笑った。
「お前も行けばいいんじゃねえの? ギルド入りたいんだろ」
「……入りたいなんて、一言も」
「思ってんだろ? いつも剣の練習してんの、知ってんぞ」
図星だった。
村外れの広場で、誰にも見られないように動きを繰り返していたのに。
「夢見るのは勝手だが、あの連中は本物だ。お前みたいな素人が近づいたら……」
そのときだった。
「あなた、アオイっていうの?」
金色の髪の少女が、こちらに歩いてきていた。
一瞬、空気が止まった気がした。
「えっ……?」
「あ、自己紹介が遅れたね。わたし、ユナ。よろしく」
笑った。
その笑顔に、なぜか胸の奥がざわめいた。
まるでずっと昔に、その声を聞いたことがあるような――
そんな気がして、アオイは言葉を失っていた。
「……あ、うん。アオイ、です」
ようやく返した声は、ひどく小さかった。
ユナと名乗った少女は、その反応を責めるでもなく、ただ穏やかに頷いた。
「そっか。じゃあ、やっぱりあの子が言ってた通りだ」
「……え?」
「ううん、なんでもないの」
ユナは少しだけはにかんだように笑い、くるりと振り返る。
その仕草が風とともに光をまとって見えた気がして、アオイは思わず目をそらした。
後ろにはギルドの他のメンバーが集まり始めていた。
大柄で堂々とした構えの男が、アオイたちの方に近づいてくる。
「ユナ、お前また勝手に声かけて……」
「大丈夫だよ、レオン。この子は大丈夫だから」
レオンと呼ばれた男は、胡散臭そうにアオイを見たあと、ユナの言葉にため息をついた。
「まったく、お前の“感”だけは当たるからな。今回は信じるとするか」
「でしょ?」
ユナが自信たっぷりに胸を張る。その様子を、後ろのメンバーが遠巻きに見ていた。
軽装の女性――ミレイと呼ばれる風魔法の使い手らしい――が面白そうに笑う。
「ふふっ。あなたがアオイ君? なんか、思ったより優しそう」
「おいミレイ、あんまり怖がらせるなよ」
盾を背負った寡黙な男――ガルドが、小さく声を漏らす。
仲間同士の気心が知れた空気感。それがどこか、心地よかった。
「……えっと、どうして僕に?」
アオイはようやく口を開いた。
心臓がばくばくしている。
ただ声をかけられただけだというのに、まるで心の奥を覗かれたような気がしていた。
「あなた、村で剣の練習をしてるって聞いたの。少しだけ、気になってね」
ユナの言葉は、まっすぐで、飾り気がなかった。
「たぶん――何かを探してる人の目だったから」
探してる?
自分が――?
アオイの頭の中が、静かにざわつき始める。
過去の記憶も、夢も、目標も持たず、ただ目の前の毎日をこなしていた自分。
それなのに。
「……そんな風に、見えたの?」
「うん。私も、昔そうだったから」
ほんの一瞬だけ、ユナの笑顔が陰った気がした。
アオイはその意味を尋ねられなかった。
「そろそろ行こうか、ユナ」
レオンが促すように声をかけた。
ユナは頷き、最後にもう一度だけアオイに向き直った。
「また会えるよ。きっと、近いうちに」
(……ユナちゃん、マジ天使……)
アオイは、自分でも驚くほど自然に、そう思っていた。
風が吹いた。
金色の髪が揺れて、朝の光にきらめいた。
アオイはただ、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。
――なぜだろう。
この村のどこかに、見知らぬ空の匂いが混じっていた。
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