プロローグ
トスッ ドン
軽やかな音が手に伝わり、それが離れ、床に落ちる。
赤い液体が床に広がるが、興味なさそうに、でも、その液体を踏まないように彼は出口へと向かう。
ニヒヒと笑うその顔は、まるで悪魔が乗り移ったかのようにおぞましさが溢れていた。
そう、彼は人を殺めたにも関わらず、何事も無かったかのように部屋を後にし、人々が寝静まった夜の街へと足を進める。
ただ、彼はまるで呼吸をするがの如く、出会った人をナイフで刺し、新たなる犠牲者を生み出していく。
しかし、時刻は深夜、空には厚い雲。
街灯も少なく、ましてや防犯カメラなど珍しい存在。
野放しにされた野犬の如く、この街には誰も制御できない殺人鬼が解き放たれてしまった。
「ヒヒッ。今日のターゲットも大した抵抗が無かったなぁ~。」
不細工な顔を歪ませ、薄気味悪い笑顔を作りながら、今日の
組織に楯突いた貴族の抹殺。
方法は問われてないが、やはり、自分が最も得意で、最も自信のあるナイフで仕留めるのが効率がいいだろう。
実際、今日もターゲットの家に侵入し、標的だった主人、そして、その家族。
はたまた、出くわしたメイドや執事など、標的の家に雇われていた人々。
その人達を難なく葬り去り、今、帰路についているわけだ。
その道中、いや、往路でもそうだが、まるで何かのついでのように、目に留まった人の命を奪い去っていく。
もはや、彼は災害と言っても過言ではない被害を生み出す怪物である。
いや、建物への被害は無い分ましに見えるが、台風などは避難ができることを考えると、人命だけを奪い去る彼の方が、情けも容赦もないのかもしれない。
血も涙もない、ただ人を殺すだけの男は、まだ、血に飢えているのか、もう一人標的を見つける。
黒い髪にラフな格好をした男性をロックオンし、誰にも気づかれないように静かに、けれども、抑えられない爆ぜる気持ちくらい速く、彼に詰め寄る。
そして、背後からぐさりと、ナイフで心臓を傷つける。
そしてナイフを引き抜き、ターゲットはパタリと倒れる。
殺人鬼はナイフに付いた血を舐め、倒れた男を気にすることもなく歩み始める。
ガシッ
わずか二歩しか進んでない所で、彼は足を止めた。
いや、前に進むことができなかったと言っていい。
だって、彼の足を倒れた男が掴んでいたのだから。
「なに!? 致命傷のはずだぞ!」
予想外の出来事に思わず声が出てしまうが、それ以上に想像だにしていなかったことが現実に起きる。
ヒュッ バッ
ガシッ
いきなり足を引っ張られ、さらに、倒れてた男が蹴りを入れる。
反射的に腕でガードできたが、今回は運が良かっただけ。
再び、今回と同じ状況に陥れば、蹴りをまともに食らうことはなくても、無傷では済まないだろう。
自分もそれなりに経験を積んだアサシンだと、殺人鬼は自負をしているが、今回の相手は対峙した中でもトップレベルの実力だ。
突如現れた刺客に驚きは隠せないが、どこか興奮している自分も存在する。
強い相手と戦える。
それだけで、殺人鬼はわくわくが抑えられない。
ねっとりと血の付いたナイフの先を、その相手に向ける。
だが、肝心の相手は間合いを取り、近づいてくる気配はない。
「やれやれ、急に襲ってくるからひったくりかと思ったんだけど。殺人犯なら、見逃すことはできないね。」
余裕綽々と話すターゲットは、服についた砂ぼこりを叩いて落とす。
そして、腰につけていた棒状の何かを手に取る。
よくよく見ると、鉄パイプであり、護身用なのか手に持っているものを含め、合計三本所持しているようだ。
「警察に行く前にひと暴れしたいのなら、付き合うよ。その場合、先に病院に行くことになるけど。」
「ほざけ。」
たった一言、言い切った殺人鬼はターゲットへ詰め寄る。
その速さは常人離れしていて、並大抵の人なら対応できない。
だが、そこに含まれない人物が、今回の相手。
彼は涼しい顔で鉄パイプを突き出し、ナイフの握られた手を狙う。
「かかったな。」
殺人鬼は一瞬動きを止め、体をひねる。
そしてそのまま、ターゲットが持つ鉄パイプを蹴り上げる。
空高く舞い上がった鉄の棒は、虚しく地面に落ちていった。
それを視線で追っていた標的の男は唖然としてた。
この様な展開になるなど、思いもしなかったのだから。
「さっきとは立場が逆転したな。」
殺人鬼は先の先まで相手の行動を読み、そして、勝利を確信している。
実際、隙だらけの相手に、ナイフを刺すだけなのだから。
ドスッ
鈍い音が腕に伝わり、ターゲットは倒れる。
胸を刺したのだ。
もう助かることをあるまい。
殺人鬼は安堵のため息を漏らすも、体は緊張していた。
何故なら、先の男は一度致命傷を与えたにも関わらず、生きていたのだから。
今もただ転んだかのように、標的は飄々としている。
もちろん、胸からは血が出ているが。
「素晴らしい動きだ。君は何者だ?」
意外と弱弱しい声で、倒れている男が問いかける。
殺人鬼は仕留めきったと思ったのか、薄気味悪い笑みを浮かべる。
「冥土の土産として、教えてやろう。エリス・ファミリーのアサシン、ゲーだ。」
「なるほど。全てつながったよ。今宵、人が多く亡くなる理由がね。」
「ふん。おれの犯行を見ていたんだな。なら、いずれにせよ、消される運命だったな。」
決め台詞を言い、唾を飛ばす。
だが、倒れている男には、当たらなかった。
避けられたから。
たった一言で理由は説明できるが、現実問題として避けるのは不可能だ。
致命傷を負った人間が、機敏な動きで立ち上がり、そのまま暗殺者の背後に陣取ることなど、誰が予想でき、誰が実行できるのか。
しかし、たった今、ゲーはそれを体験した。
そして、後ろから感じる殺気。
この仕事を始めて以来、多くの同業者と戦てきたが、ここまで隠すのが下手な相手はいなかった。
いや、少し語弊がある。
隠そうにも、内からにじみ出るその思いを、隠すことは困難だ。
それを、あの男が?
言い知れぬ恐怖と共に、不可解なことに対する好奇心が生まれる。
そして、その答えを確かめるべく、殺人鬼は振り向いた。
だが、それが良くなかった。
そこに居たのは、先ほどまでいた男とは、風貌が変わっていたのだから。
濃紺のマントに真深く被ったフード。
手にはどこから取り出したのか分からないが、大鎌を握っている。
その出で立ちはまさに死神。
相手を死に至らしめるには、アサシンよりも何倍もの上位な存在。
ただ、現実には存在しないのに、目の前のそれは死神としか思えなかった。
だから、こんな言葉が口から漏れたのだろう。
「なっ、何者だ…?」
「ひどいなぁ。もう忘れたのかい? ついさっきまで、命を狙っていた相手だと言うのに。」
目の前の死神は、先ほどまでの調子と何一つ変わらず返事をする。
だが、それも、ここまでのようだ。
少し強い語気で、アサシンに語りかける。
「その調子だったら、今日、自分がしたことも忘れちゃったかな? 一応聞いておくけど、君がこの街の人を殺したんで、間違いないかい?」
「はぁ!? だったら、どこからその服を出したんだ!? 武器も。それ以前に、何故、死なねえんだ!? 一体、お前は、何者だ。」
「やれやれ、会話にならないんだけど。」
「一体、どうなってんだ。組織の命令で、いつもの様に殺しに来ただけなのによぉ。なんで、こいつだけ死なねぇんだ。他の奴は、男だろうが女だろうが、家に居ようが外に居ようが、貴族だろうが一般人だろうが、この街に住んでる奴は皆、死んだぞ!!」
「だいぶ、ご乱心だね。まぁ、聞きたいことは聞けたからいいけど。」
死神装束の彼は、大鎌を構える。
それは、古今東西、数多なる人々の魂を刈り取った存在、死神そのものだった。
だから、ゲーは気が狂いながらも、どこか冷静にその存在を受け止めていた。
ゆっくりと振り下ろされる大鎌。
それは自分の首を狙っていることは明白だが、体が思ったように動かない。
だが、自分はアサシン。
命を奪い取る存在。
普段なら相手の命を奪うことで、ピンチをしのいできたが、相手が神なので殺すことすらできない。
しかし、それでもこの窮地から脱し、不死なる存在を組織に伝えなければならない。
その使命感からか、あるいは、ただ、生きたいと言う欲望からか。
街を血に染め上げた殺人鬼、ゲーは、左腕で鎌を受け止めた。
しかし、結果だけ見れば意味がない行為とも受け取れるだろう。
鎌を受け止めた手は、その攻撃力に耐え切れず、切り飛ばされてしまったのだから。
だが、左腕を捨てることになってでも身を守ったからこそ、相手の攻撃が鈍くなり、結果として、戦場から逃げ出すことに成功したのだ。
痛む腕を気にすることもなく、ただ懸命に走る。
途中、血の池に倒れている人を見かけ、この道が自分が通ってきた道だと理解する。
すなわち、ある程度のところまで進めば、逃走用に考えていた裏道に入ることができ、死神から逃げきることができる。
そんな希望を感じつつも、現状は腕を失う怪我をしており、ピンチであることには変わらないのである。
そんな緊急時に、ファミリーの支部に繋がる無線機が配布されており、使うことはないだろうと思っていたが、今ここで使わなければいつ使うんだとも思う状況なので、機器の電源を入れる。
『ジジジジ、ザザー』
「おれだ、ゲーだ。」
『お前がスコークとは珍しい。』
無線機も無事使え、支部の仲間に現状を説明する。
「今回のターゲットはヤった。だが、伏兵にやられた。」
『ほう? 無事なのか?』
「左腕を取られた。顔も見られたから消してやりたいが、不可能だ。」
『怪我の影響か? それなら、俺も現場に向かおう。』
「頼む。今回はヤバい。」
路地裏を何度か曲がり、人が隠れられそうな物陰を見つける。
そこに駆け寄り、呼吸を整えながら地べたに座り込む。
来ていた服の袖を破り、左腕に巻き付けるが、片手では不十分だったのだろう。
止血することはできず、次から次へと傷口から血が溢れる。
「血がヤベェ。今すぐ来てくれ。」
『場所は?』
「ターゲットの家の近くの路地裏だ。詳しい場所までは分からない。」
『了解。因みに、敵の特徴は分かるか?』
「死神だ。死神のような格好をしている。風にたなびくマントと真深く被ったフード。武器は大鎌だ。」
『顔は見たのか?』
「男だ。だが普通じゃない。あいつは殺しても…。」
『…? どうした?』
「マジか。」
仲間と連絡を取っていたゲーの前に死神が現れる。
大鎌を高く持ち上げており、いつでも生命を刈り取る準備ができている。
『どうした、ゲー。答えろ。』
ガツン
死神が無線機を蹴り飛ばし、殺人鬼に頼れる仲間はいなくなった。
一人っきりになれば、これまで自分が培った技術が頼りになるが、今回は意味がない。
殺しても死なない相手に暗殺術を用いても、何になると言うのか。
すなわち、ゲーには『死』しか選択肢が残っていなかった。
「おれをヤるのか?」
「君がやってたことを、真似するだけだよ。」
「因果応報ってやつか…。それなら言わせてもらうぜ。エリス・ファミリーに手を出した奴は、皆死んだぜ。他のファミリーも、警察も。お前は何故か死なねえが、そんなのボスの力でどうにかなる! つまり、お前はもう詰んでんだ。ざまあみやが 」
バシッ
鎌が殺人鬼の首を刎ねる。
そして、糸を切ったマリオネットのように、体は崩れ、頭は転がる。
その悲惨さは、たった今亡くなった男の所業と比べ物にならない。
死神は、そっと溜息をつく。
「問題ないよ。だって、
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