第49話 眷属との話し合い

 目が覚めると、ふわりと甘い香りと温もりを感じた。

 重い。けれど、ひどく安心する重みだ。


 薄っすらと目を開ける。泣きすぎたせいか瞼が重く、視界が少しぼやけている。けれど、昨夜のような胸を引き裂く冷たさはどこにもない。

 

 ゴロリと寝返りを一つして、ふうと息を吐こうとした。

 瞬間、目の前の長い睫毛の女性の顔に眠気が一気に吹き飛んだ。


「――だから! 心臓に悪いから添い寝はやめてくれって言ってるだろ!? 椿っ!!」


 思わず、大きな声が出た。


 椿は奏太の布団の上から大きな白い翼を広げて覆っていたようで、緩慢に瞬きをしながらニコリと微笑む。


「おはようございます、奏太様」

「おはようじゃなくて!」

「けれど、夜に酷く震えていらっしゃって……手を握って差し上げたら、どこにも行かないでと仰ったので……」


 椿は眉尻を下げる。でも、奏太には全く記憶がない。変な夢でも見て、寝言を口走ったのだろうか……


「そ……それは、ごめん……」


 口籠りながら謝ると、少し離れたところで、ガチャンと乱暴に茶器を置く音が聞こえた。


「奏太様がお目覚めになったのなら、貴方もさっさと休んで来たらどう? 椿」


 汐の凍りつくような声。


「あら、私は奏太様の御側で十分休めましたから、お気遣いなく」


 椿がふふっと笑う。


「……頼むから、寝起きで喧嘩はやめてくれよ……」


 奏太は脱力して枕に顔を埋める。でも、その溜息には家に帰って来たような、安堵の響きが混じった。


 一方で、汐はムッと僅かに唇を尖らせる。それから、スッと綺麗な笑みに切り替えた。


「お茶を御用意したのに、いつまでそちらにいらっしゃるおつもりですか? お身体を温める薬湯が、冷めてしまいます」


 むしろ、そのせっかくのお茶が、汐の声音だけで冷めそうだ。そう思うのに、椿は全く空気を読まない。

 

「奏太様は、ごゆっくりなさりたいのでしょう」


 逃がすまいと言わんばかりに、奏太を覆ったままの翼に力がこもったのがわかった。更に、握られたままだったらしい手もギュッっと強い力が入る。

 

「いつまででも、手を握っていてくださってよいのですよ。以前は、毎晩私が御側で温めて差し上げたではありませんか」

「それはそうだけど、ちょっと言い方考えようか! 椿!」

 

 汐から殺意に似た射抜くような視線が椿と、何故か奏太に向けられた。


 もう、勘弁してくれ、そう思ったところで、トントンというノック音が部屋に響く。


「あのー……すごいお声が聞こえたのですが……」


 巽の顔がヒョコッと覗いた。その後ろには、亘の姿も。


「ど、どこ行ってたんだよ!?」


 寝起きで殺伐とした空間に放り込まれた奏太は、八つ当たり気味に叫んだ。


「……いや……あの……汐ちゃんに、男どもは暑苦しくて仕方ないから、奏太がお目覚めになる前に風呂にでも入って清潔にしてこいって……追い出されまして……」

「奏太様の御身体は、後ほど、私が洗って差し上げますね!」


 椿の無邪気な声に、お茶を淹れ始めていた汐の手元で、再びガチャンと音がなった。


「椿、そろそろ、放して差し上げたらどうだ?」


 面白くなさそうな、亘の低い声が響くと、椿は不満気な顔をしたあと、ようやく奏太を解放した。


 奏太がほっと息を吐くと、眷属達の視線が自分に集まっているのがわかった。大丈夫かと、確かめるような。


 なんとなく、決まりが悪くなりながら、奏太はそっと視線を下げた。


「……その……心配かけて、ごめん」

「何があって、何をなさろうとしていたのか、話してくださる気になったのですか?」


 亘の仕方がなさそうな声音に、奏太は少しだけ迷ったあと、コクと頷いた。


「先に、お茶を召し上がってください。奏太様。お話は、その後でも良いでしょう」


 先ほどの怒りが掻き消え心配そうに響く汐の声が聞こえた。



 汐のお茶を飲み、用意された風呂に入る。全員が何としてでもついてこようとしたので、それを何とか押し留める。それでも一人になるなと言われ、結局、亘だけは許容することになった。


「お背中をお流ししましょうか?」

「いいよ、大丈夫」


 素肌に触れられたところで、奏太の身体の状態なんて亘達には分からないはずだ。実際、何度か支えられたり抱えられたりしたけど、気付いた様子はなかった。けれど、無防備な素肌に触れられて、自分から話す前に気づかれでもしたらと、それがなんだか怖かった。


「まだ、何かご不安が?」

「風呂から出たら話すよ。今度こそ、ちゃんと」

「……そう、ですか」

 

 亘はそれ以上追及しなかった。

 けれど、その視線が一瞬だけ、鋭く奏太の肌を――その奥にあるものを探るように細められた気がして、思わず奏太は湯の中に深く沈み込み、ギュッと膝を抱えた。



 風呂から出て、部屋に戻ると燐鳳がいた。


「あれ、今までどこにいたの?」

「少々、ごみ処理に」


 ニコリとした笑みに不穏なものが混じった気がするのは何故だろうか。

 

「……ごみ処理? お前が?」

「あーっと、奏太様! そんなことより、お話があったんですよね? ねっ!」


 不自然にカットインしてきた巽に訝りながら、奏太は眉根を寄せた。


「なんか、隠してない?」

「ま、まさか!」


 奏太は、巽と燐鳳を交互に見る。何かこの二人に共通することは……そう思ったところで、昨日あの後、燐鳳が巽を呼び止めていたのを思い出した。


「……当主とその息子に、なんかした?」


 奏太が言った途端、巽の肩がビクッと跳ね、燐鳳の笑みが深まった。


「え……えぇっと……」


 言い淀む巽。隠し事は確定だ。

 

「……一応聞くけど、殺してないよな?」

「奏太様の御親族に、そのようなことは致しません。少々、教育を施しただけですよ」

「ホントか?」

 

 教育、という言葉をどう取れば良いかわからないが、燐鳳は笑みを崩さない。

 

​「流血沙汰は、奏太様の御心に負担をおかけしてしまいますからね。誰も血を見ず、五体満足であれば良い――そう、巽殿にも助言を頂きましたので、その通りに」

 

​ その言葉に、巽が顔を覆ったのが見えた。

 

 なんとなく、碌でもないことをしていそうな気配がないこともないが、あまりに綺麗な笑顔と、もっともらしい理屈に、奏太はそれ以上追及するのを諦めた。


「……巽、念の為、ちゃんと無事かどうか、後で確認だけ頼むよ……」


 燐鳳にこれ以上任せてはおけない。巽に言うと、青白い顔でコクコクと頷いた。

「――それで?」


 亘に促され、奏太はコクと唾を飲む。


「えぇっと……その……俺の人の身体が崩れたら、俺の自我が秩序の神に飲まれるって話は、知ってるよな?」


 随分昔、朱にそう説明された時、亘達も近くにいた。亘達が必要以上に過保護に奏太を守ろうとするのは、これが一因だと、奏太は思っている。


 全員が頷くのを待って、奏太は続ける。


「多分、今までの積み重ねもあったんだろうけど、この前の……一件で、身体が限界に近づいたっぽいんだ」


 喉が詰まって、奴隷商、とも、鳴響商会、とも言えずに遠回しな言い方になったが、その場にいる者達には、十分伝わったらしい。


 数人から、息を呑むような声が聞こえた。

 

 隣にいた亘が、奏太の右腕に手を置き、ぎゅっと痛いくらいに握る。まるで、どこにも行かせないというように。

 その手が暖かくて、奏太は縋るように、その上にそっと手を被せる。


「この前、結界の綻びを修復に行っただろ。その時、陽の神の力を借りようとしたら、無理やり神の存在を引き出されそうになって……もう、時間がないんだって、気づいたんだ」


 震えているのは、自分の手か、亘の手か。

 汐が、蝶の姿でふわりと舞い、その手の甲にピタリと降りた。


 『置いていかないで』

 汐にそう泣かれたのは、一度きりじゃない。

 辛い思いはさせないと、その度に誓うのに、全然約束を守れない。


「……俺が神に飲み込まれて、俺が俺じゃなくなって、それなのに、お前達を縛り続けてるのは、間違ってると思った。だから、せめて故郷に、俺が居なくなっても、安心して暮らしていける場所ができたらって思ったんだ」


 椿が、震える手を奏太の左腕にそっと置く。悪夢に震える奏太を安心させようとしていたのと同じように、包み込むように、優しく、力強く。

 

「それで人界に来たんだけど、柊ちゃんが残すって言ってくれてた居場所なんて残ってなくて……、これから先、全部なくなって、自分自身すら秩序の神に飲み込まれて……それでも永遠に生き続けるのかって……怖くなって……」


 そこまで言えば、巽が、堪らないとばかりに、奏太の背中から飛びついてきた。ギュッとしがみつかれる背中が、熱い。


「……でも、身体はもう限界だし、ここに帰ってきて、改めて、人であることに縋って生きるのは、もう無理なんだって……思ったら……怖いって感情も無意味な気がして……なんか、もう、どうでもいいかなって……思い始めて……」


 ポロッと、涙が溢れた。


 それを、奏太の目の前にスッと座った燐鳳が、絹の布で拭う。鳥籠から帰った、あの時のように。

 

「今は、どうなのですか? 奏太様」


 静かに尋ねる、燐鳳の声。

 

 奏太は片手に握っていた御守に視線を落とす。柊士と白月の願いが込められた御守り。ここに皆の願いが乗っていると、柊士は言っていた。


 父母や、友や、里の者たちや、妖界の者たち。見送った皆の顔が、脳裏に次々と浮かび上がってくる。

 『奏太』と、呼びかけるその声が、ありありと、耳に蘇る。


 それが、なんだか暖かくて。

  

「もう少しだけ、しがみついてみようかなって……思うよ。方法が、あるわけじゃないんだけど……それでも、足掻いてみようって」


 それから、自分を囲む者たちを、もう一度、見回した。


「お前達が居てくれるから、限界まで、日向奏太で居たいって、そう思う」


 笑っているはずなのに、奏太の目からは、ポロ、ポロ、と再び両目から大粒の涙が溢れた。


 両腕に、肩に、強く、暖かく、力が込められたのがわかった。

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