第32話 幸せな夢

 星も月も出ない、鬼界の夜。

 奏太は幸せな夢を見た。

 

 自分の生まれ故郷。大学に入ったばかりの自分の周りには、いつもと同じ顔ぶれの友だちがいて、学校帰りに集合して、いつものファミレスに行った。

 

 山々の向こう側がオレンジ色に照らされるころ、徐々に暗くなりつつある空を眺めて帰れば、温かい光が漏れる自分の生家がある。

 

 ただいま、と中に入ったら、母がキッチンでトントンと音をさせながら夕食の準備をしていた。


『お帰り、奏太』


 そう声をかけられて、酷く懐かしい気持ちになる。


『ただいま。今日、夕飯なに?』

『唐揚げとマカロニサラダ。あとは何にしようかしら』

『腹減ったなぁ』


 その感覚も、すごく久々な気がした。

 

『もうちょっと待ってて、すぐできるから』

 

 ゆったりとソファに座り、ぼんやりとテレビをつけながらスマホを見る。


『ねえ、奏太、大丈夫?』

『何が?』

『なんか、いつもと様子が違うから』

『そう? いつも通りだけど』


 なんとなくそう返事をしてから、突然、妙な不安感にかられて、はっと母の姿を探す。


『なあに? 何かあった?』

『いや、なんでもない』


 キッチンを覗くと、食事を作る後ろ姿。普段通りに返事が返ってきたことに、ホッと胸をなで下ろした。


 リビングに居ると、そのうち父が帰ってきて、自分の好物が並ぶ食卓を父母と囲んだ。


『今日は本家に行かないのか?』

『うん。たぶん』

『御役目だから仕方がないけど、気をつけろよ』

『大丈夫だよ。亘達もいるし』


 心配気に自分を見る父に、そう返す。


『無事に帰ってこい。どこに行っても、何があっても、この家に』

『なんだよ、急に。まるで……』


 そこまで言いかけて、続けたら、そこにある普通が全部消えるような気がして、口をつぐむ。


『まるで、なんだ?』

『なんでもないよ』


 ただ、それだけ返して、なんだか懐かしい味を口いっぱいに頬張った。

  

 自室に戻ると、ゴロリとベッドに寝転び、ウトウトとし始める。すると、コンコンと窓を叩く音が聞こえた。


 カーテンと窓を開けると、青い蝶がヒラリと入ってくる。


『御役目ですよ、様』

『いやいや、三日連続だぞ? 明日も一限から学校なんだけど』

『しかし、鬼界との結界の穴を放置はできません』


 汐の困ったような声に、奏太はため息をつく。


『……わかってるよ。亘達は?』

『ご本家で待っていますよ』


 汐に促されて家を出て、大きな満月の光でキラキラと輝く汐の翅を追いながら、山と田んぼに囲まれたいつもの道を歩く。ゲコゲコ蛙が鳴いて、リンリン、ジージー、虫の音もする。涼しい風が吹き抜ける。


 山の麓のひときわ大きな家。その玄関の戸をガラリと開けると、本家の使用人である村田が出てくる。それとともに、従兄の姿も。


『こんばんは、村田さん』

『お疲れ様です、奏太さん。亘達は中庭にいますよ』


 村田は穏やかに笑む。従兄の柊士は、疲れた顔だ。

 

『悪いな、奏太。三日連続で』

『まあ、仕方ないよ。柊ちゃんも忙しいだろうし、さっさと閉じて帰ってくるよ』

『鬼に気をつけろよ。何かあれば、すぐに連絡しろ。淕達を駆けつけさせるから。絶対に無茶はするなよ。いいな』


 柊士は、いつもの調子だ。


『わかってるって。柊ちゃんは相変わらずだなぁ』

『無事に帰って来いよ。待ってるから』

『………………待ってる?』

『何だよ?』


 突然、言葉を繰り返した奏太に、柊士は眉を顰める。

 

『……ホントに、ここで待っててくれるの、柊ちゃん?』


 役目を終えて帰ってきたら、なんだか居なくなっているような気がして、奏太は思わず、そう問いかけた。

 

『別の綻びでも見つからなきゃ、ここにいるよ。里に行く用事もないし。どうかしたか?』

『いや、なんでもない。なんでもないんだ」


 そう言いながら、奏太はくるりと柊士に背を向けた。胸が、何故か痛む。


『じゃあ、行ってくるよ』


 ヒラヒラと後ろ手に二人へ手を振り、胸の痛みを押さえ込んだ。


 ランタンで明るく照らされた本家の中庭に着くと、亘が大鷲の姿で待っていた。近くには、椿と巽もいる。

 

『これはこれは、守り手様。随分とお疲れなご様子で。これから優雅な空の旅だと言うのに』

『何が、優雅な空の旅、だよ、亘。自分の飛び方の荒さを自覚してもらえないかな? さすがに三日連続であれはキツイんだけど』

『おや、いつも、あれ程丁寧に御運びしているのに?』

『はは、丁寧って言葉の意味、調べてから言ってくれる?』


 苛立ち交じりに言うと、巽がパチンと手を叩いた。


『ほらほら、言い争いはやめましょうって! 御役目の前ですから、ねっ!』

『あ、それでは、今日は私が御運びしましょうか?』


 椿が顔を輝かせながら明るく言うと、今度は汐の声が冷える。


『貴方は、周囲の護衛でしょう?』

『……何故、汐が決めるんです? 私は奏太様にお聞きしたのに』

『汐ちゃんと椿も、やめようか! 亘さんが、いつもより丁寧に奏太様を運んでくれればいいだけだから!』


 仲裁役ばかりで巽はよく疲れないな、と思いつつ亘を見れば、鷲の首を小さく傾げたのが目に入った。


『どうも、ご機嫌斜めのようですね』

『別に、そんなことないけど……』 


 そう言いかけて、カタリ、突然、何かの音が聞こえた気がした。


 鬼界にある商会の屋敷の自室ではっと目が覚める。そこは暗く静かで、先ほどまで自分を囲んでいた者たちの姿はない。


「……ああ……もう、最悪だ…………なんで、こんな時に…………」


 奏太は顔の上に腕を置いた。


(あいつらに、あんな事、話したからだ。言うつもりなんて、なかったのに)


 夢で見たのは、あの頃の、何の変哲もない幸せで普通の日々。思い出すと、心がとらわれて前に進まなくなる。


「……帰りたい……あの頃に……」


 もう、帰ることなんて、出来ないけれど。


 少しでも、あの夢の中に戻りたくて、奏太は腕で目元を覆う。


 瞬間、何かに荒っぽく、その腕を掴まれた。目元にある自分の腕を押さえられているせいで、前が見えない。体に何かがドシッとのしかかる。もう片手も押さえ込まれて身動きが取れない。


「は? 誰……っ」


 そう言いかけて、開いた口に何か小さな粒をいくつか入れられた。その苦い味が口に広がったかと思えば、液体が口の中に入ってくる。

 突然の事態についていけず、鼻をつままれ、喉がゴクンと動いた。


「――このっ!」


 とにかく、身動きが取れない状態では困る。掴まれた腕に陽の気を集めていく。誰かは知らないが、眷属や人でなければ、陽の気を発する腕に触れていられないはずだ。


 思った通り、真上の何者かから、グッと低い声が漏れた。そのまま、暴れて逃げ出さなければと、全身に力を入れようとする。

 

 しかし、何故か動かない。力を入れようとしてるのに、力が入っていかない。金縛りにでもあったかのように。


「……っ!」


 亘! そう声を上げようとした。でも、さっきまで普通に出ていた声すら、何故か出てこない。


 押さえ込まれていた腕が放されるとともに、ムクリと真上の何者かが体を起こす。すぐ近くでもう一人が小声で尋ねる声がした。

 

「おい、大丈夫か?」

「手のひらが酷い火傷だ。一体、どうやったんだ?」

「よくわからないが、危険物でもあったら困るな。もう少し飲ませておくか」

「即効性重視で強力な薬なんだろ? 大丈夫か? 大事な商品が死んだりしたら……」

「大丈夫だよ。それに、この場で取り逃すほうが痛手だ」

「鳴響商会が欲しがってて、光耀教会が探してる人妖だもんな。どっちが買うにしても、高く売れる。どこまで値が釣り上がるか楽しみだ」


 一体、こいつらは何の話をしているのか。

 だんだん、頭がぼんやりとしてくる。


 突然、口の中に指を突っ込まれ、無理やり広げさせられた。再び、ポトポトと粒がいくつか舌の上に落ち、液体が流し込まれる。


(…………頭が……痛い…………)


 まるで、何処かに吸い込まれるように意識が遠のき、奏太は再び眠りについた。今度は夢すら見ない、暗闇の中に、深く、深く。

 


 ――――――

 


「奏太様、何かございましたか? 御声がしたようですが……」


 不寝番が、奏太の部屋の扉をノックする。けれど、なんの反応もかえってこない。

 眠っているのだろうか、そう思いつつも、何も無い事を確認する為に扉を開ける。


「失礼いたします」


 しかし、ベッドにあるはずの奏太の姿はなく、布団が雑に捲られているだけ。開け放たれた窓でカーテンが風に揺れる。


「――そ、奏太様!?」


 不寝番は、素っ頓狂な声を上げたあと、バタバタと開いた窓に駆け寄りバルコニーに出る。三階。屋敷の庭に人影はない。周囲を見回し主の姿を探すが、やはりどこにもいない。ふと、張られているはずの屋敷を守る結界の一部に大きな穴があいていることに気づいた。


「……結界が、何故……」


 そう呟いたところで、背からグサッと何かに刺された。


「……う……ぐ……っ」


 その場で力なく膝をつき、自分を刺した者の姿を確かめようとする。

 そこには、大きな麻袋を肩に背負った鬼がいて、もう一人が自分にも麻袋を被せようとしているところだった。


「こっちは死体売りだな」

「まあ、仕方ないさ。本命は手に入った。こっちは物好きにでも売りつけてやろう」


 そう交わし合う声が、耳に遠く聞こえた。

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