第3話 貴族の館①

 夜、大きく茶色の翼を広げた巨大な大鷲に乗って、奏太そうたはランタンの明かりに浮かび上がる街並みを見下ろしていた。


 奏太はトントンと大鷲の背を叩く。


わたり、現場はあそこ?」

「ええ。憲兵が複数で守っている場所です」


 亘が鷲の頭をクイッと動かした。


 うしおが青い蝶の姿に自在に変われるのと同様、亘は人が一人乗れるほどの茶色の大鷲に、椿つばきは白いサギの姿に変わることができる。二人は奏太の護衛であるとともに、大事な移動手段だ。

 

 今は亘が奏太を乗せているため、椿は人の体に白く大きな翼を生やし周囲を警戒して飛んでいた。

 

 地上に降り、人と同じ姿に変わった護衛二人と大きな屋敷の門前まで行くと、憲兵の制服を着た二本角の若者がこちらに駆け寄ってきた。


「お待ちしておりました、聖教会の司祭様」


 奏太が身分証明のために着ている純白に金の刺繍が施された祭服は、この国の主神に仕える者の証。その立場が、鬼の世で人間の身である奏太自身を守るものにもなっていた。


「中の状況を教えてもらえますか?」

「闇の発生地点は、三階の一番奥にある主人の部屋です。ただ、闇が随分と広がってしまい、日石が無ければ長く中に居られません。虚鬼も複数いるのですが、軍の方々の到着がまだでして……」


 虚鬼とは、普通の鬼が闇に飲まれて心を失った虚ろな存在だ。意思はなく、誰彼構わず襲いかかってきては食い散らかす、鬼を喰う鬼。万が一にも外に出せば大変な事になる。

 

 虚鬼の対処は通常、日石ひせきを国から貸与された軍の者が行う。今はそれを待っている状態、ということだ。


「虚鬼になった者たちの中に、私兵や軍の者が混じっている可能性は?」

「いえ、屋敷の使用人ばかりだろう、と」


 虚鬼の強さは、元の鬼の強さに比例する。


「いけるか? 亘、椿」

「祓うついでに焼いていただけるなら」


 亘の言葉に、奏太はコクと頷いた。


「軍を待つ必要はありません。こちらでどうにかしますので、中に通してもらえますか?」

「……しかし、人妖の方々に虚鬼の対処は……」


 憲兵は、奏太達を上から下まで見てから眉を下げた。言外に無謀だと言われているのがよくわかる反応だ。


「大丈夫ですよ、護衛が優秀なので」 


 奏太がそう言った時だった。


「たかが人妖に、虚鬼の相手が務まると?」


 背後から響く聞き覚えのない低い声。

 振り返れば、筋骨隆々の、上にも横にも奏太の1.5倍はありそうな鬼が、不機嫌そうにこちらを見下ろしていた。


 大男の後ろには、揃いの鎧を身に纏った者達が、十数名。軍の者達だ。


 亘と椿の空気が一気にピリッと警戒するものに変わる。奏太はそれをパッと手を挙げて抑えた。


「軍の方のご到着ですか。なら、周囲の虚鬼の始末はお任せしましょう。我らは軍の方では対処が難しい闇の大元の方に」


 奏太が言うと、軍の大男はピクリと眉をうごかした。


「我らを格下扱いなさるのですか? 若き人妖の司祭様」

「まさか、そんなつもりで言ったわけではありませんよ」


 亘達がいれば何とかなるので、来ないなら来ないで別に良いとは思ったが、軍が始末してくれるのなら、二人の負担が減って助かる、くらいのつもりだ。


 それでも一応弁解したつもりだったが、大男は納得いかなそうに奏太達を検分するように見たあと、嘲リ混じりにフンと鼻を鳴らした。


「虚鬼のことより、御自身の心配をなさった方がよろしいのでは? 光耀教会は闇祓いに大司教様を派遣なさるというのに、白日教会は司祭様がいらっしゃるとは。本当に闇を祓えるのでしょうね?」


 大男の視線の先にあるのは、奏太の司祭服と白日教会の主神である日の女神の紋章がついたブローチ。

 同じ聖教会の傘の下、秩序の神を主神とする光耀教会とは対になる組織だ。


「所属教会も階級も、それほど関係ありませんよ。与えられた日石の力次第ですから」

「強い日石を与えられたところで扱えるのですか? 人妖の司祭様に」


(……しつこいな。大丈夫だって言ってるだろ)


 この大男は、どうしても奏太にいちゃもんをつけたいらしい。


 しかし奏太にとっては、どれも大した意味を持たない。

 

 身分証明に便利だから白日教会に籍を置いているだけで、教会の仕事をしているわけでもなければ、信仰心の欠片もない。だいたい、教会から日石を与えられてすらいない。


 奏太自身が、自分の内で日の力――陽の気を生み出せるのだから。


(時間の無駄だな)

 

 相手にするのも面倒になってきて、奏太は大男に、精一杯、愛想の良い笑みを向けた。

 

「御心配なく。仕事はきっちりやりますので」


 口撃が全くの無意味である事を悟ったのだろう。大男は憮然とした表情を浮かべた。

 

「とにかく、今回は軍が虚鬼を始末します。いずれ、護衛と共にどこかの無法者に食い尽くされないことを祈ります。お若い人妖の司祭様」


 大男は、捨て台詞の様な事を言って、ドンとわざと亘に肩をぶつけてから屋敷の方に歩みを進める。

 その仲間達も、睨んだり嘲ったりしながら奏太達の横をすり抜けていった。


 奏太はしばらく黙ってその背を見送っていたが、そういえば一つ大事な事を言い忘れたと、口の横に手を当てて声を張り上げた。

  

「あの! 日石をお持ちでも、一際濃い闇の中に入るのはおすすめしません。聖教会が持つような強力なものでない限り、日の力の方が負けてしまいますから!」


 一応、彼らのためを思って呼びかけたのだが、ジロっと鋭い目で睨まれただけで、彼らはさっさと屋敷の門の向こうに入っていってしまった。


「大丈夫かな、あれ」


 日石は本来、聖教会が管理する場所でしか手に入らない。国に融通されるのは、聖教会側で日の力の量を調整したものだけだ。闇の発生源にある濃い闇には軍の持つ日石では足らないだろう。

 

(無理に入っていったりしないと良いけど)


 そう思っていると、背後で椿が憤然と声を荒らげた。


「なんて無礼なんでしょう!」

「まあ、虚鬼を始末してくれるって言うんだ。手間がなくていいだろ。こっちは闇を消すことに集中できる。忠告だけ聞き入れてくれればそれでいいよ」


 奏太が言うと、亘が低い声を出す。

 

「その忠告は必要でしたか?」

「虚鬼に変わったら困るだろ?」 

「始末に制約がなくなりますね」


 奏太は唖然として亘の顔を見つめた。


「いやいや、物騒な事言うなよ」


 奏太が言うと、亘は無言のまま、少しだけ眉を上げる。

 

 どうやら本気で、さっきの連中を虚鬼に変えて始末しようとしているらしい。

  

「ただの挑発だ。そんなに腹を立てるようなことでもないだろ」 

「主を侮られて腹を立てない者など居ません」


 亘はそう言うが、奏太はどうにも腑に落ちない。


(っていうか、俺のことを普段から一番侮ってるのは、お前だろ)


 心の中に浮かんだ言葉を、奏太はグッと奥底に押し込んだ。

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