苦手なあの人と特訓
家の近所の路地裏へ降り立ち俺は頭を下げて礼を言う。
「すみません、こんなとこまでありがとうございました!」
「いいえ」
「それと……さっきの言葉も、ありがとうございます」
「……客観的な意見を述べたまで。君のためじゃない」
視線を外した彼の顔はうねりを帯びた髪で見えなかった。
冷静で情を表に出さない黒瀬さんの言葉だからこそ、より強く心に刺さったのだと感じる。
黒瀬さんは部屋へ戻って行き、俺は玄関を開けた。
「ただいま〜」
「おかえり!」
間髪入れずにリビングにいる両親から声が返ってくる。顔を見なくてもわかる、この感じは——
「どこで何食べたの!?」
「テミスの人? 何人で?」
子どもか。とツッコみたいくらいに興味津々だ。俺は「ちょっと待って」とだけ言い、着替えやら手洗いやらを済ませる。
コップに茶を注ぎ、体を潤わせてから親のインタビューに回答した。
「テミスの……チーム四人でだよ。拠点にしてる部屋で、宅配ピザとか食べた」
「楽しそうだな!」
「あらあらあら、いいじゃない〜! 写真は?」
「写真なんか——」
ブブッとスマホが震える。
画面にはディケのグループ通知が来ていた。宝木さんから【撮ったやつ送っとくね!】と五、六枚の画像が送られている。
「送られてきたわ」
二人、特に母親は食い入るように画面を覗き込んだ。
見せたのは黒瀬さんが作ったケーキを皆で囲んでいる写真だ。
「豪華なケーキね!?」
「男の先輩が作ったんだよ」
「へぇ〜器用なんだなぁ」
「良かったわねぇ!」
「もういい?」
母の手からするりとスマートフォンを抜き取ると「はいはいどうも」と笑われた。
入浴した後はバッテリーが切れ、ベッドへ吸い寄せられる。金曜日だし、課題はまぁ……いいか。と考えたのを最後に瞼は接着した。
*
次の日の午後一時半。俺は来留さんからもらった合鍵を使って部屋に入っていた。
パイプ椅子に座ってスマートフォンを片手にネットサーフィンをしながら時間をチェック。三分経過したところで玄関の開く音がした。
「来てたんだ」
「はいッ」
スマートフォンをすぐさまバックパックに投げ入れ姿勢を正す。
黒瀬さんはてっぺんから爪先まで流れるように眺めると「……そんな服持ってんの意外」と呟いた。
動きやすい服装を、と思い中学時代に買ったトレーニングウェアを着ていた。もちろん調子に乗った勢いで購入した物なので着用回数は片手ほどだが。
「中学んとき、サッカー部だったんで! そのときのノリで買ったやつです」
「ふーん……」
黒瀬さんはグレーのスウェットに腰からくるぶしまで白ラインが入った黒のパンツだった。動きやすい私服をチョイスしただが、オシャレに着こなしているように見えた。
「君はさ、部活中に超能力を使ったことはないの?」
「え……無い、けど……」
「パスするとき、シュート打つとき。……バレない程度に飛んで、威力を上げることはいくらでもできるでしょ。無意識のうちにでもしてないって、断言できる?」
彼は被疑者を前にした警察官の目をしていた。
「……その考えがあったか……!」
「……は?」
「走り込みとか基礎練のときにやれば楽だったな〜! なんで思いつかなかったんだ!」
「あの……真面目に言ってる?」
「真面目です!……とにかく俺は絶対やってないですよ。だって、そもそも精密な能力コントロールできないですから!」
「はあ……まあいいや。たしかにやってなさそう」
黒瀬さんは呆れたように頭をガシガシと掻いた。
「それで、どこに行くんですか?」
「穴場がある」
部屋を出ると彼は「走るよ」とだけ言い、俺は後ろを付いて行った。
「あの……どこまで走るんですか……!?」
「あともう少しだよ。……っていうかサッカー部だったんだから、余裕でしょ?」
「部活は中二までですけどね! 逆になんで涼しい顔してるんですか!?」
俺は決してバテているわけではない、表情に変化がなくペースを落とさない黒瀬さんに驚いているだけだ。
「僕も、中学のとき部活やってたから」
「え、なんですか?」
「……陸上」
「あー、だから! 今も走れるってことはかなり打ち込んでましたよね。すごいですね!」
「……どうかな」
大人しくてお菓子作りが趣味の黒瀬さんにこんな力が秘められていたとは。
ディケに入ってから次々と人の意外な一面を目にする。それはきっと、上辺だけでない付き合いが始まっているということなのだろうか。
気がつけば目の前には淡い紺色が広がっていた。浮いては沈んでを繰り返す海面に光が反射している。
「ここは……」
「大昔にあった港を再開発して公園にしたんだよ。ま、それも何十年と前だけど」
公園とは名ばかりで遊具は一つもなく、蔦に侵食されたガゼボがぽつんと海を眺めているだけ。
芝生はところどころ地肌が見えており、設置されている公園案内図もほとんど錆びていた。
見渡す限り人はいない。たしかに穴場だ。
「じゃ、やるよ」
「……はい!」
「……つっ……かれた……」
二時間後。俺は禿げた芝生の上で大の字になっていた。
タイムを測りながら上空を飛び回ったり、飛ぶ力をコントロールをしたり。
肉体的なトレーニングは部活で慣れていたが、やはり能力訓練となると別の疲労に襲われる。
今はぼうっと流れ行く雲を目で追うくらいしかできない。
「はい」
「え、ありがとうございます……」
黒瀬さんはスポーツドリンクを渡してきた。驚きつつ受け取ると、きんと冷えており手のひらが濡れた。
「あとこれ」
キャンディ包みのチョコレートが三個、黒瀬さんの手の上に転がっている。
「超能力使ったら疲れるでしょ。糖分補給だよ」
……そういえば、競技かるたの選手は脳をフル回転するから体重が減る、みたいな話を聞いたことがある。
つまり超能力を使うと消費するのはスポーツ同様、糖分が主ということか。ただ、半妖の俺にもこの理論が当てはまるかというと疑問ではあるが、ありがたく頂いた。
スポーツドリンクで甘くなった口内に球体のチョコレートを放り込み更に甘くする。黒瀬さんも隣に座り水分補給をした。
「何度かやってたら速度も上がってきたし、いい感じなんじゃない?」
「ありがとうございます!」
「……君って、どれくらいの物を運べる?」
「
「人、運べる?」
上空へと舞い上がり彼の提案を試してみる。まずは俺が黒瀬さんを背負って飛べるかどうかだ。
「こ、怖いですね……」
下は海。だがこの高さから落ちてしまうとコンクリートに叩きつけられるも同然だ。
「大丈夫。
「はい……」
黒瀬さんが俺の背に回り両肩に手をかける。
「じゃ、解除するよ」
重量が増す、下手すれば海面へ落ちる覚悟をした。
——が、何も変化しない。
「く、黒瀬さん、本当に解除してます?」
「え……うそ」
「なんですか!?」
「僕超能力使ってないよ」
ということは、いま俺の背には黒瀬さんの全体重がのしかかっているはず。何が起きているんだ。
「ちょっと飛んでみてよ」
「は、はい」
空気が顔に当たる感触はさっきと変わらなかった。
「……ちょっとやってみたいことがある」
黒瀬さんは俺の背から離れ、片腕を握った。
「……やっぱり」
「なんですか?」
「いま、超能力使ってない。なのに同じように浮遊してる」
「ええええ!?」
「本当に自分の超能力のことあんまり知らないよね……」
もちろん、浮遊するだけでなく直進も問題なかった。
黒瀬さんによって、俺の能力は『触れている人も同様に飛ぶことができる』と判明した。父からも教えられなかった新事実である。恐らく、教えなかったのではなく父も知らないのだろ
う。
顔を掠める風は、今日一番の爽快感だ。
「実戦でも使えますよね、これ!」
「かなり役立つと思うよ」
「やった……黒瀬さんのおかげです!」
「…………あのさ」
「なんですか?」
彼は目線をウロウロさせ、最後は俺と真反対を向いた。
「さん付け、やめたら? ……あと敬語も」
「……えっ」
癖のある髪が風に乗ってバタバタと踊っているのをただ見つめていた。するとほんのり薄紅色をした険しい顔と対面。
「そろそろ七花に怒られそうだから! ディケは敬語禁止ルールなんだよ!」
意外な力関係が垣間見えてしまった。俺はここぞとばかりに交渉を持ちかける。
「……じゃあ、黒瀬さんも『君呼び』やめてください」
黒瀬さんは真一文字に口を結んだあと、目をキョロキョロさせてから解いた。
「……綿来」
「……黒瀬!」
言葉が崩れたことで俺と黒瀬の距離を大きく作っていた壁も崩壊したような気がした。少なくとも俺の方にある壁は。
海がオレンジ色の光に照らされる頃。
「それじゃ、解散にしよう。綿来はこれから積極的に
「分かった! さっそく
「今日はかなり疲れてるからやめときな。休息も大事だよ」
「そっか……なら大人しく地上から帰るか」
「また明日もだから、忘れないでよ綿来」
「もちろん。お願いするよ、黒瀬」
帰りの電車から見えた、藍に染まり始めたオレンジの空が綺麗だった。
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