アンビヴァレンツ

「腹減った〜。食堂行くか」

「っしゃ、行こ行こ〜」

 高校の入学式から一週間。一年生は皆、着慣れない制服を身に纏いながら浮き足立っていた。もちろん、俺も例に漏れず。

 出席番号順でたまたま前にいた楽間らくまと絡んでおり、昼食を取るために食堂へ向かった。


綿来わたらいは部活決めたか?」

 向かいに座っている楽間がカツ丼のカツを口へ運ぶ前に問う。俺はうーん、と音を発しながら中華そばを咀嚼。嚥下してから答えた。

「なんか入ろうかな、と思ってるけど迷ってんだよな。楽間は?」

「俺はバスケ部考えてんだけど、どうよ」

「バスケか……跳ぶ系はちょっと苦手かも」

「マジか〜、まあ苦手ならしゃーねーわな」

 変に食い下がられず、少しだけホッと安心した。

 メンマを口へ放り込みシャクシャクと食感を楽しんでいたときだった。

「ごめん。ここ……いい?」

 なんとか聞き取れるレベルの小さな声。

 楽間の横にはミルクティー色のウェーブヘアを胸元まで垂らした女子生徒。同じクラスの来留礼奈くるどめれながいた。

 周辺を一瞥すると満席だった。唯一空いていたのが楽間の隣なのだと瞬時に納得する。

 彼女とは席が遠いこともあり、会話は未だに交わしていない。近くで見るのは初めてで鼻筋は意外と通っており、メラニン濃度の低い瞳の上にはまつ毛が綺麗にアーチを作っているのだと分かった。

 ビスクドール。そんな言葉が似合いそうな子だ。

「ん? あぁ、どーぞどーぞ!」

「ありがと」

 楽間はトレイを持ち上げ僅かに左側へスライドした。来留さんはかけうどんをテーブルへ置くと椅子を引き、芍薬から牡丹へと姿を変えた。

 俺と楽間のスペースに女子が入り込んできたためか、会話が止まる。そのまま黙々と食べ進め、楽間と共に食器を返却した。

 

 教室へ戻るために犬走りを歩いているときだった。

「もしかして、綿来って来留さんのこと好きなのか?」

 唾液が気管へ迷い込みそうになり、ゴフッとむせた。

「な、なんでそうなる!?」

「いやだって、さっきめっちゃ見てたし」

「違う違う! そういうんじゃなくて! 間近で見たことなかったし、『こんな顔してたのか』って改めて見てただけだ!」

 訂正したはずなのに、訂正前よりもヤバい奴になっている気がする。楽間は片側の口角を引き上げる。

「へぇ〜。そうですかい。……けどあの子、あんま喋ってるとこ見ねーし、いつも単独行動だよな。何考えてるのかよく分からん」

「あぁ……たしかに」

 甘い見た目のわりに飄々とした態度でいて、いつも真顔。それ以外の表情は見たことがない。まだ一週間しか同じ空間にいないのだから当然だが、来年になっても見られる気配が感じられない。

 まあ、今後も接する機会は無いだろうしどうでもいいのだが。

 それから来留さんのことは頭からすっぽ抜け、午後の授業を受け終えると帰路へ着く。

 部活の見学には行かなかった。だって、なるべく平穏に高校生活を送りたいから。


「ただいま〜」

「おかえり〜、今日は煮込みハンバーグで〜す!」

 一旦リビングに顔を出すと、母がキッチンで野菜を刻んでいた。小気味よい音が響く。

 制服から部屋着に着替えると、教師から与えられた課題を机に広げる。取り掛かる前に邪道と分かりつつもスマートフォンの動画アプリを開き、どの動画にしようかとスクロールする。

 漫画紹介の動画をタップすると投稿者の挨拶が流れた。普段は専ら映画紹介を観るが、最近話題になっているらしく気になったのだ。

 課題に八割、動画に二割の意識を分散する。

 二割の意識で拾い上げた漫画の内容は、おっちょこちょいな魔法使いの女の子が周りの人たちの悩みを魔法で解決する、というコメディ作品だった。

『クラスメイトは普通の人間なんだけど、主人公が魔法使いってバラすのよ! そんで、みんなすぐ受け入れて人気者になるんですね〜これが』

 俺は動画を止め、タスクキルをした。

 

 課題が終わった頃、一階から母の呼ぶ声がしたため階段を下りた。ダイニングテーブルの上にはご飯、味噌汁、煮込みハンバーグにサラダが並んでいる。そして三時間前にはいなかった父がダイニングチェアに座っていた。

「おかえり」

「おぅ、ただいま。学校はどうだ?」

「まだ一週間だしよく分かんないけど、それなりに?」

「そうかそうか」

「じゃあ食べましょか。いただきます〜」

 母も揃うと全員で手を合わせ唱和する。味噌汁で体を温めるてからハンバーグに箸を沈める。肉汁が顔を出した。

「部活とか考えてるの?」

 サラダをつまみながら尋ねる母。俺は首を横に振った。

「入らない。それか入ったとしても文科系かな」

「綾人、スポーツ好きだろ?」

 キョトンとした顔になる父。分かっているくせに、と内心僅かに苛立ちが芽生えた。

「高校では普通に過ごしたいから。リスクが有るようなことはしない」

「部活くらいなら大丈夫だと思うけどなぁ〜」

「そうだそうだ」

「そうやって油断したらダメなんだって」

 二人は眉尻を下げて呑気なことを言う。なんて甘々なんだと呆れた。

「安全に縛られてやりたいことを制限するのは精神衛生上良くない!……と、俺は思うぞ!」

「お父さんもっと言ってあげて〜!」

 したり顔の父の隣で母は軽く拍手をする。俺は睥睨しお茶を飲んだ。

「……綾人にはやりたいことをやってほしいのよ。なにかあったらいつでもなんでも手伝うし——」

「分かった分かった。ちゃんと考えてみるよ」

 柄にもなく真面目に説く母。なんだか見たくなかったためとりあえず同意しておき、残りのハンバーグとご飯をかき込んだ。


 入浴も済ませ、自室のベッドで寝転びながらタブレットで洋画を観ていた。元アサシンの男が始末しようと狙ってくる敵を返り討ちにするアクションストーリーだ。

 ちらりと時計の方を見やると二十三時。映画を一時停止しタブレットを置くと、俺は黒のマントコートを羽織りフードを深く被る。

「よっし、行くか」

 自室の窓を開けきょろきょろと周囲を見渡す。人はいない。俺は窓枠に足を乗せ——飛んだ。

 重力に従って俺の体は真っ逆さま、ではなく上へと向かった。

 冷たい夜風が頬を叩き、肺の中の温かい空気は押し出され冷たい空気が入り込む。これが気持ち良くてたまらない。

 上がって上がって、およそ上空五百メートルに俺はいた。

 日中ならばギリギリ肉眼で自宅が視認できるが、この時間だとそうはいかない。マンションやビル、街灯の光で街は光り輝いており絶景だ。


 俺は一反木綿の父と人間の母の間に生まれた、いわゆる半妖である。父は人間のフリをして普通のサラリーマンをやっているが、俺と同様に飛行能力は持っている。だが怖いらしくほとんど飛んだことは無いらしい。

 幼い頃から「他の人に飛ぶところを見せたらダメだよ」と両親から言われていたため、それは忠実に守っていた。

 こうして夜遅くに飛んでいることを二人はおそらく知っているが、何も言ってこない。容認してくれているのだろう。

 危機感のない能天気な両親だと思っていながら、自分だって平気で飛んでいる。偉そうに人のことを言えない。

 だって、こんなにも心地良い。

 体勢を変えて仰向けになれば、地上よりも近くなった濃紺の空に星がいくつかチカチカと姿を見せる。

 十五分ほど滞在すると地上に向かって下降する。周辺に注意しながらするりと自室の窓から戻った。

 マントコートを脱いでベッドにダイブ。余韻に浸りながら息を漏らした。そしてそのあとはやってしまった、と罪悪感に包まれる。


 「いい加減止めねぇとなぁ……」

 そう思いながらズルズルと続けてしまっているルーティン。この力が嫌いなのだから完全に封印するべきなのに、空を飛ぶ気持ち良さにいつも負けている。

 こんな力があるから俺は人間ではない。この家以外で俺の居場所はどこにもない。

 だから、きっと一生他人とは深く関わらない。関われない。

 そんな寂しさと悲しさが胸中で渦巻いていた。だからせめて、飛べることを忘れるくらいにならなければ。

 俺はこの力が好きだし、嫌いだ。矛盾した感情を抱いていると知らぬ間に睡魔が襲っており、瞼は眼球に覆い被さった。


 *


 空を飛んでから二日が経過。俺はなんとか飛行断ちに耐えていた。学校で授業を受けている最中でも、少しくらいは……いやダメだ、とまるで禁煙中の中年男性かのような葛藤をしていた。

 六時間目の終了を知らせる鐘が鳴り、ふぅと息を吐く。

 ここからが本番だ、耐えろ、飛ぶな。

 頭の中で唱えながら教室を出ようとしたときだった。

「綿来くん。……ちょっといい?」

 左方向へ視線を移すと琥珀色の瞳が俺を刺していた。来留さんだ。

「え……う、うん」

 挨拶すらしたこともないのに、彼女から突然呼び止められた。

 俺の返事を聞くと来留さんは「来て」と告げ、廊下に出る。先に進む彼女を追っていると告白の二文字が頭に浮かんだが、そんな都合の良い話なんか無いか、とすぐに打ち消した。


 彼女が足を止めたのは校舎を出て裏側に回ったところだった。校舎の反対からは高さのあるブロック塀に挟まれ、前後には人の気配はない。二人きりだ。

 来留さんは淡い髪をふわりと揺らしてこちらを向いた。

「綿来くんって、空飛べるよな?」

 あ、関西弁なんだ。意外だな。

 などと思っている場合ではない。とんでもない緊急事態だ。心臓を握り潰されそうなほどの衝撃に耐えながら、俺はへらっと笑う。

「え、なにどういうこと? 来留さんの夢の話?」

「一昨日の夜十一時。五分くらいしたら地上に降りて行って二階の窓から入るのを見たんよ」

 まずい。かなりまずい。バッチリ見られている。もう失敗しないって、決めたはずなのに。



——一年半前。中学二年生の秋頃。

 俺は休日に友達と四人で遊んでいた。

 その帰り道、友達との別れ際に居眠り運転でハンドル操作を誤った車が突っ込んできた。

 気づいたときには自分の足で避ける余裕は残されていなかった。俺は恐怖心のあまり、飛んでしまったのだ。

 被害者は誰一人でなかった。ガードレールにぶち当たった車はフロント部分が原型を留めていなかったものの運転手は無事だった。

 もちろんその場面は友達全員の目に映っていた。

「わ、綿来……大丈夫か!?」

「お、おー! びっくりしたわ!」

「こっちがびっくりするわ! っつーかさっきのジャンプなんだよ!? めちゃくちゃ跳んでたな!?」

「か、火事場の馬鹿力ってやつかな!? いやー、俺にもこんな秘められた力があったんだな〜!」

 とにかく笑って誤魔化すことに必死になり、なんとか適当に流せたとその場は安心していた。


「ねぇ、あの人だっけ。すんごい跳んだっていう」

「あぁそうそう。あと車も大破させたんだってさ」

 どうやら事故現場はクラスメイトの女子も見ていたらしく、噂はカスタマイズされながら瞬く間に学校中に広まった。

 友達らは変わらず接してくれているように見えてどこか距離を感じ、部活でもだんだんと居心地が悪くなり退部した。

 別に悪口を言われるわけでも無視されるわけでもない。ただどこか気持ち悪い怪物を見るような目を向けられる。

 その視線が改めて俺は人間ではないということをまざまざと思い知らされた。

 両親にはご近所さんから流れてきた噂で知られてしまったが、能力を使ったことは怒られなかった。

「今回のことは仕方ないし、それよりも無事で良かった」「大丈夫、普通にしていれば良い」と笑顔でそれだけ伝えられた。

 そして俺は環境を変えるため、中学の知り合いがいなさそうなこの学校を受けた。



——だからもう、失敗はできない。入学早々またあの環境に戻りたくない。

 俺は最後の悪あがきで笑顔を保ちながら嘘を並べる。

「いや、俺はそのとき家で映画観てたし。そもそも外になんか出てな——」

「まあ、この場面で自分から『はいそうです』って言う奴なんかおらんわな」

 来留さんがこちらへ向かってきた。

「じゃ、見せるわ」

「え——」

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