第2話 御城問

 西八王子駅から中央線で隣りの高尾駅からさらに京王線に乗り換え四駅。普段であれば用もないので下車しない京王片倉駅。



 改札ホームを抜けてから一度立ち止まって、スーツのポケットから四つ折りの紙を取り出して広げれば簡易の手描き地図が記されている。地図の経路を目印など見つけながら従って歩けば片倉城址かたくらじょうし公園く近くに建つ、これは大正時代のような造りの旧殿居きゅうとのい郵便局をもう少し大きくしたような建物が大型犬を放し飼い出来る程度の庭を含めて鉄柵で囲われた場所に辿り着いた。正門には確かに『御城おんじょう』という姓の表札が掛けられていたので、まずここで間違いはないのですが……。



 まあ、このまま引き返す手もありますがそれはそれで、あの少女が何をしでかすかもわからないので覚悟を決めてインターフォンを押し込んだ。そうすると住居の観音開きの扉が開いて、浅葱色の着物姿の少女が小走りにやってきて、「お待ちしておりました。日浦幸緒様でございますね?」私はまたしてもここで常識を揺さぶられるような衝撃に固まってしまうも、彼女の顔を凝視してあることに気付いた。



しきさんではありませんね?」

「え、あ、はい。式は双子の姉になります。よく見間違われるのですよ」



 もちろん雰囲気が昨夜の少女と異なっているのはもちろんだが、その一見して寸分違わぬ容姿で唯一だろうか、私が一瞬だけ気を惹かれた涙ぼくろの位置こそが別人であると判断したのです。そう、昨夜の挑発的な少女には右目尻に。いま目の前に居る少女には左目尻に小さな涙ぼくろがある。しかし、姉妹でこうまでも真逆の雰囲気と性格を有するものなのでしょうか、と少々不思議なものを見たといえば失礼ですが、興味を引かれたのも事実。



 使い古された表現で恐縮ですが、文学作品から抜け出したような品行方正な深窓令嬢は門を開け、一つの隔たりも無い状態で私と向き合い、「わたくしは御城おんじょうといと申します。事情は姉から伺っておりますので、どうぞ此方へ」一度深く頭を下げてから敷地内を先導するように狭い歩幅で歩きだす彼女、御城問さんに付いていく。



 玄関の右手には大きな棚があっていくつかの靴とスリッパが収められていた。御城問さんが履き物の草履を脱いで靴箱に収めたように、私も彼女に倣って空いている場所に靴を収め、代わりにスリッパに履き替える。



 着物姿の少女とこのような時代を感じる場所でこうして向き合っていると、まるでタイムスリップしたような錯覚を覚えますが、あくまで今は平成六年。さて、エントランスホールから右手に伸びる通路をギィギィと軋ませながら手前から二番目の小部屋に通された。対面ソファーに介在する小さな木造のローテーブル。応接室なのだろうがこんな部屋を頻繁に使うのだろうか、という疑問は置いておきましょう。



 お茶を用意してくると言って問さんは部屋を出て行ってしまった。エントランスホールに足を踏み入れてなんとなく察していたが、この邸宅には現在、彼女以外の人間がいないようである。その実、応接室から離れていく木床の軋む小さな音が聞こえるからだ。音を辿って二つ隣りの部屋でしょうか。暇つぶしに狭い応接室を眺めてみると、築年数を感じる箇所が所々に見受けられるも、どうやら全体的には修繕を施しているようで、あくまでも当時の風情を残した形で残していきたい拘りを感じられた。玄関からこの応接室までの短い間でしか御城家を知らないが、きっと家主は質素で贅沢を好まない、というのが私の暇つぶしから導いた推測は後ほど解答を得られるでしょう。さて、そうこう考えていると問さんが御盆にお茶と茶菓子を載せて戻ってきた。



 互いに向き合ってソファに腰を下ろし、「初めまして、日浦幸緒です。式さんからどれほど私のことを伺っていますか?」改めてこの状況の不自然さの確信を彼女の口から確認しておこう、と大衆に紛れる凡俗で柔らかな笑顔を見せる。



「推理作家で……、八王子連続殺人事件で少女を操り人形に見立てて殺している殺人鬼だと」

「それを知っていて、何故この家には私と御城問さんの二人しかいないのでしょう?」

「その点は式姉さんから問題ないと判を押されておりますので。両親も住み込みの給仕の方達も夕方までは帰宅しません」

「判、ですか。では私が来た理由も?」

「はい。もう片方の連続殺人事件の解決を手伝ってくださるのですよね?」

「そう、そこなんですよ。私の疑念が注力した箇所は。そういうのは警察の仕事ですよね?私はただの推理作家です。まさか、推理作家だから事件を解決できると思われていないでしょう。あれは作家の脳内で都合の良い具合に解決できるようになっているんですよ。現実の事件に推理作家の頭脳と推理なんてたかが知れています」

「そうですね、わたくしもそう思います。わたくしが期待しているのは推理作家としての日浦様ではなく、殺人鬼の日浦様の嗅覚と感覚なのですから」



 まったく意味が判らないその根拠を追及していけば話がどんどんと逸れそうなので、先ずは一介の名家がどうして殺人事件を解決しようと動くのか、という不可解な動機をハッキリと明確にせねばなりません。私が今現在この御城家に対して抱いている感情は不可解の一言であるのですから。わざわざ双事件の片方を担う殺人鬼わたしに辿り着いても警察へ通報せず、こうして屋敷に招いては事件解決に協力しろと言うのですから、ただ事件が解決できれば良いという事情でもないでしょう。この時点で導き出せる仮説では、私の少し後から頻発し始めた母体回帰殺人事件の犯人とこの御城家は何か因縁のようなもので繋がっているのではないのではないか。真っ当な手段では断ち切れないからこそ、真っ当では無い殺人鬼しゅだんを用いて解決に当たる。いや……、それは飛躍しすぎだ、と己の考えを否定しておく。



 もっと単純に考えるならば、この双事件に対して警察は一向に捜査の進展もなく、日々被害者を生ませてしまっている。だからこそ事件を解決したい御城家は私を引き込んで、殺人鬼どうぞく探しをさせよう、と考えた方がまだ少しは現実的ではないでしょうか。



「幾つかお聞きしても?」

「はい。わたくしに答えられることであればなんなりと」

「先程、殺人鬼の嗅覚と感覚と仰いましたね? 具体的にはどういう展開を望んでいるのですか。もちろん事件解決の本筋の後、つまり私の処遇とでもいいますか、用済みになれば警察に突き出されて双事件を解決すれば平和が訪れますからね」

「日浦様の仰られたとおり、御城家は母体回帰事件さえ解決できればそれで十分なのです。そうですね。わたくしの言葉より、此方を見て頂いた方が早いかもしれません」



 懐から一枚の封筒を取り出してそれを私と彼女に介在するテーブルの上にそっと置いた。彼女の眼はソレに注がれており、その表情は緊張で硬くなっているようにも見えた。一つ断りをいれてその封筒の中身は四つ折りの紙が一枚、それを開けば……、なるほど、これは犯行予告……、いや、脅迫状という奴ですか。



 そこには確かに私を示す、目障りな少女人形の殺人鬼、とまでご丁寧に身に覚えの無い恨み辛みまで記されていて、母体回帰殺人鬼からの脅迫とも取れる文章を要約するとこうなります。



 (零)以降の一つでも違えれば、御城の血を以て精算することとなる。



 (壱)八王子双事件と並べられる目障りな少女趣味な人形殺人鬼を見つけ次第、生死は問わず私に差し出すこと。期日は一ヶ月とする。



 (弐)私との繋がりである手紙を含め、今後得た私に関する情報は警察に流すこと許さず。



 (参)御城が侵した権力に隠蔽されし悪事を公にせよ。



 以上が母体回帰殺人鬼からの手紙の全容である。



 紙面から顔を上げると問さんは膝の上でギュッと小さな握りこぶしを震わせているではないですか。(零)で御城の血を以て精算と書かれているが、率直に言えば殺害予告である。その対象にはもちろん彼女自身も含まれているのだから気が気でないはず。この犯人の要求(壱)の半分は終えている。(弐)に関しても喋らなければ良いだけの話。そして問題は(参)なのだが、これは御城家の問題なので口を挟む気はない。



 これらの要求の中で、「解せない点があるんですが、問さんはわかりますか?」謎々をするように穏やかな口調で彼女に話を振ると、強張った表所はハッとさせて目を丸くし、私の言った意味を反芻するように視線をテーブルの上に広げた手紙に注がれている。



「日浦様を差し出す……、という箇所でしょうか?」

「ええ。そうなんです。これは犯人にとって、ああ、もちうろん母体回帰の方ですが、非常に危険な要求なんですよね」

「そうなのですか?」

「そうなのです」



 まじまじと紙面の文と睨めっこする問さんが微笑ましく、同時に好ましい・・・・相手だと本能が主張するのを押さえ、「差し出すということは、引き渡し場所が必ずこの後指示されなくてはなりません」ヒントとも呼べない解を言ってあげると、「そういうこと、なのですね」ようやく理解したように顔を上げた。



「犯人は必ずその場所にやってくるわけです。もしくは何らかの方法で別の、本来の目的地に私を誘導するでしょうが、遠くから誰かを付けさせた場合、結局犯人にとっては自分を追い詰める結果となるわけです」

「これまで捕まらずに犯行を重ねてきた方が、下手に自分を晒すような行動が不可解なのですね」

「問さん。いいですよ」

「いい、のですか?」

「気にしないで下さい」

「はい、わかりました」



 二人してお茶を啜ってしばらくの心地良い沈黙を満喫してから、「御城家とはどのような御家なのでしょう。見たところ、ただの資産家とも違うように見て取れたものですから」今時にしては珍しい年頃の少女の和装姿や古風な一人称から、たぶん代を遡れば名家として栄えていた名残が現代まで踏襲しているのか、と適当な話題として振ってみた。



「日浦幸緒様の推理小説家としての見立てではどのような解を導き出しているのですか?」

「挑戦的ですね。判断材料が少ないので一つ質問をさせてください。この邸宅はずっと御城家所有の財産ですか?」

「明治後期から御城家はこの地でこの家に住んでいるようです。わたくしも深くは存じ上げませんが、以前にお父様から聞いた話によると……、いえ、これを明かすのは日浦様でしたね」

「おや、一筋縄ではいきませんか。明治後期からとなれば旧家としての血統や格式もあるでしょう。この邸宅を維持するにしてもお金だって掛かるはずです。資産家にしては調度品も控え目で、豪商か地主の線も捨てきれません。華族だったりしますか?」



 華族とはいわば貴族のことである。現代日本で馴染みのない爵位ではあるが、確かに昭和二十二年までは貴族制度が存続していたし、その名残もあるのかもしれない。その習わしや体制が一族間の限定的な教育として現代まで続いていたとしたら、もしかしたら御城問さんのような文学世界に登場する深窓令嬢が健やかに育つのかも知れない。



 して、私の提示した答えに問さんははにかみながらも、「残念ですが不正解です」その真実を告げたので、作家の性分とでもいいますか、気になりだしたら満足がいくまで調べたい欲求を押さえ付けるなんて自分を殺す真似は出来ません。ですから彼女にそれからヒントを貰いつつも浮かびうる解を提示してはその度に不正解の判を言い渡され、ついには降参という推理作家の敗北を認めざるをえなくなりました。



「ただの相談役ですよ。今では八王子市長と警察組織、それと必要とする御方からお心遣いを頂いて解決策を提示しているみたいですが」

「それは想像もしなかった答えですね。しかし八王子市長を相手にもそうですが、何故に警察からも相談事を?」

「はい。御城家は代々八王子の地で失せ物や抱えた問題等々の相談を受けては見事解決してきたそうで、戦後の復興にも貢献したと聞いております」



 話を聞けば相談役を主体に探偵業のようなこともやっていたようで、しかしだからこそ、もしかするとその業務が母体回帰殺人事件の犯人を刺激する結果を招いてしまったのかもしれない。そこは問さんも重々承知しているのか、「お父様はいつも言っておりました。誰かの幸せの裏には誰かの不幸が隠れている時もある、と」今にも泣き出してしまいそうな顔を気丈に笑って誤魔化したのを私は見逃さなかった。



「それにしてもお腹が空きましたね。実は、まだ今日何も食べていなくて」

「給仕の方もいらっしゃいませんので、わたくしでよければ何かお作りしましょうか。とは言っても、わたくしに作れるものはせいぜい簡単なものですけれど」

「でしたら、オムライスをお願いします」

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