第18話 水の町、ひじき
湖(レイク)は、もうじき水の町に辿り着く。オンボロワゴンに乗って。
その豊かな水源で栄える町で、安宿にチェックイン。小腹が空いたので、近くの店に入る。店内では、若い女性店員がにこやかに接客していた。
湖は、赤く細いストライプ柄の制服を身に着けた店員の背中に向かって声をかけた。
「すみません、パンケーキありますか?」
「えっ! パンケーキですかァ?」
その金色の髪に染めた、ポニーテールの店員は、一瞬きょとんとした表情を浮かべた。その顔に、「え、こんな田舎のカフェでパンケーキ?」と書いてあるのを、湖は翻訳アプリ越しに読み取った気がした。彼女の胸のネームプレートには、アラビア語で「フィフィ」と刻印されているのが見えた。
「えっと、はい。甘いパンケーキが食べたくて…」
湖がもう一度言うと、フィフィは困ったように眉を下げた。
「すみません、うち、パンケーキはないんですよ。フムスとか、ケバブとか、シャワルマとかなら…」
「あーシャワルマ、ですか···」
湖は思わず復唱した。水の町に辿り着いて、初めに口にするのがシャワルマ。食べ飽きていたが、まぁそれはそれで悪くない、と湖は思ったが、やはり小腹が望んでいるのは甘い誘惑だった。
店内の隅で新聞を読んでいた初老の男が、顔だけ上げてこちらを見た。どうやら常連客らしい。その視線に、湖はほんの少しだけ居心地の悪さを感じた。
「あの、もしかして、他のお店に行かれた方が…」
フィフィが申し訳なさそうに言うと、湖はかぶりを振った。
「いえ、大丈夫です。じゃあ、シャワルマ…」
そう言いかけた時だった。入り口のドアがからんころんと音を立てて開いた。同時に、店内にいた全員の視線がそちらに集まる。
そこに立っていたのは、大きなリュックを背負った、見るからに旅行者風の男だった。男は店内を見回すと、フィフィに真っ直ぐ歩み寄った。
「すみません、この近くで、焼き立てで美味しいパンケーキが食べられる店、知りませんか?」
その言葉に、店内の常連客たちが、一斉に噴き出した。フィフィは顔を真っ赤にして、目を見開いている。湖は、翻訳アプリを握りしめたまま、その光景を呆然と眺めていた。こんな偶然があるだろうか。パンケーキを求めてこの店に入り、パンケーキがないと言われた直後に、同じパンケーキを求める人間が現れるなんて、ね。
人生とは、つくづく奇妙なものだ。まるで、誰かが巧妙に仕組んだかのような、どうでもいい偶然に満ちている。湖は、これから先のこの町での出来事が、予測不可能になったのだった。
そして、なぜだか無性に、この店のシャワルマが食べたくなった。
「すみません。フムスと、シャワルマのAセットください」
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