夏と秋野

HillCypher

第1話 夏と旅路の果て

夏の風が僕のそばをかすめ通り、気づかぬうちに肌の熱を奪い去り、それを世界に捧げていく。なぜか、過ぎ去った日々への未練も、これからの生活への憧れも、この風の中では、すべてが無意味に思えた。


目の前に広がるのは、僕の幼い日々を丸ごと包んでいた家。今はただ荒れ果てている。表札の「宮羽」と刻まれた金属板だけが、相変わらずくっきりと見えている。


夕陽の残照の中で、目の前の景色のすべてが、どこか虚ろに映る。けれど、その理由を考えている暇などなかった。


「橘田」家のインターホンを押し、風の中にじっと立つ。夕陽が僕の影をどんどん長く引き伸ばしていく。しばらくすると、一人の中年の女性が玄関を開けた。僕を見た瞬間、彼女の目に、久しく見せていなかったあの光が一瞬、よみがえった。


あらっ!清夏くん!?どうしてここに?


大学に行くことになりまして、ついでに伯父様と伯母様にご挨拶に伺いました。


まあ、本当!清夏くんも、こんなに立派で思いやりのある大人になったのね!


お世辞をいただいて恐縮です。


どちらの大学に?


仙台です。


ああ……仙台……本当に遠いのね……


ええ……仕方ないことですが……だから、なかなか帰って来られなくて……


清夏くんのご両親は?


両親はあちらの方で買い物をしていて、まだしばらくかかると思います……


それじゃあ、中にお入り!外は寒いし、ついでに秋野にも挨拶してってちょうだい……


はい……


小さい頃は、本当に仲が良かったのよね、二人。いつも一緒にくっついてて、まるで本当の兄妹みたいだったのに…… 伯母は歩きながら、遠く過ぎ去った日々を懐かしそうに思い出していた。


秋野も清夏くんと一緒に仙台に行けたら、どんなに良かったか……


……ええ。 秋野のことを思うと、後悔と懐かしさ以外に……何を言えばいいのか、僕にはわからなかった……


僕は伯母の後ろについて、一歩一歩、その家の中へと入っていった。中は見慣れた景色だった。まるで、あの夏の日以来、時がこの家を素通りしていたかのように。


伯父はソファに座り、リモコンを何度も押しては、つまらない騒音の中から何かを探し続けていた。

伯父様!ご機嫌よう! 突然の僕の挨拶が彼の迷いを遮ったかもしれないが、彼は昔のように、怖くなるほど厳しい表情を見せることはなかった。


おお?清夏か!本当に久しぶりだな!


転校してからというもの、落ち着く暇がなく、なかなか帰れませんでして。


そうだったな……清夏は今年で……


大学一年、もうすぐ後期が始まります。


ああ!そうそうそう!本当に時間が経つのは早いな!ついこの間まで高校生だと思ってたよ!で、どちらの大学だ?


宮城大学です。事業計画学を専攻しています。


仙台か?随分遠いな。


ええ、そうですね。ですから、これからはなかなか伯父様、伯母様にお会いできなくなるかもしれません。


ははははは!こっちなんて清夏に心配かけるようなことないさ!安心して勉強しなさい!でも、清夏は相変わらずしっかりしてるなぁ。ああ、うちの子とは違って……


伯父は突然沈黙した。僕も顔を伏せ、次第に固くなっていく彼の視線をまともに見続ける勇気はなかった……


さあ、秋野に会いに行っておいで。お前が来れば、彼女も……きっと喜ぶだろう……


秋野……


本当に彼女に会っていなかったな。この名前さえ、あの夏以来、誰からも聞くことはほとんどなかった。言うのは気が引けるけど、僕は本当にもう一度秋野に会いたかった。彼女との再会の場面を頭の中で何度も何度も空想した。彼女はきっと目を細めて笑いながら、久しぶり!って言うだろう。もしくは怒ったふりをして、口をとがらせ、少しだけ責めるような口調で、なんで今まで帰ってこなかったの?って言うかもしれない。


あるいは……


キーン!


銅鑼の澄んだ音が僕の思考を遮った。目の前にいたのは、まさに橘田秋野という名の少女だった。


ただ……


秋野、見てごらん!清夏くんが会いに来てくれたよ!


ただ……


秋野、清夏くんに会えて、嬉しいよね!


彼女はもう僕に向かって笑うことはできない……もう口をとがらせることもできない……


秋野も、きっと清夏くんに会いたかったんだよね!


もうあの久しぶり!という言葉をかけることもできない。


秋野……秋野……橘田秋野……そうだ、思い出した。橘田秋野、あの自ら深淵へと堕ちていった少女。


あのニュースで、高層ビルから飛び降りた……橘田さん……


テレビでそのニュースを聞いた後、僕の両手は震えが止まらなかった。床に散らばったコップの破片なんて構っている余裕はなく、ほとんど無意識にスマホを掴み、抑えきれずに震えるその手で、画面を何度も何度もスクロールさせ、探し求めた——一度もかけたことのないあの番号を。


応答なし……


応答なし……


やはり、応答なし……


僕は怒りに任せてスマホを放り投げ、頭を抱えて無力感に苛まれる叫び声をあげた。


「俺は……彼女に会いに行くべきだ……」


そうだ!彼女に会いに行くべきだ!名古屋に戻るべきだ!自分の目で確かめるべきだ、橘田秋野という奴が、食卓のそばに座って夕食を食べながら、テレビのニュースに恐ろしいねえなんて言っている姿を。僕は投げ出されたスマホを拾い、上着をはおり、夕陽の中、家を飛び出し、振り返ることなく駅へと駆け出した。


長野から名古屋行きの電車に乗り込んで、やっと冷静になった。僕は集団の意志に囚われた虜に過ぎないと悟ったのだ。僕の焦燥や怒りは、この鉄の巨獣の前では無意味だった。どんなに焦ろうが、どんなに怒ろうが、電車は集団の意志に従い、大多数を満足させる速度で、決められた線路の上を走り、ゆっくりと僕と秋野の間の距離を縮めるだけだった。だから僕は座席に座り、スマホを取り出し、あの「橘田さん」に関する情報をもっと引き出そうと、報道記事をかき集めた……


結局、


僕が間に合ったのは、


秋野の葬式だった。


そうだ、思い出した。秋野の時間は、永遠にあの夏の日で止まってしまったのだ。


そうだ、思い出した。


今は、


もう冬だったのだ……


「本当に一泊して行かないのかい?」


「ええ、まだ長い道のりですから。」


「じゃあ、お気をつけて!」


「はい!伯父様も、伯母様も、どうかお元気で!」


僕は車の中に隠れるように座り、父と母が伯父と伯母に別れの挨拶をするのをただ静かに見つめていた。窓を開けることさえできなかった。


罪悪感のせいか?


だって僕も、秋野の血を吸って今日まで生きてきた者の一人なのだから……


恐怖のせいか?


だって僕も、彼女が自ら深淵へと堕ちていった原因の一つなのだから……


バックミラーにその家が完全に見えなくなるまで、やっと安心して窓の外に視線を向けることができた。


車窓の景色は次々と後退していく。僕が数年も暮らしていたこの街が、なぜか今日はひどく見知らぬものに感じられた……


こんな僕を照らそうとしなかったあの夕陽を失ったせいか?


それとも、この街さえも、こんな僕を歓迎していないのか……


「秋野ちゃんには会えたの?」


「……ええ……お線香をあげてきたよ……」


「そっか……残念だったね……」


「……うん……」


「秋野ちゃんは……どうして、そんなことを……」


僕は視線を遠くに投げ、思考を雲海に放り投げ、母の言葉を考えまいとした。


「あの夏……一体、何があったんだろう?」


あの夏か?


あの夏……


あの夏……


「清夏……」


「清夏ーー」


「清ーー夏ーー!起きなさいよ!着いたわよ!」


目を開けた。窓の外は八月の強い陽射しに照らされた世界だった。目をこすりながら、さっきの奇妙な夢がまだ鮮明に脳裏に焼き付いている。


なんて恐ろしい夢だろう。でも、今の僕は幻の夢に感傷に浸っている暇などない。


もうすぐ、僕はまったく新しい人生を迎えるのだから。


まったく新しい、


高校生活!


夏の風の中に立つと、僕はすっかり目が覚めた。さっきの悪夢への恐怖も、どこかの風が運び去ってくれた。ここの夏は本当に懐かしいな。


でも、風に浸っている場合じゃない。目の前に立つ、三年間「家」と呼んでいたこの建物が、まだ僕たちを待っている。


鍵が二回転すると、三年間封印されていたこの家が、再び光を迎えた。


懐かしい。もっと早くにここのすべてを忘れてしまうと思っていた。


でも、再びここに戻り、再びここの空気を吸い込んだとき、すべてが蘇ってきた。家具が一つまた一つと運び出されていくのをどうやって見ていたか、長野での新しい生活をどうやって楽しみにしていたか、そして、すぐそばであちこちをキョロキョロ見ていたあの女の子のことを思い出した。


ただ、彼女のあの時の表情だけが、どうしてもはっきりと思い出せない……


「さあ、早く掃除を始めましょう!」


「うん」


昼過ぎまで掃除をし終えると、部屋は僕の記憶の中の整然とした姿に戻っていた。モップにもたれかかり、夕陽が最初にこの清潔さを楽しむのを見つめた。


「清夏、疲れた?」


「うん、ちょっとお腹が空いた。」


「じゃあ、今日はここまでにしましょう。見たところ、十分きれいになったし、あとは家具が届くのを待つだけね。」母も手にしていたタオルを置き、疲れて痛む背中をトントンと叩いた。


「そういえば、父さんは?」


「彼?また橘田家に隠れて、橘田さんと昔話でもしてるんじゃない?でも、そろそろそちらに行ってもいい頃合いね。」


「え?橘田家に……行くの?」


「そうよ。」


適当に身なりを整えると、僕たちは外に出て、右隣の橘田家へ向かった。母がインターホンを押すと、なぜか妙に緊張してきた。乾いていた手のひらに汗がにじみ、時を掴むことも、過ぎ去った日々を握りしめることもできなかった。


インターホンが二度鳴り終わるか終わらないうちに、伯母がドアを開けた。彼女は僕の記憶の中のままだった。三年の月日は彼女の目尻にさえ、わずかな痕跡も残していない。僕たちを見つけると、驚きと喜びで母と抱き合い、中へと招いてくれた。


家の中の様子も記憶の中のままだった。まるで「時」という名の激流に洗われたことがないかのように。少しおしゃべりをした後、伯母は母と一緒に夕食の準備のために台所へ向かった。僕は居間へと向かった。そこには父と伯父が座っていた。正直今でも、この二人がどうやって友達になったのか想像がつかない。橘田伯父はとても几帳面で、普段の家の中でもきちんとしたシャツを着ていた。目の前にソファにどっぷりとはまった親友が座っていても、彼は背筋をピンと伸ばし、とても端正な姿勢で座っている。一方、僕の父はかなりラフで、あの定番の記念Tシャツを着て、無意識のうちに長年溜め込んだビール腹をさらしていた。


「おお!清夏!部屋の掃除は終わったか?」父は僕を見つけると、すぐにソファから起き上がり、わざわざ二十歩も離れた僕に気づくように、腕を大きく振って挨拶した。


「おお?清夏か?本当に久しぶりだな、掃除は大変だったろう、さあさあ、座りなさい」伯父は僕に手を振り、すぐに父の方に向き直って言った。

宮羽君、君も本当に、家事を全部清夏に押し付けて、自分は何もしないなんてどうかしてるよ?

父はヘヘヘと笑って、その質問の答えを煙に巻いてしまった。

その後、僕はそこに座り、伯父と長い間話した。話題の多くは名古屋を離れてからの三年間の生活だった。伯父に話している最中に気づいた。あの三年間って、そんなにあっという間だったっけ?三年前のあの日、母の仕事の都合で、僕たち家族は長野に引っ越した。僕はちょうど、長野で中学生活を始めた。中一、中二、中三、あれは当時は終わりがないように思えた日々。汗や涙が混ざった時間、笑い声や喧噪に満ちた過去が、今では三言二語で通り過ぎてしまう。どうやら、時間こそが一番価値が下がりやすいものらしい。

台所から伯母の声が響いた。さっきまで忙しかったコンロも、ついに束の間の安らぎを得たようだ。

「ちょうど夕食の時間に間に合ったわね。清夏くん、さっきからお腹が空いていたでしょう?」

「まあ……そんなに……」そう言いながら、僕も伯父と一緒に立ち上がり、食卓に向かおうとした。しかし伯父は何か思い出したかのように、突然階段の入り口で立ち止まった。

「君たちは先に行っていてくれ。僕は二階に上がって、あの礼儀知らずを呼んでくるよ。まったく、家に人が来ているのに挨拶にも出てこないで、一日中部屋に閉じこもってばかりで……」

伯父はやはりあの通り、部屋に閉じこもっているやつ(娘)の話になると、途端に真剣な顔つきになり、さっきまでの優しさは跡形もなかった……

「あの……私が呼んできますか?」

「ん?」

何が僕を駆り立てて、自ら進んであの子を呼びに行くと申し出たのか、よくわからなかった。もしかしたら、あの車内での一炊の夢のせいか、それとも二階から聞こえてきたドンドンという音のせいか。しかし、僕が伯父に頼んだ後に再び、しかももっと切迫した感じで響いたドンドンという音が、この決断をさらに固めた。

畳の板でできた階段を一歩一歩登っていく。目の前の光景は、かつての記憶と少しも変わらなかった。ただ、思春期に入ってからは、二階の様子を思い出したことはなかった。ましてや、自らそこに身を置くなんて、なおさらだ。かつての僕は、不規則なドンドンという音を全く気にせず、ただ静かに食卓のそばに座り、夕食の始まりを待ち、二階で何が起こっているか想像もしなかったし、あのドンドンという音が何かを考えることもなかった。

気づくと、僕はそのドアの前に立っていた。目は完全にドアに貼られた一枚の紙に釘付けになっていた。紙には、歪んだ字でこう書かれている。

「秋野の部屋

関係者以外

立入禁止!」

僕はドアをノックした。しかし部屋の中には何の反応もなかった。何度か繰り返しノックした後、「開けて中に入ろう」という考えが頭に浮かんだ。それはとても失礼かもしれないが……伯父たちをこれ以上待たせるのもよくない。はかりにかけた結果、やはり……ドアを開けてみることに決めた。

僕は深く息を吸い込み、ドアノブに手をかけた。金属の冷たさが一気に僕の心拍数を速めた。そっとドアノブを回すと、ラッチがゆっくりと溝から外れていくのがはっきりと感じられた。このドアの向こうの世界も、ゆっくりと最後の保護を失っていく。

ガチャリという音とともに、ドアが完全に開いた。そして同時に訪れたのは、五本指が全く見えないほどの暗闇だった。夕陽の残照の中にあって、これほど純粋な暗闇を保つには、その創造者も壁全体を暗闇で覆い、しかもとても分厚いカーテンで、相当な苦心をしたに違いない。

僕は中に入った。入り口の光を借りて照明のスイッチを探そうとした途端、ドアが突然ひとりでに閉まった。僕は果てしない闇の中に閉じ込められた。僕はさらに焦って壁を探り、早くスイッチを見つけ出そうとした。その時、部屋の中に声が響いた。

「無礼者!僣越者!わが静寂を侵さんとする者!」

僕は本能的に目を閉じ、耳を澄ましてその声の源を探った。

真正面……いや、左の方……いや、右からも聞こえる。

待て!三方向から同時に聞こえてくる!一体どういうことだ?

「汝は深淵の下に眠る神々を怒らせたり!我らはシャブ・ニグラトの名において!汝という豚野郎にラーレイより来たる恐怖を……」

突然、怒りを込めた、少し大げさな声が消えた。部屋全体が再び静寂に包まれた。そしてその静寂の中に、もう一つの声が響いた。それはもう怒ってなどいなかった。ただ、小さくて、そして寂しそうな……

「ええっ?どうしてまた接続が切れちゃったの……あの、悪いんだけど、一度出て行ってもらえない?五……いや、三分後にまた入ってきてくれる?」

その時、僕の目は周囲の暗闇に慣れていた。同時に、その声の源も見つけた。

白い洋服ダンスだ。

なぜか、幼い頃の記憶がその瞬間、突然蘇ってきた。子供の頃、かくれんぼという遊びをしたことを思い出した。あの頃、僕はいつも長い時間をかけて場所を選び、隠れたものだった。鬼役の人が僕のそばを通り過ぎても気づかなかった時、心の中に言いようのない喜びが湧き上がった。あの頃の秋野は、いつもすごく忍耐強くなかった。適当に数回探した後、すぐに地面に座り込み、ワンワン泣き出してしまい、僕が現れるとまた泣きやんで、ニコニコしながら僕に言ったものだ。

見つけたよ!

そして、僕が鬼役の時は、いつも簡単に見つかるような場所に隠れた。

今、僕はその洋服ダンスの前に立っていた。取っ手を握りしめた。

何年も続いたこのゲームは、終わらせる時だ。

ガチャリ――

「あ、あの……久、久しぶり……」

「…………久しぶり………………………………………………………………………………」

「そ……それで……そろそろ夕飯の時間で、皆……待ってるよ………………………………………………………………………………」

「うん……行こうか……」

夕陽は最後の一筋の光を地上に注ぎ、葉先の露を金色に染め上げた。彼女は背を向け、後ろの名残惜しさをわざと見ないふりをした。最後に、彼女はその金色の光を背負って、飛び降りたが、暗闇を照らすことはできなかった。

「本当にいいわね!」食卓で、箸を置いた母は手で頬杖をつき、僕と僕の隣に座る秋野をうっとりと見つめていた。

「何が?」

「清夏くんと秋野ちゃんの仲が、相変わらずこんなにいいんだもの!小さい頃みたいに、どうしても一緒に座ってご飯を食べたがるんだから!」

「これは……あの……だって……」秋野は突然顔を真っ赤にし、必死で何か言い訳しようとしたが、結局何も言い出せなかった。

ただ、他のことはさておき、彼女が僕の隣に座る理由はわかっていた。彼女が僕の隣に座るのは、ただ伯父の隣に座りたくなかったからだ。どうやら、親子の間柄は、相変わらずギクシャクしているようだった。

「明日から、秋野も清夏くんも高校生ね!」伯母も箸を置き、会話に加わった。

「うん……」返事をしながら、思わず隣の秋野をチラリと見た。彼女は一心不乱にカレーのエンドウ豆を皿の隅へと押しやっていて、本当に高校生になる準備ができているのか、さっぱりわからなかった。

突然、母の携帯電話が鳴った。彼女はすぐに立ち上がり、「失礼します」と言うと、一人で隅に移動して電話に出た。

母の背中を見ながら、この時間に一体誰が母に電話をかけてくるんだろうと思い巡らせていた。その時、伯母が突然僕に話しかけた。

「清夏くん、あっちの生活はどうだった?」

「長野ですか?三年も住んでいましたが、まるで三年間の旅をしてきたような気がします。」

「旅?あっちの生活になじめなかったの?それとも……」

「どう言えばいいのかよくわからないんです。ただ、毎日起きてから、脳みそが自分に語りかけてくるんです、『ここはお前の居場所じゃない』って。」

「じゃあ、今、君の旅は終わったの?」

「ええ、もちろんです。」

嘘だ。これは全くの嘘だ。今この瞬間に至るまで、僕は自分の旅が終わったとは思っていなかった。僕はまだリュックサックを下ろせない旅人のままだ。いつか、夢が覚め、人が去り、見知らぬ土地にいて、あちこちをさまよい、僕を風雨から守ってくれる場所もなければ、故郷と呼べる場所もない。もしかしたら、この電話の後、もしかしたら次の夜明けの前に、また彼らを離れ、新しい生活へと向かい、新しい顔を作らなければならない。どうやら、僕の心がさまよいすぎて、もう旅人の身分を手放すことが難しいのだろう。

「まったく、どうしてこうなったの!

母は電話を終え、心配そうな表情で僕たちの方へ戻ってきた。

「どうしたんだ?」

「さっき引っ越し業者から電話があって、トラックが故障しちゃったそうで、家具は早くて明日にしか届かないって。」

「じゃあ、今夜は橘田さんの家に泊めてもらうしかないわね!」ちょうどビールの缶を空け終えた父は笑いながら言った。どうやら、今夜家具を運ばなくて済むことにまだ喜んでいるようだった。

「今夜はそうするしかないわね。でも、うちには空いてる客間は一間だけだから、それじゃあ……」

「それじゃあ清夏は橘田の部屋で寝ればいいじゃないか!小さい頃、よくそうしてただろう!」

「冗談じゃない!」

僕は突然テーブルを叩いて立ち上がった。その挙動に、場にいた全員が驚きの表情を浮かべた。空気は二、三秒ほど凍りついた。その間、僕はなぜか、思わず秋野の方を向いた。

彼女が顔を赤らめて僕の視線をそらすだろうと予想していたのに、僕の目はまさに彼女の視線とぶつかった。

彼女の目には何もなかった。表情にも――一切の感情という感情がなかった。彼女はただ、虚ろな目で、何かを求めているわけでもなく、ただ、僕を見つめ返していた。

「……すみません……」

結局、僕は居間のソファで横になり、部屋いっぱいに広がる闇の中、夜明けを待った。眠気がなかったわけではない。ただ、目を閉じるのが怖かった。瞼を閉じた瞬間、本当の現実を見てしまうのではないかと恐れた。このすべてが、電車の中で見た儚い夢だと気づいてしまうのではないかと恐れた。恐れたのだ――

突然、静寂を破る畳の軋む音が響いた。僕はすぐに起き上がり、周囲を見渡して原因を探った。すると、パジャマ姿の秋野が闇の中からゆっくりと現れた。

「何か用か?」

「なんで……旅……」

彼女の声はあまりにもか細く、夏の夜のざわめきに掻き消される前に聞き取ることはできなかった。

「すまん、何て言った?聞き取れなかった。」

「ごめん……やっぱり聞こえなかった。もう少し大きな声で言ってくれないか?みんな寝ているから。」

すると、彼女は深く息を吸った。今度こそ聞き取れると思った瞬間、彼女は言うことを変えた。

「別に……おやすみ……」




『あの後、僕はそこに座ったまま、ドアの向こうで何が起きているのか、あるいは彼女が何を耐えているのかを、まったく想像しようとはしなかった。思うに、僕はただ……周りの目を気にしすぎていたんだ。異端者として生きるのが怖くて、他人に噂されるのが怖くて、そのために、ついには無感覚になってしまったのだ。』





『君は怖かったんだろう、彼女の変化を、彼女のすべてを。僕もそうだったよ、あの頃ずっと隅っこに隠れて、誰も僕の生活に入り込ませなかった。黙って、傍観者でいること。それは間違ってなんかいない。それに、今となっては、君も少しは気楽に考えたほうがいい。』





『いや、君は分かっていない……すべてが……僕のせいだ。あの時……あの時……もし……あの視線さえ気にしていなければ……たった一度でも!』





『それで、このすべては起こらなかったと?そういうことか?』




『たぶん……そうだろうな……』


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