第29話 囃子が立てる

「黒森ってリンゴ飴好きなのか?」

「いえ、寧ろ嫌いです。」

「なら、なぜ食べる?何なら、去年も食べてたね。」

「祭りと言えばリンゴ飴ですから。」

「君のこだわりの無さときたら、考えものだね。」

「無駄なこだわりを持たないだけです。」

「分かってる。この会話ももはや恒例だね。」

「理事長は何でスーパーボール掬いを?」

「さぁね。ピンときたから。それ以上も以下もないよ。」

「去年はくじ引きでしたっけ?」

「ああ、安物のエアガンが当たったね。」

「その割には大事そうに飾ってますよね。」

「形が好きでね。気まぐれだよ。」


屋台と提灯が作る白熱灯の道を進んでいく。花火が良く見える海沿いまで進んでいく。


♬~


前方から音楽が聞こえる。進めば進むほどその音は大きくなる。

さらに進むと簡易的なライブステージが見えてきた。地元のバンドや町内会のユニットや子ども会が演奏をしているようだ。

次は…俗にいう『親父バンド』というやつだろう。イケオジ達がステージで準備をしていた。神代さんの歩みが一瞬止まる。一瞬、その視線はステージの方に強く向けられていた。

「神代さん。見ていく?」

神代さんの足が止まる。俺もそれに合わせるように足を止める。

「いいの?」

視線をステージの方へ向けたまま、神代さんが言う。

「花火までまだ時間あるし、俺もちょっと興味あるかも。」

「ありがと。もっと前で見よ。」

神代さんはすっかり小さくなった綿あめを一気に口の中に入れ、俺の手を引いてステージ前まで引っ張って行った。

一つ気になるのは、この後演奏するバンドのバンド名がなぜか、初めてみた気がしないということだった。祭りに行ってもライブのステージなんてほとんど見ない。

その記憶の源流は気になりつつも、少し気になった程度で特に深く探ることはしなかった。

演奏が始まる。知っている曲から知らない曲まで流れるように時が進んでいく。周りに合わせて拳を上げたり、手を振ったりする。一応最前列だし。

ふと、神代さんを見る。縦揺れで、思いっきりみかん飴を握った拳を上げている。

やっぱり音楽が好きなんだなと改めて感じるとともに、普段のクールで凛としている神代さんとは別の神代さんを見ることができた気がして、何となく嬉しかった。本当に何となく。

俺は音楽には疎い。でも、神代さんがこんなにも楽しそうにはしゃいでいるということは、このバンドは相当凄いのだろう。直感的にそう思った。その上でステージを見上げる。


…あれ?


思考が止まる。そして、思考を止めた一瞬の気づきがどうか勘違いであってほしいと本能が強く願い始める。でも、視線を逸らすことができなかった。何度も目が合う。その回数に比例するように勘違いへの願いは否定されていった。

違和感の正体がボーカルの前に出て、ソロパートとでも言うのだろうか?激しくギターをかき鳴らし始める。その複雑な音圧に聴衆は圧倒される。

気づけば神代さんは2、3歩前に出て、真っ直ぐにその姿を見ていた。


演奏が終わり、観客たちが少しずつ散っていく。神代さんはしばらく直立不動のままステージを眺めていた。

「神代さん?」

聞こえるように名前を呼んだはずだが、その声は届いていないようだった。

俺にはよくわからないけど、多分、何か感じる部分があったのだろう。さっきのバンドがライブステージの最後だったらしく、関係者と思われる人たちが片付けを始めていた。

花火まで、もう少し時間がある。俺は神代さんが余韻に浸り終わるまで隣で待つことにした。

「…佐久間くん。」

ポツリと神代さんが名前を呼ぶ。

「ん?」

軽く返事だけをして耳を傾ける。

「私、やっぱり弾きたい。」

「うん。」

「やっぱり…ギターが好き。」

「うん。」

「でも…良いのかな?」

「…うん。」

必死に言葉を探す。見つからない。勝負の世界から一度逃げてそのまま戻ることをしなかった自分に…自分がかけて良い言葉がどうしても見つからなかった。

神代さんが言う。僕は頷く。2人並んで、片付けが進むステージの前で。


「青。」

後ろから俺の名前を呼ぶ声がする。良く知っている声。

「やっぱり。」

違和感の正体…いや、確信の正体が後方に立っていた。神代さんも振り返る。驚いたように少しだけ目が大きくなる。

真っ黒なサングラスをかけ、頭には真っ赤なタオルを巻いている汗臭いその男はサングラスを外してわざとらしく真っ白な歯を見せ、ニカッと笑って見せた。そのあと一瞬で真顔に戻る。

「佐久間くんの…お父さん?」

神代さんの問いに親父は無口のまま頷く。

「最前列に青がいたから驚いた。だが、神代さんと一緒なら納得だ。」

正直、親父とはあまり仲が良くない。無口だし、結果主義だし、全体的に鋭いし。何より笑わない。さっき見せた一瞬のわざとらしい笑顔も年に1回見ることができるかどうかの現象だ。そして、俺と違って確かな技術と結果、人はそれをというのだろうが、それで、高みへと登って来た人物で、とにかく真逆の存在だ。交わることも分かり合うことも無いだろう。だから、本能的に警戒する。

「あ...あの!今の演奏…!何て言うか…凄かったです…。音が…お父様の音がしました!」

神代さんが親父を見て言う。親父も見下みおろすように神代さんを見る。

親父の鋭い眼光が神代さんに降り注ぐ。神代さんも対抗するように眼光を飛ばす。そこには2人だけの別の世界があるようだった。

「神代さん。君はちゃんとギターを弾いてる。そうだね?」

「…」

「少なくとも俺の演奏が分かるくらいには。」

「…」

神代さんが少し俯くように目線を下げる。親父は近くのスタッフを捕まえ、耳打ちをした。

「良ければ少し弾いていくか?」

「え?でも…」

神代さんは迷う。その理由はよく知っている。そして、本心では弾きたいことも…知っている。でも、ここは俺の出る幕じゃない。それもまた、よく知っている。

「でも…音が…私の音は…もう…。」

「音なら俺にぶつければいい。1人が嫌なら一緒でもいい。」

「…じゃあ、少しだけ。」

神代さんが答える。親父が微笑む。今年の雪は多そうだ。蚊帳の外の俺は思う。

親父と神代さんがステージに立つ。互いに向き合い、構える。

でも、その手は、誰が見ても明らかなくらいに震えている。

1音鳴らす、2音鳴らす…その度に音が鋭くなる。鳴らすたびに神代さんが全身に力を込めていることが伝わってくる。

少し間が空く…これは…来る。

俺の直感と同時に神代さんが激しく弾き始める。そこに先程までの穏やかさも自信の無さもなく、普段のクールで凛とした雰囲気も無かった。まるで別人になったかのように俺の知らない音に、研ぎ澄まされた鋭利な音に八つ裂きにされていくようだった。

そして、理解した。これは…神代さんの音じゃない。

親父が応戦するようにギターを弾き始める。調和なんてものはない。ただひたすらにぶつけ合っているように聞こえた。でも、親父はこの上なく楽しそうでもあった。


「はぁ…はぁ…」

神代さんの手が止まる。ブランと力なく重力に従うように垂れる。

その脱力は徐々に全身のものになり、フラフラと足取りも覚束おぼつかなくなる。

「神代さん!」

急いでステージに上がり、倒れそうなその身体を支える。

「佐久間くん…飴…ちょうだい…。」

神代さんにみかん飴を渡す。彼女はそれを思い切り齧る。ガリガリと咀嚼しては飲み込み、また齧る。

「2人とも、ほれ。」

親父が真っ青のかき氷を2つ持ち、俺に差し出す。

「奢りだ。楽しかった。」

親父は背中を向け、ステージ袖へと歩いていく。

「そうだ。神代さん。絶対にギター辞めるなよ。」

それだけ言って親父は町内会の人達と片付けに戻って行った。

ベタなセリフだが、その背中は心なしか大きかった。

「神代さん。親父がかき氷奢ってくれた。食べる?」

「かき氷…!ちょうどほしかった…!」

神代さんはストローでできたスプーンで器用に氷の塊を掬って口に運ぶ。

「ふぅ…生き返る…。」

そこにはいつもの神代さんの姿があった。少し疲れてるけど。

「それにしても、ブルーハワイって。親父のセンスも独特だね。」

「え?かき氷と言えばブルーハワイでしょ?爽やかだし。」

「そう?…そっかー。」

かき氷と言えばレモン味でしょ。爽やかだし。


「黒森。この店はダメだ。ハズレしかない。」

「なんだと!運のなさを店のせいにするな!」

「30回引いてハズレしか出ないのは不自然だろう。宝くじでも、もう少し親切だ。」

理事長とくじ引きの屋台の店主が揉めている。私は全く興味がないがくじとはそんなもんだろう。通販で同じものを買った方が安いし確実だ。少し離れたところにあるステージで神代がギターを弾いている。暴力的な音で。正直、そっちに行きたい。

「理事長。諦めましょう。別にそんなに欲しい景品ないでしょう?」

「お前も大概失礼だな。」

私までとばっちりを受ける。不本意だし、これ以上ヒートアップすると面倒だ。

「黒森。限りなくインチキの可能性がある祭りくじにおいて我が1等を出して疑いを払拭する。これは有意義な社会貢献活動なのだよ。」

理事長が御託を並べ始める。意訳をすると『次は当てるからもうちょっと待って。』といったところだろう。さっきまで真面目に見回りしていた分、そのONとOFFの激しさに胃もたれがしそうだ。

「ヤケになってるだけですよね?もう行きますよ。」

呆れて言葉が出ないがそろそろ仕事に戻りたい。

「黒森。1回引いてみたらどうだい?結果次第では我も手を引こう。」

「…はぁ、しょうがないですね。では1回分お願いします。」

気が乗らないが、それで理事長の気が済むならとその提案を受け入れる。

「はいよ。500円ね。」

「高いんですよ。はい。」

「ちょうどね。じゃあ、一枚引いて。」

「…理事長。1等です。」

「お...大当たり~!!景品のカメラ付きドローンはお前のものだ!」

「な!?インチキじゃなかったと。」

「理事長。もういいですね。行きますよ。」

リンゴ飴の次はドローンなり、不自然さが増す結果になってしまった。

「黒森。優良店だったね。」

「優良店でしたね。」


見回りを再開する。気が付けば、神代の演奏は終わっており、佐久間とかき氷を食べていた。あの様子だと、大丈夫だろう。

今年の夏祭りは、少しだけ楽しい。

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