第17話 人間界へ……!


 紫雨が出席する社交界にお供する。

 人間界にいた時も、全く縁のなかった世界だ。

 オチバに化粧もヘアメイクもばっちりしてもらった実沙子。

 

 ベージュで刺繍が美しいシンプルなイブニングドレス。

 アレクサンドライトのネックレスとイヤリングが輝くが、それも持ち主を輝かせるためのアイテムだ。


「すっごく可愛い! 実沙子様~人間界、楽しんできてくださいね」


「ありがとうございます。お土産沢山買ってきますね」


「わぁーい! 楽しみにお帰りを待ってますねぇ」


 昨日、初めてのお給料も貰った実沙子。

 遠慮したが、桔梗に『労働に対する対価はありがたく頂きなさい』と言われたので皆にお土産を買おうと決めていた。

 

「ザザ丸くん。みんなとお土産待っててね」


「お、おう」 


 支度を整えた実沙子を見たザザ丸は、オチバの後ろに隠れたまま、ぶっきらぼうに言った。


「では行ってまいります」


「いってらっしゃーい~!!」


 ストールを羽織り、一泊すると言われたので準備したボストンバッグも持つ。


 言われた時間に地獄門本殿、紫雨の部屋に訪れた実沙子。

 嬉しくて、少し緊張する瞬間だ。


「紫雨様、失礼いたします」


「あぁ」


 書類に目を通していた紫雨は、洋装のスーツ姿だ。

 角や牙は納めて、人間に擬態している。

 艷やかな黒のスーツに、墨色のシャツ。

 ネクタイは真紅だ。

 長く艶のある白髪は、今日は後ろで一つにまとめている。

 まさに地獄門の長。


 実沙子はドアから入ったまま立ち尽くして見惚れてしまった。


「実沙子? ……あぁ、ドレスがとても素敵だな」


「えっあっ……オチバさんに見立てて頂きました」


「綺麗だよ」


 紫雨が立ち上がって、傍に来てくれる。

 ムスクのような甘く温かみのある香りが漂う。

 紫雨の言葉と、香りが甘くて……目眩がしそうだ。

 

「し、し、紫雨様も、とてもとても素敵です……!」


「そうか? ありがとう。もふちゃん殿も一緒につれてきたか?」


「は、はい! バッグの中のお部屋におります……!」


「桔梗が来るまで、ソファに座っていなさい」

 

 いつでも優しく気遣ってくれる。

 同じ部屋にいられるだけで嬉しい。

 叶わない想いでも幸せ……と思ってすぐノックが響く。

 集合時間に桔梗が一秒でも遅れるわけがない。


「紫雨様。定刻でございます」


 桔梗は、深い紫色に真っ赤な芍薬の花模様の着物を着ていた。

 未婚であるため振り袖ではあるが、派手さはなく桔梗の静かな情熱を表現しているようだ。

 

 真っ赤な芍薬の色が、紫雨の瞳の色だと実沙子は思う。

 

「あぁ。桔梗、実沙子、それでは行こうか」


 紫雨が実沙子のボストンバッグを持つ。


「あっ紫雨様っ」


「積渡実沙子様、ご自分の荷物はご自身で……」


「桔梗の荷物も寄越しなさい」


「えっ……あっでも」


「どうということはない」


 実沙子のボストンバッグと、桔梗の風呂敷包みが宙に浮かぶ。


「では、参ろう」


 人間界へはどうやって行くのだろうか?

 人門番達は、地獄門へ来る儀式を二日続けて道を開く。

 

「二人共、俺の傍へ」


 紫雨の元へ近づくと、目眩のような感覚がして時空が歪む。


「きゃ……っ」


「大丈夫だ」


 紫雨が支えてくれようとしたが、桔梗が実沙子の肩を掴む。


「しっかりしなさい。秘書たるもの足腰も鍛えなければなりませんよ」


「は、はい、すみません」


「大丈夫か? もう開く……抜けるぞ」


「えっ……もう?」


 気がつけば、暗い夜……?

 祠の前に立っていた。


「こ、ここは?」


 真っ暗だと思ったが、それは勘違いだった。

 木に囲まれた祠の前から少し歩けば、一気に都会の喧騒が聞こえてきた。

 星は見えず、摩天楼が見えた。

 

「東京だ。ホテル前に出るわけにはいかないからな。少し車のなかで打ち合わせをしていきたい。迎えを寄越してある」


 祠は、ビル街に囲まれていた。

 祠を囲む瑞垣を出ると、一台の黒塗りの車が停まる。

 運転手付きで長身の高級車だ。


「紫雨様~! やっほー! お疲れ様ですー!」


 そこから降りてきたのは長身細身の金髪男。

 まるでホストのようなスーツを着ている男は、軽く跳ねたように紫雨に近寄る。

 

砂月さづき! 貴方はまた、そのような浮ついた格好で! ネクタイをしっかり締めなさい!」


「うっひょ~桔梗姐さん、今日もまじ綺麗じゃん! 俺は浮ついた格好してても仕事はちゃんとやってるんだからいーの! あれ? 誰この子? めちゃくちゃ可愛いじゃん……って人間? ……あれ~もしかして……この子が例の生贄!?」


 砂月と呼ばれたチャラ男が、実沙子を上から下まで眺めて驚く。


「そうだ。お前が人間に雑な伝え方をしたせいで生贄のように花嫁として寄越された娘だ」


「え!? まじっすか!? ちょっとドス利かせて『落とし前をつけるには、罪人を紫雨様の嫁にでも差し出すしかねぇんじゃないかぁー!? 生贄だなぁ!? あぁん!?』って言ったけどさ……」


「まさに、そのせいですよ!」


「だって……令和の時代だよ!? 平安時代とかじゃないんすよ!? そんなんで大事な娘を生贄にするなんて、あるわけないって思うじゃん!? ほんの冗談だったんだけど……」


「冗談……」


 実沙子も驚いてしまった。

 砂月の言葉を真面目に受け取った長老達は、そのまま事告げ人に命じたのだ。

 そして実沙子の両親は抵抗することもなく、差し出した。

 鬼ですら想像もできない鬼畜だった両親と妹……。

 

「砂月、いい加減にしなさい。本人を前に、さすがに失礼です」


 桔梗がため息をつきながら注意した。


「……実沙子には辛い思いをさせてしまったな……」


 紫雨が実沙子を見つめながら、謝ろうとしたのを感じて実沙子は言う。

 

「いいえ紫雨様! 砂月さんのおかげで私は地獄門に来ることができたのですね。私にとって結果的には救いでしたから……感謝しております!」


 あの家で過ごしていた時間が、今は地獄に思える。

 そして今は、紫雨の傍でとても満ち足りた日々を過ごしている。

 実沙子の言葉に、砂月の顔が満面の笑みになった。 


「まじ!? それは良かったじゃ~ん! 実沙子ちゃん、俺は砂月って言うんだ~よろしくね! んで紫雨様、本当に結婚しちゃったんすか? なんてね! あははは」


「砂月、もう黙りなさい。パーティー会場へ着く前に、今月の予定を紫雨様がお話したいということです」


「さーせん! じゃあ、紫雨様も、お嬢方も乗って乗って!」


「砂月さんは、面白い方ですね。紫雨様」


「お前が心優しい娘でよかったよ、実沙子」


 車内では真面目な会議が開かれ、車の中からつい摩天楼のビルを見上げてしまう。

 美沙希はいつも東京へ遊びに行っていたが、実沙子は修学旅行で来た事がある程度だ。

 同じ人間界でも、実沙子のいた地元とは全然違う。

 よくわからないノスタルジックな気持ち。

 

 混み合う道路を高級車が走り抜け、会場に指定されたホテルの前に着く。


 ……一体誰が待っているのか。


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