第9話 徹底抗戦
「アンキューラの店長に聞き込みをしてきましたよ~。ゼープ夫人が捕まえた売人の男ネッサーはただの常連客でどういう仕事をしているのかは知らない、とのことでしたぁ。あの店は造船会社、船の修理とカスタムを担うような会社の人々がよく集まっているそうですが。でも多分あの店自体がクロだと思うなぁ」
馬車に戻ってきたストリデ青年が、今日も眠そうな目に間延びした声でそう言った。
「カンですけど」
上司を前にカンで報告をする元警察局員を、しかし局長クーラは咎めない。ストリデは言語化できていないだけで違和感を正確に感じ取っているのだ、と彼の相棒ガルネーが言っていた。そのカンを補足したのはストリデに同行していたメイだった。
「実際、アンキューラはあまり良いお店ではないように思いました」
眼鏡に三つ編みの若い局員は折り目正しい仕草で座席に座り、クーラに事情を説明する。
「バーにはお酒をずらっと並べる棚がありますよね。アンキューラの酒棚の一部はカーテンで覆われていて何が置いてあるか分からない部分があったんですけど、さっき聞きこみに行った時、カーテンが少しめくれていて中が見えちゃって」
そこで言葉を切ったメイの横顔は深刻だ。
「そこに外国のお酒があったんですけど、そのお酒って国外への持ち出しが禁止されてるんです。その国でしか採取されない貴重な植物を使っているからなんですけど、その植物がラベルに印刷されていて……。中身が減っていたので、お客に提供していると思います」
「店の事情を知っている者にだけ振舞っているのかもしれませんねぇ」
「……アンキューラの責任者を調べた方が良さそうだ。営業許可書を確認しに行こう」
クーラの言葉で馬車は早々に王都エルゴナの役所に向かった。店を出すには衛生や消防の問題から届け出をしなくてはいけない。無届けでの開業はそれ自体が処罰の対象となる。
役所前は平日だけあって人が忙しなく行き来している。中が混雑していることは容易に想像できた。人々は役所前の馬車の停留所に宮廷公用馬車が止まるとそちらに意識を向けたものの、それ以上には興味を示さず過ぎ去っていく。
ストリデに先んじてメイが馬車を降りて、帯剣した元警察局員に声をかけた。
「ストリデ先輩はクーラ閣下の警護をお願いします。我々が犯罪組織サバーカと対立する以上、警戒は万全に」
「いや、ストリデにはメイの護衛を頼む。こちらには御者もいるし自分の身を守るくらいできる。命令だ」
第6王子妃が腰に下げた剣に触れると、御者の男がメイとストリデに一礼した。話はそれで決まりだった。
馬車の中からクーラが役所の建物内に入る二人を見送る。その宮廷公用馬車にフラフラと近づく者がいた。みすぼらしい恰好をした男だった。
「おお、これは宮廷の馬車! ぜひ、ぜひこちらの嘆願書を受け取っていただきたく!」
男は手にしたヨレヨレの紙を手にふと場車内に視線をやり、そこにいる貴人の姿を認めると感極まった声を上げた。その騒ぎに周囲の人々も何事かとそちらに視線を向ける。
「おお、これは第6王子妃クーラ殿下ではございませんか! 殿下、クーラ様、どうか、どうかわたくしの嘆願をお聞き届けください!」
「分かったから馬車から離れよ! 嘆願書は私が受け取る!」
御者が男から紙を受け取ろうとするが男は首を横に振ってそれを拒み、地に伏して第6王子妃を仰いだ。
「いいえ、いいえ、クーラ殿下ご自身に受け取っていただきたいのです……! 私は貧しい村を代表し、この惨状を王族の方々に直接お伝えすべく遠路はるばる参ったのです!」
周囲では人々が何やら互いに囁きながらその様子を見守っている。クーラは手振りで御者に扉を開けさせ、馬車を降りて男に手を差し出した。
「立つが良い。嘆願書はたしかにこの第6王子妃クーラが受け取ろう」
「おおこれは……なんと……」
よろよろと立ち上がった男がクーラの手を握り、そのままグイと距離を詰める。そして低い声で囁いた。
「ネッサーが世話になってるようだな、第6王子妃クーラ。良いか、お前の率いる違法薬物対策局の活動を停止しろ。俺たち組織サバーカの壊滅、薬物生成プラントの特定と破壊、そんな考えも今すぐに捨てろ。でなければお前の父母も、愛しい妹も弟も無事ではいられまい。御前さまの力ならそれも可能だ」
男はニヤニヤと笑ってクーラから距離を取る。だが第6王子妃はにこりと笑って男の手を引いた。ぎょっとした男に構わず、クーラは親しげなしぐさで彼の背のあたりを軽く叩きながらその耳元で唸るような声を上げた。
「殊勝じゃないか、わざわざ私の前に顔を出して『これじゃ自分たちが困っちゃうから部局の活動を止めてください』なんてお願いに来るとはなぁ」
お願い、の部分をことさら小馬鹿にするように強調して、クーラは男の手を握る手に力を込める。そのままさらに低い声で唸った。若い娘のそれとは思えない響きだった。
「貴様らごときゴロツキの脅しに国家が怯むものかよ。王侯貴族は命を賭けて民草を守ることこそその務め、トカーニ伯もその子供らも覚悟ある人々だ。徹底抗戦を貫くだろうよ。……お使いご苦労だったな、走狗よ。駄賃をくれてやるからさっさと飼い主の元に戻るがよい」
パッと手を離したクーラが男に金貨を握らせた。周囲の目には哀れな貧民に第6王子妃が深い慈悲を垂れたもうたと見えただろう。だがその顔を間近で見上げて男は背中にいやな汗をかく。
自分を脅しに来た犯罪組織の男を格下とみなして顔色一つ変えずに睥睨している。
そこに向こうから白いケープを纏った二人組がその場に戻ってきた。メイとストリデである。それを援軍ととらえたのか、男は顔を青くしてクーラをチラチラと見やり、膝をがくがくと震わせながら走り去った。
「何事です、閣下」
「いや、それが……」
全員が馬車に乗り込みクーラが事情を説明すると、役所内にいた二人は顔を青くした。王族を危険な目に合わせたのだ。最悪首が飛ぶこともある。だが脅された当人はこの件は部署内にとどめてほしいと言い、手渡された紙を念のために開くが案の定中身は白紙だった。
「それで、そっちはどうだった?」
「特に問題なく書類の写しを貰えました。こちらです」
「……問題はあったよ」
メイがクーラに書類の写しを手渡すのを横目で見ながら元警察局員ストリデが緊張した声で言う。
「役所内に明らかにカタギじゃない、腕の立つ奴がいた。歩き方というか身のこなしがそんな感じで、僕らを見てた。多分、閣下を脅した奴やネッサーの仲間。つまり組織サバーカは間違いなくウチの局を敵とみなしてる」
「……なら問題ない、このままだ」
書類の写しを確認したクーラが宣言した。
「ここまでハッキリ敵意を向けてくるということは、我々は確実にサバーカの首元に手を伸ばしているということだ」
その横顔に一切に迷いはない。実家に対して警戒を促した方が良いのでは、と言うメイの提案には落ち着いた仕草で首を横に振っていたずらっぽく笑う。
「トカーニ家は既にこの事態を予測して、相応の準備をしているはずだ。何かしようものならあちらから手出しは無用と言うだろう」
何より、王族であるクーラの手で特定の貴族の家を庇護することは公平性に欠ける。それは貴族街の自警団や警察局によって行われるべきことで、第6王子妃の仕事ではない。「やりたくない」とか「できない」というよりも「してはいけない」に近い。
「それでバー『アンキューラ』の方だが、オーナーはコヴェント伯とある。聞き覚えは?」
「ありません……秘書官さんに聞くのがよろしいかと」
メイの言葉にクーラが頷いた時、馬車の外から鋭い馬蹄の音が近づいた。そちらに目を向けると白い官服に港湾管理局の濃紺のコートを着た官吏が馬車と並走するように馬を駆っていた。ストリデが素早く窓を開けると、官吏が言った。
「クーラ閣下、港湾管理局長ソワン閣下がお呼びです! ご同行下さい!」
どうやら港湾管理局が違法薬物対策局の執務室に魔導通信で連絡を入れたものの局長クーラ本人は不在、と言われ、結局港湾管理局の者が迎えに来てくれたらしい。魔導通信機械の小型化はまだまだ先の話である。
たどり着いたエルゴナ港のそばの港湾管理局の建物内でクーラは宮廷から駆け付けた自身の秘書官と合流してソワンの執務室に向かった。
必要なメンバーが揃うと港湾管理局長はろくな前置きも無く言った。
「抜き打ちで積み荷を確認したところ、大量の薬物が発見された。これには何らかの、船舶を複数所有数r大きな組織が関わっていると思われる。そしてその構成員と思しき者には狼の意匠の焼き印が身体のどこかにある」
「狼の焼き印……!」
クーラたち違法薬物対策局の面々が互いの顔を見合わせる。ゼープ夫人が捕まえた、多くの下部組織を従える犯罪組織サバーカ直属の薬の売人ネッサーの身体にも狼の衣装の焼き印があった。
狼の船首像の船、今日捕えた船とその船員。かれらもまた全員サバーカの構成員である。
港湾管理局の職員が手渡した資料を覗いて、ネッサーの尋問を担当したストリデがゆっくりと頷く。
「ネッサーの身体にあったのと同じデザインですねぇ。それでソワン閣下、薬物を運んでいた船の持ち主は?」
そこでタイミング良くさっき捕縛した船員たちの取り調べを行っていた局員たちが部屋に入ってきた。
「船の持ち主、つまり連中の雇い主はコヴェント伯だそうです」
コヴェント伯。バー『アンキューラ』のオーナーとして役所に登録されている名前でもある。つまりこの国で違法薬物を売りさばいている犯罪組織サバーカとコヴェント伯は同一存在、ないしは強いつながりがあることになる。コヴェント伯を叩けばそのまま芋づる式に組織を弱体化させることもできるし、薬物の生成プラントを抑えて破壊することもできる。
だが間髪入れず。
「偽名だな」
違法薬物対策局長と港湾管理局長が声をそろえた。
「身体を張って売人ネッサーを捉えたゼープ夫人がバー『アンキューラ』の黒い噂を知ったうえであの店に行ったとは思えない。つまり『アンキューラ』は酒を密輸した事実が漏れないように自分たちの情報を上手くコントロールしている。それが出来る店のオーナーが密輸した酒を出すにあたって、わざわざ役所ですぐ調べたら分かるところに自分の名を出すとは思えない。何せ見つかったら一発で捕まるんだからな」
「あの場で俺が焼き印の意味を知ったことを悟りながら、意地を張って嘘をついて見せたあの船員たちがこの短時間でそう簡単に雇い主の名を吐くとは思えん。そうしたのなら、教えても組織にダメージがいかない名前だ」
二人の局長がつらつらと理由を述べると港湾管理局長の秘書官が補足するように言った。
「ソワン閣下、局長たる閣下の秘書官である私は、コヴェント伯という名前に聞き覚えがありません。私は秘書官としてこの国の爵位持ちの船主の名全てを把握しております。その中にコヴェント伯の名はありません」
その隣で違法薬物対策局の酒好きの秘書官が悲しそうな顔になる。アンキューラは酒好きの間では珍しい酒を飲ませると評判だったのだ。
「とにかく、コヴェント伯という名前が誰かの偽名というのであれば、当局はアンキューラの方面からその正体を突きとめましょう」
「我々港湾局はサバーカが所有する船からコヴェント伯について調べましょう」
そう言った港湾管理局の副局長は、あごひげを撫でながら報告書に添えられた金の狼の船首像の写真を見つめている。何やらこの元トラバース級輸送艦に施された改造に思い当たる節があるらしかった。
二局の局員たちは、薬物の成分分析の結果、方々への調査の結果などが分かり次第連絡を入れることを約束してひとまず解散となった。だが去り際、メイが意を決したように立ち止まり、クーラの夫に駆け寄った。
「ソワン閣下、実は今日クーラ閣下が」
「メイ!」
心優しい王室大学校時代の同級生が犯罪組織サバーカに実家を引き合いに出されて脅されたことを心配して、その夫に情報を共有しようとしてくれている。クーラはそれを分かりながらも彼女を止めた。ゆっくりと首を横に振る。
その無言のやり取りを見て、ソワンはメイを呼び止める。
「……クーラ閣下に何かあったのか?」
「お耳に入れるほどのことではございません、ソワン閣下。我々はこれで失礼します」
だが有無を言わせぬ態度でクーラはそう言って宮廷の執務室へと向かう。馬車の中で彼女はメイの手をそっと握った。
「心配してくれてありがとう。でも本当に大丈夫だから」
ね、と励ますように笑いかけると、メイは渋々と言った様子で首を縦に振った。
実際、トカーニ家の方針は最初から変わらない。違法薬物を取引する巨大犯罪組織サバーカに抵抗し、人々を守る。その決意に揺るぎはなく、織工・仕立て業界連合をはじめとし、染色業界連合、石鹸製造業連合全体がその決意を共有している。何よりトカーニ家にも個人的な誇りと意地があった。
「子犬が吠えて、それで獅子が怯むものかよ。我々トカーニ家が貴様らごときに屈しては第6王子妃の名誉にも傷がつくというものだ」
深夜、火の手に慌てふためく家人たちに指示を出しながらトカーニ伯爵家当主がゴロツキを地に叩き伏せて
「武術の心得のある者は応戦、応戦せよ! それ以外は消火と周囲の屋敷への情報伝達!」
そこに近隣の屋敷から貴族や使用人たちが武器や水やバケツ片手に駆けつけて消火とゴロツキの制圧に加わると、次期当主の弟アーゴがすがすがしい笑みを浮かべて見せる。
「ご助力感謝申し上げる! 自警団が来るまでの辛抱です!」
剣を閃かせ、ゴロツキを地に縫い付けてすぐさま次へと襲い掛かる。姉弟の太刀筋は長女クーラのそれと似通っていた。否、ナーデラとアーゴの振る舞いそのものが第6王子妃によく似ている。近隣から援助に駆けつけた貴族たちはそれを目の当たりにして目を細める。ごくありきたりな貴族トカーニ伯爵家の月並みな子供らが、異様なまでの熱心さで王侯貴族としての理想を体現するようになったのはいつだったか。目につくのはさっきから傷を負いながらゴロツキをちぎっては投げちぎっては投げているトカーニ伯爵夫妻。凶器を持った相手に怯む様子のひとつも見せない。
結局、この夫妻に育てられた長子クーラはなるべくして第6王子妃として王族になったのだろう。震える腕や脚を叱咤しながら人々はそれを悟った。
***
夜明けも近いころ、侍女ナナからトカーニ邸の小火と交戦の顛末を知らされ、第6王子妃クーラは息を吐いた。鎮火は終了し、ゴロツキは全員逃げ出すか捕縛するかしたというのならひとまず安心だろう。だがクーラが寝室に戻ろうとしたところに声をかける者がいた。
「やはり何かあったか」
ソワンである。港湾管理局からの去り際、メイとのやり取りを見て何かあるのを察してはいたが具体的にそれが何であるか、帰宅した後もクーラは教えてくれなかった。だがこうなるとさすがに彼女も黙っているのはきまりが悪かった。
違法薬物を販売する犯罪組織サバーカ本体が明らかに焦り始めていること、その結果として違法薬物対策局への直接的な脅しや局長クーラの実家への襲撃という手段を取り始めたこと。
事態をつまびらかに伝える間、クーラは落ち着き払っていた。
長い無言のあと、ようやく出たソワンの言葉は。
「……もう少し動揺してもいいだろう」
多大な苦悩とわずかな批難の色を帯びていた。
再び沈黙があった。重々しいその質感にソワンは己の手を握る。
「可愛げがない、というのならご希望に添えず申し訳ないです」
クーラの返事は冷え冷えとしていた。だが彼女の夫が言いたかったのはそういうことではない、必死に首を横に振る。
「そうじゃない、そうじゃなくて……クーラ、あなたがこのまま民を守るために自ら敵前に出て死ぬのではないかと。……出来れば」
声は掠れていた。
「敵前に出ないで欲しい」
消え入りそうな声で言って、ソワンはうつむく。
また長い沈黙があった。
「殿下、結婚式で共に誓ったではありませんか。その生涯を、すなはち命を賭けて王侯貴族の責務を果たすと。死ぬか否かは結果論にすぎません。犯罪組織サバーカとは最終的に戦闘になるでしょう。その時、部下に戦えと命令して自分だけ安全なところに引きこもっているわけにはいきません」
クーラはそう言って、安心させるようにソワンに微笑みかける。
「大丈夫、王族に求められているのは統治者としての機能。万が一私が死ねば妹のナーデラが殿下に嫁いで、違法薬物対策局も彼女が継ぎますから。結婚誓約書にもそう書いてあったはずです」
愕然としてソワンはクーラを見つめる。
(生きている世界が違う……)
そうとしか表現できなかった。彼女はマダム・ロッシェ工房に身を寄せて犯罪組織サバーカの襲撃を受けた11歳の頃からずっと、死のちらつく世界で生きている。ソワンはそれを嫌というほど思い知らされる。
彼女が日課として剣を振っていることだって、ただ単にそれが王侯貴族の嗜みだから、という範囲のそれではないのだ。襲い掛かる敵から誰かを守り、時に誰かを守るために人を殺す術としての剣。彼女にとって生きるとか死ぬとか殺すとか殺されるとかはぼんやりとした概念上のことではなく、目前の現実の話なのだ。
だがソワンはその世界を知らない。否、この天下泰平を極める今のエルゴナ王国の王侯貴族の多くの者も知らないだろう。
「出勤までもう少し寝ます」
だが思案するソワンを無視してクーラはソファから立ち上がり、自分の寝室に引っ込んでいく。一人残されたソワンは深くソファに沈み込む。こぼれる嘆息は重い。
「……俺とは違う生き物みたいだ」
だがその呟きを聞く者はいなかった。
***
トカーニ邸襲撃から一夜明け、始業前の違法薬物対策局は騒がしかった。
「クーラ殿下のご実家、ゴロツキ連中に襲われたって」
「ゴロツキに狼の焼き印は?」
「無かったらしいです。とはいえタイミングからして犯罪組織サバーカの指示であるのは明らかです。おそらくサバーカがこのためだけに雇ったか、下部組織の者たちです。サバーカ本体が足がつかないようにしているのでしょう」
「またトカゲの尻尾切りかよ、気に食わねぇ」
貴族街から上がった報告に対するメイの分析にガルネーが舌打ちした。いつもチャラついてふざけたような態度だが、彼は警察局に所属して国家の治安維持に貢献できることを誇りとし、警察局長第5王女アレーシアを尊敬するような心根の男である。
「おはよう、皆揃っているな? 早速だが秘書官殿から報告がある」
部屋に入ってきたクーラは開口一番そう言って、後ろに従う背の高い眼鏡の秘書官を皆の前に立たせた。
秘書官の話の切り出しは唐突だった。
「先日、ゼープ夫人が捕まえて宮廷監獄で尋問の対象になっていたサバーカ直属の売人ネッサーから、私が有用と思しき情報を引き出しました」
皆の目が点になった。秘書官は長らく秘書の役職を担い、罪人の尋問など行ったことがないはずだ。警察局から異動してきた者たちによる尋問にも応じなかったあのネッサーから情報を抜き出すなど、いかなる手管を使ったのか。
「私がアンキューラの常連なのは事実ですからね、あの男の味方をしてみせたのです。ついでに、常連だったのがバレたらお厳しいクーラ閣下から職場を追放、財産や爵位を没収されるかもしれない……と言って」
自分を助けてくれるのなら監獄から出られるように手続きをする、と秘書官が持ちかけたことでネッサーは彼女を信頼したらしい。
凄まじい飴と鞭。誰もが唖然とする中、クーラは口元を抑えて肩を震わせている。普段の秘書官とはかけ離れたその名演技を「お厳しいクーラ閣下」は離れたところから見ていたらしい。
「引き出した情報は三つ」
秘書官が指を立てる。
「一つ目、バー『アンキューラ』は何人かの貴族による出資によって20年前に設立しており、アンキューラには彼らが定期的に集まること。二つ目、その出資者の集まりが『コヴェント伯』の正体であること。三つ目、出資した貴族たちの中でも最大の出資者であり、他の貴族たちが絶対に頭が上がらないのが「御前さま」と呼ばれている人物であること」
面々は互いの顔を見合わせた。
つまり、バー『アンキューラ』のオーナーで、昨日捕まった香辛料と薬物を輸送していた船のオーナーの『コヴェント伯』は、複数人の貴族による合同名義である。その首魁たる「御前さま」を捕まえれば、違法薬物対策局にとっての仇敵サバーカの本体に大きなダメージが入ることは想像に難くない。
「ネッサーと話していて他に気づいたことは?」
局長に問われて秘書官はよどみなく答えた。
「コヴェント伯を構成する方々は、合計で10人ほどと思われます。造船や海上運輸に関わる仕事の方がほとんどのようでした。つまり、『コヴェント伯』が犯罪組織サバーカと親密な関係にある以上、サバーカの保持する船はコヴェント伯らの会社で製造・改造されている可能性が極めて高いと言えます」
クーラが少し考える仕草をする。そして不意に呟いた。
「『御前さま』とやらは他の9人ほどの貴族に影響を与えられるほどの大人物というわけだ。つまり、会社を経営する他の『コヴェント伯』たち全員の権威と資産を合わせても、『御前さま』一人に敵わない。……財務会計局から異動してきた面々」
クーラが職員たちを見回すと、後ろの方にいた4人が手を上げる。
「諸君らは『コヴェント伯』の構成員を『御前さま』含めて10人と仮定して、『御前さま』を除く9人の貴族たちの資産額の概算を出してくれ。その9人分の資産額を超える資産を持つ貴族が『御前さま』だ」
財務会計局から異動してきた者の中で一番年上の者が一歩前に出た。
「了解しました、クーラ閣下。9人の構成員の資産額はバー『アンキューラ』の設立資金、彼らの保持していた狼の船首像のトラバース級改造輸送船の総額と、港湾関連事業に携わる貴族の平均資産額を参考に算出します」
「どれくらい時間がかかる?」
「本当にざっくりとした計算で良ければ、昼までに」
「ではそれで頼む」
頷いた局長はさらに指示を飛ばす。
「秘書官は先ほどの内容を書類に起こすように。誰でも良い、港湾管理局長ソワン閣下に面会の申し入れを。面会の時間はなるべく早く、だ」
***
「狼の船首像のトラバース級、調べてみたところ、やはり改造はヴィッテ社によるものと思われますな。写真だと少しわかりにくいですが」
一方、港湾管理局もまた仕事に励んでいた。局長たるソワンは明け方のクーラとの会話が不完全燃焼で終わってしまったためになんとなく落ち着かない。おまけに午後一番に彼女との面会が入ったのでなおのこと不安になるのだが、仕事と私情は切り離さなくてはいけない。
副局長の言葉にソワンは首をひねって顔をしかめる。局長ソワンには全く分からない。
「トラバース級本体の製造がレダ社のものなのは使用している木材や見張り台の形で分かるが……」
そこでふとソワンが昨日捕まった船員たちの乗っていた、あの香辛料と違法薬物を運んでいた船を思い出す。
「あの船の製造もレダ社ではなかったか? ほら、レダ社に独特の見張り台に、あの会社がよく使う山岳地帯からよく採れる木材の」
ソワンの言葉が尻すぼみになっていく。ヴィッテ社とレダ社に調査の人員を派遣するよう指示しながら考え込む。何かが引っかかっている。ヴィッテ社、レダ社。この二つの社名を同時に聞いたのはこれが初めてではない気がする。
傍に控えていた秘書官が仕事用のメモを見返し、弾かれたように声を上げた。
「閣下の結婚祝いの品ではありませんか?」
「あッ……!」
結婚式の翌日、出勤した港湾管理局長の元には多くの届け物があった。その中に、確かにこの2社が他のいくつかの造船系企業と連名で贈り物を届けてくれた。
「あのとき連名だった企業は全てこちらで控えています、すぐにこれらの企業の資金繰りなどの調査をいたします!」
「頼む。だがそれだけではない、全く違うところでこの2社の名を……」
結婚式から後の記憶を掘り返して不意にソワンが呟いた。
「……サルマン公の夕食会?」
「まさか、そんな! サルマン公爵と言えばこの国随一の大貴族、王妃となられるお方を輩出する家の当主になられる方が」
副局長が動揺をあらわにしたところに、違法薬物対策局長クーラ一行の来訪が告げられた。執務室に現れた彼女は何の前置きも無く2枚の書類をソワンに突きつけた。
1枚目はクーラの秘書官が宮廷監獄に捕まっている薬物の売人ネッサーの証言を書類化したもの。2枚目は元会計局員による『コヴェント伯』を構成する9人の造船系企業の資産額の概算について。
2枚に目を通してソワンは深くため息をついた。
「……サルマン公が『コヴェント伯』の首魁、つまり犯罪組織サバーカの最大の資金源にして協力者『御前さま』の最有力候補か」
『コヴェント伯』を構成する造船系企業それぞれが持つ資産額、その9人分の合計。それを凌ぐ資金と権威を持つ貴族など限られている。宮廷への納税額、寄付額、社会への影響力。そういったもの加味した結果、他の『コヴェント伯』全員を圧倒できる貴族として挙げられたのはごく数人だった。
サルマン公の甥であり元教え子の青年はもう一度嘆息した。
「サルマン公は確かに船の運用に興味がある、とおっしゃっていた」
ソワンは覚えている。『アンドレッサ』爆破事件があったあの夜、妓館に行く前にサルマン邸で夕飯を食べた後。酒に酔ったサルマン公は確かに言っていた。興味の延長としてヴィッテ社やレダ社にも訪問した、とも。それが単なる見学目的の訪問以上のものだったとしたら?
そこに入ってきたのは、昨日没収した薬物の分析を行っていた違法薬物対策局から出向している研究系職員だった。
「どーも、お忙しいとこすいませんね」
ラフな口調で行って、研究者は分析結果を記した紙を二人の局長の前に出した。
「この薬物、この国じゃ採れない成分使ってるのは今まで通りなんですけどコレ、この国じゃ特別な許可を貰わないと輸入できない植物から採れるんですよね。で、その植物って加工するときにすごい甘いにおいがするんですよ」
サンプルこれです、と研究者が白衣のポケットに突っ込んでいた試験官のふたを開ける。甘ったるい匂いにソワンが顔をしかめる。覚えがある香りだ、以前一度だけ港に泊まっていたあの狼の船首像の船の船員たちが纏っていた。
「これはだいぶ前にクーラ閣下経由で第3王子妃メロゥ様から貰った資料をもとにその植物の香りを再現したモノなんですけど。……つまりですよ、この薬物を作るプラントはこの派手な甘ったるい香りを垂れ流してるわけです」
研究者は相変わらずの口調でその場の面々を見渡した。皆が互いの顔を見合わせ、口々に言う。
「プラントの近所から苦情来そうだよな」
「普通の薬品会社とかですら郊外に工場作っても苦情来てるんだし」
「そうなんですよ、すぐに苦情が来て当地の役所なりが苦情申し立てのためにプラント内に足を踏み入れる」
「……だけどそうなったら薬物が作ってることがバレる」
港湾局副局長の言葉に研究者が頷いた。そこで全員が荒唐無稽な想像をして顔をゆがめる。恐る恐るソワンが呟いた。
「……洋上に浮かんだ船を生成プラントにすればバレにくいって?」
突飛と言えば突飛、しかし合理と言えば合理。
そもそも誰もが薬物生成プラント、つまり工場といえば地上のどこかにある建物だと思っていたのだ。移動する船の上など誰も想定していなかった。
「そもそも薬物の生成は技術的にはそんなに難しいものじゃないですからね。器具だって化学実験道具を作ってる会社ならどこでも扱ってるもので充分だし、大きな場所も必要ない。ぶっちゃけ材料さえ揃えちゃえばこの場でだって作れる。……怪しいのは洋上に長時間停止していたっていうその狼の船首像の船ですね」
そこで研究者は話を切り上げた。
何にしても、こうなったら狼の船首像の船を見つけ出て中を検めるのと同時に、この船で薬物の生成にいそしみ、それを資金源とする犯罪組織サバーカにに密接に関連していると思われるサルマン公の調査を行わなければいけない。
「いずれにしても、宮廷に名だたるサルマン公を調査するとなれば一度国王陛下と王妃殿下にご報告申し上げた方が良い」
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