第26話 [7A2]コーメー、喉元に刃を突き立てよ

 サイロン国領内の街道でベルンスト王と対峙したサットバンは、首都ハーベイから駆けつけたサイロン騎馬団に視線を走らせる。先頭を切るのは軍師の服を着た中年の男だった。


「ベルンスト陛下、ベルンスト陛下、ご無事ですか!」

 王は声の主を探した。

「ライプニッツか、助かった!」

 ライプニッツと呼ばれた軍師はサットバンとベルンスト王の間に割り込んだ。


「陛下、ご無事でしたらただちにこの場を離れましょう。今は明らかにこちらが不利です。ハーベイまで引き返して捲土重来をお図りください」


 ライプニッツは、ベルンスト王を連れてハーベイに逃げ込もうとしている。

 サットバンは立ちはだかる五人の武将のうち三人を突破してベルンスト王を倒さんばかりの気迫を見せつける。しかし突破された三人がサットバンの背後に回って五人で取り囲んだ。

 チャンスが一転ピンチとなったが、サットバンは慌てない。

 愛馬を太ももで操り、五人の武将に槍で攻撃を仕掛けていく。初撃でひとりを倒し、手首を返してもうひとりの武将を斬り裂いた。

 仲間のふたりが瞬時に倒されたことで、サットバンを囲んでいた武将は距離をとらざるをえなくなった。


「陛下、ご決心を!」

 サットバンが奮戦している間に軍師ライプニッツはベルンスト王を連れてハーベイへと走り出していた。

 サットバンは囲みを突破してふたりに追いつくこともできたのだが、幸明との約束を優先させた。


 今必要なのはベルンスト王の首ではない。サイロン国の領土である。

 すでに周辺の村々はサットバンの部下が制圧している頃合いだ。サットバンがその報告を待っていたところに、たまたまベルンスト王が現れただけなのだ。


 そして幸明からは、仮にベルンスト王に出会っても殺さないことを言い含められていた。モンティールの占い師から、ベルンスト王の命数は尽きていないと知らされたからだという。

 ベルンスト王の命などおまけみたいなものだ。本命であるサイロン領土を大きく削り取れれば、たとえベルンスト王がハーベイに生還しても、以前ほど国力を背景にした威圧は発揮できないだろう。

 そして特定の国を持たなかったスプリカルが、初めて国土を得ることになる。

 このあとの展開は幸明の思惑次第ではあるが、「天下三分の計」を唱えているところから考えると、スプリカルと同姓のミドルトン国とフェニット国を併呑するのが筋だろうか。

 それを妨げようとするのはモンティール国の大都督カールと、今しがた現れたサイロン国の軍師ライプニッツといったあたり。

 もちろんミドルトン国とフェニット国も黙って併呑されるとは思えない。このあたりは硬軟織り交ぜた駆け引きが必要だろう。


 依然として三人の武将に囲まれているサットバンだったが、穂先を下に垂らしたまま視線をめぐらせていた。飛び込んできたら即応できる構えだ。それに気づいた三人の武将も微動だにできなかった。

 サットバンは、動かないことで敵を動けなくさせたのである。その間にもベルンスト王は軍師ライプニッツに連れられてハーベイへと急いでいる。

 おそらくこの三人の武将も、ベルンスト王が逃げ込む時間を稼ぐつもりだろう。

 となれば、自ら危険を冒す必要はない。動けないことは三人の武将にとっても好都合だったのだ。冬の乾いた寒風が吹き荒れる中、時だけがゆっくりと過ぎていった。


 均衡を破ったのは、遠くから駆けつけた騎馬の足音だった。駆ける音が大きくなる。


「サットバン様! 北の村々はすべて掌握いたしました」

 サットバンを視認したと思われる伝令が大声で呼びかけた。やってきた方角を確認しても、サイロン国のハーベイより西の区域を奪い取った部隊が伝令を送ってきたようだ。

 サットバンに援軍が到着したと判断した三人の武将は、大きく退いてからひとつに集まり、なにやら話し合いをしている。このままにらみ合っても展開はよくならないと判断したのだろう。捨てゼリフを残してハーベイへ向けて走り去った。


 サットバンはサイロンから奪い取った領土を安定的に支配できるようにするため、ハーベイに向けて愛馬をゆっくりと駆けさせた。

 ハーベイの鼻先に当たる市を掌握することが、幸明から授けられた最後の策である。それを成すことがサットバンに与えられた本来の役目だったのだ。


 ハーベイの手前に位置するのは「下ハーベイ市」といい、首都に隣接するため要衝ともなっている。ここを落とせばベルンスト王の喉元にナイフを突きつけたも同然だ。となれば生殺与奪は思いのまま。


 下ハーベイ市を確保するという重要な任務にサットバンを当てたのは、『三国志演義』を踏襲したくなかったからだ。

 追い詰められた曹操の前に関羽が立ちふさがったのだが、以前受けた恩義を返すために曹操を見逃してしまったとされる。それにより「赤壁の戦い」で大敗を喫したにもかかわらず、曹操は最大の国力と物資、兵員を背景にして覇権を継続できた。

 「赤壁の戦い」では逃げる曹操をいかにして追い詰めるかが肝だ。ここで逃げられたら再戦の余地が残ってしまう。

 だからこそ「ラングル渓谷の戦い」においては、ベルンスト王を命からがらわずかの差で首都へ逃げ延びるのは許すことにした。

 しかし逃げるベルンスト王よりもサイロン国をいかに大きく削れるか。

 それを最大の作戦に位置づけたのである。


 そして、その作戦は予想どおり成功している。あとは「下ハーベイ市」を陥落させるだけだ。

 デトマーズとスプリカルの軍がサットバンのいる街道まで到着すれば、攻城戦に移行することになるだろう。




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